美術館・博物館

2009年8月 9日 (日)

「ATOM 展 ~アトム 世界、そして未来へ~」

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今年は手塚治虫生誕80周年ということでこれに関連するイベントが催されている。
先日は江戸東京博物館で行なわれた「手塚治虫展」を楽しむ。

そして今月からは横浜の放送ライブラリーで「ATOM 展 ~アトム 世界、そして未来へ~」が
開催されている。
これは「横浜開港150周年記念」とも連動している。

鉄腕アトムは今まで3回テレビで放映されている。
第1作は国産初の30分テレビアニメシリーズで1963~66年に放映、これは白黒だった。
第2作は1980~81年に放映された。これはカラー・
で、第3作は「ASTRO BOY 鉄腕アトム」という題名で2003~04年に放映された。

そして2009年10月にハリウッド版「ATOM」が公開される。

展示はこれらのセル画、台本など作品のメッセージや表現がどのように変わっていったか、その遍歴が分かるように構成されている。

ハリウッド版の「ATOM」が大々的にPRされていた。
確かにその作品としてのクオリティは高いと思うだが、アメリカンナイズされたキャラクターにどうしても違和感を感じてしまう。
さて、今秋公開の「ATOM」は日本に方々に受け入れられるか?
楽しみである。

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2009年8月 4日 (火)

「ボタニカルアートの原点 佐藤達夫の植物画」

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特別展示「ボタニカルアートの原点 佐藤達夫の植物画」
会期:平成21年7月18日~10月4日
会場:本館3階特別展示室
協力:かながわ日仏協会

横須賀市自然・人文博物館では特別展示として「ボタニカルアートの原点 佐藤達夫の植物画」が開催されている。

ボタニカルアート(植物画)は植物の姿を正確で細密に描く植物図鑑のための絵画のことである。
で、作者である佐藤達夫さんは元人事院総裁として知られる人であるが、またボタニカルアートを愛する人としても有名だったらしい。ここに展示されている作品は佐藤さんのフローラ(植物誌)である。

その“楚々”とした画風を見つめていると何だか清清しい気持ちになってくる。
訪れる人も少ないが、その静寂に包まれた空間で見るボタニカルアート(植物画)はワタクシにとって日頃の雑念を忘れさせてくれる清涼剤でもある。

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2009年8月 2日 (日)

「海のエジプト展」

ワタクシ、古代エジプト文明が好きである。

小学生の頃には本気で考古学者になりたい!と思ったほどである。
で、その頃買ったツタンカーメンの遺跡発掘の本は宝物でもあった。

月日は流れ、今は生活に追われエジプトは忘却の彼方である。
しかし、いつかはエジプトはルクソールや王家の谷に行ってみたいと思っていたが、
その想いはいまだに叶っていない。

そして、今年、「海底からよみがえる、古代都市アレクサンドリアの至宝」
というサブタイトルで「海のエジプト展」が開催された。
これは見なければイケナイ!ということで本日会場であるパシフィコ横浜に赴く。

http://umieji.jp/
http://www.asahi.com/egypt/works.html

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長い期間に亘り引き揚げられた古代エジプトの遺産の数々が展示されていた。
特に圧巻だたのは“デカンの祠堂”と“ネクタネポ1世のステラ”である。

共にヒエログリフが綺麗に残っており、これが遥かなる時空を隔てて見る者の心に訴えかけてくる何かがある。

そしてエジプトの神「アメン」とローマ神話の「ゼウス」は同一視されている、ということを初めて知った。
これって、日本の仏教と神道における大日如来と天照大神が同一視されているのと同じである。
やはり、信仰心には共通する“神”が引き継がれていくのかもしれないなぁ・・・と
あらためて認識した次第。

ところで“ツタンカーメン”とは厳密にはトゥト・アンク・アメン(アメン神の生きる似姿という意味)と表記、言われている。

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で、この展覧会に最大の“目玉”はエジプト最後のファラオであるクレオパトラが愛した都アレクサンドリアの沖合から引き上げられた遺物である。
おりしも本日NHKで「クレオパトラ 妹の墓が語る悲劇 」が放映された。

時代に生き、そして翻弄されていった“クレオパトラ”に想いを馳せた今日この頃である。

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2009年7月30日 (木)

開港150周年記念・企画展「横浜建築家列伝」

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横浜は「横浜都市発展記念館」で開催されている開港150周年記念・企画展「横浜建築家列伝」である。

