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2015年2月12日 (木)

ダコタを想う part-2 『鷲は舞い降りた』

ワタクシ、若き日より冒険小説が好きでジャック・ヒギンズなどを愛読しており、
彼の代表作である『鷲は舞い降りた』に登場した“ダコタ”に憧れ続けていたのである。

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素晴らしき冒険小説なので一読をおススメします。

実はワタクシ、この“ダコタ”に乗ったことがある。
ホンジュラスに居た時に、バカンスで訪れた『ロアタン島』にこの“ダコタ”に乗って行ったのである。

で、この“ダコタ”に搭乗すると、まず客室の前方にCAのオネーチャンが仁王立ちになり、客室をひと睨みし、
全乗客の体重状態を素早く判断し、機体の荷重バランスを考慮し、乗客の移動を始めるのである。
「アナタとアナタは入れ替わって、で、アナタはそこで、アナタはこっち・・」てな具合である。

そして、この“ダコタ”だが、エアコンが完備されていない。
まぁ、当たり前の話だが、申し訳程度に上部に小型の扇風機が設置されており、カタカタと動いている。
で、スコールに突っ込むと、ポタポタと雨漏りがするのである。
そして、パイロットは○○○○○していたのである。

まぁ、この『ロアタン島旅行記』の話はいずれまたということで・・・・・

で、このDC-3(ダコタ)だが、現在ではもう飛んでなく搭乗する機会はほとんどないらしい。

DC-3の現状↓
https://ssl.alpha-prm.jp/dc3pub.com/filename32.html

                
                                     part-3に続く・・・

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2015年2月 6日 (金)

サンダカン八番娼館 望郷

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この映画は1974年に公開されており2004年にDVD化された。
原作は女性史研究家・ノンフィクション作家である山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』(1972年)である。

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実はこの原作、ワタクシの本棚に40年以上前からあるのだが、何故か?未だに読んでいない。
そして映画も未鑑賞のままであった。

この映画の原作である『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』が発行された時、大きな反響を呼んだことは記憶にある。

ノン・フィクションであるこの本の最大の功績は、今まで認知されていなかった「からゆきさん」の存在を世に知らせしめ、
人々の関心をいわゆる女性哀史に傾倒させ、女性史研究という新しい分野を切り開いたことだろう。
そして、同時期には『あゝ野麦峠』という女工哀史も発行され、映画化もされている。

70年代はウーマンリブという女性解放運動が盛んになり、女性史や女性問題は社会的にも関心が高かった時代でもある。
そして、当時10代だったワタクシは舞台となったボルネオ、そしてコタキナバルやサンダカンに強い関心を持つようになったのである。

そして時代は流れ・・・・・最近、やっとこの映画(DVD)を拝見する機会が訪れたのである。

天草の食堂で女性史研究家を演ずる栗原小巻サンがバックからハイライトを取り出してタバコを吸うシーンは何故か?新鮮だ!
がしかし、演出のせいか?何故か演技がぎこちない・・・
それに引き替え若き高橋洋子や田中健の演技は新鮮で迫力があるなぁ・・・

それにしても田中絹代さんの鬼気が漂い、枯れた演技には圧倒される。
後日、監督の熊井氏いわく、
「一カットずつ凄(すさ)まじい執念をこめ、心血を注いでおサキを演じた。
極度の緊張の連続で、今にも倒れて しまうのではないか、と思うほどであった」と。
そして、この作品の3年後田中絹代さん永逝。67歳、映画としてはこれが遺作となってしまったのである。

当時、サンダンカンには一番から九番までの娼館があり、八番娼館が舞台となっている。
そこで働く彼女達は実に逞しく、そして悲しい。
「日本には帰るな」というセリフが重く、
そして映画のラストでは、密林を切り開いて辿り着いた先に荒れ果てた墓地があり、
彼女たちの墓は日本に背を向けて建っているというシーンがあった。

