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2013年9月

2013年9月30日 (月)

灼熱の魂

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私の今までの映画人生でこれは絶対に観ようと気負って観た映画よりは何気に(借りて)観た映画の方が当たりが多い。
まぁ、数打ちゃ当たるの当然の理論ではあるのだが、ドツボに嵌りそれが強烈な分記憶に残っているのだろう。

思えば昔何気にレンタルビデオ店から借りた「ショーシャンクの空に」からそれは始まった。
そして「セント・オブ・ウーマン」、「ドッグヴィル」、「シュリ」、「ロレンツォのオイル」、「情婦」、「歩いても歩いても」、
最近では「SAFE HEVEN」などなど・・・ で、先日観てグサリ!とやられたのがこの「灼熱の魂」である。

1970年代のレバノン内戦が舞台でキリスト教徒とイスラム教徒が殺しあうのだが、
まず、平和ボケした我々日本人にはこの宗教対立で殺しあうという事実が頭では理解出来ても、
「皮膚感覚」では絶対に解らないと私は思う。

キリスト教徒はかの昔から十字軍に始まり、異端、魔女裁判と血を流し邪魔者を排除してきた。
イスラム教徒ももとは気性の荒いベドウィン遊牧民から生まれている。イスラムの禁欲主義・勇敢さ・連帯意識などの価値は
ベドウィンによって培われた。そしてムハンマドは武力をもってイスラム教を広めていった事実がある。
互いに血の気の多い狩猟民族同士なので衝突は殺し合いを意味する。そして先祖代々から殺しあってきた歴史がある。
憎悪が遺伝子に刷り込まれている。しかし、普段は互いに意識せずに普通に生活しているのだが、
何かの拍子にこの憎悪のスイッチが入るのだろう。

最初は些細な諍いから始まるのかもしれないがその裏には宗教や文明、人種の違い、貧富の格差や欧米の思惑や利害関係などが存在してる。
そして些細な諍いがこれらの要因に誘発されて遺伝子の中の“憎悪”が爆発するのである。

以前、レバノンやシリアやイラクの若者達と知り合う機会があったのだが、彼らの会話を聞いていると何やら違和感を感じるのである。
まず、兵器についての知識が半端でない。各種機関銃などのスペックを完全に把握している。軍事オタクも真っ青である。
イヤイヤ、彼らは軍事オタクではない。彼らは実際にそれらの兵器を使用、あるいは所有しているのである。
そしてどの機関銃が一番火力があるか討論しているのである。

その会話を聞いていて私は確信した。彼らには話し合いによる和睦はありえない。
力で相手を捻じ伏せ、反抗する者は排除してゆくだけなのだと・・・・
そして彼らとは生涯分かり合うことはないのだろと思った。

つくづく日本人でよかったと思う。島国で農耕民族で八百万の神を崇め、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」が
身体に刷り込まれており、争うごとを避ける習性が自然と身についている。
で、話は戻りこの「灼熱の魂」である。
故に、私にはこの映画が頭では理解出来ても、「皮膚感覚」では絶対に分からないのである。

ホント・・つくづく日本人でよかったと思う平和ボケした私はグサリ!と思考回路を切断されて正気を失い、
この映画を語ることは出来ない。真実とはいかに恐ろしきものなり、我正気を失いに至る・・・
人間の業の深さとはいかに恐ろしきものなり・・・・
しかし、キリストがもしこの映画を観たなら何と言うのだろうか?
やはり「汝の敵を愛せよ」と言うのだろうか?
言うのだろうなぁ・・きっと・・・

そして・・やっぱり、日本人でよかったとしみじみ思うのである。

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2013年9月22日 (日)

「アザーン」とスピーカー

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イスラム圏にお住いの方、あるいは旅行したことがある方ならご存知のアノ!「アザーン」。
1日5回、モスクから聞こえてくる高らかな声、アザーン。ある時は、美しく、朗々と、
またある時はうるさいなぁ、と感じるアノ「アザーン」なのだが、
やはりというか、とうとうというか“やってしまった”お方がいる。
ナント!モスクから流れるイスラム教の聖典コーランを読誦する音がうるさいと、
スピーカーのケーブルを引き抜いてしまった輩がいたのである。
で、この輩だが米国籍の男性で「神に対する冒とく」の容疑で逮捕されてしまった。

