歴史・考古学

2017年9月24日 (日)

「四四南村」

台北に来て早5か月が過ぎようとしている今日この頃ですが、
ワタクシまだ故宮博物院も台北101もまだ訪れたことがないのである。

まぁ、東京人が東京タワーに行ったことがないということと
同じ理屈でいつでも行けるという安心感?からか
遠くにはイソイソと出かけるが近場は遠慮してしまう傾向がある。

台北101もまだ訪れたことがないと記したが、これは展望デッキまでは行ったこと(上がった)がないという意味で、
地下や周辺ご近所には幾度か訪れたことがある。

で、今回はそのご近所である「四四南村」のスナップである。

「四四南村」とは元々「四十四兵工場」という武器工場で働いていた外省人たちとその家族が暮らせるようにと
政府より準備された場所のことで、現在ではリノベーションされカフェレストランやショップ、
そして「眷村文物館」という特別展示会館として利用されている。
台北101にも近いので台北今昔を対比・象徴させるフォトスポットしても面白い場所でもある。

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2017年9月21日 (木)

「西本願寺広場」

MRT西門駅前にある西門紅楼(現在改修工事中)の南側に公園がある。
公園の名は「萬華406号広場」で、別名「西本願寺広場」。

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名前から分かるように日本統治時代の1922年に浄土真宗本願寺派の本山、本願寺台湾別院(通称:西本願寺)が建立されていた場所である。
しかし、戦後廃止され、その後火災で殆どの建物が焼失してしまい、現在では「樹心会館」や「輪番所」、「鐘楼」が復元され、公園として整備されている。

「鐘楼」

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「輪番所」は西本願寺の住職の住宅だったもので、今では「八拾捌茶」という茶屋として復元されている。

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「樹心会館」

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「樹心会館」では「台北運動史世紀縦横」が開催されていた。
で、その中の展示品の一つに嘉義農林学校野球部(嘉義棒球)の写真があった。

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しかし、この写真は1933年に開催された全島中学校野球大会で優勝した時のものだった。
普通なら1931年の甲子園準優勝の写真を展示するはずだが・・・
入口脇に台湾運動史の大型パネルがあったが、それにも甲子園準優勝の記載がなかった。
忘れているのか・・それとも資料がなかったのか?
しかし、別棟では「KANO」の映画が上映されていた。

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「KANO」の甲子園準優勝という事実・記録を台湾の人々はどう思っているのか?
実に気になる今日この頃である。

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2016年8月20日 (土)

「月江寺昭和レトロエリア-そぞろ歩き」

イヤイヤ・・・山中湖での野外フェスから早くも2週間経ってしまった。
本来ならばその続編?の記事をアップする予定だったのだが、本来のナマケモノの性分で放置状態が続いてしまっている・・・
実にコマッタモンダ・・・・・まして盆休みなる日本固有の休みもあり、さらにだらけてしまったのである。
実にコマッタモンダ・・・・・
そんな実にコマッタモンダ状態もリオ五輪と共に終わろうとしている(ワケがワカラン理論だ!・・・・・)
まぁ、リオ五輪の興奮?と共にモチベーションが上がってきたということらしい・・・(まるで他人事だ!・・・・)

というワケで2週間ぶりの更新と相成るワケである。
で、記事のお題は「月江寺昭和レトロエリア-そぞろ歩き」である。

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「月江寺」は“げっこうじ”と読む。
最寄りの駅は月江寺駅で、富士吉田駅、月江寺駅、下吉田駅、と続く。
で、何故月江寺が昭和レトロなのか?

富士吉田界隈は古くから絹織物の産地として栄えてきた。
そして、織物商の仲買人が泊まりがけで月江寺、下吉田界隈に多く訪れたために、
遊郭、宴会場のような遊興の歓楽街が国道と並行した「西裏通り」周辺に出来たのである。
また、戦前の富士には陸軍の演習場があたので陸軍が、戦後は進駐軍が、そして進駐軍が撤退したあとは自衛隊が
そこを娯楽の街として利用してきたのである。
しかし、戦後を境に織物産業は廃れ、バブルも弾け景気が衰退してゆくのと共に街もその繁栄の幕を閉じたのである。

そして残った歓楽街の街並み・・・・
ここでは時間は1970年代で止まっています。

関連HP
月江寺界隈 昭和の街めぐり(げっこうじかいわい しょうわのまちめぐり)
http://www.yamanashi-kankou.jp/course/taste/006.html

リアル昭和30年代の町並み 富士吉田『月江寺エリア』
http://retro.useless-landscape.com/archives/1380P

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2016年2月17日 (水)

