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2011年10月

2011年10月26日 (水)

カメラの記憶-NINJA、そしてジャデ・ネルソン

以前、銀塩フィルムをデジタル化し、過去の写真を整理したことがある。
で、蘇る懐かしの影像や光景を記憶の残像に重ね合わせ暫し記憶の狭間を彷徨うことが
ある。
そして忘れていた記憶が何かの弾みでスイッチが入り蘇ることがある。
先日、ハードディスクにストックしていた映画を観ていたらこのスイッチが入った。

映画は「セント・エルモスファイヤー」で、脳裏に浮かび上がった光景はフロリダにあ
る小さなジャパニーズ・レストランである。

以前このプログでこの「セント・エルモスファイヤー」を紹介した時にに一人の俳優の
不祥事について触れたことがある。
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_ff3b.html

今回はその事件の顛末記である。
(昔、あるメルマガに投稿した原文そのままである。ただし名前は伏せている)

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「ネルソンは爆弾で弾けディスコで散った」

マイアミ大学を卒業した私は在学中に知り合った「0さん」の手伝いをするように
なっていた。
手伝いとは「ジャパニーズ・レストラン」をオープンさせることで、実際、ロケーションの
リサーチから、内装設計、施工、メニューデザイン、BGMまで私がやった。
で、、、いろいろあってクリスマスイブに開店したが、行列が出来るほどの人気で裏方が
間に合わなくなってしまったので、しばらく手伝いで天ぷらやすき焼きを厨房で作っていた
ある日の出来事である。

店の名前は「忍者」今から思えば安直なネーミングだと思うが、一般的アメリカ人には
インパクトがあって覚えやすい名前だ。もっともブルース・リーと忍者は同一人物だと
ほとんどのアメリカ人は当時思っていたらしいが、、、。
そんな訳だから、ここへ来る多くのアメリカ人は寿司を始めて食べる人間も多い。
ゲタの上の寿司をナイフをフォークで食べようとする者さえいる。
ネタとシャリが完全に分離してしまってもう、、ボロボロ!ゲタもボロボロ!
見ちゃいられない!
(テメエラ!!手で食え!!)と心で叫んで、やさしくはしの使い方を教える。

ロケーションは最高でインターステート・ハイウェイ95(I95)に面してマイアミから北へ
2時間ほどいった、ジュピターという街で、周辺は金持ちの別荘地帯だ。
しかも、大リーグのキャンプ地も近く、PGAのヘッド・クォーターもあり、また、南フロリダ
に一軒しかないミュージカル・シアターもあり、いろいろな有名人が来店した。
例えば、ジャックニクラウスや岡本綾子、エクスポウズの選手やカラテキッドのパット森田
などなど。

で、、、ある日の出来事である。
近くにあるミュージカル・シアターは「バート・レイノルズ・シアター」といい、名前の通り、
バート・レイノルズが経営している。ある日打ち上げと称し若手俳優達がやってきた。
初めは寿司だ天ぷらだすき焼きだと食っていたが、、、営業時間が終わってもまだ出て行く
気配がない。そのうち、「オーッ!!」とか「ゴー!ゴー!」とやたら歓声が聞こえる。
Oさんが顔を出してきて、「takeちゃん、あの中の一人はジャデ・ネルソンだよ!」
なに!ジャデ・ネルソン!だと、前の年に「セントエルモスファイアー」という映画が
公開されたが、主役の一人だ。他にデミ・ムーア、エミリオ・エステヴェス 、ロブ・ロウ
などが出演している。
(要するに男女7人の青春もの、その後日本で男女7人夏物語なるTVが放送された)

「あいつは頭がいい。有望だ!若手ではめずらしい!」とOさんは酒も入り、いい調子に
なっている。どうやら日米教育問題について話し合ったらしい。(こんな時にヤヤコシイ話を、)
「で、takeちゃん、うちの従業員と一気飲み比べをやろうと言い出して、やったが皆ダウンだ!」
どうやら、Oさん、オカミさん、H、Mちゃんまでダウンしたらしい。

