書籍・雑誌

2015年2月 6日 (金)

サンダカン八番娼館 望郷

Sandakan

この映画は1974年に公開されており2004年にDVD化された。
原作は女性史研究家・ノンフィクション作家である山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』(1972年)である。

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実はこの原作、ワタクシの本棚に40年以上前からあるのだが、何故か?未だに読んでいない。
そして映画も未鑑賞のままであった。

この映画の原作である『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』が発行された時、大きな反響を呼んだことは記憶にある。

ノン・フィクションであるこの本の最大の功績は、今まで認知されていなかった「からゆきさん」の存在を世に知らせしめ、
人々の関心をいわゆる女性哀史に傾倒させ、女性史研究という新しい分野を切り開いたことだろう。
そして、同時期には『あゝ野麦峠』という女工哀史も発行され、映画化もされている。

70年代はウーマンリブという女性解放運動が盛んになり、女性史や女性問題は社会的にも関心が高かった時代でもある。
そして、当時10代だったワタクシは舞台となったボルネオ、そしてコタキナバルやサンダカンに強い関心を持つようになったのである。

そして時代は流れ・・・・・最近、やっとこの映画(DVD)を拝見する機会が訪れたのである。

天草の食堂で女性史研究家を演ずる栗原小巻サンがバックからハイライトを取り出してタバコを吸うシーンは何故か?新鮮だ!
がしかし、演出のせいか?何故か演技がぎこちない・・・
それに引き替え若き高橋洋子や田中健の演技は新鮮で迫力があるなぁ・・・

それにしても田中絹代さんの鬼気が漂い、枯れた演技には圧倒される。
後日、監督の熊井氏いわく、
「一カットずつ凄(すさ)まじい執念をこめ、心血を注いでおサキを演じた。
極度の緊張の連続で、今にも倒れて しまうのではないか、と思うほどであった」と。
そして、この作品の3年後田中絹代さん永逝。67歳、映画としてはこれが遺作となってしまったのである。

当時、サンダンカンには一番から九番までの娼館があり、八番娼館が舞台となっている。
そこで働く彼女達は実に逞しく、そして悲しい。
「日本には帰るな」というセリフが重く、
そして映画のラストでは、密林を切り開いて辿り着いた先に荒れ果てた墓地があり、
彼女たちの墓は日本に背を向けて建っているというシーンがあった。

彼女たちは祖国日本を拒絶したので背を向けて建っているのか?
そんな思いを暗示させるのだが・・・・
あるいは、立地的な条件から必然的にそうなったのかもしれない・・・・
真偽のほどは分からないが、淡々とした心境で風吹き渡る丘の上に海に向けて墓を建てたのかもしれない・・・
そう思う方が自然なのかもしれない。

ジャカルタにも日本人墓地というか「日本人納骨堂」があるのだが、
これは点在していた「からゆきさん」の墓を集めて建立したのが始まりだという。
東南アジアに点在している日本人墓地の多くは同じような歴史を持っているのかもしれない。

南蛮貿易などで日本人の海外進出が本格化した16世紀以降、東南アジアの港町に日本人が集まって住むようになったのだが、
語られることのない悲しい歴史も多くあったのだろうとつらつらと思う今日この頃なのである。

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2015年1月12日 (月)

春を背負って

暫しの間、“蔵出し画像集”はインターミッション(休憩)ということで・・・・・山の本&映画の話題である。

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春を背負って」は笹本稜平さん久々の山岳小説であり、これは日本にて発売直後に読んでいる。
ワタクシ彼の小説は全て読破しており、特に「天空への回廊」のダイハード超人的大スペクタクル小説は
第一級のエンターテイメントだと思っている。

で、この本だが最初これを笹本稜平さんが書いたのかと違和感があったのだが、読み進めるうちに、
次第に脳裏に森深い奥秩父の山道を歩いている自分の姿が自然と浮かび上がり、
夜更けも深まった小屋の中で美由紀ちゃんが作った料理を肴にゴローさんと一献しているワタクシがいるのである。

と、そんな情景が自然と思い浮かんでくる・・・・・
そんな山小屋が八ヶ岳や奥秩父には多い。
そして“距離感”が近くて素直に入り込んでいける山の情景を描いてくれる、それも笹本稜平さんの小説の一面でもある。

