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2014年6月

2014年6月14日 (土)

モスラ・・・モスラの歌・・・そして心の友

で・・・話は「モスラ」へと続くわけなのだが・・・・・

ゴジラは東宝により1954年(昭和29年)に公開され、モスラは1961年7月30日に公開された。
折りしもゴジラ公開の年に第五福竜丸がアメリカ軍の水素爆弾実験により被爆するという痛ましい事件が起きたのである。

「ゴジラ」はビキニ環礁海底に眠る恐竜が、水爆実験の影響で目を覚まし、日本に上陸し、、
そして「モスラ」は水爆実験のため放射能に汚染された南の島の守護神で、小美人を救うために日本に現われた。
どちらも根底にあるテーマは「水爆に対する恐怖」であり、戦争や核兵器の怖ろしさ、愚かさを訴えている。
また、たんなる怪獣映画に終わらせない普遍性を持たせておりストーリーの組み立てや登場人物の設定など実に良く脚本が練られている。
どうも最近のこの手の映画は脚本が薄っぺらい。
CGを駆使したVXF撮影は確かに見ごたえはあるが映画としての“品格”に欠けるのである。
ワタクシのココロの中では「ゴジラ」や「モスラ」は名作として残っているのだが、「GODZILLA」は残らないだろう。

当時はCGなんて小洒落た撮影技術がなかったのでミニチュアによる特殊撮影で怪獣映画などを製作していたわけなのだが、
特撮の魅力をもう一度再認識しようということで2012年に東京都現代美術館にて
館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」なる企画展があった。
これが大変スバラシカッタ・・・オジサンゴコロを魅了する思い出のミニチュアや小道具などなどがこれでもか!と展示されていた。
ああ・・懐かしの「海底軍艦」に「マイティ・ジャック」そして「ウルトラマン」よ・・・・
(これが・・あのジェットビートルか・・・)
(おお!・・オキシジェン・デストロイヤーがある!!)
ちなみに初代ゴジラはこのオキシジェン・デストロイヤーで溶けて死ぬのである。

そして会場には破壊された東京の街の巨大な特撮ジオラマがデデーンと置かれておりここだけ撮影可能。
で、ありました!お馴染みの折れ曲がった東京タワーが!
モスラの幼虫はここに繭を作ったのだなぁ・・・と遠き過去の記憶を懐かしく思い出す。

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Aaa

この企画展の目玉は「巨神兵東京に現る」という特撮短編映画だろう。
あの「風の谷のナウシカ」の巨神兵が東京に現れ、街を壊滅し火の海へと変えてしまう、
という内容の9分間の特殊撮影による映画なのである。
メイキングも同時に上映されるのだが・・いやいや皆さん楽しそうに作ってらっしゃる。
おそらくこの短編映画が最後の特撮による映画になってしまうのだろう、と思うと感慨深いものがある。
それにても日本独自の特殊撮影を確立した円谷英二さん、貴方の天才的な創造力には改めて感服いたします。

で、話はモスラへと戻るのだが・・・

「モスラ」は英語ではMothra。蛾を意味する英語のMothと母を意味する英語のMotherを掛け合わせたもので、
本来の「蛾の怪獣」という意味の他に、「母性を象徴する怪獣」としてこの名称が付けられたという。
確かにモスラは出演する映画において必ず何かしらの守護神的存在として位置付けられており、
明確に悪役として描かれたという印象はなく、
映画の中ではで小美人を救うため破壊活動をするが、人間に対する敵意や憎しみは描かれていない。

実に愛すべきキャクターではないか!
この愛すべきキャクターと「テレパシー」で以心伝心しあうのがザ・ピーナッツ演じる小美人という双子の妖精である。
で、この以心伝心しあう時に歌うのが下記の“呪文”である。

「モスラヤ モスラ
ドゥンガン カサクヤン
インドゥムゥ
ルスト ウィラードア
ハンバ ハンバムヤン
ランダ バンウンラダン
トゥンジュカンラー
カサクヤーンム」

