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2016年12月

2016年12月25日 (日)

備忘録「最近の出来事などなど」と「城 EXPO」

ブログの更新が相変わらず滞っております。
まったくもってタンザニアのイカンガー?であることは重々承知しております。
11月は横浜はみなとみらい大ホールで行われた全日本高等学校吹奏楽大会を拝聴したり、
赤レンガで行われたバンフ・マウンテン・フィルム・フェスティバルでアウトドア系の映画を鑑賞したり、
地元横須賀で行われたベイサイド・ポケット寄席で落語なんぞを楽しんでおりました。

で、月は変わり12月は横浜はNHK文化センターで開催された「ル・コルビジェの住宅」なる特別講座を受けたり、
18日はクラブ・ワールドカップを日産スタジアムで観戦し大いに盛り上がり、
先週は「城 EXPO」なる催し物に行ってきた。

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実はワタクシ、以前より日本全国の城巡りをしてきた隠れ城マニア?なのである。
熊本地震で大変な被害を受けた熊本城は15年前に訪れており、その壮大な石垣に甚く感動した記憶がある。
で、その崩れ去った石垣の映像を見て何故こうも脆くも崩れたのか?という疑問がふつふつと湧き上がってきたのである。
城の石垣はそう簡単には崩れないという強い思い入れもあり、
その答えの手掛かりを探りたいということで今回の催しに参加したのである。

特に厳選プログラムの一つである「信長が登用した穴太衆とその石垣」には大いに興味があった。
穴太衆は(あのうしゅう)と読み、日本の近世初期にあたる安土桃山時代に活躍した石工の集団のことで、
文献に初めて表れるのは信長が築城した安土城からで石垣に天守閣が上がる最初の城でもあり
この安土城から穴太衆による石垣を使った城が全国に広がっていったのである。

穴太衆の“技”は400年間変わっていないという話を穴太衆の末裔である粟田建設の15代目がいみじくも話しており、
その“技”は現代土木技術にも応用されているという。
では「何故熊本城の石垣は崩れたのか?」という疑問について、今回の講演では詳しくは述べていなかったのだが、
以前放映されたテレビ番組でのアーカイブがたまたま見つかった。

15代目の粟田社長は、「ニュース映像などを見る限りでは」と前置きしたうえで、「石垣は何度も修復を重ね、
ある時期に直した箇所がごっそり崩れ落ちた可能性が高いのでは?と話していた。
そして穴太衆が関与していない工事もあり、「穴太衆の技なら、一部の石が落ちても石垣は崩壊しない」とも語っていた。

特に戦中・戦後の混乱期に行われた石垣の修復工事について、まともな資料が残っておらず経緯は不明で、
再建・改修を重ねて今日の姿になった名城ほど、技術的には“つぎはぎ”だという。

まだ正式には熊本城の石垣の修復工事については要請がないが、あれば是非再建に協力したいと、
また、今後の夢については、まだ一度も城の石垣を最初から作ったことがないのでこれをやりたいとも語っていた。
15代目の粟田社長の話を聞いて、近江は比叡山山麓にある穴太の里である坂本を是非訪れてみたいという想いを感じた今日この頃である。

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特別展示されていた熊本城の石垣の一部の謎模様なのだが・・・・謎が謎を呼ぶ摩訶不思議な模様である。
 

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