台湾

2017年9月21日 (木)

「西本願寺広場」

MRT西門駅前にある西門紅楼(現在改修工事中)の南側に公園がある。
公園の名は「萬華406号広場」で、別名「西本願寺広場」。

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名前から分かるように日本統治時代の1922年に浄土真宗本願寺派の本山、本願寺台湾別院(通称:西本願寺)が建立されていた場所である。
しかし、戦後廃止され、その後火災で殆どの建物が焼失してしまい、現在では「樹心会館」や「輪番所」、「鐘楼」が復元され、公園として整備されている。

「鐘楼」

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「輪番所」は西本願寺の住職の住宅だったもので、今では「八拾捌茶」という茶屋として復元されている。

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「樹心会館」

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「樹心会館」では「台北運動史世紀縦横」が開催されていた。
で、その中の展示品の一つに嘉義農林学校野球部(嘉義棒球)の写真があった。

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しかし、この写真は1933年に開催された全島中学校野球大会で優勝した時のものだった。
普通なら1931年の甲子園準優勝の写真を展示するはずだが・・・
入口脇に台湾運動史の大型パネルがあったが、それにも甲子園準優勝の記載がなかった。
忘れているのか・・それとも資料がなかったのか?
しかし、別棟では「KANO」の映画が上映されていた。

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「KANO」の甲子園準優勝という事実・記録を台湾の人々はどう思っているのか?
実に気になる今日この頃である。

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2017年9月19日 (火)

微笑萌郵筒

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アパートから歩いて15分強のところにセブンイレブンがあるのだが、
この場所が2年前の夏に大ブレークしたのである。

まぁ、大したことはないのだがこのセブンイレブンの前にある2つの郵便ポストが“かわいく”傾いでおり、
その出で立ち?が芸術的で素敵じゃない?ということでフォトジェニックなスポットとして評判になり、
記念撮影ポイントとして連日長蛇の列を成していたという。

今では立ち寄る人々もまばらで一時の“萌”熱も冷めたようだ。

で、このポスト達は「微笑萌郵筒」と呼ばれている。

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地面に設置されたプレートには下記のように書かれている。

「2015年8月8日の台風13号の影響で落ちてきた看板が私達に衝突しました。
辛くて思わず倒れそうになってしまいましたけど、踏ん張りました。
しかし、見ての通りこうやって私たちの腰はすっかり曲がってしまいました。
でもこれも人生。腰が曲がっていても大丈夫。曲がっていたほうが私達芸術的で素敵じゃない?
人生何があっても大丈夫って忘れないように私達と一緒に写真でも撮りましょう!」

ちなみに、赤いポストは「航空郵件(AIRMAIL)」「限時郵件(PROMPT DELIVERY)」と書かれてあり「航空便」と「速達」という意味で
緑のポストは「其他地區(OUTGOING)」「台北市(LOCAL)」と書かれており、国内普通郵便の「市外」と「市内」という意味である。

で、今日の一句
「人生は、萌え萌え萌えで、腰曲がり」   意味不明・・・・・

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2017年9月10日 (日)

青田茶屋

隙と暇あればビールばかり飲んでいるワタクシだが、
たまには茶でも所望し精神を落ち着かそうとランチの後に向かったのは
永康街の先にある「青田茶屋」である。

こちらも日本家屋をリフォームした茶屋である。
お値段は多少高めだが読書でもしながらのんびりと茶を嗜むには
良い空間である。

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2017年9月 9日 (土)

KANO 1931海の向こうの甲子園、そして特有種商行

KANO 1931海の向こうの甲子園

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ワタクシこの映画をリアルタイムで観たのだが、それまでこの実話については全く知らなかった。
まぁ、今では台湾に住んでいるのである程度この国の歴史などを調べて知っているが当時は台湾について全く知らなかった。
ワタクシにとって近くて遠い国だったのである。

一度も勝ったことのない弱小野球部が台湾代表として甲子園の切符を手に入れ
そして大方の予想を覆し、甲子園でも快進撃を続け決勝まで行った嘉義農林学校野球部・・・・の話。

