建築

2009年7月30日 (木)

開港150周年記念・企画展「横浜建築家列伝」

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横浜は「横浜都市発展記念館」で開催されている開港150周年記念・企画展「横浜建築家列伝」である。

辺鄙な漁村から開港をきっかけに、横浜には外国人居留地を中心に洋風建築が建ちならぶ都市が形成されゆく。
この街並みは一度関東大震災によって失われるが、その後の復興を経て、昭和戦前期には多彩な様式をもつ建物が作られていく。
この過程を簡潔に紹介し、幕末の開港から戦後の復興期まで、横浜で活躍した内外の建築家たちの作品を通して港町横浜の姿を紹介している。

大倉精神文化研究所が紹介されていたが、これが今の大倉山記念館であることや、旧根岸競馬場一等馬見場やベーリックホールを設計したJHモーガンの展示が興味深い。

そして現横浜市庁舎が建築されるまでの過程の紹介や精巧な模型もあった。
設計は村野藤吾であるが、過去の洋風様式から脱却したモダニズム建築が普及していったのである。
まさに横浜は近代建築の宝庫なのである。

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2009年6月 8日 (月)

神奈川県立近代美術館 「建築家・坂倉準三展」

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20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエの愛弟子にして日本の現代建築、デザインの発展に大きく貢献した建築家「坂倉準三」の仕事を回顧する展覧会が鎌倉は神奈川県立近代美術館で開かれている。

戦後建築を学ばれたお方は多かれ少なかれル・コルビュジエの洗礼を受けている。
で、その弟子である「坂倉準三」氏からも当時の建築学科の学生は影響を受けていると思われる。

芸術と工業(規格化)の融合を図った建築はやはり斬新だったのだろう。
神奈川県立近代美術館は1951年に「建築家・坂倉準三」が設計し開館した。

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その神奈川県立近代美術館でデビューとなった1937年のパリ万博日本館に始まり、戦時下の組立建築のような時代に先駆けた実験、戦後復興と高度成長のなかでの市庁舎、美術館、学校などの公共建築から、渋谷や新宿など巨大都市のターミナル開発の模型や図面が展示されている。

新宿西口広場は1966年に完成した。これはおぼろげながら記憶がある。
その後、ここは反戦フォークゲリラの砦となり、当局はこの名称を“広場”から“通路”に変更した。
空間の名称を変えることにより、「道路交通法」による取締りを可能にしたのである。

つらつらと当時の記憶を探りながら興味深く作品のモチーフに触れていく。
そんな初夏の鎌倉である。

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2009年6月 1日 (月)

東京大学三崎臨海実験所、そして油壺水族館

東京大学三崎臨海実験所、そして油壺水族館

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           三崎臨海実験所

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           旧油壺水族館

油壺の突端にある荒井浜海水浴場に下りていくと左手に「東京大学三崎臨海実験所」がある。
そしてその隣に2階建てのタイルレンガ張りの立派な建物がある。
今では閉館してしまった臨海実験場付属の油壺水族館である。
ワタクシは小学校の遠足でこの水族館に来た記憶があり、手前の池で亀が泳いでいた。
なんだか実に懐かしくなる。
しかし、この水族館は近接する油壺マリンパークが開園し客足が遠のき昭和42年に閉館した。

そして、25年以上前になるがこの臨海実験所の宿泊施設や地殻変動観測所の施行に携わったことがある

思い出深き地「油壺」なり・・・・

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2009年1月 4日 (日)

手斧始式

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今日は鎌倉は鶴岡八幡宮で「手斧始式」(ちょうなはじめしき)という神事が執り行われた。

元々は源頼朝が現在の地に八幡宮を建てた時に、造営事始の名の下に手斧始めの神事を行なったのが始まりで、今では八幡宮で行なう年中の営繕の行事始めであるとともに鎌倉全市の工事始めとして、毎年1月4日鎌倉在住の建築業者によって挙行されている。

古来より大工道具の三種の神器とされてきた差し金(サシガネ)あるいは曲尺、手斧・釿(チョウナ)、墨壷(スミツボ)を主役に鋸、槍かんな、などの道具を使い古式ゆかしい大工職人の仕事を再現している。

これらの道具の中で手斧・釿と槍かんなは今では使われることはほとんどないだろう。
宮大工の仕事で使うことはあっても今では電動工具が主役である。

で、この手斧・釿は主に柱や梁など用材の荒削道具として使われてきたのだが、大工道具の生きた化石ともいわれ、古墳時代の鉄製の出土物にも見られる道具なのである。西暦紀元頃の登呂の遺跡の木製遺物にも釿で加工したような痕が残っているという。

何はともあれ古式ゆかしい儀式を見て、悠久の時を超え古代の造営に思いを馳せた今日この頃である。

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2008年12月29日 (月)

横浜美術館

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「セザンヌ主義」が開催されている美術館はMM21の中にある横浜美術館である。

実はワタクシこの横浜美術館の建設に携わっていたことがある。
この横浜美術館は日本建築界の巨匠といわれた方の設計であった。
当時ここのスタッフの方達は図面を描くことをあまりせず、スケッチや模型で現場に指示していた。
当然これでは施工は出来ないので、ワタクシがこれらのスケッチや模型を観て図面を作成していたのである。

この横浜美術館は1989年(平成元年)11月に正式開館したが、ワタクシが仕事していた時期は1987年(昭和62年)である。
今から20年以上前のことである。
この当時このMM21地区には広大な敷地の中にポツンとこの建物だけが建設されてた。

桜木町からのアクセスはなく、横浜駅から現場が用意したバスで通勤していた。
乗り遅れたら横浜駅から歩いて行くことになる。
風の強い日は土埃が舞い埃だらけになり、雨の日は泥んこ状態で歩くのも大変だった。
で、このMM21は通称「横浜砂漠」と呼ばれていたのである。

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そんな当時が嘘のようにMM21地区は今も進化しているのである。

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2008年12月20日 (土)

住吉の長屋の原寸大模型

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先日は「マンガの間取」から家庭の団欒に触れたが、雨の日は傘をささないとトイレに行けない“間取”の住宅がある。

知る人は知る「住吉の長屋」である。これは今をときめく世界的建築家安藤忠雄の出世作で1979年に日本建築学会賞を受賞している。

そしてこの住吉の長屋の原寸大模型がTOTOのギャラリー「間」にて
安藤忠雄建築展2008「挑戦ー原点からー」と称してこの展示会の中で
展示されており今日が最終日。
どうしてもこの原寸大模型でそのスケール感を体感したくて東京での所用を兼ねて「間」がある乃木坂まで足を伸ばす。

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最終日ということで大勢の見学者が来ており狭い館内は身動きが出来ないほどである。
で、狭い館内の3階屋上部に造られた原寸大模型も頭の中にあるスケールと実際のスケールが一致しない。
想像以上に狭い。そして中央の三分の一を占めるの中庭はその狭さよりはその“存在感”を圧倒的に感じる。

いみじくも、「この建物の良し悪しはともかくとして、この狭い中で生活が営まれていることに感銘を受けた。住み手に賞を与えるべきであろう」と村野藤吾が語ったという。
ワタクシも同感である。
また、出来れば収納や玄関上吹抜けなどディテールまでこだわり再現して欲しかったと思う。

何はともあれ、この小住宅が今や日本で一番有名な建築であることは間違いはないなぁと感じた今日この頃である。

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2008年12月16日 (火)