辺鄙な漁村から開港をきっかけに、横浜には外国人居留地を中心に洋風建築が建ちならぶ都市が形成されゆく。
この街並みは一度関東大震災によって失われるが、その後の復興を経て、昭和戦前期には多彩な様式をもつ建物が作られていく。
この過程を簡潔に紹介し、幕末の開港から戦後の復興期まで、横浜で活躍した内外の建築家たちの作品を通して港町横浜の姿を紹介している。

大倉精神文化研究所が紹介されていたが、これが今の大倉山記念館であることや、旧根岸競馬場一等馬見場やベーリックホールを設計したJHモーガンの展示が興味深い。

そして現横浜市庁舎が建築されるまでの過程の紹介や精巧な模型もあった。
設計は村野藤吾であるが、過去の洋風様式から脱却したモダニズム建築が普及していったのである。
まさに横浜は近代建築の宝庫なのである。

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2009年7月18日 (土)

国立博物館 特別展「伊勢神宮と神々の美術」

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古来、日本の神々は自然の中に宿っていた。
大岩であり、大樹であり、山であった。そして、火、雨、風、雷などといった自然現象の中にも神々しい「何か」が宿っていたと考えられていた。

で、神道が体系作られていく際にこれらは「八百万(やおよろず)の神」と言われるようになった。
この神道が体系作られていく際に明文化されたのが日本書紀であり、古事記である。

まぁ、この日本書紀も古事記も、日本神話の伝承であり、特に高天原から天降った神の子孫が「天皇」である、ということを大義名分化したものでなかろうか?(かなり乱暴な私的定義だが・・・)

そして、日本神話に想いを馳せると「伊勢神宮」と「出雲大社」が思い浮かぶ。
この「伊勢神宮」と「出雲大社」の違いは何ぞや?
この“違い”をハッキリ説明できる日本人も少ないかもしれない。
かくゆうワタクシもこの“違い”を最近知った次第。

日本書紀や古事記によれば、天皇家の粗祖先とされる天照大神を祭ったのが伊勢神宮で、天照大神の子孫に国土を譲った(戦に敗れ国土を取られた)大国主命を祭ったのが、出雲大社ということになる。

この天皇家は、もとは地方の一部族であり、武力により他部族を征服し大和朝廷を建てたという歴史があり、日本書紀や古事記は天皇を神の子孫としてこれを正当化・明文化したものなのである。(かなり乱暴な私的定義です)

明治時代には「伊勢神宮」は天皇家の先祖を祭った神社ということで、国家神道の名の下に全国の神社を系列化に置いていったのである。

で、話はこの「伊勢神宮」の式年遷宮に移る。
伊勢神宮では、飛鳥時代から20年に一度、正殿(しょうでん)をはじめ、御装束(おんしょうぞく)、神宝(しんぽう)を造り替えて、御神体を新しい宮殿に遷す「式年遷宮( しきねん せんぐう)が行なわれる。

何ゆえに20年に一度なのか?まず、第一に社殿の清浄さを保つためである。
そして伊勢神宮の掘立柱建物である建物としての耐用年数によるものであり、他に建築技術の伝承、伝統工芸の伝承などの意味があるとされる。

来る平成25年に第62回の式年遷宮が行わるのを記念して、国立博物館で特別展「伊勢神宮と神々の美術」と銘打って神宝をはじめ、古事記や日本書記などの古文書や、考古遺物、彫刻、工芸品などが展示されている。
これは実にキョーミ深いということで上野は国立博物館まで赴く。

見どころは「伊勢参詣曼陀羅」でこれが色鮮やかで見ていて飽きない。
参詣曼陀羅とは、中世から近世にかけて造られた社寺の縁起や霊験譚を霊場へ参詣する人々の様子とともに描いた絵画。

そして昭和4年に調進された「玉纏御太刀(たままきのおんたち)」はオドロキの名品である。
琥珀、瑪瑙(めのう)、水晶、瑠璃と五色の吹玉(ガラス玉)で装飾され、持ち手には10個の鈴が付けられた飾り太刀で、人間国宝といわれるお方達の手によって造られており、奉納される60柄の太刀の中でも屈指の華麗さだという。
これらの神宝は神様が使っていた畏れ多いものとして、一般庶民の目に触れぬように土の中に埋められていった。
この「掘り出し物?」の神宝も一部展示されたいた。

その後は「本館 日本ギャラリー」や「法隆寺宝物館」などを見て歩く。
日本の歴史や伝統工芸、美に触れた有意義な一日である。

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2009年7月15日 (水)