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翻って映画版「春を背負って」では舞台を北アルプスは立山連峰の大汝山へと変更されている。
これは監督である木村大作氏の「360度どこをとっても画になるから」という思い入れから変更されたらしい。
で、当初は登山家・加藤文太郎の生涯を描いた「孤高の人」が次回作品の候補だったという。
やはり前回の「劒岳 点の記」での撮影で北アルプスの雄大さが気に入ったからなのだろう。
しかしながら、冬山での過酷な撮影は困難を極めるであろうことが予想され、断念したという。

ワタクシ個人的にはやはり舞台は奥秩父にして欲しかった・・・・
でも、地味?過ぎて画にならない・・・・と木村大作さんはボヤくだろう・・・
そうだ!監督を是枝さんにすればいい!
役者を是枝ファミリー?で揃えて、ジミーで奥深い是枝ワールドで描いて欲しい!とオジサンは思う。

で、木村大作さんには松濤 明の「風雪のビバーク」を撮って欲しい。
同じ北鎌尾根での遭難なのだが、「風雪のビバーク」は涙なくして語れない登攀記であり、後世に映像として残し置きたい。
確かに冬山での撮影は困難かつ過酷だと想像できるが、カネをかけてシェルターでも作れば解決するだろう。
大体、「孤高の人」自体、谷甲州・新田次郎バージョンがあり、そもそも遭難の経緯も不明な点が多い。
それならば、遭難中に記した日記や遺書を元に書かれた「風雪のビバーク」の方がリアリティーがあっていいと思うだが・・・

などなどと・・・・オジサンの脳内妄想映画プロデュースは続いていくのである・・・・おわり・・・・

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2014年12月22日 (月)

最近のネパール・ヒマラヤ事情

昔、山岳会に所属していた時にヒマラヤ遠征を考えていたことがあった。
まぁ、遠征といっても8000m級の大規模遠征ではなく、6000~7000m級の未踏峰を登頂するもので
場所はカラコルム山脈にしようと皆で話し合っていた。
カラコルム山脈には世界第2位のK2を筆頭に60座以上の標高7000m以上の山が鎮座しており、
当時はまだ未踏峰の山が多くあった、というよりも名前さえ付いていない6000~7000m級の山などそれこそ無数にあったわけで
小規模の遠征隊でなどと漠然と考えていた。
この遠征話は諸事情によりいとも簡単に頓挫してしまったのだが、
ヒマラヤへの“憧れ”はその10年後にポカラからのトレッキングで叶えることが出来た。

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そして時は流れて今年2014年4月18日にエベレスト史上最悪の遭難事故が発生した。
遭難場所は悪名高き「アイスフォール」である。
アイスフォールの名の如き、氷河が崩れ落ちている場所で、気温の上昇とともに上部のセラック(氷柱)が崩壊する危険性があり、
通称「ロシアン・ルーレット・ルート」とも呼ばれている。
ここで4月18日の早朝、セラックが崩壊し、16名のシェルパが犠牲(3名は行方不明)となった。
気温が上昇する前の早朝に何故?セラックが崩壊したのか?知るすべはないが実に悪夢のような事故である。

ワタクシも小規模ながらセラックの崩壊に直面したことがある。
時は35年前、4月のある日曜日、場所は谷川岳で衝立岩中央稜の登攀を目指していた我々は土合の駅構内で仮眠をとり早朝に出発。
日が昇り、明るくなった頃に一の倉沢出会に着き雪渓を昇り始めた。
次第に気温が上昇してきたので上部にそびえ立つセラックが気になり、尾根沿いの高台に避難した直後に谷に響く大音響と共にセラックの一部が
崩壊し、直径1m~3mの氷の塊が十数個ほど雪渓を転げ落ちていったのである。
あのまま雪渓を登っていたら氷塊の直撃を真面に受けていたことだろう。
また、軽い表層雪崩に巻き込まれたこともあった。

登山には危険予知の訓練、能力が必要なのだが、なにせ自然が相手なのでリスク・マネージメントの判断は難しい。
そして来年4月にはまた登山シーズンが訪れる。事故後も山を登っている「シェルパ」は少なからずいるのだが、
“生活”の為に否応なく登っているのである。

ワタクシが長年愛読している雑誌に「ナショナル ジオグラフィック」があるのだが、11月号には「悲しみのエベレスト」という
サブタイトルで苦悩するシェルパ族の現状を記事にしている。
現代の(商業)登山が、シェルパ族なくしては成り立たない事実と彼らの(常に危険と隣り合わせの)地道な働き、
そして家族の生活や子供の教育問題など今のシェルパの現状を知る意義は大きい。
最近ではナショナル ジオグラフィックは電子版が購読できる

