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2015年2月

2015年2月28日 (土)

昔(カメラ)の記憶 マヤ「コパン遺跡」

インドネシアのネタもありそうでなさそうなので・・・
先日の続きということでホンジュラス「コパン遺跡」のネタでいきませう。

ロアタン島旅行始末記?は先日過去の記事を改稿しアップしたのだが、ホンジュラスのもう一つの観光地である
「コパン遺跡」については書こう書こうと思って早15年以上が経過してしまった。
まったくもってタンザニアのイカンガーである・・・・
(しかし、このフレーズも使い古した感があるなぁ・・・)

で、今回は蔵を漁りながら、かつ30年前の記憶を手繰りつつ書き出したのだが・・・
ほう~最近ではコパン・ルイナス市観光課の公式日本語ホームページがあるのか!
まぁ、昔からJICA関係の支援がホンジュラスにはなされてきているので、これも海外青年協力隊の手によるものだろう。
かくゆうワタクシも無償援助プロジェクトでこの地に居たのである。

この「コパン遺跡」だがアクセスが非常に悪い。ホンジュラス在住者でさえ日帰りは無理で近郊のホテルに宿泊する必要がある。
アクセス的には隣国ガテマラのグテマラシティーからバス、あるいは車で入るのがよい。
あとは、マイアミからサンペドロ・スーラ経由で入るのがベターである。

コパン遺跡」は1980年には世界遺産に登録されており、さぞや有名な観光スポットで観光客も多いのだろう、と
想像していたが、我々が訪れた時には観光客は我々だけであった。
以下の写真をご覧になればわかりますが、人(観光客)が一人も映っていません。
実に寂びれた世界遺産である。

で、最近のマヤネタではマヤの暦が2012年までしかないということで「2012年12月に世界が滅びる」という預言?噂?が
全世界を駆け巡り、これを題材にした映画まで製作されていたが、最近では「2015年に人類が滅びる」という噂があるらしい。
まぁ、マヤ文明に関してはまだ解明されていない謎が非常に多く、これもガセネタだと思うのだが実に謎が謎を呼ぶ「マヤ文明」なのである。

以下に当時の写真を記載しますが、説明は省略します。というか覚えていない・・・・?

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コパン王朝古典期の球戯場
ガイドの説明では生贄の首をボール代わりにしてサッカーのような試合を行っていたらしい。
まぁ、記憶が曖昧で定かではない・・・・m(__)m

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マヤネタでは以前に「古代マヤの遺跡」、「インカ・マヤ・アステカ展」や「トゥルム」などを記事として記載してきたが、
大物の「チチェン・イッツァ」も訪れたことがあり、これはまだ記事にしていない。
あと「テオティワカン」(これはアステカ文明)も画像が蔵に眠っている・・・・・これもそのうちアップしませう。

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2015年2月26日 (木)

昔(カメラ)の記憶 『カリブ海 ロアタン島』 Part-2

「カリブ海のぶったまげホテル  その2」

ロアタン島、正確にはロアタン諸島「ISLA DE BAIA ROATAN」なのだが、
我々はその中の一つの島に行く。

実はこのロアタン諸島、映画のロケに使われたことがある。
スティーブ・マックイーンとダステイン・ホフマンが共演した
パピヨン」という映画で、切り立った断崖絶壁の無人島からの脱出ものという設定だったが、
我々の行く島は珊瑚礁のラグーンに囲まれた島である。

ダコタは高度を下げタッチダウンしたが、振動が激しすぎる。
で、よく外をみたら、ナント、滑走路が舗装されていないではないか!
赤っ茶けた地盤が露出しており、ダコタは赤い土ボコリを巻き上げながら滑走している。
(エライところに来てしまった!)
訳がわからない不安が一瞬脳裏をかすめる。

ダコタから降りて周りを見ると屋根をヤシの葉で覆った小屋が一軒
あるだけである。小屋といっても柱が4本とヤシの葉で覆った屋根だけで、
中に小さな机があるだけである。

ここはアメリカからの発着便がある、インターナショナル・エアポートのはずでは?
ということはイミグレはあの小屋でするのか?
そんな事を考えながらホテルの送迎ジープ?にのる。
この送迎ジープには屋根も座席もない。
ホテルの迎えの者は何の躊躇も、いたわりの言葉もなく我々を後部の荷台に乗せた。
(余談ではあるが、私はネパールで送迎牛車なるものにも乗せられたことがある)

送迎ジープは寂びれた町を抜け、山道に入った。どうやらホテルはこの山向こうにあるらしい。
山道は荒れに荒れていた。
雨水が削り取った溝が20センチ以上の段差となって幾つもの筋を作っている。
この上をジープは横滑りしながら走る。

高度の運転テクニックも必要だが、ここでは高度の乗車テクニックも必要だ。
重心を低くし、荷物を確保しながら、ジープの車体動作を予想して、
振り落とされないようにしなければならない。
右手に朽ち果てたディスコの残骸が見えた。(エライところに来てしまった!)
確信に近い不安が脳裏をかすめる。