「よこすか都市景観フォーラム」

ワタクシの家系は親子3代横須賀生まれで祖母が大正時代に横須賀に移り住み戦後まで海軍相手の下宿屋やカフェを営んでいた。
戦後になると両親や叔母達は米軍基地の中で働き、祖母は海上自衛隊相手の下宿屋を同じように経営していたのである。
まさにワタクシの家系は基地と共に歩んできたのである。

まぁ、そのような時代背景が家族にはあり、従って海軍と関わってきた街の遍歴には大いに興味がある。
で、個人的にシコシコ調べてきてはこのブログに書き込んできたという経緯がある。

そんなワタクシにドストライクなイベントが先日開催れた。
よこすか都市景観フォーラム」というイベントで講演者の一人は山本 詔一さんで、
海軍とまちづくりというテーマで講演するという。
これは是非聴かねばならぬ、ということで参加してきた。

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オーディエンスの大半はオジイサマ、オバアサマ方である。
山本氏の講演内容は非常に興味深く、知ってはいるが、詳細までは知らなかった歴史を知ることが出来た。
彼の講演内容に関係するだろうワタクシのブログ記事は下記のようなものがある。

「横須賀高等女学校跡」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_733c.html

「横須賀駅」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_9699.html

「海軍料亭 小松」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_682f.html

ご近所探索「聖徳寺坂」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-de54.html

中島三郎助まつり、そして浦賀のあれこれ
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_a2ce.html

日米親善ベース歴史ツアー、そして「ジョージ・ワシントン」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-baaf.html

ご近所探索「枇杷(ビワ)山トンネル」
http://take4-san.cocolognifty.com/blog/2008/06/post_5620_1.html

三笠を想う
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_ec8f.html

ご近所探索「上町建築巡り」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_ac73.html

うらが道
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_d03d.html

ご近所探索「雨のうぐいす坂」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_2d65.html

横須賀の近代建築-建造物が語る先進都市ヨコスカ-
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_78c9.html

まぁ、個人的にブログのカテゴライズをやってなかったので
「ご近所探索」というカテゴリーを作った。
      ↓
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/cat23965695/index.html

けっこうな項目がありますなぁ・・・・

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2016年2月14日 (日)

「始皇帝と大兵馬俑」展

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上野の国立博物館で「始皇帝と大兵馬俑」展が開催されている。
この事は知っているし、そしてチケットも入手済みである。
しかし、なかなか訪れる機会がない、というよりもあまり興味がないと言ったほうが本音なのかもしれない。
実はワタクシ数年前に西安を訪れ本家本元?の「兵馬俑」を見ているのだ
従って何を今さらジローということなのだが、じゃ、何故?チケットを買ったのか?
まぁ、「大兵馬俑」展ということで条件反射的に?衝動的に?買ってしまったのだろう。
で、時間が過ぎてゆき本展覧会も今月の21日までの開催となり、やっと重い腰を上げて上野へと向かったのである。

9時半に到着したが既に長蛇の列で入場が制限されていた。
日本語による秦という国家を築くまでの歴史やその時代の品々の説明は良かった。
しかし、後半の兵馬俑の実物展示はやはり迫力不足である。
あの圧倒的な迫力はやはり現地に行かないと体感はできないのだろう。
で、やはり最初に展示されていいたのは「跪射俑」である。
西安のガイドも兵馬俑の全権大使という説明をしていたが、世界中で開催される「兵馬俑展」に必ず展示される
片膝を立てて弩弓を携えている俑である。

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これは西安の兵馬俑博物館で撮影した「跪射俑」である。

まぁ、それにしても大変な混雑である。西安の兵馬俑博物館は見学者はそこそこいるのだが、博物館は広く
混雑することはない。
やはり、現地に行くことをワタクシはお勧めします。

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上の写真は現地で撮影したもので迫力が違う・・・・

昼前に見学を終えたのだが入場を待つ見学者の列は正門近くまで続いていた。
恐るべし、兵馬俑フィーバーである。

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2016年1月 7日 (木)

手斧始式

毎年1月4日に鎌倉は鶴岡八幡宮で「手斧始式」(ちょうなはじめしき)という神事が執り行われている。

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元々は源頼朝が現在の地に八幡宮を建てた時に、造営事始の名の下に手斧始めの神事を行なったのが始まりで、今では八幡宮で行なう年中の営繕の行事始めであるとともに鎌倉全市の工事始めとして、毎年1月4日鎌倉在住の建築業者によって挙行されている。

古来より大工道具の三種の神器とされてきた差し金(サシガネ)あるいは曲尺、手斧・釿(チョウナ)、墨壷(スミツボ)を主役に鋸、槍かんな、などの道具を使い古式ゆかしい大工職人の仕事を再現している。