横浜開港資料館

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横浜開港資料館
開港150周年記念「港都横浜の誕生-新発見資料に見る近代化の原点

これも開港150周年を記念する企画モノである。
近年、調査・収集してきた資料の中から、新収資料や新発見資料を一挙に公開し、日本最大の国際都市横浜が作り上げられた歴史と、横浜が日本の近代化に果たした役割を振り返りるというもの。

それにしても開港直後の横浜の写真が展示されていたが、辺鄙な漁村という比喩がぴったりである。
(この写真は横浜を撮影した最古の写真だという)

なお、1854(嘉永7)年にペリーが来航したが、横浜に上陸したのがこのあたりでもあり、旧館は、関東大震災後の1931(昭和6)年11月に再建された旧イギリス総領事館である。

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2009年6月 8日 (月)

神奈川県立近代美術館 「建築家・坂倉準三展」

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20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエの愛弟子にして日本の現代建築、デザインの発展に大きく貢献した建築家「坂倉準三」の仕事を回顧する展覧会が鎌倉は神奈川県立近代美術館で開かれている。

戦後建築を学ばれたお方は多かれ少なかれル・コルビュジエの洗礼を受けている。
で、その弟子である「坂倉準三」氏からも当時の建築学科の学生は影響を受けていると思われる。

芸術と工業(規格化)の融合を図った建築はやはり斬新だったのだろう。
神奈川県立近代美術館は1951年に「建築家・坂倉準三」が設計し開館した。

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その神奈川県立近代美術館でデビューとなった1937年のパリ万博日本館に始まり、戦時下の組立建築のような時代に先駆けた実験、戦後復興と高度成長のなかでの市庁舎、美術館、学校などの公共建築から、渋谷や新宿など巨大都市のターミナル開発の模型や図面が展示されている。

新宿西口広場は1966年に完成した。これはおぼろげながら記憶がある。
その後、ここは反戦フォークゲリラの砦となり、当局はこの名称を“広場”から“通路”に変更した。
空間の名称を変えることにより、「道路交通法」による取締りを可能にしたのである。

つらつらと当時の記憶を探りながら興味深く作品のモチーフに触れていく。
そんな初夏の鎌倉である。

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2009年6月 6日 (土)

手塚治虫展 江戸東京博物館

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手塚治虫は1989年年(平成元年)に胃癌で亡くなった。もう20年も経ってしまったのか・・・・
そして、その後、トキワ荘の住人だった藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚 不二夫と鬼籍に入ってしまった。
それににしても手塚氏の60歳での死は早すぎた。

その手塚氏の生誕 80 周年を記念して手塚治虫展が江戸東京博物館で開かれている。
ペンネームにもなった手塚治“虫”の虫に対する好奇心、探究心には驚いた。
中学生の時に描いた昆虫日記の精密緻密な写生と適切に解説する文章、その完成度の高さにしばし驚愕。

この手塚治虫展の隠れたオススメは「音声ガイド」である。
ワタクシ、最近ではこの「音声ガイド」を必ず借りる。
手塚眞の語る隠れた手塚治虫像に興味深く耳を傾けることができる。

日本の漫画文化、アニメーションの創始者として、また同時代、その後に活躍した漫画家に多くの影響を与えたその功績は大きい。
その恐るべき才能を尊敬するとともに、生涯をかけたテーマ「生きるという尊厳」を改めて認識させられた。
早すぎた死は本当に惜しまれる・・・・

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2009年5月 5日 (火)

「興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展」と「ルーブル美術館展17世紀ヨーロッパ絵画」

今日は天気が悪くなるという、つまり雨が降るらしい。
では東京は上野で“阿修羅像”や“フェルメールのレースを編む女”でも見に行こうか。
ということで上野駅に着いてみてビックリ!スゴイ人出である。
皆さん雨が降ろうが関係なくお出かけするみたい(ワタクシがそうであるのだが・・・)
どうも雨が降っている日は人出が少ない、と思っているのはワタクシだけかもしれない。

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阿修羅展が行なわれている「国立博物館」に着いたのが開館時間である9時30分だが既に30分待ちとな・・・
展示会場の中もすごく混雑している。

キチンと行列を作って待っている人達が多いがこれは間違い。
どんどん先に進み空いているところに割り込む。これでよい。
特に展示物の手前は渋滞して混む。しかし展示物を追い越したところは比較的空いている。
ここを狙う。そしてスキをみて中央に割り込む。
つまりボールペンの試し書きのような動きをするのである。
これは展覧会、展示会を長年見て経験してきて得た“知恵”でもある。