マンガの間取り

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                                     磯野家の間取り

かつての日本のアニメには家庭の団欒の場が描かれていた。
例えば「サザエさん」がある。
で、これらアニメに描かれた家=間取りから住み心地や家族関係を探った特集がある。

これがなかなか面白い。
「サザエさん」=磯野家の間取りは昭和初期の佇まいを残している。
そして、現代の家に求められる“家族のコミュニケーション”をうまく成立させているという。
そのポイントは広縁である。一見無駄なようですが、戸外とつながり、家族の何気ない会話の場でもあり、実はとても大事な空間なのである。
昔の家には必ずあった。そして突き当りには便所がある。
そして全体的にオープンな間取りは、家族を親密に結ぶものと分析している。

また「名作マンガの間取り」という専門書?もある。
ここは一つ懐かしいマンガのキャラ達の部屋を見て自分自身の思い出に浸るのも悪くはないかもしれない。

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2008年11月10日 (月)

TBS「情熱大陸」宮内寿和氏、そして日本建築を想う。

昨日のTBS「情熱大陸」には大工の棟梁である宮内寿和氏が登場。

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水中乾燥」そして「四寸角挟み梁工法」とな・・・
イヤ~いいですな。
四寸角梁で柱を挟み込んだ独自な仕口で家組みを構築していく。
改めて日本木造建築の良さを思い知らされる。

五重塔の荷重や地震力を分散する“ゆるい骨組”に閂(かんぬき)としての宙に浮いた柱。
三十三間堂の免振を考えた地盤改良技術などなど、
先人達の巧みな知恵は超高層の柔構造や免振技術として今も生きているのである。
木は真っ直ぐではない。反りがある。そしてこの反りというクセが建物を強くする。

そうそう、日本建築で通り芯という概念があるがこれは日本だけで外国にはない。
欧米の建物の多くは壁を積み上げる組石造で、図面上の表現として壁の厚さと部屋の内側寸法だけ押さえていればよい。
だが、日本の木造建築は木材という真っ直ぐでない材料を使う。このため柱や梁、そして貫などの正確な位置を印し仕口を加工しなければならない。

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このための基準となる線が通り芯であり“墨壷”という道具を使い柱や梁に基準線を引くのである。
そして指し金「さしがね」、曲尺、指矩とも書くが、これで加工、造作に必要な値を導き出すことができる。

宮大工は100年先この建物(木が)がどうなっているのかその状態を見込んで木組みを行なう。
木組みが100年という時を経て程よく落ち着きバランスが取れるように想定する訳である。

そういう先人達の教えを生かしつつ新しい技術を創造していく。
若くて新しいパワーが日本建築を守っていく。
「この世の中で大工ほど面白い仕事はない」、
「名も無い大工が作った家が何百年残ることは大工冥利に尽きる」
けだし名言である。

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2008年10月29日 (水)

横浜-大さん橋

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設計は1995年のコンペで勝ったFOAで基本構造は日本の折り紙からヒントを得て構想した折板構造を採用している。
以前、あるCADベンダーのセミナーでFOAの設計者からこの設計のプロセスを聞いたことがあり、3次元CADを駆使して設計した苦労を語っていた。
施工写真や構造デザインなど詳細は構造設計を担当したSDG(株式会社構造設計集団)の横浜港大さん橋国際客船ターミナルのページを参照するとよろしい。
                          ↓
    http://www25.big.or.jp/~k_wat/yokohama/index.htm

まぁ、このようなデザインはCADやCGの進化によって可能になったもので最近は多い。
ワタクシ自身も数々のプロジェクトで基本設計から施行図、はたまた仮設計画で3次元CADを使ってきた。
で、これからは4次元CADに進化するという。つまり時間軸が加わり工程管理が出来るようになる。また、コストマネージメントの機能も新たに加わり、バーチャル空間で実際に建設しつつ、コスト検証が可能になる。

イヤイヤ、オジサンにはワケわかめの世界である。
現在ではハードの性能も上がり、ジャンボジェット機1機のフル3次元表示が可能だという。ジャンボジェット機1機の部品数は約400万個もあるのだよ!
しかし、建築となると規模にもよるが使われている部品数はジャンボジェット機以上あるので完全なる3次元化は現状では無理である。

で、話は戻り大さん橋である。
ここで使われているデッキ材はブラジル産の「イペ」である。
横浜大さん橋のほかには東京湾アクアライン「海ほたる」屋上展望デッキなどのボードウォークなどに使われている。
木材の中で最も強い強度を持ち、無塗装で30年以上腐る事はないという。
また、この「イペ」は健康食品としても有名で、ブラジルではイペの木自体が少なくなってきている。
技術は進歩しても使用する材料は天然材で自然を消耗している事実はチョット悲しい。

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2008年10月23日 (木)

グーグルアース&スケッチアップ

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先日「グーグルマップのストリートビュー」でのバーチャル散歩について触れたが、グーグルアースも進化している。

グーグルアース上にスケッチアップのデータが乗せられる、というコメントは1年ほどまえに読んだことがある。

で、久々にグーグルアースを起動してみたら東京駅周辺にはスケッチアップで作成された建物の3Dデータが表示されていた。
最新版の4.3をダウンロードして、レイヤの「建物の3D表示」をオンにする。

ちなみにスケッチアップとはグーグルが提供する3次元(3D)作成ソフトで有料版と無料版がありがほとんどの機能を無料で使うことができるスグレモノ。

ワタクシもお仕事でこのスケッチアップを使いモデリングをしたことがある。
基本プランニングやボリュームスタディ、あるいは簡単なプレゼンには問題なく使える。

しかし、精度の問題で詳細図や施行図までブレークダウンは出来ない。
また、サーフェスモデルのため、体積を算出したり、重心を求めるといった物理的特性も得られない。で、仕方がなくAutoCADを使いソリッドモデルをしこしこ作りして検討図や詳細図を作成したことがある。

とはいえ、お手軽に使えるスケッチアップで3Dでのプレゼンは当たり前になるかもしれない。

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2008年10月20日 (月)

「土木の日」

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先週の土曜日(11月18日)は「土木の日」であった。
何故この日が土木の日なのか?
「土木」という漢字を分解すると漢数字の十一と十八になるからだという。
まぁ実にこじつけがましい発想だと思うのだが、それよりもワタクシは以前からこの「土木」という単語に違和感を持っている。

土木とは良質な生活空間の構築を目的として、自然災害からの防御や社会的・経済的基盤の整備のためのもので、橋や道路のトンネル、そしてダムなどが思い浮かぶ。現代ではコンクリートと鉄で構築されるのだが、かつては「土」と「木」でこられを造っていたのである。

「土木」という言葉は紀元前2世紀頃の中国の本の中の一節が語源だとされている。これは『淮南子(えなんじ)』という本でその13巻に以下のように書かれている。

 古者は民,澤處し,復穴し,冬日は則ち,霜雪霧露に勝えず,夏日は則ち暑熱蚊虻に勝えず.聖人及ち作り,之が為に土を築き木を構へて,以て室屋と為し,棟を上にし,宇を下にして,以て風雨を蔽ひ,以て寒暑を避けしめ,而して百姓之を安んず。
この“土を築き木を構へて”という「築土構木」の材料の部分をとって「土木」としたのである。

現在ではコンクリートと鉄で構築され、「土」と「木」は古めかしい印象があり、これが違和感の原因なのである。
今時「土」と「木」はないだろう、と思うのだが、さりとて良いネーミングは思い浮かばない。