この“呪文”といいうか“歌詞”が実はインドネシア語である、と知ったのは最近のことである。

インドネシア語ではこうなる

Mothra Ya Mothra
Dengan Kesaktian Hidupmu
Restu[i]lah Doa Hamba-Hambamu Yang Rendah
Bangu[n]lah Dan Tunju[k]kanlah Kesaktianmu

日本語訳だと、

モスラよ モスラ
あなたの命の魔力で
身分卑しき、あなたの下僕は呪文を唱えて祈ります
どうか起ちあがって あなたの魔力を見せてください

ちなみにワタクシの拙いインドネシア語力ではこの歌詞は理解不能である。
で、この呪文というか歌詞は田中友幸,本田猪四郎,関沢新一の三氏が日本語で書き,
インドネシアからの留学生によってインドネシア語に翻訳されたという。

がしかし、ごく最近この「モスラの歌」インドネシア語説は違うのでは?という記事を読んだ。
日本語の歌詞を英語、そしてエスペラント語に翻訳しそれを録音して逆回しで再生したものだという。
インドネシア語なのか?エスペラント語の逆回しなのか?
そういえばこの時代は逆回しというか逆再生は密かに流行ったことがあるなぁ・・・
特に「ビートルズ 逆再生」で検索するとイロイロと出てくる・・・
謎が謎を呼ぶ「モスラの歌」問題である。

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インドネシアではこの「モスラの歌」の認知度は低い、というかほとんどのインドネシア人は知らないだろう。
インドネシアで認知?されている日本の歌手、そして歌は五輪 真弓の「心の友」なのである。
この曲はアルバム「潮騒」に収録されているのだが、シングルカットはされていないので日本での認知度は低い。
何故?この歌がインドネシアで有名なのか?
インドネシアのラジオ関係者が日本で五輪のコンサートへ行き、その際買ったアルバムの中にこの曲が入っており、
インドネシアのラジオで流したことがきっかけで人気になったらしい。

この話はうっすらと知ってはいるが、ワタクシの周辺ではあまり話題になっていなかった。
で、ローカルスタッフに聞いてみたところ一部の中学や高校の卒業式で歌われたり、教科書にも載っていたという。
結果として全員が、聞いたことがあり知っていると言う。
そして今ではインドネシアの「第二の国歌」と言われるように多くのインドネシア人に親しまれている歌でなのである。

ワタクシの個人的な願い?はJKT48に「モスラの歌」を歌って欲しいと思うのだが・・・
チョット趣味が悪いか・・・オソマツ・・・

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2014年6月 7日 (土)

ゴジラ・・・を想う・・そしてモスラへと・・・続く・・

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数週間前に映画「GODZILLA」を観た。
まぁ、取り立ててどうのこうの言うつもりはない。
さすがに最新のVXF撮影の賜物で迫力はある!怖いくらいの迫力でゴジラが叫ぶ?と後ろの幼児も泣き叫ぶ!
こちとらヒマ潰しで観ているのでゴジラが叫ぼうが幼児が泣き叫ぼうが気にはならない、
がしかし、その叫び声同士がシンクロしており、そのシンクロぶり?があまりにも見事なので
しばし聞き入った次第。

このゴジラだがサンフランシスコに上陸し、「MUTO」なるカマキリ怪獣と死闘を繰り広げる。
最初、謙さん演じる教授が「MUTO」と言った時に、何?「武藤」さんがどうした?
とワタクシの頭の中で「武藤」さんがグルグルを駆け巡りワケワカメ状態になるも
「MUTO」がカマキリ怪獣だと分かり一件落着。

ふと思い出したのが初代「ゴジラ」は横須賀は観音崎の多々良浜に上陸したということである。
で、この上陸を記念?して多々良浜にゴジラの滑り台を作ったのである。
ワタクシの幼少時の遠足にこの多々良浜のゴジラの滑り台に行った記憶がある。
このゴジラの滑り台だが今は跡形もないが、その後久里浜は花の国にそれはそれは立派なゴジラの滑り台が完成した。