「takeちゃん、付き合って!!」そこまで頼まれちゃしょうがない!!
日本男子の意地を見せてやる!ネルソンだかニクソンだか知らんが、このオレに酒で
勝負しようとは十年早いわ!ベラボウメ!、と店に入るとジャデはかわいいネーチャンを
両脇において、赤ら顔で「次は君か?」と言った。「そうだが、何を飲む?」
「バクダンでいこう!」バクダンとはビールジョッキに日本酒を入れたオチョコをそのまま
落として飲むというヤツで、まさしくネーミングどおりバクダンである。

「オカミさん、バクダン2つちょうだい!」
目の前のバクダンを私は一気に飲み干した。ジャデも飲み干した。
私はちょっと聞いてみた。「デミ・ムーアがジャンキーだったのは本当なの?」
「そうらしいが、撮影には影響はなかったよ」2杯目のバクダンを飲み干すジャデ。
見回すと他の人達が心配そうに見ている。「大丈夫?」「まだまだ!」
3杯目でジャデは「君の勝ちだ!」と言って立ちあがったが、もうヘベレケである。
まともに歩けない状態である。他の3人が支えて出ていった。
「あれじゃ、、たんなく酔っ払いじゃない」とオカミさんが呟いた。

翌日、仕込みをしているとポリスが2人やってきて「昨日の遅く4人組みが来て
たろう。詳しく当時の状況を説明してくれないか?」と言った。
Oさんやオカミさんが昨日のことを詳しく説明している。
「何があったの?」私はOさんに聞いた。
「あの後、彼らはこの先にディスコがあるだろう、そこのドアーボーイを殴ったらしいんだ」
「誰が殴ったの?」「ジャデらしい」

あまりにも泥酔していたので、ドアボーイに入場を断られて、頭にきて殴ってしまったらしい。
ドアボーイのケガはひどくはなさそうだが、一応有名人だから調査しているらしい。
で、、その後「West Parm Beach Post」の記者がきて、我々全員のインタビューをした。
翌日、「West Parm Beach Post」の第一面に「ジャデ、ドアボーイに暴行」とデカデカと
載っているではないか。記事を読むと、ジャデの俳優人生は終わった!とかジャパニーズ・
レストランでの無謀な飲食とか書いてある。我々のインタビュー記事は小さく載っているだけで
有名人であるジャデ・ネルソンの行動を痛烈に批判している。

ア~、、、あの時飲み比べなんかしなければこんな事にはならなかったかもしれないなあ、、。
と反省するが、個人の責任は個人でとるアメリカだ。しょうがないかもしれない。
しかし、訳の分らないヒゲ面の東洋人に負けたショックからその腹いせに殴ったとも
考えられるが、真実はナゾである。今度、会ったら丁重にお詫びをするつもりだが、、
その後、ジャデ・ネルソンの名前は私の知っている限り消えてしまっている。

                                           合掌
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001036

当時の「NINJA」の外観

001025

で、これが「内観」
この「NINJA」だが今はもうない・・・・・

まぁ、その後は幾つかの作品に出ているのだが鳴かず飛ばずの俳優人生のようである。

ジャド・ネルソンと発音するらしいが、私の記憶の中ではジャデ・ネルソンである。

そしてネットで調べたら下記のような小さな記事を見つけた。
He occasionally misbehaved. In 1987 he was fined $300 for disorderly intoxicat
ion at a West Palm Beach, Fla., lounge.
(彼は時折無作法なことをしました。 1987年に、彼はウェスト・パームビーチ、フロ
リダのラウンジで無秩序な酔いのために300ドルの罰金を科されました。)

そうか、1987年の出来事で、たった300ドルの罰金だったのか・・・
24年前はワタクシもジャデも若かった・・・・・

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