これらの道具の中で手斧・釿と槍かんなは今では使われることはほとんどないだろう。
宮大工の仕事で使うことはあっても今では電動工具が主役である。

で、この手斧・釿は主に柱や梁など用材の荒削道具として使われてきたのだが、大工道具の生きた化石ともいわれ、古墳時代の鉄製の出土物にも見られる道具なのである。西暦紀元頃の登呂の遺跡の木製遺物にも釿で加工したような痕が残っているという。

この様な神事は日本全国の神社や寺で行われており神奈川県では鶴岡八幡宮で執り行われている。

何はともあれ古式ゆかしい儀式を見て、悠久の時を超え古代の造営に思いを馳せた今日この頃である。

なお、この記事は過去に掲載された記事を一部修正したものです。
   ↓
手斧始式
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-818c.html

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工匠の儀

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鋸役の儀

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墨打役の儀

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手斧役の儀

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槍鉋役の儀

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八幡宮で頂いた手斧始式の説明書

片手撮影のためチョット傾いてしまった・・・・・

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2015年11月14日 (土)

地球の真実

「フランク・ゲーリー展」の後はご近所で催されているFUJIFILM SQUARE 企画写真展、ナショナル ジオグラフィック「地球の真実」に立ち寄る。
11月18日までなので滑り込みセーフ!のタイミングである。

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実はワタクシ、日本語版ナショナル ジオグラフィックを創刊号から愛読しており、
その写真のスバラシさに毎号カンドーしており、常々オリジナル・プリントで見たみたいと想っていたのである。

「アフガン難民の少女」が有名だが、見覚えのある写真達の前でその被写体の持つ気迫に暫し立ち尽くすくんでしまう。
記憶に残る写真とは・・・・より良い写真を撮影するための努力を重ねた中で生まれえる“偶然の産物”であることがよく分かる。
まぁ・・・我々ドシロートはひたすらヘタな鉄砲数打ちゃ当たる的なショット数でその偶然を生み出すしかないのだろうなぁ・・・と
シミジミと感じた今日この頃なのである。

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2015年2月28日 (土)

昔(カメラ)の記憶 マヤ「コパン遺跡」

インドネシアのネタもありそうでなさそうなので・・・
先日の続きということでホンジュラス「コパン遺跡」のネタでいきませう。

ロアタン島旅行始末記?は先日過去の記事を改稿しアップしたのだが、ホンジュラスのもう一つの観光地である
「コパン遺跡」については書こう書こうと思って早15年以上が経過してしまった。
まったくもってタンザニアのイカンガーである・・・・
(しかし、このフレーズも使い古した感があるなぁ・・・)

で、今回は蔵を漁りながら、かつ30年前の記憶を手繰りつつ書き出したのだが・・・
ほう~最近ではコパン・ルイナス市観光課の公式日本語ホームページがあるのか!
まぁ、昔からJICA関係の支援がホンジュラスにはなされてきているので、これも海外青年協力隊の手によるものだろう。
かくゆうワタクシも無償援助プロジェクトでこの地に居たのである。

この「コパン遺跡」だがアクセスが非常に悪い。ホンジュラス在住者でさえ日帰りは無理で近郊のホテルに宿泊する必要がある。
アクセス的には隣国ガテマラのグテマラシティーからバス、あるいは車で入るのがよい。
あとは、マイアミからサンペドロ・スーラ経由で入るのがベターである。

コパン遺跡」は1980年には世界遺産に登録されており、さぞや有名な観光スポットで観光客も多いのだろう、と
想像していたが、我々が訪れた時には観光客は我々だけであった。
以下の写真をご覧になればわかりますが、人(観光客)が一人も映っていません。
実に寂びれた世界遺産である。

で、最近のマヤネタではマヤの暦が2012年までしかないということで「2012年12月に世界が滅びる」という預言?噂?が
全世界を駆け巡り、これを題材にした映画まで製作されていたが、最近では「2015年に人類が滅びる」という噂があるらしい。
まぁ、マヤ文明に関してはまだ解明されていない謎が非常に多く、これもガセネタだと思うのだが実に謎が謎を呼ぶ「マヤ文明」なのである。

以下に当時の写真を記載しますが、説明は省略します。というか覚えていない・・・・?