詳しくこちら↓
http://blog.livedoor.jp/chinnews/archives/1307781.html

まぁ、気持ちはわからんでもない。
ワタクシも以前ジャカルタのあるホテルに長期逗留していたことがあるのだが、
何の嫌がらせかご近所のモスクのスピーカーがホテルの方に向けられており、
しかも正確にワタクシの部屋の方向にセットされていたのである。

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ドバイのクリーク越しにモスクを望む

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ドバイ、スークからミナレットを見上げる

で、毎朝このスピーカーから流れ出る大音量のダミ声で起こされるのである。
まぁ、目覚まし時計をセットする手間が省けていいのでは?とお考えのそこのアナタ!
それは違います!イスラム教ほど月の満ち欠けや、日の出・日の入りに敏感な宗教はなく、
アザーンの流れる時間はこの日の出の時刻と連動しているので日々変化しており
とても正確な目覚まし時計とは言えないのである。

そうそう、このニュースには誤りがある。
「モスクから流れるイスラム教の聖典コーランを読誦する音」とあるがこれは間違い。
アザーンは礼拝時間が来たことを告げ、礼拝を促す呼びかけなのである。
ちなみにかんなカンジである。

ハイヤー アッラサラー(礼拝をしよう)
ハイヤー アッラサラー(礼拝をしよう)

アッサラート ハイルン ミナン ナウム(礼拝は睡眠よりまさる)
アッサラート ハイルン ミナン ナウム(礼拝は睡眠よりまさる)

アッラーフ アクバル アッラーフ アクバル(アッラーは偉大なり アッラーは偉大なり)

ラー イラーハ イッラッラー(アッラーの他に神はない)

と、まぁこんなカンジで続いていく。

で、この中に(礼拝は睡眠よりまさる)という一節があるのだが、低血圧のお方にとっては
ツライ響きに聞こえるかもしれない。
そして、宗教と血圧、あるいは信仰と血圧には関連性があり、礼拝を行う人は血圧が下がるという
統計結果があるそうな・・・ホンマカイナ。
まぁ、礼拝で興奮状態に陥る人はそんなにいないだろう、ほとんどの人がリラックス、あるいはレイドバック?し
精神が落ち着くので血圧は下がるだろういうことは容易に推測はできる。
そしてその論法で高血圧の人達に宗教を勧誘している人もいるという。
それなら睡眠を続行してやすらかにリラックスし血圧を低く維持したほうが良いのでは・・
とワタクシは思うのだが・・・・・まぁ、どうでもいい話である。

このアザーンだが、スンニー派とシーア派でアザーンの内容が多少変わるという。、
ちなみに上記の例はスンニー派のアザーンである。
アザーンの呼びかけをする人はアッズィンといい、すばらしい美声で朗々と歌い上げるように朗読する人や
すごいダミ声で息も絶え絶えに行う人など千差万別である。
で、モスク密集地帯ともなるとこのアザーンが四方八方から聴こえてきて協演するのだが、
アンサンブルはよくない。

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エジプトのストリート越しにモスクを望む

で、このアザーンの音量だが、イスラエル占領地の西岸ではある一定の音量にすることで合意したらしい。
これはアザーンの音量が大きいとの入植者からの抗議に応じて、イスラエル当局とパレスチナ政府とが
協議のうえ合意したもので、具体的な音響の程度とかについては、それぞれの場所の条件に
応じて現実的に決められ、また金曜礼拝呼びかけのアザーンは町で一つのモスクに限定するという
条件付きでもあるという。
ヤヤコシイ地域でのヤヤコシイ問題でもある。

このアザーンを流すスピーカーだが設置する場所はミナレットという塔なのだが、どの方向に向けるかについては
正しい基準はないらしい。どうやら気分次第で決めるらしいのだが、モスク周辺住民たちはどの方向に向けるかで
密かに争っており、そんな住民感情が渦巻くモスク密集地帯に豪華な高層アパートが建設されようものなら、
各モスクのスピーカーが一斉にそのアパートに向けられたという・・・話もある。
ワタクシが泊まったホテルも以前近隣住民と一悶着あったのかもしれない・・・・・・
(手持ちの写真などを見ると4方向に取り付けられているものが多い)