彼女たちは祖国日本を拒絶したので背を向けて建っているのか?
そんな思いを暗示させるのだが・・・・
あるいは、立地的な条件から必然的にそうなったのかもしれない・・・・
真偽のほどは分からないが、淡々とした心境で風吹き渡る丘の上に海に向けて墓を建てたのかもしれない・・・
そう思う方が自然なのかもしれない。

ジャカルタにも日本人墓地というか「日本人納骨堂」があるのだが、
これは点在していた「からゆきさん」の墓を集めて建立したのが始まりだという。
東南アジアに点在している日本人墓地の多くは同じような歴史を持っているのかもしれない。

南蛮貿易などで日本人の海外進出が本格化した16世紀以降、東南アジアの港町に日本人が集まって住むようになったのだが、
語られることのない悲しい歴史も多くあったのだろうとつらつらと思う今日この頃なのである。

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2015年1月12日 (月)

春を背負って

暫しの間、“蔵出し画像集”はインターミッション(休憩)ということで・・・・・山の本&映画の話題である。

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春を背負って」は笹本稜平さん久々の山岳小説であり、これは日本にて発売直後に読んでいる。
ワタクシ彼の小説は全て読破しており、特に「天空への回廊」のダイハード超人的大スペクタクル小説は
第一級のエンターテイメントだと思っている。

で、この本だが最初これを笹本稜平さんが書いたのかと違和感があったのだが、読み進めるうちに、
次第に脳裏に森深い奥秩父の山道を歩いている自分の姿が自然と浮かび上がり、
夜更けも深まった小屋の中で美由紀ちゃんが作った料理を肴にゴローさんと一献しているワタクシがいるのである。

と、そんな情景が自然と思い浮かんでくる・・・・・
そんな山小屋が八ヶ岳や奥秩父には多い。
そして“距離感”が近くて素直に入り込んでいける山の情景を描いてくれる、それも笹本稜平さんの小説の一面でもある。

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翻って映画版「春を背負って」では舞台を北アルプスは立山連峰の大汝山へと変更されている。
これは監督である木村大作氏の「360度どこをとっても画になるから」という思い入れから変更されたらしい。
で、当初は登山家・加藤文太郎の生涯を描いた「孤高の人」が次回作品の候補だったという。
やはり前回の「劒岳 点の記」での撮影で北アルプスの雄大さが気に入ったからなのだろう。
しかしながら、冬山での過酷な撮影は困難を極めるであろうことが予想され、断念したという。

ワタクシ個人的にはやはり舞台は奥秩父にして欲しかった・・・・
でも、地味?過ぎて画にならない・・・・と木村大作さんはボヤくだろう・・・
そうだ!監督を是枝さんにすればいい!
役者を是枝ファミリー?で揃えて、ジミーで奥深い是枝ワールドで描いて欲しい!とオジサンは思う。

で、木村大作さんには松濤 明の「風雪のビバーク」を撮って欲しい。
同じ北鎌尾根での遭難なのだが、「風雪のビバーク」は涙なくして語れない登攀記であり、後世に映像として残し置きたい。
確かに冬山での撮影は困難かつ過酷だと想像できるが、カネをかけてシェルターでも作れば解決するだろう。
大体、「孤高の人」自体、谷甲州・新田次郎バージョンがあり、そもそも遭難の経緯も不明な点が多い。
それならば、遭難中に記した日記や遺書を元に書かれた「風雪のビバーク」の方がリアリティーがあっていいと思うだが・・・

などなどと・・・・オジサンの脳内妄想映画プロデュースは続いていくのである・・・・おわり・・・・

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2014年12月21日 (日)

カメラの記憶 「ドバイ メトロに乗って」

またまた、怖いもの知らずの“蔵出し”画像集である。

当時、ワタクシはドバイ・メトロ・プロジェクトに従事していた。
そして仕事上でも、またプライベートな用事でもよくドバイメトロを利用した。
このドバイ・メトロは無人全自動運転(ATO)なので先頭車両には運転席が付いていないために前展望が楽しめるのである。
ちなみに無人全自動運転(ATO)では世界最長である。

