昔の記憶

2009年6月23日 (火)

昔の記憶「私は武田鉄也が嫌いでした」

   Photo

10年前、ニッポン放送で「高嶋ひでたけのお早う!中年探偵団」という早朝の番組があり、ワタクシは通勤電車の中で毎朝聴いていた。
その番組の中に「ひでたけのお便り日本晴れ」というコーナーがあり、ある日投稿した手紙が読まれたことがあった。

以下その全文を記載
---------------------------
※これは読まれても読まれなくてもいいですが、高嶋さんには渡してください。

「私は武田鉄也が嫌いでした。」
それは今から25~26年前のことです。当時高校生だった私はフォークソング全盛の真っ只中におり、ご多分に漏れずギターを買い、ひたすら練習の日々を送っていました。
そんな中、「駅前のデパートの屋上でライブがあるから行かないか?」と悪友に誘われました。海援隊とかいうグループのライブらしく、面白そうなので、授業をサボり、横須賀中央という駅前にある、今はなきミドリ屋の屋上までノコノコと出かけて行きました。

私と悪友2人は一番前の席に座り、周りを見回すと客はまばらでそれもオバチャンばかり、普段の日なので当然学生はいないので学生服姿の我々は目立っていたようです。
登場した「海援隊」の武田鉄也が歌う「母に捧げるバラード」は今までのフォークソングの常識にはない泥臭さが強烈でした。

しかし、さらに武田鉄也の強烈な一言が私を襲ったのでした。
「そこのオジサン!ガッコウサボって何やってんの!」
「ガーン!」た、、確かに私の顔はふけて見られる。しかし学生服を着ている若者になにもそこまで言わなくていいものを、、、。シャイで純情な私は一瞬頭の中が真っ白になり、周りの視線が集中しているを感じ、穴があったら入りたいほど学生服の中で赤くなり小さくなってしまったのです。

それ以来、私は武田鉄也が嫌いになったのですが、先日その悪友と会う機会があり、確認してみたところ悪友曰く、
「それは武田鉄也ではなくて高島ひでたけ、だよ」
エッ!ウッソー!ホント!訳もなく私の胸の中は女子高生用語でいっぱいになりました。
確かに同じ時期に前後して同じ場所で高島ひでたけさんが他のバンドの司会で来ていたことがうっすらと記憶の中で甦りました。

武田鉄也の強烈な個性と、高嶋さんの強烈な一言が記憶の狭間でいつしか同化して武田鉄也の強烈な一言として確かな記憶となってしまったのでしょう。
しかし、長年培ってきた武田鉄也嫌いは直りそうにもなく、またすぐに高嶋嫌いになるわけでもなく、そんな複雑な心境で毎日、放送を聞いているのです。
高嶋さん、覚えてますか?

そして、今度武田鉄也さんに会われたら、私の代わりに謝ってください。
--------------------------------------
という内容で記載されていることは全て事実である。
で、これは1999年の8月13日の放送でオンエアーされた。

そして千葉産の新米20Kgが数日後に送られてきた。
が、しかし、ワタクシはこのオンエアーを聴いていない!
当日は前日の激務のため通勤電車の椅子に座り眠りこけていたのである!
この内容で放送されたことは事実のようである

まぁ、なにはともあれ“昔の話”である。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年6月 1日 (月)

東京大学三崎臨海実験所、そして油壺水族館

東京大学三崎臨海実験所、そして油壺水族館

   A_

           三崎臨海実験所

   A__2

           旧油壺水族館

油壺の突端にある荒井浜海水浴場に下りていくと左手に「東京大学三崎臨海実験所」がある。
そしてその隣に2階建てのタイルレンガ張りの立派な建物がある。
今では閉館してしまった臨海実験場付属の油壺水族館である。
ワタクシは小学校の遠足でこの水族館に来た記憶があり、手前の池で亀が泳いでいた。
なんだか実に懐かしくなる。
しかし、この水族館は近接する油壺マリンパークが開園し客足が遠のき昭和42年に閉館した。

そして、25年以上前になるがこの臨海実験所の宿泊施設や地殻変動観測所の施行に携わったことがある

思い出深き地「油壺」なり・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 9日 (月)

NTT横須賀研究開発センター(旧日本電信電話公社 横須賀第2電気通信研究所)

    A_

    A__b

野比、長沢の里山を散策した後は遠くに見える「NTT横須賀研究開発センター」まで足を伸ばす。
実はワタクシこの建物の建設に携わっており、他に地元三浦半島には防衛大学校宿舎油壺の東京大学地震研究所などの施設を作った。

で、この「NTT横須賀研究開発センター」は当時は日本電信電話公社(電電公社)の横須賀第2電気通信研究所で通称「第2通研」と呼ばれていた。
何故ここに通信研究所が出来たかというと電波障害が少ないからという理由で、第1電気通信研究所が武蔵野だったと記憶している。

    A__a

今では「通研通り」という道路にその名残がある。
この道も当時は舗装されていない農道の砂利道だった。

この建物は1期と2期に分けて施工され、ワタクシは2期工事に従事していた。
そして、この時に携帯電話のプロトタイプという模型を見せてもらったことがあるが、「コンバット」(古い話だな・・・)に出てくるような無線機のような形をしていたのである。
研究員の方に「これが将来の電話です」と説明されたが当時のワタクシはイマイチ理解できていなかったと思う。

その8年後、香港に赴任した時に、ビジネスマン達が手にモトローラ社製のデカイ携帯を持ったおり、このプロトタイプの模型によく似ていたのを思い出す。
YRPが携帯電話発祥の地といわれているが、それはここ第2通信研究所(当時)で生まれた、とワタクシは思っている。

それにしてオジサンは今の携帯電話の進化についていけないなのである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年7月12日 (土)

