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2015年8月

2015年8月18日 (火)

Aliceとエリック・サティ

と、いう訳で話は続いているのだが、
20数年来、事ある度にワタクシの脳裏で鳴り響いている曲がある。
その曲がエリック・サティの「ジムノペディ」である。
実はこの曲、あるゲームソフトのBGMとして使われていたのである。
使われていたと断言してしまったが、記憶が定かではない。
オリジナルのCD-ROMは手元にあるのだが残念ながら再生するハードがない。
これはMac専用ソフトで当時はLC-520で観ていたなぁ・・・・
で、そのソフトとは「Alice」である。
これは日本初の本格的マルチメディアソフトウェアで発売は1991年だと記憶している。

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「Alice」とはまさにルイス・キャロル『不思議の国のアリス』の世界を基にしており、基本モチーフを画家の金子國義が、音楽とコンセプトを音楽家の加藤和彦が提供し、全体の構成を庄野晴彦が行っているのである。
で、発案者である加藤和彦がこのソフトのために作曲しており、その中に「ジムノペディ」、あるいはそれに良く似た曲がBGMとして使われていたのである。
まぁ、ワタクシの記憶では間違いなく「ジムノペディ」なのだが残念ながら証明する術が今はない。

この「Alice」だが金子國義のシュールな絵画と全編を流れるエリック・サティ風サウンドが見事にマッチし脳裏に残っており、それが何かの拍子にフラッシュバックしてくるのである。

加藤和彦氏は遡る事10年程前の1980年代に「ベル・エキセントリック」や「あの頃,マリーローランサン」といったパリのモダニズムを感じさせるサウンドを創っており、、その進化した世界観が凝縮されたサウンドであり、それ以来ワタクシの心に襞にはエリック・サティが住み着いているのである。

そのエリック・サティさんの展覧会「エリック・サティとその時代展」ではバレエ・リュスの公演「パラード」の再演フィルムを上映していた。
若きジャン・コクトーが脚本、パブロ・ピカソが衣装と舞台装飾、そしてサティが音楽を手がけているのだが、そのシュールさにしばし見とれてしまった。

ロートレックといい、エリック・サティといいアノ時代のパリにはワタクシを魅了する何かが有るのだと確信している今日この頃なのである。

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2015年8月17日 (月)

この夏の記録

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足の傷が癒えてきた7月の中頃からの行動記録なのだが、行った、あるいは行くであろう映画や展覧会、そしてコンサートなどのチケット達である。
まぁ、紛失したものもあるので全てではないがほぼ毎週なんらかのイベントに行っていたことになる。
映画でオモロカッタのは「バケモノの子」である。
展覧会では「エリック・サティとその時代展」がシミジミと良かった。
コンサートでは9月12・13日に予定している「New Acoustic Camp」に期待している。
これはワタクシのライフワーク?である[山とキャンプと音楽]がキーワードになっているアウトドアイベントである。
まぁ、、ほろ酔いで芝生に寝転び音楽をききませう。

で、話は「エリック・サティとその時代展」に戻るのだがその内容については次回で紹介しませう。

     ・・・・・to be continued・・・・・

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2015年8月11日 (火)

「70'sバイブレーション YOKOHAMA」

「70'sバイブレーション YOKOHAMA」
70年代ッポンの音楽とポップカルチャーが蘇る。

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先日、ぶらりと訪れた横浜は赤レンガ倉庫で「70's バイブレーション」なるイベントが開催されていた。
これって以前に横須賀美術館の特別企画展として実施されたものと同じ展示なのか?
どうやらコンセプトは同じなのだが、更に進化させ日本のロック・ポップスの歴史を総括しようと企画されたものらしい。
で、コレハオモシロイ!ということでご見学。
最初の展示室にデーン!と鎮座されしはYMOのワールドツアーに使われた楽器やステージセットである。
アノMOOGのモジュラーシンセサイザーのデカイことデカイこと・・・・
当時のテクノポップにはワタクシは食指が動かなかったのだが、流行どころは押えている。
シンセの神様である冨田勲の「月の光」はあまりにも有名で、彼の一番弟子である松武秀樹氏がいてこそYMOサウンドが成り立っていたのだなぁ・・と改めて当時を思い出す。
で、次の間には大瀧詠一コーナーがあり、レコードジャケットでしかお目にかかっていなかったアノ!ジュークボックスがひっそりと佇んでいたのである。
残念ながら音は出ない。
が、しかし、ロネッツの「Be My Baby」が今にも鳴り出しそうな雰囲気がイイ!
アノこもったサウンドが懐かしい。