ちなみにコンクリートの漢字表記は「混凝土」である。
で、コンクリートの新しいネーミング(漢字)の投票結果なんてものを見つけた。
          ↓
 http://www.jci-web.jp/committee/tc044b/shiryo/HP20051013.pdf

第一位は「混硬」であった。ということは「土木」を現在風にアレンジすると「混硬鉄」か・・・
ますますもってワケわかめで、社会的・経済的基盤の整備からは遠くかけ離れているなぁ・・・
英語では“civil engineering”というまさに社会的基盤整備にぴったりの名称がある。
「土」と「木」ではない社会的基盤整備にふさわしいネーミングはないものか?
公共工事が縮減されている昨今なのだが、「土木」のイメージアップを図りたいとつらつらと考えている秋の夜長である。

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2008年9月27日 (土)

日光・東照宮

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昨日から仕事関係で栃木まで行く。
で、今日は時間をつくり日光は東照宮まで足を伸ばす。
日光は実に20数年ぶりで、その間の平成11年 (1999)には、人類のかけがえのない宝として、ユネスコの世界遺産条約に基づき『世界遺産』に登録された。

鳴き竜で有名な薬師堂は当時改修工事中で見学は出来なかったが今回は鳴き竜の凛とした余韻のある音を楽しむことができた。

この東照宮の主祭神はご存知「徳川家康」だが、他に「豊臣秀吉」そして「源頼朝」も主祭神なのである。
日光あるいは江戸に関する本を読んでいると「日光は江戸の鬼門に当たる」「江戸の鬼門封じに寛永寺が建立されその延長線上には日光がある」などいう記述を見かける。

平安京も鎌倉も江戸も風水の四神相応の考え方に基づいて計画されていることは有名な話。
この詳しい説明は機会を改めて行なうとして、さて「鬼門」についてだが、「鬼門」そして「裏鬼門」を忌むのは日本独自の考え方であるらしい。

平安京の鬼門の方向に比叡山延暦寺を配し鬼門を封じ、“守護神”とした。
江戸の場合は、鬼門の方角に琵琶湖に見立てた不忍池を作り、比叡山延暦寺ならぬ東叡山寛永寺が置かれ鬼門を封じた。
で、その延長線上に日光の東照宮があるということなのだが、実際には東照宮は江戸の真北にあたる。そして山道が微妙にずれて鎌倉は八幡宮を向いており、八幡宮からみた鬼門の方角に東照宮があるとも見られる。

では何故?江戸の真北に東照宮があるのか?
北と言えば北極星である。で、この北極星が宇宙を支配する天帝とする信仰である、密教の「北辰北斗信仰」に基づき、江戸の真北で、北極星が頭上に輝く日光の地に家康公を埋葬することで、さらにその霊力を高めようとしたのだとも言われているが、真実は未だに不明である。

そして、この東照宮の工期だが三代将軍家光の命により約1年6ヶ月の短期間で完成させた。
この事実に建築関係者として改めて驚嘆した今日この頃なのである。

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2008年9月18日 (木)

ご近所探索「釜屋金物店」

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横須賀中央駅から平坂を登る。最近ではこの近辺も商業ビルや高層マンションが建ち、古くからの商店がスーパーに変わるなど、昔ながらの景観が失われつつある。そんな中、平坂の途中の左側に出し桁造りで、側面が石積みの堅固な建物が立っている。釜屋金物店である。「釜屋」という屋号は浦賀の「釜屋金物店」から初代の鈴木斎治郎さんが暖簾分けしてもらい、明治33年にこの地に店を出したことに由来する。

現在の建物は関東大震災前に建てられたもので、家紋入りの特注瓦は震災の時にも落ちず建物も瓦も建築当時のままである。
側壁の石は石は房州産(鋸山産)で、防火対策に使ったという。
アーケードの上、2階部分には銅板張り亀甲型文様の戸袋と太めの桟で仕切られたガラス戸が見える。

中に入ると間口約7.6m、幅が60cmほどの大梁に圧倒される。この梁は長野の木曾まで出向いて探してきたものという。
また、斎治郎さんは横須賀市の第14代市長を務めた人で「市長の店」としても知られていた。

先代の時、戦時中金属はすべて供出、戦後は商品の仕入れに奔走。夫婦で背中と両手にいっぱいの手荷物を抱え、川口市との間を日に何回も往復したという。

ワタクシも七輪やら餅網などをよく買っていた。商店街の活性化のために頑張ってほしい実に味のある商店である。

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2008年9月11日 (木)

ご近所探索「八百幸本店」

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聖徳寺坂には一段高くなっている道がありこれは旧道(浦賀道)である。
その通りには商家の面影を残す出し桁造りの家が数軒ある。
その中でも出し桁造りの特徴をよく表しているのが「八百幸本店」である。

2階の手摺に一字づつ木彫りの看板をはめ込んであり印象的である。
基礎には電信柱のような松杭を多数打ち込み、内装や建具には欅材が多く使われている。
この「八百幸本店」は小田原の大工が建てたそうで、戦前には2階で宴会や結婚式も行なわれていたという。

当時、聖徳寺坂下には海軍の下宿を営む家が多くあり、また坂の手前には池之端商店街もあり、大層賑わっていた光景が目に浮かぶのである。

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2008年9月 4日 (木)

ご近所探索「旧土岐愛犬医院」

我家から歩いて数分のところにうらが道が通っている。
そして大勝利山にある「うぐいす坂」を登る手前に「旧土岐愛犬病院」がひっそりと建っている。

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ワタクシが幼少のころはまだ現役で開業されていた。
この「土岐」だが本当は土に「点」が付き「とき」と読む。しかしこの漢字はJIS水準には対応していないらしく変換されないのでご容赦願いたい。

で、この「旧土岐愛犬医院」だが、外壁はイギリス下見板張りである。これは板を上に順番に張っていく造りで板の小口が下を向いているので下見板と言われている。

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玄関庇には金属の幾何学模様の細工が施された持ち送りが付けられているが、これは震災後から昭和10年代に多い様式らしい。
瓦屋根の住宅部分は明治に建てられたものである。

玄関前には「もっこくの木」は植えられており、これは昔も今も変わりない様でファサードを飾っている。
「うぐいす坂」を通るたびに目を留めて昔の記憶を思い出してしまう、そんな趣のある洋館である。

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2008年7月18日 (金)

東京ビッグサイト

仕事柄、東京国際展示場、通称東京ビッグサイトにはよく行く。
今日もある展示会に出展しているメーカーの担当者との打合せを兼ねて訪れる。

新橋から「ゆりかもめ」に揺られて約25分で到着。

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この建物、設計は株式会社佐藤総合計画で、まぁ、良くも悪くもバブル期の建築計画の象徴である。
日本最大の展示ホール(西ホール4つ、東ホール6つ)と、会議場、レセプション施設等を備えた敷地面積約24万m2の巨大なコンベンションセンターで、とにかく広い!