やがて山道は急な下り坂になった。(ホテルは近い!)と思った瞬間、
ジープはジェット・コースターの如く、滑り落ちていく。
木々の合間に海が見えたかと思うと、ジープは急にカーブを曲がり抜けて行く。
これはまるで「スペース・マウンテン」ではないか!
いくつものスルドイカーブを曲がり抜け、ジープはやっとホテルの前に着いた。

目の前のホテルを見て私はハッキリ確認した。
(エライ所に来てしまった!もう帰ろう!)と・・・・
何と木造平屋建てで、大小2棟の小屋があるだけではないか!
左の小さい小屋は8畳程度、右の大きい方でも20畳程度の小屋である。

オロオロとうろたえている私を尻目にホテルの従業員らしきアンチャンが荷物を
運んでいってしまった。
セニョール○×もスタスタといってしまった。トボトボと後ろを行くワシ。
どうやら小さい小屋が管理棟らしくここでチェックインをする。
(ホテルの名前は忘れてしまった)

アンチャンが「ここがメシを食う所、腹が減ったら来るとヨロシイ」と大きい
小屋を指差して我々に説明するが、、、、。
(オイオイ、じゃ我々はどこに泊まるんだ!)と思って大小の小屋を抜けると、
なんと、目の前には今まで見たこともない光景が広がっていた。

「うわぁ、、プールみたい」とセニョール○×が嬉しそうに呟いた。
本当にプールみたいなのだ。いや、プールよりも綺麗である。
色とりどりの珊瑚がキラメく水面に揺れている。
目の覚めるようなブルーの熱帯魚の群れがゆっくり泳いでいる。
我を忘れてボーと見ていると、アンチャンはおもむろにボートに乗り我々にも
乗れという。どうやら50mほど先の小島に行くらしい。

こちら側がパブリックスペースでレストランなどがあり、ボートでコテージのある向島へ渡る。

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こちら側がコテージがある向島(プライベートスペース)である。

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天然の水族館の上をボートはゆっくり進む。
小島の桟橋には鐘が釣り下がっており、「メシを食いにレストランに行く時は
この鐘を鳴らすとヨロシイ。船が迎えに行くから」とアンチャンはぶっきらぼうに言った。
小島には10ほどのコテージが点在していた。

どれもがほどよく離れており、珊瑚礁の上に迫り出して建てられている。
本島のレストランがあるパブリックスペースと小島のコテージがあるプライベート
スペースに完全に分離されているみたいだ。
珊瑚礁の上に建てられたコテージは全て木造である。

驚く事勿れ!トイレの便器も便座も洗面台も全て木で作られている。
窓は木のジャロジー、コテージ入り口のドアノブも木である。
もう木、木、木のオンパレードである。
そしてここには電気・水道もない。当然照明もテレビもない!カラオケもない!
レーザーディスクは何者だ!(いかん、、吉 幾三が入ってしまった!)

明かりはランプ。水は雨水を溜めて使う。
トイレは水洗で浄化槽処理しているみたいだ。
ここにあるのは目の前の綺麗な海だけである。
眠たくなったら寝て、腹が減ったらメシを食い、泳ぎたくなったら目に前の
珊瑚礁の海に飛び込む。

何の義務感もスケジュールも時間さえもない。
太陽が出て沈むという自然の摂理のみが我々の営みの全てということに気づく。
コテージの前のサンデッキに寝そべり、ロンというトウモロコシから作った
酒を飲みながら、沖あいのコバルトブルーの海を眺める。
ゴロゴロとそのまま転がって海に落ちる。と目の前には大小様々な原色の熱帯魚が
珊瑚礁の中で見え隠れして泳いでいる。

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又ここには30フィート以上のクルーザーが数隻あり、ダイビングやトローリングができる。
ダイビングは出来なかったのでトローリングをやった。
シイラに似た50cmぐらいの魚を釣り、刺し身で食いたかったが・・・
醤油がないではないか。ウ~残念、、だがグリルもウマイ!!
(その後、アメリカでダイビングの免許を取り、この様なナチュラルリゾートに
行く時は必ず醤油の小瓶を持参するようになった)

夜は波音のBGMとロンとランプの灯火の中で採れたてのシーフードを食べる。
朝は波音が遠く聞こえ、熱帯特有の小鳥のさえずる中でゆっくり起きる。
ここに3日間いたが私の中ではここが最高の5つ星ホテルである。

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このようなナチュラルリゾートが東南アジアにもあり、いくつか泊まったことが
あるが、最初に体験したこのホテルの印象がキョーレツな分だけ脳裏に
刻み込まれている。しかし、このホテルも先ほどのハリケーンで飛ばされて
しまったのだろうか?是非また行きたいホテルである。
(日本からだと片道2日はかかるだろうな)

このようなナチュラルリゾートでは・・・着いたら時計をはずすこと。
あと気に入りの作家の本と醤油の小瓶をもっていくとよい。

                         THE END

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で、この質素な?リゾートホテルだがネットで調べても情報がまったくない。
ハリケーンで飛ばされてしまったのかもしれない。
それにしてもあの木製の便器や便座、そして洗面台が懐かしい・・・
まぁ、30年以上も前の話なので「ロアタン島」も今ではだいぶ様変わりしてしまったことだろう、
としばし感慨に耽る今日この頃なのである。