昔の記憶「アイススケート場」

昭和30年代に生まれたワタクシにとって少年期の娯楽施設といえば映画館・アイススケート
場・ボウリング場であり、青春そのものであった

映画館は東宝映画劇場、大映映画劇場、そして「丸井の別館」、通称「横ビル」には 横須賀劇場、有楽座、名画座、スバル座の4つの映画館が入っており、東京よりも1ヶ月くらい遅れの新作が2本立てで上映されるような地方の映画館であった。
これらの映画館にはお世話になりました。

で、ボーリング場は横須賀中央駅の近くに2つあった。

そしてアイススケート場は旧商工会議所、今のさいか屋東館のところにあった。この場所は昔魚市場の跡地で、元々有った冷却設備を利用してアイススケート場を建造した。
三笠橋を挟んで今のさいか屋駐車場も魚市場であった。

   Photo

真ん中の通りが昔の三笠橋であり、この右側に魚市場、左側にスケート場があった。

このアイススケート場も大変お世話になった。

その後、今のダイエー(ショッパーズ)が出来る前の跡地にもアイススケート場が建てられたが、ダイエーが出来るまでの仮設的利用の短期間であったと記憶している。

まぁ、何はともあれ、横須賀のスケート場、箱根は強羅のスケート場、そして富士急ハイランドのスケート場にはまさに青春そのものであったのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年7月 9日 (水)

「なぎざ」7.8月号

        A__2

今月の始め京急の各駅で配布されていた京急の情報小冊子「なぎざ」7.8月号の特集は「海と映画 三浦半島、海のあるまち」ということで三浦半島の海を舞台にした映画を紹介していた。

小津監督作品の「晩春」「麦秋」は由比ガ浜と思われる海岸が、
日活の「狂った果実」「太陽族」は逗子・葉山が、「甦る金狼」では猿島が、
また、「海ゆかば」は記念艦「三笠」で撮影され、北野監督の「あの夏、いちばん静かな海」では久里浜や馬掘海岸が登場する。

最近では「同じ月を見ている」は北下浦海岸で、「図鑑に載っていない虫」「恋空」は和田長浜海岸で、また「歩いても 歩いても」では三浦海岸や長沢で撮影されている。

まぁ、ここ数年は日本映画は活気を取り戻している。で、東京から近い横須賀や三浦市ではテレビドラマやCMや映画などの舞台の使われている訳なのだが、ワタクシ的には古い映画で恐縮なのだが「豚と軍艦」がダントツの一番なのである。舞台は「ドブ板」で昔の安浦や埋立前の馬掘海岸、そして観音崎などが記憶の片隅から甦るが如く映像で実感できる。

また、映画ではないが「タイムトラベラー」で有名?な「NHK少年ドラマシリーズ」の「つぶやき岩の秘密」が油壺、三戸浜、荒崎を舞台にしている。この「つぶやき岩の秘密」が放映されたのは昭和48(1973)年である。
タイムトラベラー」は昭和47(1972)年でこれはリアルタイムで見ていたが「つぶやき岩の秘密」を見たのはつい最近のことである。で、昭和の良き雰囲気が漂う映像を見てオジサン感激!また音楽が懐かしく、当時若手で気鋭の樋口康雄が実にモダンな音楽を提供している。

そして、このモダンな音楽とNHK的服装センスのとアンバランスというかミスマッチさが実にシュールである。
また、原作は山岳小説家である新田次郎で、主題歌は石川セリが歌う「遠い海の記憶」という全体に流れるこの不思議なミスマッチさがシュールな昭和の“時代”を醸し出しており「オジサンゴコロ」を妙にくすぐるのである。
(「豚と軍艦」「つぶやき岩の秘密」のDVDは中央図書館で借りられる)

また、田中麗奈主演の映画「ドラッグストアガール」というレア?な映画では「池之端商店街」が舞台である!
まぁ、映画の内容ウンヌンよりは何故か?しみじみと哀愁を感じる映画であり、商店街なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 4日 (火)

セント・エルモス・ファイアー

     _a

セント・エルモス・ファイアー

この映画は好きな映画というよりは“思い入れ”がある映画なのである。
公開は1985年でこの時ワタクシはアメリカはマイアミにいた。最初観た感想は普通の青春映画だね、といった程度の軽いもの。それよりは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の斬新なアイデアに衝撃を受け3回も観たほどでこちらの記憶の方が強い。

その約1年後、ワタクシはマイアミの北にある小さな街にいた。そしてそこにあった小さなジャパニーズレストランの片隅で、この「セント・エルモス・ファイアー」に出演してた“ジャディ・ネルソン”と一気飲み対決をしたのである。
その時、交わした会話の中で覚えているのがある。
「デミ・ムーアってジャンキーだったの?」
「そうらしいが、撮影には影響はなかったね」

この映画に出演した役者達はこの映画をジャンピング・ボードにして活躍の場を広めていった。
一人、“ジャディ・ネルソン”を除いてである。
彼はその直後に、不祥事を起こしてからはあまり映画には出ていないようである。
(この不祥事についてはワタクシも関係しているので機会を改めてご報告します)

その後、日本に帰国しこの映画がトレンディドラマブームのきっかけを作ったということを知った。
翌年に放映された「男女7人夏物語」であり、「愛という名のもとに」にいたっては内容も酷似している。まぁ、この映画が存在したからこそ、その後の青春ドラマが成り立っていったのだろう。
そういう意味ではこの「セント・エルモス・ファイアー」の存在は大きかったともいえる。

そして、ワタクシにとっても忘れがたい“思い入れ”がある映画なのである。
(写真の右から3人目がジャディ・ネルソンである)

| | コメント (0) | トラックバック (0)