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ミナレットに取り付けられたスピーカー

もし近所にモスクがなかったらどうするか?
現代では電子式プレーヤー付のアザーン時計がイスラム社会で広く販売されているのである。
緯度と経度から正確な日の出や日没の時間を計算したりキブラの方角を示す機能もあり、
いつでもどこでも正確な「アザーン」が聞けますので安心してください。
一般的にモスクを意匠としたデザインをしていることが多い。
廉価版のアザーン目覚まし時計はイスラム圏での良い土産でもあります。

そしてこちらで↓各地の「アザーン」を聞くことができます。
http://matt-y.sakura.ne.jp/sound/azhan.html

このアザーンを流すスピーカーだがインドネシアでは「トーア」というらしい。
どうやらインドネシアでアザーンを流すスピーカーの多くを「TOA」という日本企業が作っており、多くのインドネシア人は、
このホーンスピーカーのTOAをローマ字読みして「トーア」と呼んでいるとか・・・・
ちなみにバイクのことは「ホンダ」と呼ばれており、日本企業の底力を感じる。
これ↓
http://www.asahi.com/international/articles/TKY201307110487.html

今は「アザーン」しか放送?していないスピーカーだが今後は津波警報などの防災情報にも活用していく計画だという。
これは素晴らしい。

そして冒頭のスピーカーコードを引っこ抜いた輩なのだが、名はルーク・グレゴリー・ロイド(Luke Gregory Lloyd)さん、
といいインドネシアの法律では、「神に対する冒とく罪」で有罪になれば禁固5年が科される可能性もあるということだが、
残念ながらその後の消息は伝わって来ていない。

何はともあれ朝に「アザーン」を聞かないことには起きた気にならない今日この頃なのである。

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2013年9月11日 (水)

カメラの記憶「1986年 冬のニューヨーク」

今日はSeptember eleventh、9月11日である。 
2001年のその日、私は北九州は小倉の紫川の辺にある中華レストランで
同僚の誕生日を祝っていた。

そして翌朝のニュースでニューヨークの惨事を知ったのである。
そのニューヨークに私はいた。
時は1986年。

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曇天の空を飛ぶ渡り鳥
そしてワールドトレードセンタービル。

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そのワールドトレードセンタービルから
ブルックリン橋を望む

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そしてガバナーズアイランドとリバティーアイランドを望む

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街角スナップ
ニューヨークの冬は寒い

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2013年9月 8日 (日)

我が音楽の記憶“American Pie"

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先日、モールの中をウォークマンを聞きながら買い物をしていたらまた記憶のスイッチが入ってしまった。
記憶の琴線に触れたのはドン・マクリーンの“American Pie"である。
そして脳裏に浮かんだのは「ジェンカ」で踊っている光景であった。

その「ジェンカ」を踊っていた場所はマイアミ大学の中にあるクラブ“Rathskeller”「ラスケラー」である。
時は1980年代の中頃、私はマイアミ大学の学生であった。
「ラスケラー」はカフェテリアとプールサイドの間を通りその突き当りに建っていた円形の建物である。
入口で学生証で年齢を確認して入れるクラブで夜はビールが提供されていた。
(ちなみにRathskellerとはドイツ圏における地下食堂・ビアホールのことらしい)

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オレンジボウルのオープニング

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チアリーダーのオネーサマ方

オレンジボウルでフットボウルの試合があった晩はここで祝勝会が行われていた。
ハリケーンズは地元オレンジボウルではほぼ無敗だったので祝勝会なのである。負けた記憶がない。
そしてラスケラーのそして祝勝会のラストソングが“American Pie"だったのである。
この曲が流れだすと1階の中央フロアに皆が集まりだし、曲に合わせて「ジェンカ」を踊るのである。
「ジェンカ」とは有名なフィンランドのフォークダンスで、日本では坂本 九の「レット・キス (ジェンカ)」
が有名であり、列になって足を上げたり前後にジャンプして踊る例のアレである。

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ある日の夜のラスケラー内部の図
テーブルや椅子は片付けられてディスコと化している

で、ワシラはその光景を2階のテーブル席からゲームをやりつつ冷ややかな目で見降ろしていたのだが、
ある日、気が付いたらその列に加わって踊っていたことがある。
何故ラストソングが“American Pie"だったのか?
そして何故“American Pie"に合わせて「ジェンカ」を踊るようになったのか?
今では知るすべがないのだが、当時の風潮そして学生気質に合っていたのかもしれない。