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2015年2月25日 (水)

昔(カメラ)の記憶 『カリブ海 ロアタン島』 Part-1

先日の記事で「ロアタン島」のことに触れたが今回はその続きである。

ダコタを想う part-2 『鷲は舞い降りた』
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/part-2-fe3b.html

なお、ここに掲載されている旅行記?は15年以上前にあるMLに寄稿したもので、
ほぼ原文のままですが、本名などの固有名詞は伏字で表記しております。

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「カリブ海のぶったまげホテル  その1」

以前、私が住んでいたホンジュラスという国に観光資源はないだろう!
と思っている、アナタ!バカにしてはいけません。あります。

1、コパンのマヤ遺跡 しかし、ここはよほどの考古学バカでないと行かないところ。

2、ロアタン島  ここも、アメリカからのチャーター便のダイビング客しか行かない。

要するに観光資源はあってないようなものということになる。
しかし、せっかく地元に住んでいるのに知らないのではご近所の手前示しが
つかないということで重い腰を上げて、ロアタン島に行くことになった。
(コパン旅行記はまたのちほど)

同行者は「セニョール ○×」、この人はプロジェクトの通訳で、ペルー生まれの日系三世。
趣味は“宗教”と“女”という変わった人である。
彼はペルー時代、吉永 小百合の通訳として1週間行動を共にしたことがあり、
また、日本から来る要人の通訳をペルー政府から頼まれてイヤイヤやっていた人である。
(小百合ちゃんの場合、ニコニコしてやったらしい)

で、飛行機に乗る為、テグシガルパの飛行場に行き私の目に飛び込んできたのは、
ナ、ナント!DC-3ではないか!通称ダコタと呼ばれるこの双発機は第二次世界大戦中、
輸送機として大活躍したヤツだ!
ジャックヒギンズの小説で有名ではないか!
(コイツに乗るのか)と思わず飛行機の前でVサインの記念写真を撮ってしまった。

タラップを上って機内に入って途端、「ウッ、、暑い!」
しょうがない、昔の飛行機だ。空調なんかなくて当たり前だ!と
シートに腰掛た途端、「ウッ、、狭い!!」
しょうがない、輸送機を無理矢理旅客機にしているんだから、と無理矢理自分を納得させる。

見回すと客席は30席程度である。
足に何か当たるなと思って下を見たら、後ろの人の足がシートの下から出ているではないか!
何とか体をシートにくくりつけると、
ステュワーデス(おおっ、、いるではないか!ステュワーデスがしかもキレイだ!)が、
何やら前の方で客に指示をしている。
どうやら客の背格好を見て、「オマエはココ」、「オマエは向こうに行け」と
飛行機が飛行中に傾かないように客の体重配分をしているらしい。
私達のところに来て、左右の客を見比べた。

「あなた達は前のあそこの客とチェンジよ」と言った。
(ムッ!俺達はそんなに太ってはいないぞ!)と思ったが、
変なイザコザを起こして、飛行中に上空から突き落とされたのではかなわない。
素直に従って座席を移動する。

プロペラ機のテイクオフというのはフワッとした感じであるが、何しろやかましい。
耳元で「バババババババババババババババババババババババババババババ」と
自動小銃を100丁まとめて連射されている感じだ。
隣りの「セニョール ○×」の話声が聞こえない。

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機内はものすごい湿度で汗がダラダラでる。申し訳程度に小さな扇風機が4つ廻って
いるが、何の役にもたっていない。
「セニョール ○×」が私の脇をこずいて、前を指差している。
何と、操縦席と客席を仕切るドアが壊れていてバタバタしている、

DC-3の操縦席

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ドアが開いたその瞬間・・・私はとんでもないものを見てしまった。
何と形容したらいいのだろうか!?
見てはいけないものを見てしまった?
我が目を疑う?
あってはならないことを見てしまった?
どれもその時の驚きを表現できない。

なんと・・・ビールを飲みながら運転、じゃない操縦しているのだ!!
「飲酒操縦」・・・新しい日本語だ!
しかし、使う機会はほとんどないだろう。
副操縦士と笑いながらビールを飲んでいる。

しかも、この運チャン、じゃない操縦士は途中給油で降りた、
サンペドロ・スーラのカフェでもビールを飲んでいた。
とんでもないヤツだ!
客のほとんどがこの光景をみているが、別段気にしている様子はない。
いくら、アスタ・マニャーナの御国柄とはいえこれにはぶっ飛んだ!