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あまりにも広く歩き疲れたので早々に引き上げる。
最近、巨大な建造物に妙な違和感を感じ、精神的にも疲れを感じてしまう。
年を感じた今日この頃である。

設計 : 佐藤総合計画
竣工 : 1995年
構造 : 鉄骨・鉄筋コンクリート・鉄骨鉄筋コンクリート造
用途 : 展示施設、国際会議場
階数 : 会議棟 : 地上8階、地下1階
西展示棟 : 地上5階
東展示棟 : 地上3階、地下1階
所在地 : 東京都江東区有明3-21-1

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2008年6月10日 (火)

「Cybertecture Egg」

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最近はコンピューターで建物をデザインできるので、従来なら難しかった3次曲線や3次曲面を多用したデザインの建物が多い。

で、これも最近ニュースで見かけた卵型の建物である。建設地はインドはムンバイで、2010年完成予定だという。13階建てで、卵型構造によって構造そのもので建物を支えるので、柱への負担は通常のビルに比べてぐっと軽いものになっているらしい。
また、屋上の緑を植えたスペースが熱を放射し、一方で太陽熱と風力を利用して電力を作るようになっている。

そして、この建物、トイレに入ると血圧と体重を計って健康管理してくれるという。イヤイヤ、メタボ管理をしてくれる大変ありがたい建物なのである。

別名「Intelligent Egg」!!!!

最近、日本でも新宿に「コクーンタワー 」、名古屋に「スパイラルタワー」が建設されている。
ちなみに、どちらの建物にもワタクシの知り合いが関係しているがイロイロと大変らしい。

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2008年5月16日 (金)

ご近所探索「高橋邸」

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向山行在所跡」に登る階段の左手にチョット気になる邸宅がある。
急勾配の緑色洋式瓦の洋館付邸宅である。
で、「建物で読む横須賀」で調べるとこの建物は「高橋邸」であることが判明。

高橋家は明治30年からの米穀商で海軍水交社に納入する御用商人だった。
ちなみにこの海軍水交社とは海軍省の外郭団体として創設された日本海軍将校の親睦・研究団体であり、海軍士官専用の旅館や喫茶店なども経営していたという。

この高橋邸を建てたのは国府津の宮大工である夏目猶吉で、玄関脇に洋間を造ることが当時は流行し、外壁のスクラッチタイル、色ガラス入りの上げ下げ窓が印象的である。

このような洋館付邸宅が横須賀にはいくつか残っている。

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2008年5月13日 (火)

建物で読む横須賀

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「横須賀建築探偵団」が横須賀の歴史を物語る特徴的な建物をまとめた本である。
16年間にわたり丹念に調べた記録が身近な建物をより一層興味深い対象とさせてくれる。
中には既に現存しない建物もあり、チョット残念ではある。

そして、生まれ育った上町には幼い頃から慣れ親しんだ建物がある。
特に横須賀上町教会や船津眼科医院には格段の思い入れがあり、写真を見ていると様々な記憶が甦ってくるのである。

著名な建築家が「記憶に残る建築を創る」と言ったことがあるが、記憶に残るデザインは著名な建築家だけが創るものではなく、その土地の気候や風土、そしてそこに住む人々の人柄が滲み込み、時を経て初めて記憶に残るものになるのだなぁ・・・としみじみと感じるのである。

また、この本の中で紹介されている建物はほとんど知ってはいるがまだ知らない建物もいくつかあるので、機会をみてゆっくりと観て回ろうと思っている。

A5判、オールカラー、百八ページ。千部発行。千五十円。市内の主な書店などで販売。

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2008年5月 3日 (土)

氷川丸とアールデコ

2006年12月に一般公開を終了した氷川丸は、日本郵船に譲渡され、戦前シアトル航路の外航貨客船として活躍した当時の再現するための修繕工事を行なってきた。そして先月の4月25日から一般公開されている。

氷川丸は1930年に竣工し、内装は当時最先端のデザインであったアールデコ様式が採用されていて、今回の修繕工事ではそのアールデコを出来る限り再現しているという。

これは是非見なければならない!
実はワタクシ、アール・ヌーヴォーやアールデコ、そしてトロピカル・デコなるデザインがこよなく好きなのである。
特にモノトーンを基調にジグザグ模様や流線形や幾何学模様を基調としたデザインのアールデコは芸術と産業が融合した現代のデザインの原点となっているもので見ていて飽きない。

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まずは日本郵船歴史博物館で予習を兼ねて写真展「あの頃の氷川丸」を鑑賞する。

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雨の中にしっとりと佇む「氷川丸

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エントランス・ロビーの主階段の手すり中央には名前の由来である「氷川神社」の紋章がデザインされている。

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照明デザインもまさにアールデコ。

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一等特別室

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一等特別室のステンドグラス

実は日本にはアールデコのデザインの建物は少なく、特に東京都庭園美術館(旧・朝香宮邸)はフランスのデザイナーを起用して邸宅を建設した日本に現存する代表的なアールデコ建築である。

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生憎と本日は雨、そしてその中で恒例の横浜みなと祭りのパレードが行なわれていた。
雨の中皆さん一生懸命パフォーマンスされてました。
で、ランドマークタワーも雨雲の中・・・

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2008年4月12日 (土)

春の鎌倉ウォーキング「邸宅巡り」

今日から「鎌倉まつり」が始まった。
そしてこの時期は、鎌倉にある旧邸宅などの一般公開が行なわれる。

で、毎年恒例のこれらを巡るウォーキングに出かける。
ちなみに、この施設一般公開は秋にも行なわれている。

旧華頂宮邸

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この旧華頂宮邸も季節の折々に度々訪れており、趣のある佇まいが季節ごとの風景に溶け込んでいる。
で、この旧華頂宮邸は昭和4年春、華頂博信侯爵邸として建てられたもので、神奈川県の戦前の洋風住宅
建築としては鎌倉文学館に次ぐ規模である。
ワタクシ、ここの照明器具が好きなのである。

大佛次郎茶亭

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大佛次郎(おさらぎ じろう)の代表作は「鞍馬天狗」(大正13年)、「赤穂浪士」(昭和2年)、「パリ燃ゆ」、「天皇の世紀」などがある。そしてペンネームは、長谷の大仏裏に住んでいたため、大仏を「太郎」とするなら、自分は「次郎」であると考えてつけたそうである。
で、この大佛次郎だが、昭和39年に鶴岡八幡宮裏山である御谷(おやつ)が開発されそうになった時、地元の住民と一緒に、古都としての景観と自然を守ろう運動を起こした。その運動は全国的に展開し、財団法人鎌倉風致保存会が昭和39年12月に誕生。大佛はその設立発起人となり、初代理事に就任。鎌倉風致保存会は日本のナショナル・トラスト第1号といわれるようになったのである。

旧川喜多邸

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旧川喜多邸は映画を通じて国際交流に貢献した川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅で、平成6年に鎌倉市に寄贈されたものである。
川喜多長政氏は「天井桟敷の人々」「第三の男」「落ちた偶像」「禁じられた遊び」「居酒屋」「肉体の悪魔」「チャップリンの独裁者」などの外国映画を日本に紹介した。
そして、ヴェネチア映画祭に黒澤明監督の「羅生門」を携えて参加しグランプリを獲得したのである。
で、この旧川喜多邸の一般公開は川喜多記念館が建設されるので今年が最後だという。

そして、旧安保小児科医院

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現在では現在は鎌倉風致保存会の事務所になっている。

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この診察室の天井だが、リアルな鶴の漆喰細工が施されている。これは子供達の診察の不安を和らげる効果を狙ったようである。

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そして待合室の天井は兎と人参をかたどっている。

鎌倉にはこの他にも実に味わい深い新旧の建物があり、散策の一つの楽しみでもある。

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2008年4月 1日 (火)