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あとは当時のポスターやコンサートチケット、そしてレコードジャケットなどが年代順に展示されていたが見覚えのあるモノが大分あった。というよりはいまだに実家の押入れのダンボールの中にある。
これらは高く売れるのだろうか?と邪な捕らぬ狸の皮算用が脳裏を掠めるのだが・・・・・・
ちなみにヤフオクで調べると手持ちのレコードで一番高価なのはシュガーベイブの初回版の「SONGS」で2~3万で取引されている。
さてさて、どうしたものかと思案している今日この頃なのである。

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2015年8月 1日 (土)

尾瀬残象

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Bbb

Ccc

Ddd

ようやく足の傷が癒えてきたのでブログを再開しようか・・・・という前置きで始めるわけなのだが・・・
これは当ブログを3ヶ月間に亘って放置してきた体のよい言い訳である。
まぁ、足の傷とブログとは何の因果関係もないのは明白な事実なのだが、足の傷が癒えてきたことは事実である。
足の傷とは何のことか?
大腿筋の一部を切断してしまいその際に内出血をおこし、その結果足が1.5倍程度に腫れあがってしまったのである。
しばらくは座ることもできず、ズボンや靴下を履くことさえ難儀だったのである。

何故このような事態になってしまったのか?
事故?が発生したのは6月の初旬、場所は鳩待峠から尾瀬に下る木道でこの日は朝から冷え込んでおり、
木道の表面がうっすらと凍っていたのである。
従って歩き方が悪いとツルッと滑るのである。しかも木道も下る方向に傾いているので嫌でも滑るのである。
同行者は飲み屋仲間であるS氏なのだが、彼は5~6回は滑って転んでましたなぁ・・・・
で、かく言うワタクシも滑ることはあっても転びはしなかった・・・途中までは・・・・
何回かのスリップの後、その時は突然襲ってきたのである。
滑ると感じた瞬間に思わず足を踏ん張ったのである。これがイケナカッタ。
踏ん張った時にピリッと足を攣った時のような痛みが大腿筋に走ったのである。
その時は、まぁ、足を攣っのかな?というように軽く考えていたのだが、
実際は内出血しており、痛みが継続しており、宿泊小屋である「温泉小屋」に着く頃には、
足(太腿)は腫れあがり、歩行するのが困難な状態だったのである。

温泉小屋の湯で軽く汗を流し後、持参した焼酎を飲みつつ脳裏に浮かんだのは
歩けなくなったワタクシがヘリで運び出される図である。
単なる肉離れによる内出血でヘリで運びだれるとは・・・・
アーー、イヤダ!イヤダ!オゾマシイ限りである。
このオゾマシイ光景を吹き払いS氏と相談した。
S氏は翌日のスケジュールを変更して楽なルートである鳩待峠まで戻ることを提案してくれたのだが、
かつての山男のプライドがこれをユルサナイ。
ワタクシは予定通り三平峠から大清水までのルートを主張し、翌朝の状態で判断することにした。

翌日、足の腫れはさら酷くなり歩行するのがやっとの状態であったが、予定通りのルートで下山することにした。
三平峠から下り、大清水までの単調な林道での歩行がキツカッタ・・・。

まぁ、無事に帰りのバスにも間に合い、自宅にも帰れた。
で、翌日念の為に病院で診察してもらったのだが、
医者曰く「よくこの状態の足で歩けましたね・・・・」

その後2週間は片足を引きずるような歩き、一ヶ月もすると欽ちゃん走りが出来るまで回復し、
現在に至るのだが、本格的な山歩きを何時から再開するか?
思案している今日この頃なのである。

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