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浅田次郎氏の長編小説「メトロに乗って」では過去と現在を地下鉄を通じて行き来し、家族の過去をたどる男を描いたのだが、
ドバイ・メトロに乗り車窓から眺めるとチョットだけ近未来にタイムスリップしたような錯覚に陥る。

メトロ構内もチョット近未来チックである。

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2014年10月 3日 (金)

インドネシア、ホラー映画事情

休日は映画館で過ごすことが多い、と以前にも記事にしたのだが、
ハリウッドの話題作でさえこちらでは上映期間は一週間と短い。
が、しかし、ある作品が2館同時上映でしかも2週間以上連続して上映されたことがあった。
その映画はホラー映画である。こちらではどんな芸術性が高い作品よりもホラー映画が好まれる。

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で、その映画のタイトルは「The Conjuring」直訳すると手品とか魔法という意味になる。
まぁ、これではその“怖さ”が伝わらないと危惧した日本の配給会社は「死霊館」という邦題を付けた。
ベタである、そのあまりの直球ぶりにセンスの無さを感じるのだが、じゃぁどんなタイトルならいいの?と
ワタクシに問われてもワタクシもセンスがないのできっと「死霊館」と付けてしまうのだろうなぁ・・・
スミマセン、邦題ネタなどどーでもいい話なのである。話をホラー映画に戻す。

前にも書いたがこちらではホラー映画が人気である。普段は空席が目立つ客席がホラー映画では満席になる。
で、ホラー映画の客層のほとんどは若い女性である。日本でいうとさしずめ女子中学生や高校生といった年代で
しかも圧倒的にグループが多い。恋人同士といったカップルもいるのだが若い女性のグループが目立つ。
これは友達同士でその怖さを共有したくてグループで来ているのだろう。

映画が始まっても映画に集中しないで小声で話し合っている。
怖さや恐怖心からチョットでも逃れたい、緩和したいという心理の表れなのかもしれない。
そして“恐怖”は突然やって来る!のである。意表をつかれた彼女達は全身の力で“叫ぶ”のである。
全身で叫んだ後に何故か?笑い声がこぼれるのである。
何故?笑い声が・・・こぼれるのか?

恐怖心を打ち消したくて笑うのか?
それともその“怖さ”を共有出来た“喜び”をかみ締めて自然と笑い声がこぼれるのだろうか?
乙女心が分からないオジサンにはワケワカメの世界である。
“叫び”そして“笑う”、これはもう「お化け屋敷」や「ジェットコースター」などと同じ
“アトラクションのノリ”の感覚なのだろうか?

全身で“怖さ”を体験した彼女達は心地よい疲労感を感じつつ映画館を後にするのである。

何故?インドネシアではホラー映画が人気なのか?
調べてみると東南アジアとくにマレー半島やインドネシアにはイスラム教などの体系的宗教が伝来する以前より
土着的な精霊信仰があり古代社会では共有される世界観であったようである。
この精霊信仰が知らずにDNAにインプットされており精霊=ホラーという図式が自然と受け入れられるからなのでは?
とオジサンは思うのである。

精霊はタイ語・ラオス語ではピー、ビルマ語ではナッ、そして現代インドネシア語ではhantuとして表現され、
その精霊は人間や動物や植物と同じレベルの生きた存在であり、現実世界と重なっているものもあるという。
そして精霊にはさまざまな種類があり、人間に憑依したり、可視的な状態に変身したりすることによって
人間と交流をもつことができるとされている。
また、人間の中にも精霊と意図的に交流することが可能なものがおり、そのような人間を通じて精霊と交流し、
儀礼と供物の提供することによって、精霊の力によって招福攘災をおこなうことができるとされている。
これはいわゆるシャーマニズムですな。

で、この精霊と人間の交流の仕組みは、ヒンドゥー教や大乗仏教、上座仏教、イスラム教が到来した後も、
受け継がれているのである。
この精霊信仰は中東にはなかったのでアラブ社会ではホラー映画の人気はイマイチなのでは?と思う今日この頃なのである。