ご近所探索「田戸台分庁舎」

「田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府長官官舎)」
所在地:神奈川県横須賀市田戸台90
構造:木造1階(洋風館)
設計:桜井小太郎
施工:不明
建築年:大正2(1913)年

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田戸台は裁判所の奥に鎮座しており普段は立ち入ることが出来ない。
桜が咲く春の1週間ほど一般公開している。

で、この田戸台分庁舎だが非常に文化財的価値の高い近代建築である。
設計は桜井小太郎で、明治・大正・昭和と3つの時代に渡って活躍した建築家で、
大きなものでは、銀行建築が今もいくつか残っている。
留学先のイギリスでの経験を生かした、チューダー調の住宅建築が得意なようで、
神奈川県では、大磯と鎌倉にそれぞれ1件ずつありますが、どちらも県内屈指の素晴らしい建物だという。
そして呉でも旧呉鎮守府司令長官庁舎を設計している。

ちなみに、この田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府長官官舎)は横須賀景観賞、景観デザイン部門(第2回)で受賞している。

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2008年3月15日 (土)

東京庭園美術館「建築の記憶-写真と建築の近現代-」

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東京庭園美術館「建築の記憶-写真と建築の近現代-」

目黒にある東京庭園美術館は旧朝香宮邸として1933年(昭和8年) に建てられた建物を、そのまま美術館として公開したもので、フランス人デザイナーが設計したアール・デコ様式が特徴的である。

この東京庭園美術館で開催されている「建築の記憶」展がなかなか面白そうなので見に行ってきた。

写真が日本に紹介されてから撮影されてきた建築が紹介・展示されている。
記録として撮影された明治期の建築写真、そして建築の魅力を独自の表現で切り取った現代の建築写真などその時代の写真史と建築史の遍歴が垣間見れて興味深い。

せんだいメディアテークの工事写真は観る者の視点によって、記録とアートの領域の狭間で揺れ動く。

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この日の東京の最高気温は19度。
シャツ1枚で歩いていても汗ばんでくる。
そして、庭園では家族連れがまったりとランチを楽しんでいた。
このまったりとした時間を体感できるのもこの美術館のメリットかもしれない。

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2008年3月11日 (火)

ご近所探索「文化興業社屋」

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文化興業社屋
竣工 1938年(昭和13年)
所在地 神奈川県横須賀市米が浜通2-4
設計 松田建設
施工 松田建設
構造 木造2階建て

国道16号沿いを下って市役所を通り過ぎると右手にある何だかメカニカルな建物が見えてくる。
文化興業社屋で旧松田建設が設計・施行しその後文化興業社が買い取り、社屋として使用しているという。
この建物は一見鉄筋コンクリート造に見えるが実は木造である。

奇を衒っているデザインで、アールデコをモチーフにしているように見えるが、アールデコはストリームライン(流線型)が特徴的でこの建物はそれが見られない。

そして内部は階段の手すりは石で彫刻が施され、壁面にはレリーフも、2階の応接室には床の間があり、シックな調度品も設置され、見事な和洋折衷が見られるという。
(これは一度は見てみたい)
その独創的なデザインから広告塔としての狙いがあっったのかもしれない。

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2008年1月27日 (日)

三溪園

横浜の本牧に「三溪園」がある。

三渓園は横浜市中区本牧三之谷にある庭園で、敷地面積は17.5ha。実業家で茶人の原富太郎(号:三渓、1868年-1939年)によって作られた。この三溪園には国の重要文化財建造物10棟、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有し、広大な敷地の起伏を生かした庭園との調和がなかなか良い。

昨年2月三溪園は国の名勝に指定された。その1周年を記念し、旧燈明寺三重塔など外苑の歴史的建造物6棟の内部を週末にかけて特別公開されていたので約6年ぶりに訪れてみた。

今回公開されたのは以下の6棟の建物
 旧燈明寺三重塔、旧東慶寺仏殿、旧燈明寺本堂、旧矢箆原家住宅(以上重要文化財)、
 横笛庵、林洞庵

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旧燈明寺三重塔
室町時代1457年(康正3年)の建築。京都府相楽郡加茂町より1914年移築。

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旧東慶寺仏殿
江戸時代1634年(寛永11年)の建築。東慶寺(鎌倉市)より1907年移築。

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旧燈明寺本堂
室町時代初期の建築。上記三重塔があった燈明寺の本堂で、1948年まで京都府加茂町にあったが、同年の台風で大破し、長年解体格納されていた。1982年三渓園に移築。

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旧矢箆原(やのはら)家住宅
江戸時代(18世紀)の建築。白川郷の合掌造民家。岐阜県大野郡荘川村(現高山市)より1960年移築。

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横笛庵
明治41年(1908年)田舎風の茶亭で古材を用いて建てられている。平安時代の悲恋の主人公・横笛から名づけられた庵

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林洞庵
昭和45年(1970年)宗徧流林洞会から寄贈された茶室。近代数奇屋風の建物。

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そしてこれは臨春閣
1649年、紀州徳川家初代徳川頼宣が夏の別荘として、現在の和歌山県岩出市に建てたもので、1906年三溪の手に渡り、1915年から1917年にかけて園内に再建された。 第一屋、第二屋、第三屋で構成され、襖絵は狩野探幽、狩野安信などによって描かれている。

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庭園は冬の佇まい

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庭園の片隅では水仙が、そして早咲きの梅も咲いていた。

三溪園は関東大震災や空襲でかなりの被害を受けたが、昭和28年(1953)に財団法人三溪園保勝会に移管され復旧工事が行なわれた。

三重塔や東慶寺仏殿の中に入って木造細工のディテールにしばし見とれる。
改めて日本木造建築の素晴しさを体験した今日この頃である。

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2008年1月13日 (日)

横須賀ハウジングセンター

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お仕事、及びプライベートの両方でうみかぜ公園の横にある「横須賀ハウジングセンター」を見学。
ここの中に入るのは初めてである。
仕事柄集合住宅のモデルルームやらショールームは度々訪れているが戸建住宅展示場はここが初めてなワケで、色々と勉強になった。
特に蓄熱レンガを使った暖房システム、太陽光発電、外断熱。戸建用免震構造などなどであり、特に太陽光発電は個人的に興味がある。
まぁ、イニシャルコストが約200万で、10年間のランニングコストでペイ出来るという。そして、光熱費ゼロというアピールは魅力的ではある。検討する価値はありそうだ。

それにしても各社の至りつくせりの豪華ケンランなそこまでやるか、というアピールは凄い。
展示場にあるような住宅は現実的には制約があり無理である、ということは職業上わかる。
そして、顧客をいかにとりこにするかというイメージ作りに徹している。
まぁ、ある意味では営業とはこうでなければいけない、と感じた今日この頃である。

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2007年11月17日 (土)

神保町シアタービル

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これは吉本吉本興業が運営する劇場である神保町花月とNSC(吉本総合芸能学院)東京校、そして小学館が運営する映画館が入っているビルである。

実はワタクシ、このビルを施行するにあたり、今までの図面表現ではこの建物を正しく施行することが困難なため、3次元でモデリングを行い施行用の詳細図面をシコシコを描いていた、というよりは作っていたのが今から1年以上前の話である。

多角形で立体的に構成される打放コンクリートの建物はおそらく今までにないものであり、皆さん大変苦労して作り上げた建物というよりはオブジェであるというのが正直な感想である。

