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2014年10月

2014年10月29日 (水)

一時帰国の記録-「国宝展」、「横浜トリエンナーレ」、「ジブリの立体建造物展」江戸東京たてもの園、「ジャージー・ボーイズ」、etc・・・

先々週から先週にかけて日本に一時帰国。
で、その記録である。

東京は上野の国立博物館で開催中の「日本国宝展」。
当たり前だが展示品は全て“国宝”である。
教科書でしか見たことのない究極のお宝がこれでもか!と鎮座している様は圧巻である。

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そして毎度お馴染みの「横浜トリエンナーレ」。
感情や記憶、そして感性をいかに形にして“表現”するか?
今回は音声ガイドを頼りにその真髄にチョットだけ近づいた気がする。

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ジブリの立体建造物展」江戸東京たてもの園へ赴く。
予てより“ジブリ”作品の背景画に興味があった。
特に小津や是枝作品に相通じる日常を描写した風景などにはココロ動かされ、思わず見入ってしまうことがある。
作品によってはストーリーなど関係なく背景画だけを鑑賞するものもある。
で、今回は背景画でも建物関係を中心に集めたものでジブリの伝統技を垣間見た気がした。

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そして江戸東京たてもの園ではやはり昭和の雰囲気が好みである。

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これは建築家の前川國男の邸宅。

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内観の図

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映画「ジャージー・ボーイズ」(Jersey Boys)

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実に手堅く、オーソドックな手法で作られており、儚いアメリカンドリームを描いていると思いきや・・・
ナンノ、ナンノ、最後はイーストウッドの魔法で目はウルル、嗚咽を噛みしめ、立って踊りだしたくなった・・・・
映画と音楽の魔法に酔い、幸せな気分になれる映画である。

鰻重・・・・

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刺身・・・・

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そして塩ラーメン・・・・ウマシ・・・

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2014年10月16日 (木)

カメラの記憶「キーウエスト」

毎度お馴染みの困った時の蔵出し頼み!
そして時間稼ぎの蔵出し頼み!

ということで今回は「キーウエスト」だす。
アメリカの最南端、そしてセブンマイル・ブリッジや「パパ・ヘミングウェイ」で有名。
このブログの冒頭を飾る写真はいずれも80年代にキーウエストで撮影したものである。

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an Art on the Road・・・

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道を尋ねるイージーライダー・・・?

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椰子の木と桃色バイシクル

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けだるい昼下がりのストリート

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この建物はたしかキューバとの航路を行き来していたフェリーの船着場のファサードだけが残ったものである、と記憶していたのだが・・・
記憶は曖昧となり忘却の彼方へと飛んでいく・・・

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アメリカの最南端
キューバまで90マイルなり・・・・

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猫で有名なパパ・ヘミングウェイの家

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そしてパパ・ヘミングウェイといえば“Sloppy Joe's Bar”である。
店内にゆかりの写真が飾られている。

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深夜?にもかからわず客足は絶えない“Sloppy Joe's Bar”
飲むのはフローズン・ダイキリか?

PS:この記事が公開される頃に日本に一時帰国しませう。

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2014年10月14日 (火)

グヌンパンチャールでJalan-Jalan

先日はジャカルタ郊外のグヌンパンチャールの山間をJalan-Jalan

最後は温泉(足湯)に浸かり至極の一時を過ごす。

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2014年10月10日 (金)

紅葉とモミジ、そしてイチョウと銀杏の関係

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先日、知人と日本料理屋で一献している時の与太話・・・・

飲んでいる酒は「上善如水」。
で、アテは「鰹の塩辛」や「辛子明太子」などなど・・・

ちびりちびりと盃を重ね、話題は最近のデジカメのセンサーの凄さから日本の秋へと移る。

「日本ではもう紅葉の季節だね」
「そうだね・・紅葉のシーズンだ・・・皆で紅葉を観に行“こうよう”・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「モミジ狩りとも言うなぁ・・・」
「ところで、モミジと紅葉は同じ意味だよ、というか漢字は同じで紅葉と書くんだ」
「エーーー!!ウソーーー!!」
「ホント!!」
「調べれれば分かる」
・・・スマホでシコシコ調べる・・・
「本当だ、紅葉と書いてモミジと読み、また“こうよう”とも読むのか・・・・」
「知らなかった・・何故なんだ!」
「分からんが明治の文豪達の言葉遊びかもしれないぁ・・・
 五月の蝿と書いてうるさいと読ますなんて当て字ゴッコが流行ったからなぁ・・・」