給油を終えたダコタはカリブ海へと入った。
下を見るとコバルト・ブルーの綺麗な海が広がっている。
前方に雨雲が見えた。(スコールの中に突っ込むな)と思った数分後、
ダコタは突っ込んだ。揺れる、のは我慢しよう。

困ったのは雨漏りすることである。室内パネルの継ぎ目からは漏れるわ、
天井からはポタポタ落ちるわで、飛行機に乗るのに洗面器が必要になるとは
夢にも思っていなかったが、そうこうしているうちにスコールを抜けた。
しばらくすると、眼下に目指すロアタン諸島が見えてきた。

以下 Part-2に続く

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2015年2月24日 (火)

ドブイタ・ノスタルジー

かつては18歳未満立入り禁止区域??だった通称「ドブ板」だが、
今では、ファッショナブルな“通り”に様変わりしてしまい、
オジサンはチョット寂しい・・・・
で、表通りを外れた裏通り歩くわけなのだが所々にまだ昭和の“面影”が残っていたりする。

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このモザイク壁画もその一つであり、あるアパートの1階エントランス部かつ階段室の壁に
施されたモザイクタイルの壁画なのである。
この空間が実にイイ!
昭和ノスタルジーならぬ“ドブイタ・ノスタルジー”を醸し出している。

最近あるテレビドラマを観ていたら主人公の一人がこのエントランスに駆け込むシーンがあった。
どうやらこのアパートにこの主人公が住んでいるという設定らしい。
で、このドラマでは汐入駅界隈やドブ板通り周辺がロケ地として設定されており、
見慣れた光景が多く登場し、しばし記憶がフラシュバックしてしまい、
遠く離れたインドネシアの地で見慣れた光景に遭遇?するとチョットウルルとなってしまう。

それにしてもレアな場所を選んだものである。
「ドブ板」をロケ地に使った作品というと古いところでは「豚と軍艦」があるなぁ・・・・
これぞまさに「The 昭和」的な映画であるのだが、当時の面影は裏通りにさえもはや残っていない・・・・

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ヤンキーボケのお姉さま達と酔っ払いヤンキー達で賑わった通りは今では観光客がそぞろ歩くこ洒落た〝Street”に様変わりしてしまった今日この頃。
オジサンは「ドブイタ・ノスタルジー」を求めて彷徨い歩くのである。

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2015年2月20日 (金)

Jim Hall & Pat Metheny Import

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Jim Hall & Pat Metheny Import 

ジムさん、そしてパットさん、二人ともワタクシの好きなJazzギタリストである。
ジムさんは若きワタクシにJazzギターを教えてくれ、パットさんはその奥深さ、無限の可能性を導いてくれた。
その二人によるギター・デュオ作品である。

夜中、照明を落とし聴き入ると宇宙空間か深海で浮遊しているような錯覚に陥る。

研ぎ澄まされた旋律とコードワークが寄り添い、絡み合い、溶け合い、響き合い、身体に絡み付いてくる。
そして、それら音楽の“波動”に身を任せているだけで極上の陶酔感を堪能できる。

Jazzにはバーボンウイスキーが定番だが、このアルバムはブランデーが良く似合う。
今宵は貴方と共に眠りに・・・・落ちよう・・・

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2015年2月18日 (水)

海軍グルメ・・・・舞鶴、呉、横須賀、佐世保のあれこれ

よこすか海軍カレー」が誕生して早16年・・・今では全国的にも認知されてきており、ワタクシも地元で開催されている
よこすかカレーフェスティバル」に度々訪れては「海軍カレー」や全国各地のカレーを賞味してきた。
で、この「よこすか海軍カレー」だが、「呉市と舞鶴市の肉じゃが戦争」からスピンアウトして出来た産物だということは
ご存じだろうか?

時は平成10年(1998年)、海上自衛隊横須賀地方総監のお別れパーティーの席上で、総監から「呉市と舞鶴市の肉じゃが戦争」の話があった。
そして、この話題から海軍の街である横須賀はカレー発信の地として地域の活性化を図ろうという、町興しムーブメントに発展していくのである。
で、この流れで市役所・商工会議所、海上自衛隊が共同で調査を開始し、
平成11年(1999年)5月20日に「カレーの街よこすか推進委員会」が発足したのである。

まぁ、元々は平成7年(1995年)に舞鶴海軍から肉じゃがが生まれたとして「舞鶴は肉じゃが発祥の地」と名乗りをあげ、
その2年後の平成9年に広島県呉市が「うちのほうが肉じゃがの本家だ」と反論したことから世紀の?「肉じゃが戦争」が勃発したのである。

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そして、双方の「肉じゃが」の違いは何か?
どうも使っている「いも」が違うらしい。
舞鶴は「男爵いも」を、そして呉は「メークイン」を使っており、
調理的には「メ-クイン」は楕円形でくぼみがほとんどなく、煮ても型崩れしにくいので「肉じゃが」に向いているらしい。

ワタクシの個人的な意見では、そもそも「肉じゃが」は東郷さんの発想から生まれたので地の利から舞鶴が本命だと思っているのだが、
まぁ、呉さんには呉さんの個人的な事情があるのだろう。

で、先日の新聞に、広島県の呉市が「呉海自カレー」で観光客を呼び込むという記事が掲載されていた。
まぁ、些細などーでもいいニュースなのだが、ワタクシの脳裏には、(ほう・・ではアノ戦争はもう解決しのか?)という思いと、
あれほど恋焦がれていた「肉じゃが」を捨てて、「カレー」に走るとは!二股をかけていた浮気男の面影を呉さんに抱いたのである。