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シアターでは「続・三丁目の夕日」が上映されていた。

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2007年10月23日 (火)

昨日の続き、の続き・・・・旧華頂宮邸

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報国寺の脇の道をしばらく歩くと左側に古風な洋館が現れる。
これが旧華頂宮邸である。
そしてこの旧華頂宮邸の内部は1年で春と秋の2回しか一般公開しない。
先日の日曜日はこの一般公開日であった。

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旧華頂宮邸
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/keikan/k-index1.html1

建物は、西洋住宅に多く見られるハーフティンバースタイル(木骨様式)で、幾何学的なフランス式庭園とテラスが特徴的。 

この邸宅の中に入るのは2度目だが、各部屋の意匠に合わせた照明器具のデザインは見ていて面白い。

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1階はどの部屋にもマントルピースが置かれている。

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そして、季節の移ろいの中で表情を変えるこの邸宅を時折訪れるのも趣きがあっていいなぁ、と感じた一昨日のこの頃?である。(意味不明・・・・)

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2007年10月 8日 (月)

横須賀の近代建築-建造物が語る先進都市ヨコスカ-

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横須賀市自然・人文博物館にて

(開催期間)
平成19年(2007年)9月16日~平成20年(2008年)2月17日

文字通り横須賀の近代建築というか代建設物を紹介・展示している。
大半は幕末から明治にかけて建設された横須賀製鉄所・造船所もしくは横須賀海軍工厰(現在の米軍基地内)に関するものであった。

ドライドックや日本初の洋式灯台として知られる観音埼灯台の設計図、またまた、1870(明治三)年ごろに同製鉄所内に建設され、四年前に解体して部材を保存している当時のフランス人技師ティボディエの官舎の復元図やれんがなどの遺物などが興味深い。特にティボディエ官舎はCGによる3Dのウォーク・スルーを駆使し百インチの大画面で誰でも分かるように紹介されていた。構造的には木の柱の間にレンガを充填するもので、このレンガには“YOKOSKA”の刻印があり、国産として最古級の耐火レンガらしい。

規模はさほど大きくないが貴重な資料などが展示してあり充実した内容ではあるが、個人的には看板建築や出桁造りなどの説明がパネルや雑誌(掲載写真)だけだったことや、上町教会や田戸台分庁舎が紹介されていなかったのが非常に残念であった。
公(おおやけ)の建設物はそれなりの資料があり、保存もされていると思うが、民間の建設物にかんする調査・保存がおざなりというか殆どされていない状況がしょうがないと分かりつつ悔やまれるのである。

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2007年9月23日 (日)

ご近所探索「上町建築巡り」

下町と上町を結ぶ平坂は軍都としての兵站輸送の関係から明治10(1877)年に開通した。
上町方面には海軍病院、東京湾要塞司令部や陸軍の重砲兵連隊などが置かれた。
また、柏木田遊郭などの遊興の場所もできてきた。それにつれて御用商人や工廠の人達の住宅や商店が出来て上町界隈は発達してきた。

そんな上町にある建物には看板建築と言われている商店が多く残っている。
看板建築とは切妻屋根などの和風家屋で、道路に面した前面を立て板状に立ち上げ、銅板やモルタルなどで装飾的に見せながら防火の役目を果たしている建築様式のこと。
「みどり屋」と「さんき」が有名である。

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みどり屋
看板建築でも一際目を引く商店で、お祭り用品を扱っている。欄間の色ガラス、漆塗りの柱、ショーケースなども当時のままだという。金庫があるのだが建物と一体になっているらしい。しかも鍵を紛失してしまって建物を一部壊さなければ開けられないという。中には何が入っているのかな?

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さんき
みどり屋の並びにある三階建てのアンテークショップである。元は旅館だが、各階の銅板の戸袋模様が見事である。

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東中里町内会館
バルコニー部分が修理されているというが、洋風のデザインを採り入れた町内会館は珍しい。

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船津眼科医院
レリーフが美しい洋風建築。袴越屋根が特徴的で裏側は昔は洋風下見板貼りだったが今では鋼板型板を張った塔状の張り出しがある。昔は風見鶏があったが今はない。ちなみにワタクシはここで視力検査をやってメガネをかけだしたのである。

(写真は後日掲載予定)
榎本写真館
スクラッチタイル張りにアーチ窓が美しい。
豊島小学校のご用達写真館である。

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横須賀上町教会
めぐみ幼稚園と言った方がこの界隈ではとおる。
昭和6(1931)年竣工の木造教会。設計はヴォーリスの最後の弟子と言われている横田末吉で横須賀市は民間で唯一の国登録有形文化財である。
教会内部も調度品も当時のままでステンドグラスも美しい。リードオルガンは大正末の建造で現役で活躍している。

実はワタクシのムスメがここに通っていた。で、当時園長さんから「ヴォーリスって建築家ご存知ですか?」と尋ねれたことがあるが恥ずかしながら当時のワタクシは知らなかった。話を聞くとこの教会はヴォーリスの最後の弟子が設計したものらしい、ということが調査で分かったという。
そして、その後国登録有形文化財になってしまった。
リードオルガンは定期演奏会があり、今でもその美しい音色を聴かせてくれる。

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小松原医院
白い下見板張りの外壁と縦長の昇降式の窓が古風な医院の雰囲気を出している。

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花田眼科医院
上町ではないが小松原医院のすぐ隣には
丸窓が印象的な医院があった。

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八百幸本店
これも上町ではないが花田眼科医院の向かいに建っている出桁造りの八百屋である。

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2007年9月16日 (日)

"アントニン&ノミエ・レーモンド"展

先週訪れた横浜の山手にあるエリスマン邸の設計者アントニン&ノミエ・レーモンド展が鎌倉にある神奈川県立近代美術館で催されているので鶴岡八幡宮の例大祭に合わせて出かける。

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本日は例大祭のメイン・イベントである「流鏑馬」があるで結構な人出である。     

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神奈川県立近代美術館

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"アントニン&ノミエ・レーモンド"展

アントニン&ノミエ・レーモンド夫妻は、1919年、帝国ホテルの建設のためフランク・ロイド・ライトとともに来日して、東京で活動する。その後独立し、第二次大戦をはさみ40年にわたって日本でモダニズム建築の先駆者として活躍する。それゆえアントニン・レーモンドは「日本現代建築の父」とも呼ばれている。
彼の下で建築家としての出発をとげた前川國男、吉村順三、増沢洵、ジョージ・ナカシマらの作品も展示されていた。

一部では“負のイメージ”があるアントニン・レーモンドだが、残した功績は偉大である。

その後、流鏑馬を見物しようとしたがあまりの人の多さにギブアップ。
回れ右で横須賀に戻る。

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2007年8月24日 (金)

夢の集合住宅

職業柄 マンションというヤツの設計やら何やらをやることが多い。しかし、ワタクシはこの「マンション」という言葉が嫌いである。何というか語感が生理的にダメなのである。
じゃ、何と呼べばいいの?と問うそこのアナタ!アナタはどれがいいですか?
マンション、アパートメント・ハウス、コンドミニアム、エトセトラ、etc.
まぁ、どれも イマイチ、ニッコウ、ウツノミヤ、なワケでヨコ文字文化というかカタカナ英語に弱い軽薄な日本人にがいかにも好みそうでワタクシは好かない。
やはりここは集合住宅と呼ぶのが建築学的にもスッキリしていると思う。
で、、この集合住宅なのだが、タテに長いのも好かんし、住みたいとも思わない。首都圏では高層マンション(イヤだなこの言い方、、)が乱立しているが、、、。