と、話は“紅葉とモミジ”から戦後のGHQの陰謀へと流れていくのだが・・・
ここで閑話休題。

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後で調べて分かったのだが“紅葉とモミジ”の明治文豪説は誤りで、古くは万葉集の中にそのくだりがある。
万葉集には「モミジ」に「黄葉」を当てた歌が多く見られ、黄に色づいた葉が美しいとされていたようである。
もともとは、色が「揉出(もみいづ」というところから、葉の色が変わることを「もみつ・もみづ」といっていたらしい。
で、それが「モミジ」へと変化して、秋になり木の葉が赤や黄に色づくことや色づいた葉のことを表すようになったという。

そして平安時代以降は赤く色づいた葉が美しいとされ、「紅葉」という文字が多く使われ、
この漢字を音読みしたのが「こうよう」で、「モミジ」も「こうよう」も本来は同じ意味の言葉なのである。

ここ一つの疑問が浮かび上がってくる。
「モミジとカエデは違うのか?」
一般的に多くの人々は「モミジ」から「カエデ」を連想するのではないだろうか。

まぁ、カエデは古くから日本の山地に広く分布し、秋の風景に鮮やかな赤が目立ったために
「モミジ」といえば「カエデ」のことを指すようになったようである。
広辞苑にも「モミジ」は「カエデ」の別称と定義されている。
ちなみに、「カエデ」は「カエル」に由来し、カエルの手がカエデの葉に似ているとされ、
「カエルの手→カエルデ→カエデ」となったのである。

つまり、「紅葉」(こうよう)とは落葉広葉樹の葉が秋に赤や黄色に色づくことであり、またその様を表すのであり、
たまに「黄葉」(こうよう)と表記し紅葉の中でも黄色に色づく様を強調することもある。
そして「紅葉」(モミジ)は「紅葉」(こうよう)と同意語であり、「カエデ」の別称でもあるが
今では「紅葉」(モミジ)=「カエデ」として使われていることが多いようである。

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「黄葉」(こうよう)で思い出すのが「イチョウ」である。
で、この「イチョウ」だが、その葉があひるの足に似ているということで中国では「鴨脚」(やーちゃう)と
呼ばれており、日本に伝わる際に「イチョウ」と変化したようである。

「イチョウ」の漢字表記は「銀杏」である。つまり「イチョウ」も「銀杏」も本来は同意語なのである。
歴史的には宋代(平安末期)に「銀杏」が中国から伝わったと推定され、本来、木の名でもあり、実の名でもあった。
その後、明代(室町時代)に、中国から銀杏の別名「鴨脚」(やーちゃう=イチョウ)が伝わり、
従来の表記の「銀杏の木」を「イチョウのき」と読むようになり、実のときだけ「銀杏」を「ぎんなん」と
古来の読み方で読んで、呼び分けるようになったという。

“紅葉とモミジ”も“イチョウと銀杏”も本来は同じ意味なのだが、時期が異なればその意味を変え
使い分けをするという日本人の粋な感性に驚嘆せざるをえないと感じた今日この頃なのである。

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※写真は全て秋の鎌倉で撮影したものである。

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2014年10月 3日 (金)

インドネシア、ホラー映画事情

休日は映画館で過ごすことが多い、と以前にも記事にしたのだが、
ハリウッドの話題作でさえこちらでは上映期間は一週間と短い。
が、しかし、ある作品が2館同時上映でしかも2週間以上連続して上映されたことがあった。
その映画はホラー映画である。こちらではどんな芸術性が高い作品よりもホラー映画が好まれる。