これはもう一度言うが事実である。
そして恥ずかしながら八田與一(はった よいち)さんを知ったのもこの映画からであり、
嘉義農林の投手・呉明捷がその後早稲田に進学して六大学野球で
長嶋茂雄に破られるまで20年間、年間本塁打記録保持者だったのである。

で、この映画の脚本・誠作をした魏德聖(ウェイ・ダーション)がプロデュースした
レストランカフェ(特有種商行)があるということを知ったのはつい最近である。

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場所はMRTの「忠孝新生」駅から徒歩5分の住宅街の中にある。
このカフェには、映画で使った大量の大道具や小道具を、映画ファンに喜んでもらえる形で展示されているのだが、
販売もされているようでだいぶ展示品が減っていたのは少々残念である。

女性スタッフが一名近づいてきたワタクシに尋ねた。
「貴方はどこから来たのですか?」
「日本からです」
「何故この店を知ったのですか?」
「この映画(KANO 1931海の向こうの甲子園)のファンだからです」と言ったら、
「貴方にスペシャルなプレゼントを差し上げます」と言って渡してくれたのが
こちらである ↓

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 パッケージには真の勝利は勝利と敗北の間にある、と印刷されている嘉義農林学校野球部の選手カードである。

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MRT忠孝新生駅近辺で良い雰囲気で食事ができるランチスポットである。

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2017年9月 2日 (土)

アントニオ・ガウディ展 at 華山1914文創園区

次は「華山1914文創園区」で開催中のアントニオ・ガウディ展

このアントニオ・ガウディ展は開催されて間もないことからかなりの人気で
チケット売り場に行列ができるほどである。

展示内容はワタクシが今まで観てきたガウディ展以上の展示はなかった。
以前東京都現代美術館で開催された「ガウディ かたちの探求」展はCGを駆使し映像で
理解できる優れた内容だったのでこれを上回る展示内容を期待していたのだが
サグラダファミリアの資料室にあるような展示品を並べていたのがチョット残念である。

まぁ、本物を観てきた身からする物足りないのは致し方ないことなのかもしれない。

それにしても台湾におけるガウディ人気の高さを実感した今日この頃なのである。

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2017年9月 1日 (金)

ザハ・ハディッド展 at 松山文創園区

台湾の人々の建築に対する情熱というか想いは深いものがある。
そんな建築に対する想いを象徴する催しが開催されている

「松山文創園区」ではザハ・ハディッド展、
そして「華山1914文創園区」ではアントニオ・ガウディ展である。

まずは「ザハ・ハディッド展

新東京国立競技場のコンペで波乱を巻き起こしたザハおば様だが、昨年の3月30日に心臓発作のため死去している。
実に早すぎる旅立ちで残念でならない。
もっと長生きして我々の度肝を抜くような建築を作って欲しかった。

で、彼女の功績を称えるために「松山文創園区」で開催されているザハ・ハディッド展に赴く。

全体的にこじんまりとした展示だが彼女の漲る創造力には驚かされずにはいられない今日この頃である。

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新国立競技場はかなり小さめのホワイトモデルで展示

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2017年8月30日 (水)

「宏国大楼」

イヤイヤ・・チョット気を許すとブログ更新が1ケ月以上もないとは・・・
全くもってタンザニアのイカンガーなのだが、ネタは蓄えてある。
まぁ、あることはあるのだが、台湾の暑さでモチベーションと気力?がチョット低下していたのと、
本来持っている怠慢さ故なのだが・・・・
気を取り直し徐々に再開していきませう。

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住んでいるアパートの近所にガンダム?みたいな建物がある。
この建物は「宏国大楼(ホングォダーロウ)」で台湾を代表する建築家、李祖原の代表作だと
知ったのは大分経ってからである。
建っている場所は松山空港に近いため高さ60mという制約があり、この制約の中でいかに
クリエイティブかつ中国文化の抽象的なイメージを現代の建築材料で作り出すか、
苦労したという。

