昔の記憶「私は武田鉄也が嫌いでした」
10年前、ニッポン放送で「高嶋ひでたけのお早う!中年探偵団」という早朝の番組があり、ワタクシは通勤電車の中で毎朝聴いていた。
その番組の中に「ひでたけのお便り日本晴れ」というコーナーがあり、ある日投稿した手紙が読まれたことがあった。
以下その全文を記載
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※これは読まれても読まれなくてもいいですが、高嶋さんには渡してください。
「私は武田鉄也が嫌いでした。」
それは今から25~26年前のことです。当時高校生だった私はフォークソング全盛の真っ只中におり、ご多分に漏れずギターを買い、ひたすら練習の日々を送っていました。
そんな中、「駅前のデパートの屋上でライブがあるから行かないか?」と悪友に誘われました。海援隊とかいうグループのライブらしく、面白そうなので、授業をサボり、横須賀中央という駅前にある、今はなきミドリ屋の屋上までノコノコと出かけて行きました。
私と悪友2人は一番前の席に座り、周りを見回すと客はまばらでそれもオバチャンばかり、普段の日なので当然学生はいないので学生服姿の我々は目立っていたようです。
登場した「海援隊」の武田鉄也が歌う「母に捧げるバラード」は今までのフォークソングの常識にはない泥臭さが強烈でした。
しかし、さらに武田鉄也の強烈な一言が私を襲ったのでした。
「そこのオジサン!ガッコウサボって何やってんの!」
「ガーン!」た、、確かに私の顔はふけて見られる。しかし学生服を着ている若者になにもそこまで言わなくていいものを、、、。シャイで純情な私は一瞬頭の中が真っ白になり、周りの視線が集中しているを感じ、穴があったら入りたいほど学生服の中で赤くなり小さくなってしまったのです。
それ以来、私は武田鉄也が嫌いになったのですが、先日その悪友と会う機会があり、確認してみたところ悪友曰く、
「それは武田鉄也ではなくて高島ひでたけ、だよ」
エッ!ウッソー!ホント!訳もなく私の胸の中は女子高生用語でいっぱいになりました。
確かに同じ時期に前後して同じ場所で高島ひでたけさんが他のバンドの司会で来ていたことがうっすらと記憶の中で甦りました。
武田鉄也の強烈な個性と、高嶋さんの強烈な一言が記憶の狭間でいつしか同化して武田鉄也の強烈な一言として確かな記憶となってしまったのでしょう。
しかし、長年培ってきた武田鉄也嫌いは直りそうにもなく、またすぐに高嶋嫌いになるわけでもなく、そんな複雑な心境で毎日、放送を聞いているのです。
高嶋さん、覚えてますか?
そして、今度武田鉄也さんに会われたら、私の代わりに謝ってください。
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という内容で記載されていることは全て事実である。
で、これは1999年の8月13日の放送でオンエアーされた。
そして千葉産の新米20Kgが数日後に送られてきた。
が、しかし、ワタクシはこのオンエアーを聴いていない!
当日は前日の激務のため通勤電車の椅子に座り眠りこけていたのである!
この内容で放送されたことは事実のようである。
まぁ、なにはともあれ“昔の話”である。
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