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で、その映画のタイトルは「The Conjuring」直訳すると手品とか魔法という意味になる。
まぁ、これではその“怖さ”が伝わらないと危惧した日本の配給会社は「死霊館」という邦題を付けた。
ベタである、そのあまりの直球ぶりにセンスの無さを感じるのだが、じゃぁどんなタイトルならいいの?と
ワタクシに問われてもワタクシもセンスがないのできっと「死霊館」と付けてしまうのだろうなぁ・・・
スミマセン、邦題ネタなどどーでもいい話なのである。話をホラー映画に戻す。

前にも書いたがこちらではホラー映画が人気である。普段は空席が目立つ客席がホラー映画では満席になる。
で、ホラー映画の客層のほとんどは若い女性である。日本でいうとさしずめ女子中学生や高校生といった年代で
しかも圧倒的にグループが多い。恋人同士といったカップルもいるのだが若い女性のグループが目立つ。
これは友達同士でその怖さを共有したくてグループで来ているのだろう。

映画が始まっても映画に集中しないで小声で話し合っている。
怖さや恐怖心からチョットでも逃れたい、緩和したいという心理の表れなのかもしれない。
そして“恐怖”は突然やって来る!のである。意表をつかれた彼女達は全身の力で“叫ぶ”のである。
全身で叫んだ後に何故か?笑い声がこぼれるのである。
何故?笑い声が・・・こぼれるのか?

恐怖心を打ち消したくて笑うのか?
それともその“怖さ”を共有出来た“喜び”をかみ締めて自然と笑い声がこぼれるのだろうか?
乙女心が分からないオジサンにはワケワカメの世界である。
“叫び”そして“笑う”、これはもう「お化け屋敷」や「ジェットコースター」などと同じ
“アトラクションのノリ”の感覚なのだろうか?

全身で“怖さ”を体験した彼女達は心地よい疲労感を感じつつ映画館を後にするのである。

何故?インドネシアではホラー映画が人気なのか?
調べてみると東南アジアとくにマレー半島やインドネシアにはイスラム教などの体系的宗教が伝来する以前より
土着的な精霊信仰があり古代社会では共有される世界観であったようである。
この精霊信仰が知らずにDNAにインプットされており精霊=ホラーという図式が自然と受け入れられるからなのでは?
とオジサンは思うのである。

精霊はタイ語・ラオス語ではピー、ビルマ語ではナッ、そして現代インドネシア語ではhantuとして表現され、
その精霊は人間や動物や植物と同じレベルの生きた存在であり、現実世界と重なっているものもあるという。
そして精霊にはさまざまな種類があり、人間に憑依したり、可視的な状態に変身したりすることによって
人間と交流をもつことができるとされている。
また、人間の中にも精霊と意図的に交流することが可能なものがおり、そのような人間を通じて精霊と交流し、
儀礼と供物の提供することによって、精霊の力によって招福攘災をおこなうことができるとされている。
これはいわゆるシャーマニズムですな。

で、この精霊と人間の交流の仕組みは、ヒンドゥー教や大乗仏教、上座仏教、イスラム教が到来した後も、
受け継がれているのである。
この精霊信仰は中東にはなかったのでアラブ社会ではホラー映画の人気はイマイチなのでは?と思う今日この頃なのである。

話はまた変わり、チョット違う観点からアジアのホラー映画を考察した「怪奇映画天国アジア」という本がある。

内容(「BOOK」データベースより)
なぜ幽霊は女性であり、弱者であり、犠牲者なのか?インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、カンボジアなど、
東南アジア各国の怪奇映画の歴史と現在、恐怖と身体の政治性を解き明かす、画期的な論考。

切り口が違う面白い「東南アジア文化論」なのでは?
今度拝読しませう。

そうそう「The Conjuling」のスピンオフ作品である「ANNABELLE」がハローウィンに合わせて本日より公開だとか・・・
多分観ないだろうなぁ・・・・心臓に悪そう・・・・・

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