こうして比較的楽に鑑賞したが、イヤイヤこの「阿修羅展」は国宝のオンパレードである。
75点ほど展示されているが、58点が国宝である。英語では“The National Treasure”。

で、目玉の“阿修羅像”は特別展示されており、見物客が二重三重と取り巻いて一心不乱に阿修羅像を見つめていた。
確かに仏像界?のイケメンスターであり、その中性的な面影が美少年のイメージと重なり、オバサマの観客が多いのもわかる。
が、ワタクシ個人的には去年のGWに観た“薬師寺展”の月光、日光菩薩立像の方が好きである。

阿修羅は八部衆に属する仏教の守護神である。
この美少年のイメージが漂う阿修羅像だが、帝釈天と戦い続けてきた“戦いの神”として象徴されている。
阿修羅には、「舎脂(シャチー)」という美しい娘がいたのだが力の神“帝釈天”が強引に自分の妻にしてしまった。
で怒った阿修羅が戦いを挑むのだがことごとく負ける。負けてもまた挑む。
この執念深く戦いを挑み続けたということが“阿修羅”は荒々しいという印象を与えているのかもしれない。
そしてこの戦いの場こそが“修羅場”なのである。

本来は強面の阿修羅だが戦いの後、お釈迦様の説法を聞いて仏教に帰依し、戦いの罪を懺悔した。
興福寺の“阿修羅像”はこの懺悔をしている表情だという。
そして3面ある顔はこの仏教に帰依するまでの心の動きを表しているともいう。
奥深き仏教の教えなり。

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軽くランチの後は国立西洋美術館で催されている「ルーブル美術館展17世紀ヨーロッパ絵画」を訪れる。
これも混雑しており60分待ち!だという。
でも実際に並んだのは40分ほどで会場内に入場する。
ここもボールペンの試し書きトレースで鑑賞するが、フェルメール以外は軽く流す。
この人混みに長時間は耐えられない。
それにしてもフェルメールの凝縮された空間美にはあらためて凄みを感じた。

で、早々に常設展に移動する。
ここはガラガラである。不思議だ。
ここにはドラクロワ、レンブラント、ルーベンス、ミレー、モネ、マネ、ルノワール、ゴッホなどの作品があるのに皆さん素通りしている。
ルーブルの宗教色の強い17世紀ヨーロッパ絵画よりはこちらの方が日本人には合うと思うのだが企画展以外はアウトオブ眼中らしい。
何はともあれGW期間中の上野は老若男女でごった返し状態なので出来れば避けたいと感じた今日この頃である。

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2009年3月 8日 (日)

「放送ライブラリー」と「新聞博物館」

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今日は天気があまりよろしくない。
ということで予ねてから訪れてみたいと思っていた「横浜情報文化センター」でまったりとする。

ここには「放送ライブラリー」や「新聞博物館」などの施設が入っており、日本のマスコミュニケーション博物館というカンジである。
特に「放送ライブラリー」では過去に放映されたテレビ・ラジオ番組のライブラリーが充実しており1日いて楽しめる。

企画イベントとして「放送ライブラリー」では「昭和の広告展(昭和20年~45年)」が、
「新聞博物館」では「あんやたん 写真展」が開催されていた。

「昭和の広告展」を観てここからカタカナ文化やら職業が始まったのだな・・と実感。
「あんやたん」とは沖縄の言葉で「あんなだった」という意味で、その過去の出来事の報道写真が展示されていた。
沖縄返還、コザ騒動や戦闘機のヘリの落下事故など記憶に刻まれた出来事が次第に甦ってくる。

その後、「放送ライブラリー」で横須賀を特集した番組などを観る。
興味深かったのが1985年に放映された「遠くに行きたい」で、ちあきなおみが横浜と横須賀を紹介しているのだが、今は亡き「EMクラブ」で4才の頃、彼女はここでタップダンスを踊ったという。
また、NHKの「小さな旅」の「愛しのジャズ街に響け」という番組で横須賀のジャズを取り上げていたが、日本のジャズの発祥の地でなかなかジャズが根付いていないなぁ・・・

昨日聴いた「Jazz in 鎌倉」では音楽が地域に溶け込んでいると感じたが、横須賀はまだそこまで成熟出来ていないのかな・・・と寂しく感じてしまう。
ジャズの活動の場として「CABIN」が紹介されていたが、最近では津久井浜にある「おれんじや」も有名である。

ヨコスカのジャズをもっと盛り上げていきましょう!皆様!

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