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コパン王朝古典期の球戯場
ガイドの説明では生贄の首をボール代わりにしてサッカーのような試合を行っていたらしい。
まぁ、記憶が曖昧で定かではない・・・・m(__)m

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マヤネタでは以前に「古代マヤの遺跡」、「インカ・マヤ・アステカ展」や「トゥルム」などを記事として記載してきたが、
大物の「チチェン・イッツァ」も訪れたことがあり、これはまだ記事にしていない。
あと「テオティワカン」(これはアステカ文明)も画像が蔵に眠っている・・・・・これもそのうちアップしませう。

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2015年2月 6日 (金)

サンダカン八番娼館 望郷

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この映画は1974年に公開されており2004年にDVD化された。
原作は女性史研究家・ノンフィクション作家である山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』(1972年)である。

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実はこの原作、ワタクシの本棚に40年以上前からあるのだが、何故か?未だに読んでいない。
そして映画も未鑑賞のままであった。

この映画の原作である『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』が発行された時、大きな反響を呼んだことは記憶にある。

ノン・フィクションであるこの本の最大の功績は、今まで認知されていなかった「からゆきさん」の存在を世に知らせしめ、
人々の関心をいわゆる女性哀史に傾倒させ、女性史研究という新しい分野を切り開いたことだろう。
そして、同時期には『あゝ野麦峠』という女工哀史も発行され、映画化もされている。

70年代はウーマンリブという女性解放運動が盛んになり、女性史や女性問題は社会的にも関心が高かった時代でもある。
そして、当時10代だったワタクシは舞台となったボルネオ、そしてコタキナバルやサンダカンに強い関心を持つようになったのである。

そして時代は流れ・・・・・最近、やっとこの映画(DVD)を拝見する機会が訪れたのである。

天草の食堂で女性史研究家を演ずる栗原小巻サンがバックからハイライトを取り出してタバコを吸うシーンは何故か?新鮮だ!
がしかし、演出のせいか?何故か演技がぎこちない・・・
それに引き替え若き高橋洋子や田中健の演技は新鮮で迫力があるなぁ・・・

それにしても田中絹代さんの鬼気が漂い、枯れた演技には圧倒される。
後日、監督の熊井氏いわく、
「一カットずつ凄(すさ)まじい執念をこめ、心血を注いでおサキを演じた。
極度の緊張の連続で、今にも倒れて しまうのではないか、と思うほどであった」と。
そして、この作品の3年後田中絹代さん永逝。67歳、映画としてはこれが遺作となってしまったのである。

当時、サンダンカンには一番から九番までの娼館があり、八番娼館が舞台となっている。
そこで働く彼女達は実に逞しく、そして悲しい。
「日本には帰るな」というセリフが重く、
そして映画のラストでは、密林を切り開いて辿り着いた先に荒れ果てた墓地があり、
彼女たちの墓は日本に背を向けて建っているというシーンがあった。

彼女たちは祖国日本を拒絶したので背を向けて建っているのか?
そんな思いを暗示させるのだが・・・・
あるいは、立地的な条件から必然的にそうなったのかもしれない・・・・
真偽のほどは分からないが、淡々とした心境で風吹き渡る丘の上に海に向けて墓を建てたのかもしれない・・・
そう思う方が自然なのかもしれない。

ジャカルタにも日本人墓地というか「日本人納骨堂」があるのだが、
これは点在していた「からゆきさん」の墓を集めて建立したのが始まりだという。
東南アジアに点在している日本人墓地の多くは同じような歴史を持っているのかもしれない。

南蛮貿易などで日本人の海外進出が本格化した16世紀以降、東南アジアの港町に日本人が集まって住むようになったのだが、
語られることのない悲しい歴史も多くあったのだろうとつらつらと思う今日この頃なのである。

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2015年2月 4日 (水)

カメラの記憶 「ホイアン」

ネタがない困った時は怖いもの知らずの蔵出し頼み!?ということで引っ張り出してきたのはベトナムはホイアンのスナップである。

25年ほど前か・・・所用でベトナムのダナンに3度ほど行ったことがあり、周辺の街にも良く足を延ばした。
その一つに“ホイアン”がある。ダナンの南30キロに位置し、車で40分ほどの距離。

古くから国際貿易港として繁栄してきた街であり、古い町並みは1999年に世界遺産に指定された。
実はこの街、日本人ゆかりの街でもある。
江戸幕府初期、朱印船貿易による貿易が栄え、最盛期で約1,000人の日本人が居住し日本人街を形成していたのである。
しかし、その繁栄は約30年ほどで江戸幕府の鎖国により往来が途絶えた。

で、街中にその日本人街の名残がある。
来遠橋(日本橋) - 中国風の屋根付橋だが、1593年に日本人が建設したと伝えられ、2万ドン札の裏側にも印刷されており、
現代のベトナム語ではChùa Cầu(橋寺)とも呼ばれている。
梁を支える腕木の意匠に日本を感じますなぁ・・・

25年以上前の写真なので今の街並みと微妙に違うかもしれない・・・・

ホイアン観光ガイド↓
http://www.hoian.kankoguide.info/

そうそう、最近のニュースでホイアン市が「一番気に入る観光地に選ばれる」と報道されております。

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