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多々良浜にあったゴジラの滑り台

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こちらは現在久里浜は花の国にあるゴジラの滑り台

ちなみに観音崎の多々良浜の最寄駅は京急の浦賀駅だが駅メロは「ゴジラのテーマ」である。
しかし、初代ゴジラが観音崎の多々良浜に上陸したという明確な証拠は存在しないのである。
分かっているのは東京湾の架空の大戸島というところで東京品川近辺らしい。
広義で観音崎は東京品川近辺に含まれるのか?大戸島は観音崎を想定した場所だったのか?
謎が謎を呼ぶゴジラ上陸地点問題である。

ゴジラの語源は「ゴリラ(Gorilla)」と「クジラ」を掛け合わせた造語であることはマニア?なら常識である。
英語名の「GODZILLA」は何か違和感を感じるのだが・・・何でだろう?
常々気にはなっていたのだが、語頭の「GOD」である。「GOD」といえば“神”である。
この命名は日本サイドの東宝が考えて付けたらしいのだが、
語頭に神を意味する「GOD」をもってくることにより神と等しき唯一無二の存在であること、
そしてその強さなどを暗示させようとした狙いがあったようだ。
で、「ガッズィーラ」と発音し、“神”に等しき存在で人類の救世主的キャラクターであってほしいという願いもあるのかもしれない

かくして「ガッズィーラ」は人類を脅かすカマキリ怪獣「MUTO」と対決するのだが、
が、しかし、この「MUTO」なるカマキリ怪獣はどうにも頂けない。
まず名前が「武藤」(さん)ではご近所の郵便局員のオジサンを連想してしまい、「ガッズィーラ」と戦う図が想像できない。
また、カマキリ如きがゴジラと闘うなんぞ100年早いわ!顔を洗って出直して来い!とココロの中で思うのである。
やはりゴジラと闘うのはモスラであり、ラドンであり、キングギドラでなければならない、とオジサンは密かに思うのである。
そうそう、モスラは神秘的でヨカッタ・・・特にザ・ピーナッツ演じる小美人という双子の妖精、そして歌う「モスラの歌」は幼ゴコロに
深く刻まれているのであった。

ということで話は「モスラ」へと続くのである・・・・・(To be continued)

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2014年6月 1日 (日)

スメル山・・・ああ試練の蟻地獄登山・・・

スルメ山に登ってきた・・・
山肌をちごってはチョイト焙り醤油を垂らし日本酒を一口煽る。
そしてまた登り出す・・・スルメ山・・実に日本酒に合いそうな山だ。
あったら嬉しいスルメ山・・・もとい、登ってきたのはスメル山である。
でもこの山は“住める山”ではない。
現役の活火山で年がら年じゅう噴火しており、1818年以降少なくとも55回の噴火が記録されている。
犠牲者も出ているという。
そして、登山基地がある一番近い村からベースキャンプ地まで片道で7時間かかる。
とても人が“住める山”ではないが、スメル山である。

この山名は須弥山(スメール山、サンスクリット語でSumeru)に由来しており、
古代インドの世界観の中で中心にそびえる山とされている。
山を崇めるという観念はバラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有されており、
スメル山も別名はマハ・メル山(偉大なるメル山を意味する)とも呼ばれている。
つまり「聖山」なのである。そしてジャワ島の最高峰であり標高は 3,676m。

この「聖山」であるスメル山に仕事仲間であるI氏と登ってきた。
玄関口であるマランまでジャカルタから約1時間半のフライト、このマラン空港だが軍隊と共有で実に簡素な造りである。
(隣に新空港を建設中で近々オープン予定か?)
直線5mほどの荷物用コンベアーの先にタクシー予約カウンターがある。
タクシーに乗り約1時間で「Pasar Tumpang」に到着し、ここで登山基地がある「RanuPani村」までのトラック、ジープを
チャーターする。市場に面するにコンビニ前に“手配師”がたむろしており車を手配してくれる。
我々はジープをチャーター(Rp.550,000也)するも“手配師”が
「お前らには医師の診断書が必要だ」とさかんに力説している。
どうやら外国人はこの診断書がないと登山許可がおりないらしい。
ということで途中でメディカルチェック(血圧、脈伯、身長、体重、血液型を自己申告)を行いRp.25,000/人を払い
診断書を受け取り一路「RanuPani村」を目指す。

