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2013年9月 8日 (日)

我が音楽の記憶“American Pie"

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先日、モールの中をウォークマンを聞きながら買い物をしていたらまた記憶のスイッチが入ってしまった。
記憶の琴線に触れたのはドン・マクリーンの“American Pie"である。
そして脳裏に浮かんだのは「ジェンカ」で踊っている光景であった。

その「ジェンカ」を踊っていた場所はマイアミ大学の中にあるクラブ“Rathskeller”「ラスケラー」である。
時は1980年代の中頃、私はマイアミ大学の学生であった。
「ラスケラー」はカフェテリアとプールサイドの間を通りその突き当りに建っていた円形の建物である。
入口で学生証で年齢を確認して入れるクラブで夜はビールが提供されていた。
(ちなみにRathskellerとはドイツ圏における地下食堂・ビアホールのことらしい)

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オレンジボウルのオープニング

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チアリーダーのオネーサマ方

オレンジボウルでフットボウルの試合があった晩はここで祝勝会が行われていた。
ハリケーンズは地元オレンジボウルではほぼ無敗だったので祝勝会なのである。負けた記憶がない。
そしてラスケラーのそして祝勝会のラストソングが“American Pie"だったのである。
この曲が流れだすと1階の中央フロアに皆が集まりだし、曲に合わせて「ジェンカ」を踊るのである。
「ジェンカ」とは有名なフィンランドのフォークダンスで、日本では坂本 九の「レット・キス (ジェンカ)」
が有名であり、列になって足を上げたり前後にジャンプして踊る例のアレである。

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ある日の夜のラスケラー内部の図
テーブルや椅子は片付けられてディスコと化している

で、ワシラはその光景を2階のテーブル席からゲームをやりつつ冷ややかな目で見降ろしていたのだが、
ある日、気が付いたらその列に加わって踊っていたことがある。
何故ラストソングが“American Pie"だったのか?
そして何故“American Pie"に合わせて「ジェンカ」を踊るようになったのか?
今では知るすべがないのだが、当時の風潮そして学生気質に合っていたのかもしれない。

この“American Pie"だが歌詞が非常に謎めいている。
マルクスだの神だのそして核シェルターだのの言葉が韻を踏んで散りばめられている。
そしてリフで繰り返される
“The day the music died” 「音楽が死んだあの日に」
これはロックンロールの若きスターであるバディー・ホリーが飛行機事故で死んだことを意味しており、
これ以降この飛行機事故の日を指す代名詞となっている。

このバディー・ホリーだが、私はリアルタイムでは知らない。
知ったのは大瀧詠一の「ナイアガラ・ムーン」のライナーノーツからで、
アルバムの中に「シャックリママさん」という曲があり、
これがシャックリ唱法の生みの親「バディー・ホリー」に捧げた曲だと書かれていた。
で、このアルバムがきっかけでワタクシも楽しきアメリカンポップスの世界へと導かれてゆくのだが・・
話は戻り、“American Pie"である。

実はワタクシこの“American Pie"をライブで聴いたことがある。
場所はボカラトン郊外の公園で当時のアメリカンフォーク・ミュージック界の大御所が出演していた。
まぁ、フォーク・ミュージック界の大御所とはいえ当時のアメリカではフォーク・ミュージックは下火で
「Wham!」や「Madonna」などが全盛の時代である。
チケット代が5ドルとか10ドルでオーディエンスもまばらでワシラは芝生に寝転んで聴いていた。
そういえば「ポール・バターフィールド」や「ジョーン・バエズ」も出ていた・・・・
ドン・マクリーンさんは背が低かったなぁ・・・・

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ドン・マクリーンさん

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反戦の女王「ジョーン・バエズ」

当時は無料、もしくは10ドル程度のチケット代で10代の頃の夢の人と出会えた。
マイアミ動物園内で行われたコンサートは動物園の入場料を払えばよかった。
出演は「ラムゼイ・ルイス」に「レオン・ラッセル」 「ジョニーウインター」などなど・・・
しかし、動物園で「レオン・ラッセル」 「ジョニーウインター」とは渋い。
ある日、移動遊園地の仮設テントの中から聴こえてきたのはブラスロックの大御所「BS&T」のスピニング・ホイールだった。
ココナッツ・グローブの公園ではジャズ・フェスティバルがあり、「ハービー・ハンコック」や「ディジー・ガレスビー」が目の前で演奏していた。

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ハービー・ハンコック

そして

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ディジー・ガレスビー

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で、オーディエンスといえばすっかり寛いでいる

週末にはどこかで無料のコンサートが必ずあった。
これを「T・G・I・F」でチェックして出かけるのである。
「T・G・I・F」とは「Thank God, It's Friday」の略で、新聞の週末版に付く週末情報誌のことで
日本でいうと「ぴあ」の週末版である。
そしてビールを飲みつつほろ酔いで音楽と戯れるのである。
(この新聞とはWEST PALM BEACH POSTのことである)

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ある日曜日に行われたブルーグラスのコンサート

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ある街のある日曜日の路上ライブ

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踊る子供達

そして話はまた“American Pie"に戻るのだが、
この曲がヒットしたのは1972年である。
この年は他には
アメリカ「名前のない馬」
エルトン・ジョン「クロコダイル・ロック」
カーペンターズ「トップ・オブ・ザ・ワールド」
ギルバート・オサリヴァン「アローン・アゲイン」
シカゴ「サタデイ・イン・ザ・パーク」
スリー・ドッグ・ナイト「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」
ディープ・パープル「ハイウェイ・スター」
ミッシェル・ポルナレフ「愛の休日」
レオン・ラッセル「タイト・ロープ」
などがヒットし、
そして日本ではとぴんからトリオ、小柳ルミ子、ビリーバンバ、よしだたくろう、天地真理などが活躍していた。
古き良き音楽に満ちていた時代である。
そして時が流れマイアミで“American Pie”をBGMに「ジェンカ」を踊る。
また時が流れてそんな記憶がインドネシアで蘇る。

“American Pie”は古き良き時代の音楽を思い出せてくれる“スイッチ”なのかもしれない。

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