この“American Pie"だが歌詞が非常に謎めいている。
マルクスだの神だのそして核シェルターだのの言葉が韻を踏んで散りばめられている。
そしてリフで繰り返される
“The day the music died” 「音楽が死んだあの日に」
これはロックンロールの若きスターであるバディー・ホリーが飛行機事故で死んだことを意味しており、
これ以降この飛行機事故の日を指す代名詞となっている。

このバディー・ホリーだが、私はリアルタイムでは知らない。
知ったのは大瀧詠一の「ナイアガラ・ムーン」のライナーノーツからで、
アルバムの中に「シャックリママさん」という曲があり、
これがシャックリ唱法の生みの親「バディー・ホリー」に捧げた曲だと書かれていた。
で、このアルバムがきっかけでワタクシも楽しきアメリカンポップスの世界へと導かれてゆくのだが・・
話は戻り、“American Pie"である。

実はワタクシこの“American Pie"をライブで聴いたことがある。
場所はボカラトン郊外の公園で当時のアメリカンフォーク・ミュージック界の大御所が出演していた。
まぁ、フォーク・ミュージック界の大御所とはいえ当時のアメリカではフォーク・ミュージックは下火で
「Wham!」や「Madonna」などが全盛の時代である。
チケット代が5ドルとか10ドルでオーディエンスもまばらでワシラは芝生に寝転んで聴いていた。
そういえば「ポール・バターフィールド」や「ジョーン・バエズ」も出ていた・・・・
ドン・マクリーンさんは背が低かったなぁ・・・・

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ドン・マクリーンさん

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反戦の女王「ジョーン・バエズ」

当時は無料、もしくは10ドル程度のチケット代で10代の頃の夢の人と出会えた。
マイアミ動物園内で行われたコンサートは動物園の入場料を払えばよかった。
出演は「ラムゼイ・ルイス」に「レオン・ラッセル」 「ジョニーウインター」などなど・・・
しかし、動物園で「レオン・ラッセル」 「ジョニーウインター」とは渋い。
ある日、移動遊園地の仮設テントの中から聴こえてきたのはブラスロックの大御所「BS&T」のスピニング・ホイールだった。
ココナッツ・グローブの公園ではジャズ・フェスティバルがあり、「ハービー・ハンコック」や「ディジー・ガレスビー」が目の前で演奏していた。

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ハービー・ハンコック

そして

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ディジー・ガレスビー

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で、オーディエンスといえばすっかり寛いでいる

週末にはどこかで無料のコンサートが必ずあった。
これを「T・G・I・F」でチェックして出かけるのである。
「T・G・I・F」とは「Thank God, It's Friday」の略で、新聞の週末版に付く週末情報誌のことで
日本でいうと「ぴあ」の週末版である。
そしてビールを飲みつつほろ酔いで音楽と戯れるのである。
(この新聞とはWEST PALM BEACH POSTのことである)

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ある日曜日に行われたブルーグラスのコンサート

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ある街のある日曜日の路上ライブ

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踊る子供達

そして話はまた“American Pie"に戻るのだが、
この曲がヒットしたのは1972年である。
この年は他には
アメリカ「名前のない馬」
エルトン・ジョン「クロコダイル・ロック」
カーペンターズ「トップ・オブ・ザ・ワールド」
ギルバート・オサリヴァン「アローン・アゲイン」
シカゴ「サタデイ・イン・ザ・パーク」
スリー・ドッグ・ナイト「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」
ディープ・パープル「ハイウェイ・スター」
ミッシェル・ポルナレフ「愛の休日」
レオン・ラッセル「タイト・ロープ」
などがヒットし、
そして日本ではとぴんからトリオ、小柳ルミ子、ビリーバンバ、よしだたくろう、天地真理などが活躍していた。
古き良き音楽に満ちていた時代である。
そして時が流れマイアミで“American Pie”をBGMに「ジェンカ」を踊る。
また時が流れてそんな記憶がインドネシアで蘇る。

“American Pie”は古き良き時代の音楽を思い出せてくれる“スイッチ”なのかもしれない。

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