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市場前にはジープが客待ち?しており向かいのコンビニ前に“手配師”がたむろしている

「RanuPani村」には10時前に到着、標高 2,100m、雲上の村である。
ここでガイド1人とポーター1人を雇う。ガイド Rp 200,000/日、ポーター Rp 150,000/日也。
テント持参、途中水場がないので水のペットボトル1.5L×8本、かなりの荷物になりポーターは必然である。

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早速登山許可をもらいに管理事務所に行くが事務所の周辺はインドネシアの若い登山者で溢れ返っていた。
(オイオイ、インドネシアでは登山はこんなに人気があるのか?)
事務所の周辺に幕営している輩もいる。あまりの混雑振りにたじろいでいるとガイドが事務所の担当者との交渉を橋渡ししてくれた。
そして、担当者から説明を受けたのだが、入山制限があり一日500人で、今日の分は既に発行済みで明日分なら発行できるという。
まぁ、事前に予約は出来たらしいのだが準備不足は否めない。

本来ならば今日中に途中のキャンプ地であるRanukubolo Lakeまで行く予定であったが仕方がない。
登山日程を一日短縮し2日分の登山(入山)許可を診断書も同時に提出し申請する。
外国人の場合、平日Rp.207,500/人・日、祝日Rp.307,500/人・日である。
最近、入山料が8倍以上に値上がりしかなりの高額である。
で、観光客の激減を心配した地元観光業者がストを決行したというニュースが最近新聞に掲載されたのだが、
激減したのは外国人だけで若者にはたいして影響はないらしい。
そういえば登山中我々以外の外国人には出会わなかったなぁ・・・

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という訳でこの日は湖畔のキャンプ場で幕営し早朝に出発と相成った次第。
このキャンプ場は直火OKなので盛大に?焚き火が出来る!
焚き木はキャンプ場の関係者と思われるオバチャンが集めてくれており自由に使える。
焚き火には哀愁をおびた“男のロマン”が漂う。
そして酒があれば完璧なシチュエーションで“男のロマン”が完成する!?(ホンマカイナ・・・)
で、密かに持参したバーボンを取り出し、ルンダンの缶詰を肴に“男のロマン”を満喫したのである。

翌朝は5時にガイド、ポーターと待ち合わせて出発するのだが、
テントと水はガイドとポーターが分かて持ち、さらに私のザックもポーターが担ぐという!
なんという実にウレシイ誤算!ありがたきシアワセ!で素直に御好意に甘えることにする。
手ぶらで登山!思えばこれは正解で自分で担いでいたらどーなっていたことやら・・・
目指すはベースキャンプ地であるKalimatiである。
なだらかな登りを歩くこと3時間で小さな峠に着く。

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そしてこの峠から目指す「聖山」スメル山を望むことが出来る。

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峠で出会った地元登山者&ポーターの皆さん(左端のお方はハダシである)

峠を降ると実に美しい高原地帯が広がっていた。
ここからRanukubolo Lakeを経てCemoroKandangまでのアプローチがこのスメル登山の一つのハイライトかもしれない。
今まで体験したことのない気持ち良い高原地帯が広がっており、どこまでも歩いていけそうな錯覚になる。
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そして、辿り着いたRanukubolo Lakeのキャンプ地も大勢の(若い)キャンパーで溢れ返っていた。

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何故?これほどまでに登山、アウトドア、キャンプが人気があるのか?
後で分かったことなのだが、映画の影響が大きく、特に若い女の子が急増したという。
映画の題名は「5cm」。2012年公開で男女5人の夢、愛と友情をスメル登山を通して描いている。
Katapenyemangatfilm5cm

同名のベストセラー小説の映画化である。
この手の青春モノの元祖は「セント・エルモス・ファイアー」やね。
日本のトレンディドラマブームの火付け役になった映画でもある。
で、私も「あの話」やら「その話」で記事を書いた。
まぁ、どーでもいい話である。