気を取り直し浮気性の呉さんを憂いつつ、ネットを彷徨っていたらトンデモナイモノを見つけてしまった!
ナント!「呉海軍亭・肉じゃがカレー」なるモノが存在するのである!!
二股どころではない・・・多重婚だ!・・インパクトあるゴーインな合せ力技ネーミングにオジサン、頭クラクラである。
しかも「肉じゃがカレー」なる料理の正体は何なんだ?!「肉じゃが」と「カレー」の合体とはどんな料理なのだ!??
それを考えるとまた頭がクラクラしてきた。

まぁ、頭がクラクラする呉さんにはチョット退いてもらい・・・・
平成11年、「よこすか海軍カレー」とほぼ同時期に佐世保さんがオラも混ぜろと「ビーフシチューとハンバーガー発祥の地」を
引っさげて名乗りを上げたのである。

マッカーサーが厚木飛行場に降り立ち、GHQによる戦後統治が始まったのだが、本部は東京にあり、戦後最初に舗装されたのは
東京~横須賀間の道路である。
そして、ジーパンとJAZZが横須賀に上陸しこの地からアメリカ文化が浸透してゆく、と考えると横須賀に地の利?があり、
「ビーフシチューとハンバーガー発祥の地」と思うのだが、まぁ、ここは大人の器量の大きさでスマートに譲るのが紳士的なのだろう、
と思いきや「よこすか海軍カレー」の二番煎じだ!とスケベゴコロが芽生えた横須賀さんは「ヨコスカネイビーバーガー」を
世に出してしまった!そしてその勢いで乙女チックな「YOKOSUKAチェリーチーズケーキ」も最近売り出したのである。

この「ヨコスカネイビーバーガー」は、ワタクシも賞味したことがあるのだが、オジサンには栄養過多である。

A_

まぁ、海軍グルメにネービーグルメという合わせ技の「ヨコスカ3兄弟」は強力であるのだが、
是非、舞鶴さんにも、呉さんにも、そして佐世保さんにもガンバってもらいたい、と思う今日この頃の海軍グルメ与太話である。

で、今日の晩飯は何にするか? トーゼン「カレー」で決まり!(大人味なの~♪)

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2015年2月16日 (月)

ハンバランの丘陵をJalan-Jalan

先日の土曜日は、スントゥールの田園地帯を見下ろすハンバランの丘陵をJalan-Jalan。

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雨季の時期の山歩きは非常にスリッピーである。
特にこの地帯は水田やシンコン畑が多いので降雨後は泥道となり、
チョット重心を崩すと直ぐに転倒する。

シンコン、英語ではキャッサバ(Cassava)やね。
http://www.nankyokusei.com/articles/2011/09/post-78.php

ワタクシの前を歩いておられたお方は、
「滑るから気をつけて歩いて!」と注意喚起しつつ
ご自身が4回ほどスリップダウン!

トレッキングシューズのビムラムソール程度では歯が立たない。
こりゃ~チェーンスパイクが必要か?
そうだ、農作業用のスパイクピン付き長靴がいいのではないか!
などと考えていたらワタクシもスリップダウンしてしまった。

まぁ、考えてみればこちらのホームセンターにはスパイクピン付き長靴なるモノは売っていない。
つくづく日本には痒いところに手が届く“モノ”が手に入る幸せな国である。

で、程よく疲れ、“ビール指数”がMAXとなったところで、ランチへと雪崩れ込む。
ビールウマシ!
アヤム(鶏肉)ウマシ!
ミントウマシ!
イカン(魚)ウマシ!

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レストランで不思議な虫に遭遇する。
どうやらベッコウハゴロモ、あるいはアオバハゴロモの幼虫らしい。

Insecta

ベッコウハゴロモの幼虫
http://mushitori.jp/old_sansakuki/diary/0607/06070702.html
アオバハゴロモの幼虫
http://blogs.yahoo.co.jp/nekoobasantotarou/11631185.html

そして、車中爆睡で家路へと急ぐのであった・・・・

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2015年2月13日 (金)

ダコタを想う part-3 『飛べ!ダコタ』

この懐かしの“ダコタ”だが、一昨年に『飛べ!ダコタ』という映画が公開された。
ワタクシもDVDで鑑賞済みである。

Photo

映画 『飛べ!ダコタ』
http://www.nippon.com/ja/features/c01105/

終戦直後の佐渡島にイギリス空軍の“ダコタ”がエンジントラブルで緊急着陸する。
で、村人達が協力し合い、滑走路を建設し、無事に“ダコタ”を離陸させる。という実話に基づいた映画である。

監督は油谷 誠至さん、主にテレビドラマを主体にお仕事されているようで・・・シラナカッタなぁ・・
脚本、そして演出にチョット????というところもあるのだが、
まぁ、終戦直後の実話、そして美談ということで素直に鑑賞しませう。