話はまた変わり、チョット違う観点からアジアのホラー映画を考察した「怪奇映画天国アジア」という本がある。

内容(「BOOK」データベースより)
なぜ幽霊は女性であり、弱者であり、犠牲者なのか?インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、カンボジアなど、
東南アジア各国の怪奇映画の歴史と現在、恐怖と身体の政治性を解き明かす、画期的な論考。

切り口が違う面白い「東南アジア文化論」なのでは?
今度拝読しませう。

そうそう「The Conjuling」のスピンオフ作品である「ANNABELLE」がハローウィンに合わせて本日より公開だとか・・・
多分観ないだろうなぁ・・・・心臓に悪そう・・・・・

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2014年9月25日 (木)

彼岸花(曼珠沙華)

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日本は秋の彼岸が明けようとしている。

で、このお彼岸の頃に「彼岸花」が咲く。
花言葉は、「情熱」「悲しい思い出」「独立」「再会」「あきらめ」。
別名は曼珠沙華、(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)
これはサンスクリット語で天界に咲く花という意味で
おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典からきている。
サンスクリット語ではmanjusakaと書く。

この彼岸花(曼珠沙華)についてワタクシが昔から愛読している「梅干と日本刀」という本に下記のような記述がある。

『墓地や田舎の川岸などに咲く彼岸花は、毒だと教えられている。だが、彼岸花は、本来は渡来植物で、
雄株は日本の酸性土壌に適応せず、雌株だけが残った。彼岸花は球根だから、タンポポのように遠方に殖えることはない。
十年間で一メートルぐらいしか自分の領分を殖やすことはできない。

だから、あの彼岸花は、墓地や川の土手に勝手に生えているのではなく、遠く、祖先の誰かが飢饉の時を考えて植えたものである。
その証拠に、道路や村落、墓地などの人間活動の周辺以外の純自然原野には、日本ではこの植物は見られない。
そうして”毒だから触ってはいけない”と言い伝えて、不慮の災害の日まで、
すくすくと自然増殖できるような配慮をしておいたのである。

食用にするのはその球根である。これには、もちろんアルカロイド毒がある。
だが、水に晒すと、溶解して無毒になる。そして、この球根には多量の澱粉質が含まれている。
ただ、もともとが毒を含んでいる危険な食品なので安易に食べたりはしない方が良い。
彼岸花を食べつくすと、次は人間の肉しかない。秋に彼岸に咲くことのほかに、
最後の最後の食品と言う意味で、”彼岸花”というのだろうか。』

樋口清之著 梅干と日本刀より

昔は土葬だった。で、彼岸花の毒で墓をモグラや野ネズミなどから守るという意味もあり、
墓地や寺の周囲になどに植えられていた訳で
「死人花(しびとばな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」のような別名もある。
そして飢饉の時に最後の最後に食するのがこの「彼岸花」なのである。

彼岸花(曼珠沙華)が妖しいのはワケがあったのだなぁ、、としみじみ想う今日この頃なのである。

追伸:最近ボケてきています。このネタは以前にも記事にしたことがある・・・・
    

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2013年3月31日 (日)

坂本龍馬はいなかった

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長年のワタクシの疑問に答えてくれた本である。

坂本龍馬(竜馬ではない)を知らない日本人はいないだろう。
幕末に活躍したこの国民的英雄なのだが、知れば知るほど不自然な事や疑問が生まれて来るのである。
詳細は割愛するが、坂本龍馬を有名にしたお方が司馬遼太郎氏で「竜馬がゆく」で竜馬がブレークした。
竜馬とは司馬遼太郎氏が創り上げた人物である。で、龍馬ではなく竜馬なのである。
これはご本人も認めていることである、

そして「竜馬がゆく」の元になっている小説が「汗血千里駒」でこの作者である坂崎紫瀾が実に胡散臭い人物なのである。
まぁ、それはさておき謎の多い坂本龍馬なので後に二重スパイ説やらフリーメーソン説などもささやかられるようになった。