ここに一冊の本がある。

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「アパートメント」世界の夢の住宅 コロナブック(一枚目の写真)
植田実・文、平地勲・写真 平凡社 (定価:¥2,400+税)

ル・コルビュジェ、ミース、ガウディからフンデルトヴァッサーまで、20世紀を代表する建築家がデザインした理想の住まいを訪ねて。19世紀末から80年代に建てられた欧米各国の集合住宅から18事例を紹介している。
表紙はル・コルビュジェさんの「ユニテ・ダビタシオン」である。

この中にいくつかワシが住んでみたい思う集合住宅がある。

まずはコレ!
①Habitat 67、モシュ・サフディ、カナダ・モントリオール

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幅17.5フィート、長さ38フィート、高さ10.5フィート、の空間単位を354個構成して158ユニットの住戸を構成している。まるで現代の九竜城みたい。この中で鬼ごっこしたら楽しそう。
関連サイト
http://www.space1999.net/~sorellarium13/habitat-67.htm

②ハーレン・ジードルンク、アトリエ5、スイス、ベルン

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スイスのベルン郊外、緑の森に囲まれた傾斜地に立つ低層、3階建てのテラスハウス2棟。
どこに建物があるの?とよーく見ないと分かりません。ものの見事に自然と同化している。
一見、廃墟に見えるがこの緑の中に立派な住宅があるのです。
関連サイト
http://www5.ocn.ne.jp/~space/SiedlungHalen.html

③フンデルト・ヴァッサー ハウス、フンデルト・ヴァッサー、ウィーン

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ウイーンのガウディと言われた?フンデルト・ヴァッサーさんの1985年の作品、ウィーンの市営住宅です。
その名前が持つ語感のインパクトの強さから日本人には覚えやすい?というか一度聞いたら忘れられないフンデルト・ヴァッサーさん。元々は画家で、鮮やかな色彩がキャンバスに渦巻く、抽象画の奇才である。ディズニーランドにありそうな住宅で住んだら楽しそうである。
関連サイト
http://homepage3.nifty.com/archi-jpg/a_map/austria/hundertwasserhaus.html

彼の作品は大阪にもあります。
大阪市環境局舞洲工場
http://www.excite.co.jp/search.gw?look=excite_jp&target=image&search=%91%E5%8D%E3%8Es%8A%C2%8B%AB%8B%C7%95%91%8FF%8DH%8F%EA

※最近、ル・コルビュジェ展に行き、「ユニテ・ダビタシオン」の原寸大モデルを見て改めて彼の偉大さを知った次第。そんな彼も自宅を作らなかった建築家の一人である。

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2007年7月20日 (金)

アントニ・ガウディの作品群I・II

アントニ・ガウディの作品群I・II

TBSで7月8日、15日に2週に渡って放送された
「アントニ・ガウディの作品群」の特集である。
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20070708/onair.html

思えば日本にはガウディがお好きな人が多いように見受けられる。
かくゆう、ワタクシもその一人であり、4年前に東京都美術館で催された
「ガウディ かたちの探求」という企画展に行ってきた。

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この企画展では立体幾何学を駆使してその造形美を築いていったのか、
CGを使って分かりやすく説明していた。

そして今回はTBSの世界遺産での「アントニ・ガウディの作品群」の特集。
以前NHKの世界遺産や教育テレビでもアントニ・ガウディの特集があった。
なんだ定期的に観ているような気がするなぁ。

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今でも工事中で完成は2026年前後と言われている
「サグラダ・ファミリア」は有名ですね。
よく映画やTVのロケで使われていて、その特異な外観やファサードから
一目で記憶に残る建築なのではないだろうか。
このサグラダ・ファミリアは建設開始から長い年月が経っているため、
建築と並行して修繕も行われているという。

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カサ・ミラも建築を志した者なら誰でも知っている有名な建物。

カサ・ミラは通常の建築物というよりむしろ彫刻である。
直線部分をまったくもたない特異な意匠で、実用性に欠けるという批判もあるが
圧倒的な芸術性を持つことは否定はできない。
皮肉にも建設当時のバルセロナ市民はカサ・ミラを醜悪な建物と考え、
「石切場」というニックネームをつけたが、今日ではバルセロナを代表する
歴史的建造物となっている。

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2007年7月 7日 (土)

ル・コルビジェ展

ル・コルビジェ展
森美術館

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ル・コルビジェ展はこれで2回目。
セゾン美術館でル・コルビジェ展が開催されたのは1996年、
ということは10年以上も前のことか・・・
光陰矢のごとしとはよく言ったものである。

今回は建築家と画家の両面からその創造の軌跡を辿り展示している。
時代と共に画く絵画の影響が建築に顕著に現れているのが理解できる。

「建築は住む機械である」といった彼の言葉は有名であるが、
そのまま信じてしまうと彼の真の創造性を理解はできないだろう。

建築家としての名声は得たが、彼は生涯を通じて画家としての
「ル・コルビジェ」を認めてもらいたかったのだと思う。
(画家というよりも本当は芸術家でしょうね)

黄金比を駆使した初期の作品は数学という解釈を借りた詩的な想いが
込められているし、後期の傑作である建築を彫刻した「ロンシャン教会」の
石膏模型を観て感慨深い思いをした今日この頃である。

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2007年7月 1日 (日)

鎌倉-建築 「温故知新」

鎌倉を彷徨い歩いていると様々な建築に出会える。
有名もの、無名なものそして古い建築、新しい建築。

春に鎌倉祭りの一端で鎌倉にある景観重要建築物が
一般公開されたがそれ以外にも鎌倉には心情をくすぐる建築がある。

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毎日新聞販売所
鎌倉ならではの佇まいの販売所

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極楽寺切通しを下った星ノ井の前にある住宅

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白日堂
昭和15年に鎌倉彫の工房兼住宅として建てられた。
城郭風と寺院風のミックスされた意匠。

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甘縄神明神社の前にある住宅
クラシカルな洋風な佇まい。

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鎌倉市長谷子ども会館
明治41年に福島浪蔵氏邸として建てられた。
明治期の住宅建築の貴重な遺構である。

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吉屋信子記念館のそばにある塔窓の家
採光のための塔状の窓が5つが2列ある

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寸松堂
鎌倉彫の店舗併用住宅として昭和11年に建てられた。
笹目町、長谷界隈のランドマーク的建物。

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THE BANK
もともとは横浜興信銀行由比ガ浜出張所。
病院、雑貨商などを経て「THE BANK」というバーになった。

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旅館対僊閣(たいせんかく)
昭和2年に建てられた旅館。創業は明治末期。
鎌倉における戦前の和風旅館して唯一の存在。

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かいひん荘
大正13年、富士製紙社長の村田一郎氏邸として建てられた。
現在では「かいひん荘鎌倉」として活用されている。

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由比ガ浜にある片持ちスラブで形成された住宅
不安定そうだがこれだけスラブの厚さがあれば大丈夫。

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旧安保小児科医院
大正13年医師の安保隆彦氏によって建てられた。

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旧安保小児科医院の内部
当時のままの医療器具が残されている。

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2007年6月23日 (土)

伊東豊雄「新しいリアル」

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神奈川県立近代美術館 葉山別館で建築家 伊東豊雄の建築展
「新しいリアル」が開催されている。