ポストモダン建築に台湾スタイルを盛り込んだ李祖原のデザインに
何故か懐かしさを感じてしまうのである。
竣工は1989年。
アンカーテナントは日本のMIZUHO銀行で漢字で「瑞穂銀行」という看板が掲げてあるが、
何故か違和感を覚えるのはワタクシだけだろうか・・・・

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2017年7月23日 (日)

青田七六

台北の路地をさ迷い歩いていると日本統治時代の日本家屋に出くわすことがある。
という冒頭で始る「中山18」の記事を先日アップしたのだが、
「青田七六」もまぁ似たような経緯でカフェ&レストランにリフォームされた日本家屋である。

詳しい説明はコチラ↓
「青田七六」
http://www.taipeinavi.com/food/719/

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で、肝心の料理はというと・・・
注文したのが「白身魚の塩焼き」なのだが出来るのは照り焼きだという。
仕方がなく了承し運ばれてきたのがこちらである。

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まぁ見た目はいいのだが実にあっさりとした味付けなのである。
素材の良さを引き出す調理法か?と思いきや素材の良さがわからない。
身は固く、出汁は効いておらず、塩気も足らない。
ただひたすら淡白な味付けにしようと努力?しているのである。

実に不思議な日式料理を体験した今日この頃である。

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2017年7月22日 (土)

淡水

とある休日の朝、目覚めたら急に遠出をしたくなった。
台鉄に乗って行くほどの遠出ではなくMRT乗って車窓を眺めながら行こうではないか、
ということで行先は「淡水」に決定。
「淡水」・・・たんすい・・言葉の感じも響きも良いではないか!
淡い水・・何という乙女チックな響きがオジサンごころを擽る。

この地名の由来なのだがもともとは清朝時代にこの淡水河一帯の交易を管理する役所として「淡水廳」を設置した。
これは地名の直接の由来になるのだが、更に時代が下り日本統治時代になると,
その一帯は役所名にちなんで「淡水郡」を設置されることになり,
更に1920年にそれまでの「滬尾」という地名に変わって「淡水」と改称されるに至る、ということで
ナント!日本人が命名した地名だったのである。

で、この淡水は最初スペインが進出し、この地を占領してサン・ドミンゴ要塞を築いた。
しかし1642年には台湾南部を占領するオランダ東インド会社がこれを駆逐し、
サン・ドミンゴ要塞を再建。この要塞が今の紅毛城で、その後イギリス領事館が設置された。
これ以降各国の商館が集まるようになり、淡水は19世紀後半には台湾最大の貿易港として繁栄したが、
河口に砂が堆積してしまい大型船が入りにくくなりその後は小さな漁村に変わり果ててしまったのである。

で、この紅毛城の名前なのだが、紅毛とは当時のオランダ人に対する呼び方で、
ポルトガル人・スペイン人は南蛮人と呼ばれていたのだが、
南蛮渡来という言葉はあっても紅毛渡来という言葉は聞いたことがないなぁ・・・・
まぁ、どうでもいい話である。

小さな漁村に変わり果ててしまった淡水なのだが、近年MRTが開通すると台北市民の週末の日帰り観光地として発展。
まぁ、さしずめ東京都民にとっての湘南・江の島のような存在なのである。

気概と気骨と体力があるお方は台北から自転車で行くそうだ・・・
ワタクシにはそのような気概も気骨も体力の欠片もないのでMRTで座って行きませう。

駅前広場でのよくあるパントマイム風大道芸?

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ここはさしずめ熱海の秘宝館?的な館かな?

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土産物屋通り・・

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教会

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紅毛城

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遊歩道

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2017年7月16日 (日)

台北 街角コレクション-3

見知らぬ路地を彷徨い歩き手にしたカメラで気の向くまま、勝手気ままにシャッターを切ってゆく。
まぁ、あまり深く考えていないのだが、台北ならではのウェットな空気感を感じてくれたら幸いである。
と、いうことで特に各々の説明は必要はないという勝手な判断の元で省略させていただきます。

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ここでチョット小休止・・・・

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