なにはともあれ「坂本龍馬」が存在することにより得をした人物がいたことは想像できる。
幕末から明治維新は謎が多い。そして明治天皇も謎が多い
“何の為の”明治維新だったのか改めて考えさせられる「本」である。

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2013年3月23日 (土)

ジェノサイド

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ご存知2012年版「この ミステリーがすごい!」の1位の「ジェノサイド」である。
遅ればせながら拝読しましたが、久しぶりにオモシロイと感じた本である。

このジェノサイド(英: genocide)とはギリシャ語の γενοσ(種族・国家・民族)と
ラテン語の接尾辞 -cide(殺)の合成語であり、ユダヤ系ポーランド人の法律家
ラファエル・レムキンにより1944年に造語されたもので、人種や文化の集団に対する組織
的な殺戮を意味している。

ユダヤ系ポーランド人ということでナチス・ドイツのユダヤ人虐殺(ホロコースト)を
念頭に置いている事は容易に想像できる。
また、スターリンの大粛清や、毛沢東の文化大革命、ポルポトのカンボジア虐殺、ルワンダの
フツによるツチ虐殺なども該当する。そして1948年に集団殺戮行為を禁止し、防止し、
処罰するするジェノサイド条約が国際連合で採択される。
その後2006年の「コンゴ民主共和国領における武力行動事件」はジェノサイドと認定さ
れた事例の一つである。

そのコンゴが舞台の一つになっている小説である。そして日本も舞台になっている。
で、アメリカの特殊部隊がコンゴで集団殺戮を計画するにあたり基になったのが
「ハイズマン・レポート」であるが、このレポート、じつは高野和明氏の創作に
よるものなのである。
この「ハイズマン・レポート」は人類の絶滅要因を研究・提言しているものなのだが、
その中に新人類の旧人類(我々人間・・)にたいする脅威があり、これがこのストーリーの
重要なキーワードの一つになっている。
そして日本を舞台にした展開のキーワードが「肺胞上皮細胞硬化症」という不治の病な
のだがこれも高野和明氏の創作なのである。実在する不治の病について、“治療法が見
つかった”と書くことに、倫理的なためらいを覚えたのだという。そりゃそうだ。
で、これらの虚構のリアリティが実在の世界の中でこれでもか!とたたみかけてくる様は
実に迫力がある。

あと、人間(男女)の距離感を
「つかず離れずのファンデルワールス力」
「お互い大きな組織の一員で身動き取れない金属結合」
「目指すは共有結合」
などとのたまう理系男子学生同士の会話もオモシロイ。

多少他民族に傾いた描写がなきにしもあらずチョット違和感も覚えるがそれを差し引い
ても読まずに死ねるか!の1冊である。
まぁ、人間というのは実に愚かな生き物なのだと改めで感じた今日この頃なのである。

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2012年3月 4日 (日)

ロストシンボル

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ご存じラングドンが活躍する3作目である。
で、お馴染みのフリーメーソンネタである。

現代の科学が発見している多くの事実は古代人の叡智のトレースにすぎないのか?
その古代人達の叡智とは?
意志、思考の力とは?そして純粋知性科学とは?
聖書に隠された秘密とは?

この本と前後して観た「ピラミッド 5000年の嘘」と何だかリンクしていく。
隠された叡智が真実ならこのピラミッドの謎も解けるのでは?と淡い期待を抱いてしまう。

以前ワタクシも「フリーメーソンあれこれ」で「パリ・エジプト化計画の謎」に触れたが、謎が謎を呼ぶフリーメーソンネタである。

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2009年9月16日 (水)

時の渚

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時の渚(文春文庫) (文庫)
笹本 稜平 (著)

複雑に絡み合った人間関係が次第に解き明かされてゆき、人間の“業”の奥深さを思い知らされる。
そして、あまりにも偶然的、都合の良い展開にチョット身が引けてしまうのだが、
DNA鑑定、血液型の法則、戸籍上の親戚関係、婚姻という(隠れた)事実から「家族」とは何か?
と浮き彫りに描いており、巧みな展開で一気に読ませてしまう手腕は凄い。

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