それにしても“戦争モノ”あるいは関係する映画をニュートラルな立場で造るということは如何に難しいことなのか?
ということを改めて感じた今日この頃なのである。

まぁ、実に思い出深き“ダコタ”・・・出来る事ならもう一度乗って飛んでみたかった・・・・

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2015年2月12日 (木)

ダコタを想う part-2 『鷲は舞い降りた』

ワタクシ、若き日より冒険小説が好きでジャック・ヒギンズなどを愛読しており、
彼の代表作である『鷲は舞い降りた』に登場した“ダコタ”に憧れ続けていたのである。

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素晴らしき冒険小説なので一読をおススメします。

実はワタクシ、この“ダコタ”に乗ったことがある。
ホンジュラスに居た時に、バカンスで訪れた『ロアタン島』にこの“ダコタ”に乗って行ったのである。

で、この“ダコタ”に搭乗すると、まず客室の前方にCAのオネーチャンが仁王立ちになり、客室をひと睨みし、
全乗客の体重状態を素早く判断し、機体の荷重バランスを考慮し、乗客の移動を始めるのである。
「アナタとアナタは入れ替わって、で、アナタはそこで、アナタはこっち・・」てな具合である。

そして、この“ダコタ”だが、エアコンが完備されていない。
まぁ、当たり前の話だが、申し訳程度に上部に小型の扇風機が設置されており、カタカタと動いている。
で、スコールに突っ込むと、ポタポタと雨漏りがするのである。
そして、パイロットは○○○○○していたのである。

まぁ、この『ロアタン島旅行記』の話はいずれまたということで・・・・・

で、このDC-3(ダコタ)だが、現在ではもう飛んでなく搭乗する機会はほとんどないらしい。

DC-3の現状↓
https://ssl.alpha-prm.jp/dc3pub.com/filename32.html

                
                                     part-3に続く・・・

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2015年2月11日 (水)

ダグラス DC-3(ダコタを想う)part-1

先日、『1961年に消息絶った航空機、アンデスに残骸』というニュースがあり、
その記事の中に懐かしい言葉がありしばし感慨に耽ってしまった。

その記事の内容とは次のようなものである。

「AFP通信などによると、南米チリのテレビ局は8日、同国で1961年4月に消息を絶ったラン航空(チリ)の
 ダグラスDC-3型機の残骸がアンデス山脈で見つかったと伝えた。」

という内容で、懐かしい言葉とは“ダグラスDC-3型機”である。

写真の“ダグラスDC-3型機”はスイス航空のもの

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“ダグラスDC-3型機”は 通称ダコタと呼ばれ、第二次世界大戦でもっとも活躍した双発輸送機である。
第二次世界大戦後は民間輸送機仕様に改造され、旅客機にも流用されている。

                                                           part-2に続く・・・

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2015年2月 9日 (月)

ジャカルタの渋滞について、そして安全度は?

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ジャカルタ名物?である“渋滞”については以前にもワタクシも
ジャカルタ名物の“渋滞”は“必然”である』なる駄文を書いたのだが、
テレビの報道番組でもよく取り上げられている。
最近では『解消せよ!ジャカルタの渋滞問題』という番組もあった。

先日のジャカルタ新聞に『ジャカルタ渋滞最悪 スラバヤも4位に 78都市・地域調査』という
記事が掲載されていた。
要約すると、英のオイルメーカー「カストール(本社・ロンドン)」が世界78都市を対象に行った調査で、
オランダの車載機器「トムトム」を積んでいる車両を対象とし、
1キロあたり停発車した回数の一年間分の平均値を算出し、その渋滞度を比較している。
その結果ジャカルタが最も渋滞している都市1位になったということである。

詳しい記事はコチラから↓
http://www.jakartashimbun.com/free/detail/23008.html

ちなみに「トムトム」とは?↓ トラフィック・マニフェストなる交通案内システムのことらしい。
http://www.its-jp.org/foreign_info/5300/

まぁ、これに関しては何を今さらジロー、轟ジロー、冠ジローで、
別段驚くニュースではないのだが・・・・
英誌エコノミストがまとめた世界50都市の安全度ランキングというのがある。
で、最下位はジャカルタであった。ちなみに1位は東京である。
デジタル、衛生、インフラ、治安の各分野での安全度の高さが評価されているらしい。

記事はコチラ↓
http://blog.livedoor.jp/kaigainoomaera/archives/42551443.html

これも統計のマジック?ということで世界50都市しか調査していないので、
正確な情報とはいえないでしょうな。
しかも、ニューヨークが10位で、シカゴが16位とは・・・シンジラレナイ。
また、メキシコ・シティーが45位でジャカルタより安全とは・・・シンジラレナイなぁ。
(メキシコ・シティーではホテルを一歩出るとそこは戦場!である。
 ワタクシ悪徳靴磨きに拉致?されたり、悪徳警官に恐喝された苦い経験がある)
日本は東京と大阪だけがランクイン?これもオカシイ。
もっと安全な都市(街)が北陸地方にたくさんありまんがな・・・。
で、大阪が3位とな・・・日本では危険度ランキング上位の街が・・・・ナニカオカシイ。

どうも対象都市の選定、そして調査項目・内容を意図的に弄っている気がしてならない。
最近、ワタクシはこの手の統計というものを全く信用していないのでどーでもいい話なのだが、
ジャカルタはメインストリートを歩いている分には安全である。
危険なのは歩道橋である。歩道橋上での恐喝事件は多数報告されております。皆さん気を付けませう!