どーでもいいのだが、気づいたことがある。
それはインドネシアの山ガールはカワイイ子が多いということであり、
そして日本のオジサンにとてもやさしくしてくれるのである。
これはウレシイ、とてもウレシイ!
まぁ、これもどーでもいい話である。

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昼過ぎにはベースキャンプ地であるKalimatiに到着し、
しばし休息、深夜からの登頂に備え体を休める。
しかし、ここも大勢の天幕が張られていた。
真夏の涸沢のテント村並みの混雑振りである。

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Kalimatiからスメル山を見上げる

深夜12時に登頂開始。
水と行動食をザックに詰める
歩き出して早くも渋滞に巻き込まれる。
見上げればヘッドランプの帯が頂上まで続いている。
まるで夏の富士登山と同じである。
登山初心者も多いようでペース配分を考えずに登り途中で休んでいるらしい。
また、途中で断念して下山してくる者もいて登り降り渋滞も発生している。

最後の急登5時間、傾斜40度はきつかった。
火山灰の斜面を直登するのだが、富士山の砂走りを直登するようなもので、
足元が安定せず30cm登ろうとすると20cm摺り下がる。
登れど登れど登れない、恐怖の蟻地獄登山の始まりである。
これから比べると富士山の登山路は快適である。踏み出せば確実に登っていける。
がしかし、この登山路は違う!踏み出しても摺り下がるだけなのである。
また独立峰であるため風が強い。火山灰の粉塵が容赦なく襲って来る。
バンダナで顔を覆っていても口の中に入ってくる。
これほどの試練を強いられる登山は初めてである。
登れど登れど登れない、この苦しさ。
で、映画の題名「5cm」の意味が少し分かった気がした。

以下、山頂の図(画像提供は同行のI氏)
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これは小小小?噴火の図

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途中でご来光を眺め、頂上に着いたのは7時であった。
7時間の登りか・・・・同行のI氏は6時だという。
山頂からの展望は我々の想像を超越した光景が広がっていた。
月のクレーターの如き光景にしばし唖然とする。
記念撮影しトットと下山する。
下山は富士山の砂走りと同じ要領で降りてこれる。
2時間でベースキャンプまで降りてくる。

Dscn1177
時折カワイク小噴火を繰り返している

昼まで休息しテントを撤収し「RanuPani村」までの帰路を急ぐ。
「RanuPani村」には17時到着。
途中峠越えでI氏がダウン寸前だった、
私もザックを担いでいればここでダウンしていただろう。

車をチャーターしマランまで行きホテルを探しチェックインし、
シャワーを浴びる。
ちなみに鼻の中、耳の中は真っ黒であった。
で、待望のビールをあおりつつパスタをつまみ、
すぐにご就寝。

11時にチェックアウトし、市内の博物館風レストランで食事し、15時過ぎのフライトで
ジャカルタへと戻る。

で、反省点・注意点は
シーズン中は事前に入山許可を申請(予約)したほうが良い。
スメル登山中は火山灰の粉塵から守るためマスクが必要。
また、高価なカメラは粉塵で故障する可能性があるので防塵カメラが望ましい。
下山路は砂走りを駆け降りるのでスパッツは必要。

驚いた点
アプローチではビーチサンダル、サンダル、そして裸足で歩いている者多し。
スメル登山でも足袋タイプの靴下とスポーツサンダルで登っている者多少あり。

嬉しかった点
外国人の登山者は少ないらしい、特に日本人のオジサンは特に珍しいらしく、
数え切れない若者から声を掛けられ、また写真撮影を求められたことである。
多くの若者のカメラの中にワタクシが写っておりネットでその醜態を晒す日も近いかもしれない。

意外だった点
インドネシアの“山ガール”はカワイイ子が多いということ
また、スメル山登山者は圧倒的に若者が多く、オジサンはワタクシだけだったこと。

で、今日の一句・・・

若くない ポーター雇って 登山かな、
    もとい・・・
アリ地獄 試練の登山 スメル山、
    
    おそまつ・・・・

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