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何はともあれ、シェルパ達の待遇改善や安全対策などが急務なのだが、問題は「政治」にあるという。
これはテレビ東京で12月15日に放映された「未来世紀ジパング ・ネパールの光と影」という番組で問題にしていた。
この問題を発言していたのは「宮原さん」である。
ヒマラヤやエベレスト登山・トレッキングの経験者の間では有名なお方である。
あの「エベレスト・ビュー・ホテル」を建設し、現在ではポカラの高台に「アンナプルナ・ビュー・ホテル」を建設中である。

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ネパールは立憲君主国だったが、毛沢東派が多数を占める制憲議会が憲法を改正し、王制を廃止した。
そして、連邦民主共和国を成立させたのだが、未だに政治が安定せず混沌としている。
で、この「宮原さん」が自らの手で政治を安定させようと「政党」を立ち上げて日々奮闘されているのである。
御年80歳、実にアグレッシブなお方である。

番組ではアジアの最貧国であるネパールをどのように発展させてゆくか?提言していた。
それは「めざせ!アジアのスイス」がキーワードであり、共通点が多いスイスと比較してネパールの発展を説いていた。
実はワタクシ、インドのあるプロジェクトでネパール人スタッフと仕事をしたことがあるのだが、彼らは実に優秀であり、
その持っているポテンシャルの高さには驚かされたことがある。

何はともあれ、早く「政治」が安定し、そして地場産業が育ち、観光資源が整備され、優秀な人材達がネパールを発展させてほしい。
と願い、また、数年後にはエベレスト街道のトレッキングを計画している今日この頃なのである。

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2014年9月25日 (木)

彼岸花(曼珠沙華)

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日本は秋の彼岸が明けようとしている。

で、このお彼岸の頃に「彼岸花」が咲く。
花言葉は、「情熱」「悲しい思い出」「独立」「再会」「あきらめ」。
別名は曼珠沙華、(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)
これはサンスクリット語で天界に咲く花という意味で
おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典からきている。
サンスクリット語ではmanjusakaと書く。

この彼岸花(曼珠沙華)についてワタクシが昔から愛読している「梅干と日本刀」という本に下記のような記述がある。

『墓地や田舎の川岸などに咲く彼岸花は、毒だと教えられている。だが、彼岸花は、本来は渡来植物で、
雄株は日本の酸性土壌に適応せず、雌株だけが残った。彼岸花は球根だから、タンポポのように遠方に殖えることはない。
十年間で一メートルぐらいしか自分の領分を殖やすことはできない。

だから、あの彼岸花は、墓地や川の土手に勝手に生えているのではなく、遠く、祖先の誰かが飢饉の時を考えて植えたものである。
その証拠に、道路や村落、墓地などの人間活動の周辺以外の純自然原野には、日本ではこの植物は見られない。
そうして”毒だから触ってはいけない”と言い伝えて、不慮の災害の日まで、
すくすくと自然増殖できるような配慮をしておいたのである。

食用にするのはその球根である。これには、もちろんアルカロイド毒がある。
だが、水に晒すと、溶解して無毒になる。そして、この球根には多量の澱粉質が含まれている。
ただ、もともとが毒を含んでいる危険な食品なので安易に食べたりはしない方が良い。
彼岸花を食べつくすと、次は人間の肉しかない。秋に彼岸に咲くことのほかに、
最後の最後の食品と言う意味で、”彼岸花”というのだろうか。』

樋口清之著 梅干と日本刀より

昔は土葬だった。で、彼岸花の毒で墓をモグラや野ネズミなどから守るという意味もあり、
墓地や寺の周囲になどに植えられていた訳で
「死人花(しびとばな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」のような別名もある。
そして飢饉の時に最後の最後に食するのがこの「彼岸花」なのである。

彼岸花(曼珠沙華)が妖しいのはワケがあったのだなぁ、、としみじみ想う今日この頃なのである。

追伸:最近ボケてきています。このネタは以前にも記事にしたことがある・・・・
    

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2009年8月20日 (木)

水戦争

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水戦争―水資源争奪の最終戦争が始まった (角川SSC新書) (新書)
柴田 明夫 (著)

地球から水がなくなる・・・世界で起こる水戦争とは?