で、危険度ランキングというものもある。

世界で最も危険な都市ランキングTOP50(殺人発生率・件数)
http://blog.livedoor.jp/loveai0221/archives/41201339.html

予想を裏切らず中南米の主要都市が上位ランキングを独占しております。
まぁ・・・当然といえば当然の結果なのだが、栄えある?第1位はサンペドロスーラ(ホンジュラス)で
4位がテグシガルパ(ホンジュラス)とな!?

30年前にホンジュラスに居住しており、サンペドロスーラも行ったことがある。
カリブ海に面したリゾート地でノンビリした街だったが今では変わってしまったのか?
テグシガルパは月一で訪れていたが、危険を感じたことはなかったなぁ・・・
ここも今では変わってしまったのか?
それよりも住んでいた街で命の危険に晒されたことがあったなぁ・・・・(と、遠くを見つめる目)
まぁ、この話はいずれまた・・・・・・

何はともあれ、ジャカルタでは暑さから、そして危険を回避?するため
渋滞覚悟でクルマでの移動もやむを得ないと考える輩も多く存在するのである。
で、更に渋滞に拍車がかかっているのだろうと考える今日この頃なのである。

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2015年2月 7日 (土)

『Orillania』『bar buenos aires』カルロス・アギーレ

最近、サッカー界では日本代表監督のアギーレさんがいろいろと物議を醸しだしているようだが・・・
こちらはアルゼンチンの現代音楽家であるアギーレさんの話。

『Orillania』

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『bar buenos aires』

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横須賀に海を眺めることが出来る露天風呂がありよく利用していた。
で、入浴後のお楽しみは冷えたビールにウマイ地魚と酒である。
このまったりタイムのBGMでよく聴いていたのが「カルロス・アギーレ」である。

ヘッドフォンから流れてくる“水彩画”のようなメロディを聴きながら、
碧き海を眺め、地魚を舌で感じ、鼻孔の奥で酒を味わう。
この三位一体となった“至高”のハーモニーは享楽の極致である。
そして、隣室にあるリクライニングシートに横たわり、音楽に包まれながら
浅い眠りに落ちてゆくのである。

ある新聞の評論に次のようなくだりがある。
    
ビル・エバンスの「Waltz For Debby」を愛し、
ジョン・コルトレーンの「My Favorite Things」に衝撃を受け、
マイルス・デイビス「Kind Of Blue」に心を鎮めるような、
そのような体験の向こう側に、
まさかアルゼンチンの現代の音楽家がいるとは誰も想像できなかった。

まさに言い得て妙である。

いろいろなシチュエーションでアギーレさんの曲を聴いたが、
ワタクシの場合、やはり海を眺めがらほろ酔いで聴くのが一番心地がいいのである。

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2015年2月 6日 (金)

サンダカン八番娼館 望郷

Sandakan

この映画は1974年に公開されており2004年にDVD化された。
原作は女性史研究家・ノンフィクション作家である山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』(1972年)である。

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実はこの原作、ワタクシの本棚に40年以上前からあるのだが、何故か?未だに読んでいない。
そして映画も未鑑賞のままであった。

この映画の原作である『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』が発行された時、大きな反響を呼んだことは記憶にある。

ノン・フィクションであるこの本の最大の功績は、今まで認知されていなかった「からゆきさん」の存在を世に知らせしめ、
人々の関心をいわゆる女性哀史に傾倒させ、女性史研究という新しい分野を切り開いたことだろう。
そして、同時期には『あゝ野麦峠』という女工哀史も発行され、映画化もされている。

70年代はウーマンリブという女性解放運動が盛んになり、女性史や女性問題は社会的にも関心が高かった時代でもある。
そして、当時10代だったワタクシは舞台となったボルネオ、そしてコタキナバルやサンダカンに強い関心を持つようになったのである。

そして時代は流れ・・・・・最近、やっとこの映画(DVD)を拝見する機会が訪れたのである。

天草の食堂で女性史研究家を演ずる栗原小巻サンがバックからハイライトを取り出してタバコを吸うシーンは何故か?新鮮だ!
がしかし、演出のせいか?何故か演技がぎこちない・・・
それに引き替え若き高橋洋子や田中健の演技は新鮮で迫力があるなぁ・・・

それにしても田中絹代さんの鬼気が漂い、枯れた演技には圧倒される。
後日、監督の熊井氏いわく、
「一カットずつ凄(すさ)まじい執念をこめ、心血を注いでおサキを演じた。
極度の緊張の連続で、今にも倒れて しまうのではないか、と思うほどであった」と。
そして、この作品の3年後田中絹代さん永逝。67歳、映画としてはこれが遺作となってしまったのである。