毎週 土曜日は事務所のスタッフによるギャラリートークがあり、
展示品の説明をしてくれる。

せんだいメディアテークは記憶に新しいところだ。
如何にあのチューブ建築が生まれたか、イメージスケッチから基本設計模型
施行図に至るプロセスが懇切丁寧に展示されていた。

TOD'S表参道ビルMIKIMOTO GINZAも建築雑誌で紹介されている有名なもの。

しかし、台中メトロポリタン オペラハウスはどうやって施工するのだろうか?
専門的に突っ込みどころ満載ってなカンジである。
説明しているスタッフに聞こうと思ったが、やめた。
うら若き女性スタッフで、困らせてはかわいそうだ。

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2007年5月19日 (土)

浦賀の鏝絵巡り

建築を多少でも志した者ならその名を聞いたことがある「伊豆の長八」。
漆喰鏝絵の名工である。伊豆には長八美術館が建てられており、代表作品約七十点が展示されている。
しかし、横須賀の浦賀にも「伊豆の長八」にも勝るとも劣らない漆喰鏝絵職人の
作品があるのを知ったのは最近のことである。

その左官職人とは石川善吉とその息子・梅尾である。
江戸末期から明治にかけて浦賀は回船問屋が多く、土蔵造りが盛んで漆喰壁を塗る左官職人も多かった。
名人、伊豆の長八、三浦の善吉とまでいわれ、全国に知られていたという。
これはまったく知らなかった。恥ずかしいことである。そして猛烈に観たくなった。
で、浦賀の鏝絵巡りと相成った次第である。

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西叶神社の見事な彫刻
安房の彫刻師「後藤利兵衛」の作品

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西叶神社:拝殿軒裏の格子(こうし)天井
当時日本には渡来していない花や鳥も彫られているという

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西叶神社:棟を担ぐ力士像

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西叶神社:社務所玄関上部の鏝絵
石川善吉の作、右側一面には松の木に登って水瓶の中を覗き見る童子、
左一面には水瓶を割る童子、割れた水瓶から流れる水の中から童子が覗かせ、
助けられた一瞬の出来事を表現している。

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東福寺
岩田辰之助 本堂上部の外壁に「鶴・竜・虎・飛天」など8点の鏝絵装飾。

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そして浦賀は蔵の街でもある。

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川間町内会館
石川梅尾
1階軒下に「松竹梅と鶴亀」2階軒下の「鳳凰」
この「鳳凰」の漆喰鏝絵装飾は見事としか言いようがない。
これは芸術である。

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大六天榊神社
石川善吉 正面両側の戸袋に描かれた「昇り竜・降り竜」

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「浦賀の渡し」で東浦賀に渡る。
大人150円也。

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法幢寺
岩田辰之助・徳太郎兄弟 本堂正面の外壁に描かれた「魔除けの神獣・唐獅子」

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八雲神社
石川善吉 「向拝の竜」
彫刻と見間違うほどの迫力。これが鏝絵装飾の真髄である。

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浦賀には小粒ながら古建築の宝庫であると実感。
幕末から明治・大正・昭和の激動の時代と共に生きてきた街である。
いたる所に古式ゆかしき面影が漂う建築が点在している。

それにしても西叶神社の彫刻と川間町内会館の「鳳凰」の鏝絵には圧倒された。
地元、横須賀にこんな素晴しい建築が人知れず(ワシが知らなかっただけだが)残っていたとは驚いた。
漆喰(しっくい)芸術の真髄を堪能できた素晴しき一日なり。

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2007年5月18日 (金)

「インテリジェント3Dモーションコントローラ」

お仕事で3D-CADなんてシロモノを使う場合がある。
しかし、最近では使っていない。
使ってないというよりも依頼があると断っているのである。
それは何故か?メンドーなのである。

3Dでオブジュクトを作り組み立てていくのだが
この作業が本当に手間がかかるのである。
そして変更や修正にも手間がかかる。
2Dの図面の3倍手間がかかる。
根気も体力もないオジサンにとってこの作業はツライ。
で、断っているのだが、最近こんなモノを見つけた。

「インテリジェント3Dモーションコントローラ」!!

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なんか物々しいネーミングだなぁ、何でも普通のマウスと併用するらしい。
右手でマウスを使いながら、左手で3Dモーションコントローラを
操作して、オブジェクト移動、回転、拡大縮小の作業を直感的に自由に、
且つ同時に行うことができ、また、ボタンにショートカットを割り当てることができ、
作業の効率化が図れるというではないか!

これはスバラシイ!早いことコイツを使ってれば良かったと悔やむのだが、
お値段が半端じゃない。ナニナニ!!5~10万円するとな!こりゃ~高いわ、
駄目だね使えない。もうチョッと若くて根気も体力もあれば考えない訳でもないが、
もう3D-CADなんてシンドイものは多分やらないから関係はないのだが・・・・
チョット気になる存在ではある。

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2007年5月 2日 (水)

横須賀市美術館

その後、すぐに猿島経由観音崎行きの船に乗船する。
海上からオープンしたての横須賀市美術館にアクセスするためである。

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猿島の海岸ではBBQ花盛りなり。

B_gaikan

船上から眺めた横須賀美術館。モヤで霞んでます。

B_gaikann_a B_gaikann_b

ハコ物行政と揶揄されてこれも賛否両論あったシロモノだが
出来てしまえば皆さんハッピーな面持ちでご来場。
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/museum/gaiyo/sisetu.html
設計は山本理顕 (やまもとりけん)
理顕さんの設計にしてはカワイイ感じがしないわけでもないが、
http://blog.goo.ne.jp/ry-blog/e/09f55688110076d1e3055da33c3b4d47

B_naibu_a B_naibu_b

内部は円形の開口部が有機的に配置されて自然光を取り入れている。

B_baibu_a B_baibu_b

ガラスを使い開放性をイメージした外部空間は気持ちイイ。

B_kabe_a B_kabe_b

実はこの建物は建物の中に建物があります。
まぁ、海のそばということもあり塩害を考えて閉じるという
機能を考えてたデザインだと推測される。
構造的にはガラスと鉄の二重箱で出来ている。

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前庭には巨大な市民によるペインティグがあり、
レンガのアートもいとたのし。

景観を考えたよいデザインの建物である。あとは市民の
手によっていかに有効活用していくか?
四季を通じて観音崎の自然と融和したアーティステックな
活動を期待したいと感じた今日この頃である。

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2007年4月 7日 (土)

安藤忠雄の悪戦苦闘

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最近出来た「東京ミッドタウン」まで行ってきた。

まぁ、、仕事柄知らないとチョットまずいので経験値を上げるためである。
そして、「東京ミッドタウン」はどーでもいい。
一番の目的は「安藤忠雄展」を観ることである。

東京ミッドタウン敷地内に“21_21 DESIGN SIGHT”という施設があり、
ここで「安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘」という面白そうな催しものがあるのだ。

ちなみにこの“21_21 DESIGN SIGHT”の設計も安藤忠雄。

設計という作業がいかに“生みの苦しみ”を伴う行為であるか
一般ピーポーでもわかるように決定に至るまでの膨大なスケッチと
模型がこれでもか!と展示されている。

安藤建築の象徴でもあるコンクリート打放しの現場が再現されておりました。

で、、図面やら写真を見てビックリ!この建物の屋根鉄板で出来ている!
どーやって鉄の熱膨張による動きを吸収しているのかな?

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