石油の高騰などよりも、最も懸念すべき資源の問題は、世界的な水不足。やっかいなのは石油や石炭などの資源と違って、水には代わりになるものがない。

最近の国連の報告書によれば、「2025年までに世界人口の半分に当たる35億人以上が水不足に直面する」恐れがあるという。

水問題の専門家、ピーター・H・ブライク博士によれば、「人間が生存するには1人1日当たり最低50?の生活用水が必要だが、平均してそれ以下の生活用水しか使用できない国が55カ国もある」。
    
実際、現在、世界人口の2割に当たる12億人が不衛生な水しか飲めない生活を強いられている。

実際に、ヨーロッパ、インド、アフリカ、アジアなどでは複数の国家をまたいで流れる「国際河川」での開発や取水をめぐる紛争が起きている。
(例)コロラド川(アメリカ・メキシコで水の過剰利用と汚染)
   ヨルダン川(イスラエル、ヨルダン、レバノン他で水源地域の所有と水配分)
   チグリス・ユーフラテス川(トルコ、シリア、イラクで水資源開発と配分)
   漢江(韓国・北朝鮮でダム建設と環境)
   ナイル川(エジプ、スーダン、エチオピアによるダム建設と水配分)
   ドナウ川(スロバキア、ハンガリーによる運河の為の水利用)など

中でも、水資源の利用量が世界の他の地域と比べて圧倒的に高いアジアで今後、水戦争が頻発する危険性が高い。

コンビにでは500mlのペットボトルの水が100円以上する。
確かに今では水は石油より高い?かもしれない。
水は大切に使わなければならない、と痛切に感じた今日この頃である。

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2009年8月 3日 (月)

御乱心

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御乱心―落語協会分裂と、円生とその弟子たち (単行本)
三遊亭 円丈 (著)

シュールな三遊亭 円丈の落語に誘われて落語にハマってしまったワタシ。
最近では落語そのものにも興味を覚え、関係する資料などを読んでいる。

で、この「御乱心」は昭和53年に起こった落語協会分裂騒動に翻弄される“円生とその弟子たち”を当事者であった
三遊亭 円丈自ら筆を取り一気に書き上げた顚末記である。

登場人物の名前は全て実名で、架空の人物は一切出てこず、著者によれば95%は事実で残りの4%は細かい言い回しや構成順序の僅かな違い、そして1%はギャグとの事である。

しかし、当時の人間模様のドロドロさは鬼気迫るものがある。
特に円楽に対しては、私怨が籠っているだけに迫真の描写で赤裸々に綴られている。

ワタクシ、「笑点」という番組が好きにはなれなかったが、今思えば“円楽”が好きになれなかっただけかもしれないなぁ・・・とこの「御乱心」を読みながら感じた次第。

で、先日、「川柳川柳・三遊亭圓丈二人会」をにぎわい座で楽しんできたのだが、川柳川柳(当時はさん生)も当事者である。
そして、三遊亭圓生の残り少ない?弟子で現役落語家でもある二人である。

まぁ、これからもお二人で新作落語で我々を楽しませてください。

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2009年6月30日 (火)

コンクリートが危ない

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コンクリートが危ない (岩波新書) (新書)
小林 一輔 (著)

職業柄“コンクリートがヤバイ”と常々感じていたが、この本を読み確信に変わっていった。

冒頭の山陽新幹線高架橋のひび割れや腐食の実態の写真は結構ショッキングである。
これは適正な材料を使わなかったこと、や施行技術が不十分だったからである。
で、お上もこれではイカン!ということで橋脚の補強工事を10年ぐらい前から行なってはいるが、公共施設は予算もあり耐震診断は出来るが民間の建物はそうはいかない。
特に東京オリンピックが開かれた1964年を境に著しく劣化しているのだという。

2005~2010年にコンクリート構造物が一斉に壊れ始める、と著者は警告している。
(この本が出版されたのは1999年である)
壊れ始める、とされる著者の根拠は実に説得力がある。

それにして大正時代や昭和の初期に施行された建造物がいまだに無傷で残っているというのも事実である。
先人達は基本に忠実にコンクリートを調合・施行したのである。
理論上は200年の耐久性をもつはずのコンクリート構造物が、今では負の遺産として全国に数え切れないほど建造されている。
地震災害のほとんどは“人災”なのかもしれない。

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2009年6月11日 (木)

ビーサン屋げんべい物語

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ビーサン屋げんべい物語―葉山の片隅から世界を狙うオンリーワン商店 (単行本)

たかがビーサン、されどビーサン・・・

葉山にある江戸末期から続くよろずや“げんべい
もともとは足袋職人の店だったそうな、で三代目で小売業に転換し、四代目からビーサンを扱い始める。
そして五代目が試行錯誤の末にそのビーサンで葉山を代表するオンリーワン商店に仕立て上げた。

ビーサンにここまで情熱をかけて本気で取り組んだ人間はいないだろう。
真夏の太陽のようにビーサンにかける迸るような情熱が眩しい。

ゆったりとした「葉山時間」が流れる中で、自然体でシンプルな生き方をしたい。
読みながらそう思う。

最近では東京でも“げんべい”のTシャツを着た人を良く見かける。
そしてこれからビーサンの季節もやってくる!
何故か?この時期になるとビーサンのようなシンプルな生き方?に想いを馳せるのは
ワタクシだけ・・・・・?