当時、サンダンカンには一番から九番までの娼館があり、八番娼館が舞台となっている。
そこで働く彼女達は実に逞しく、そして悲しい。
「日本には帰るな」というセリフが重く、
そして映画のラストでは、密林を切り開いて辿り着いた先に荒れ果てた墓地があり、
彼女たちの墓は日本に背を向けて建っているというシーンがあった。

彼女たちは祖国日本を拒絶したので背を向けて建っているのか?
そんな思いを暗示させるのだが・・・・
あるいは、立地的な条件から必然的にそうなったのかもしれない・・・・
真偽のほどは分からないが、淡々とした心境で風吹き渡る丘の上に海に向けて墓を建てたのかもしれない・・・
そう思う方が自然なのかもしれない。

ジャカルタにも日本人墓地というか「日本人納骨堂」があるのだが、
これは点在していた「からゆきさん」の墓を集めて建立したのが始まりだという。
東南アジアに点在している日本人墓地の多くは同じような歴史を持っているのかもしれない。

南蛮貿易などで日本人の海外進出が本格化した16世紀以降、東南アジアの港町に日本人が集まって住むようになったのだが、
語られることのない悲しい歴史も多くあったのだろうとつらつらと思う今日この頃なのである。

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2015年2月 4日 (水)

カメラの記憶 「ホイアン」

ネタがない困った時は怖いもの知らずの蔵出し頼み!?ということで引っ張り出してきたのはベトナムはホイアンのスナップである。

25年ほど前か・・・所用でベトナムのダナンに3度ほど行ったことがあり、周辺の街にも良く足を延ばした。
その一つに“ホイアン”がある。ダナンの南30キロに位置し、車で40分ほどの距離。

古くから国際貿易港として繁栄してきた街であり、古い町並みは1999年に世界遺産に指定された。
実はこの街、日本人ゆかりの街でもある。
江戸幕府初期、朱印船貿易による貿易が栄え、最盛期で約1,000人の日本人が居住し日本人街を形成していたのである。
しかし、その繁栄は約30年ほどで江戸幕府の鎖国により往来が途絶えた。

で、街中にその日本人街の名残がある。
来遠橋(日本橋) - 中国風の屋根付橋だが、1593年に日本人が建設したと伝えられ、2万ドン札の裏側にも印刷されており、
現代のベトナム語ではChùa Cầu(橋寺)とも呼ばれている。
梁を支える腕木の意匠に日本を感じますなぁ・・・

25年以上前の写真なので今の街並みと微妙に違うかもしれない・・・・

ホイアン観光ガイド↓
http://www.hoian.kankoguide.info/

そうそう、最近のニュースでホイアン市が「一番気に入る観光地に選ばれる」と報道されております。

来遠橋

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2015年2月 3日 (火)

ソパ・デ・アホ

週末はバゲットとチーズ、そしてワイン&ビールでまったりとすることが多い。
当然のことながらバゲットは食べ切れず余り2日ほど放置しておくと固くなる。

で、この固くなったバゲットをどのようにして美味しく頂くか?
ワタクシの場合、“フレンチトースト” or “ソパ・デ・アホ”で頂くことが多い。
この“フレンチトースト”は確かにウマイ!のだが、なにせこのレシピでは時間がかかる。
前日より漬け込んでおく必要があり、急場の“食欲”に敏速に対応できないという悲しい欠点がある。
従って必然的に“ソパ・デ・アホ”という選択になることが多い。

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ワタクシは、基本の食材の他にベーコン+玉ねぎ(スライス)+トマト(湯むきざく切り)を必ず入れる。
まぁ、通常ならこれで十分に食欲を満たすことが出来るのだが、チト足らない場合はこれに茹でたパスタを入れて
スープパスタにするか、冷や飯+チーズを入れてリゾットにしてしまうのである。

実に簡単お手軽でウマイのだが手抜き感は否めない・・・
最近はこんな手抜き料理が多いなぁ・・・と感じる今日この頃・・・・。

また、週末は“バカ・コン・アホ”(Vaka Con Ajo)と“アロス・コン・アホ”(Arroz Con Ajo)という
メニューも食欲をそそるので良く作る。

バカだのアホだのと列挙すると何だか罵倒語、侮蔑語のように聞こえるが実はこれらはスペイン語。

バカ(Vaka)は雌牛(のステーキ)、アホ(Ajo)はニンニクを意味するスペイン語で、
つまり、バカ・コン・アホ(Vaka Con Ajo)とはガーリック味の牛肉ステーキのことで、
アロス・コン・アホ(Arroz Con Ajo)はいわゆるガーリック・ライスのことである。
で、前述の“ソパ・デ・アホ”(Sopa de ajo)はガーリックスープのことである。

ちなみに・・・・アノ!大女優で小悪魔あるいは和製ブリジット・バルドーなどと言われている「加賀まりこ」さんの
名前はスペイン語ではあまり良い意味ではない。
    まぁ・・・詳しくはこちら↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1188051936

オリーブ・オイル、ニンニク、玉ねぎ、トマト、そしてチーズなどがあれば、
なんちゃってイタリアンやスペイン料理が出来るので重宝している今日この頃なのである。

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