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2009年3月26日 (木)

都市と交通

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都市と交通(1981年) (岩波新書)
岡 並木 (著)

出版は1981年だから今から28年前になるが、その内容はいまだに色褪せていない。
で、この本の出だしの“ツカミ”の部分だが実に納得させられる。
東南アジアの人々の通勤交通費は非常に高く、収入の1/3~1/4を使っているという。
これは東南アジアの都市で「抵抗なく歩ける距離」は100~200メートルという統計結果からもわかるとおり、その都市の気候条件がその距離を大きく左右しているという。

ちなみにヨーロッパではその距離は400メートルで気温が零下5度以下になると200メートルになる。

確かに東南アジアの都市では様々な乗り物が走っている。
ジャカルタでは「ペチャ」、シンガポールでは「トライショー」、マニラでは「ジプニー」、バンコクでは「トクトク」など自転車やジープ、軽四輪などを改造した乗り物が多い。今では交通事情などにより激減しているものもある。

ワタクシ、香港とシンガポールでしばらく暮らしていた時期があり、どちらの都市でもタクシーとバスにはだいぶお世話になった。しかも料金も安かった。
特にシンガポールでは赤道直下ということもあり一年を通して気温が30度以上あり、その炎天下を30分以上歩くなんて考えられないことで、近距離でもタクシーを利用していた。

そんなシンガポールのオーチャード通りでは政府が「抵抗なく歩ける距離」を伸ばす計画が1970年代から始まり歩道に木を植えて木陰を作っていった。
今では多くの住宅地でもこのような整備が進んでいる。
ワタクシもオーチャード通りの近所に住んでいたので実感できる。
日本では地下道がこれにあたるのかもしれない。

で、現在の日本の「都市と交通」を考えると東京への一極集中は変わりなく、朝のラッシュは変わらず、地下鉄の乗り換えはよくわからず、駅前の放置自転車問題は解決されていない。

世界の各都市でも同様の交通問題はあり、これは永久に続くものだろう。
最近では「パーク・アンド・ライド」という計画もあるが、多くの通勤者には関係ないものである。
通勤という時間と金とエネルギーの浪費は個人的には無駄だと思うのだが、さりとて地元で職を得るのは難しい。
これが現状であり、長距離通勤者の地獄はこれからも続くのである。
イカン!愚痴っぽくなってしまったが、この本を読みながら交通問題を考えて通勤ラッシュの電車に乗る今日この頃なのである。

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2009年1月26日 (月)

「散歩学」のすすめ

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「散歩学」のすすめ (中公新書ラクレ) (新書)
古川 愛哲 (著)

ワタクシの趣味は“散歩”である。
思えば若い頃から“散歩”が好きだったかもしれない。
古道歩きから野山を歩く“トレッキング”
北アルプスを散歩する縦走登山、沢を散歩する沢登り、岸壁を散歩するロッククライミング、
海の上を散歩する“セーリング”
海の中を散歩する“スキューバダイビング”
空を散歩する以外は全てやってきた。

で、この“散歩”なのだが実にお手軽に知性と感性を磨いてくれるのである。
そのコツはこの本に紹介されている。

フィールドワークという研究手段があるが、地質、鉱物、生物、植物、歴史、民族、音楽などなどフィールドワークで研究されている学問は多い。
で、このフィールドワークだが、“散歩”の延長線上に位置しているのかもしれない。

この「散歩学」のすすめの中で面白い“散歩学”の記述があった。
それは洗濯物のレイアウトから夫婦関係を研究するという立派な学問があるというのである。
これはフランスの社会学者が研究しているらしいが、プラバシーの侵害がチョット心配だなぁ・・・

また、著者は“散歩”はノン・アルコールでコーヒーを楽しんでいるが、ワタクシは“散歩”の途中で居酒屋や立飲屋に乱入し、人間交流関係の勉強もしているのである。

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