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2010年7月

2010年7月 9日 (金)

天空とイスラム教、そして「預言者昇天祭」

   Photo

七夕から天空に思いを馳せている今日この頃。
で、フト思うのは天空(宇宙)でイスラム教徒の宇宙飛行士はどのように振舞うのか?
ということである。
つまり、宇宙飛行士がイスラム教徒の場合、宇宙船の中でお祈りを行う場合、
高速で地球を一周するため、正確なメッカの方位を判断するのは難しいのでは?
また、イスラム教ではメッカの方角に向かって一日に5回お祈りをする必要があるが、
宇宙船は1日に地球を16周する。
地上では1日5回の礼拝が、宇宙では計算上80回が必要になるという。
これはどうするか?
そして、ラマダンの時はどうするのか?などなどの疑問がフツフツと脳裏をかすめる。

2007年10月にマレーシアの宇宙飛行士が国際宇宙ステーションに乗り込む時に
この問題に直面したのである
で、マレーシア政府の特別協議会がイスラム教徒の宇宙活動に関する見解を纏めた
18ページの宇宙空間用礼拝ガイドラインを発表したのである。
まぁ、、間単に言えば宇宙でのイスラム法の緩和である。

要約は・・・・
礼拝の方角は宇宙飛行士の判断に委ねられる。
礼拝中に跪くことは、無重力によって困難である場合は強制されない。
断食は、困難ならば宇宙飛行からの帰還以降に延期を認める。実施可能な場合は、
打ち上げ基地であるバイコヌール宇宙基地の標準時を基準とする。
宇宙食に関しては、イスラム法に準拠しているか宇宙飛行士の判断に基づき摂取して構わない
と、いうものである。

1日に80回もお祈りもしていたら寝る時間もないと思うのはシロートの浅はかさ?である。
実はイスラム教では1日に50回のお祈りを預言者ムハンマドは神(アッラー)から
啓示されていたのである。で、いくら何でもそれは多すぎだと思ったのだろうということで
モーゼはムハンマドに回数を減らしてもらように助言し、、再度天に向かい神から
祈りの回数を1日40回に減らしてもらう。
そして、同じことを数回繰り返した結果、祈りの回数が5回になった時、
うやく預言者は天国から降りて、メッカに戻ったというのである。

で、今日はそれを祝う「預言者昇天祭」なのである。
実は、この預言者昇天祭はIsla (Night Journey) と Miraj(Ascent)の二つに分解される。

      

       Isramirajrock

         預言者ムハンマドが昇天した岩 Al-Quds (エルサレム).

預言者はある夜、祈るためにカーバ神殿の近くまで行き、そこで眠ってしまった。
すると、大天使ガブリエルが現れ預言者をつついて起こす。
ガブリエルは預言者を翼を持った白い天馬のもとに連れて行き、
預言者はこの天馬に乗ってメッカからエルサレムにあるエルサレル神殿まで光速で旅る。
ここまでが、夜の旅(Night Journey)。

次が昇天(Ascent)だが、預言者ムハンマドはユダヤ人がよって預言者アブラハムがわが子をあやうく手にかけて殺しかけた場所と信じている聖なる岩まで連れて行かれ、そこから天国に昇る。
天国で彼は、アダム、バプテスマのヨハネ、イエス・キリスト、ヨセフ、エノク、アーロン、
モーゼ、アブラハムといった聖書中の預言者達に会った後、ついに神に出会う
(enter the presence of God)。で、この時に預言者ムハンマドは神(アッラー)から
50回のお祈りを啓示されたのである。

まぁ、80回や50回のお祈りは論外だが、敬虔なイスラム教徒は1日5回のお祈りは欠かせない。そして1ヵ月後にはラマダンが始まる。
一番暑い盛りなので熱中症が心配だ。

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2010年7月 7日 (水)

星に願い」を・・・

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今日は7月7日、七夕である。

本来は中国の節句(節供)の一つであり、太陰太陽暦の7月7日 (旧暦)の夜のことで、
日本、台湾、ベトナム、韓国の節供でもある。そして織姫星、夏彦星をめぐる天の川伝説を思い出し、天空に想いを馳せる時でもある

天空といえば「はやぶさ」の帰還は最近の明るいニュースである。
イトカワの微粒があるかもしれない?という期待もある。
そして「はやぶさ」のカプセルが公開されるという。

この「はやぶさ」はJAXA(宇宙航空研究開発機構)が小惑星探査を目的に開発し、打ち上げた探査機である。
で、目的の小惑星とは地球の軌道と似た軌道を持ち、日本のロケット開発の父である故糸川英夫博士にちなんで「ITOKAWA」(イトカワ)と名付けられた小惑星なのである。

で、この糸川英夫博士は戦時中、中島飛行機で帝国陸軍の飛行機設計に携わり、その一つが「隼」である。
そしてその「隼」は獲物を素早く見つけ捕獲して戻ってくるという特技?を持っている。
小惑星探査は何故「はやぶさ」と命名されたか?実に的を得たネーミングだと思う。

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で、この「はやぶさ」を開発したJAXAの今日(7月7日)のHPを覗くと、「地球がみえる」というコーナーがあり、「ペリーが来航した町、浦賀・久里浜と横須賀」という衛星画像を使った記事があった。
横須賀はワタクシの故郷である。
そして久里浜は高校時代に通った街でもあり、ペリーが上陸したところでもある。

現在、「龍馬伝」が放映されているが、龍馬は実際に黒船を見たのか?
TVでは黒船を目の前にして驚いているが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では高台から見下ろし驚いている
ちなみにこの高台とは小原台で現在は防衛大学校の敷地となっている。
思えばこの防衛大学校の建設にワタクシは従事していたことがある・・・・今から30年以上前のことである。

で、話はJAXAへと戻るのだが、この衛星画像は地球観測センターで受信されたものでる。
この地球観測センターは埼玉県は陸の孤島と呼ばれた鳩山村の山の中にある。
これが実に交通の便が悪いところで最寄のバス停から30分ぐらい歩いたところにある。
夜になると狸などの野生動物が出没?する本当に山の中にある。
何故知っているか?
この地球観測センターの建設にもワタクシは従事していたことがある・・・・今から28年ぐらい前のことである。
記憶がアイマイだ・・・・
当時はアメリカが打ち上げたランドサットの衛星画像を受信していた。
管轄は特殊法人宇宙開発事業団(NASDA)かな・・・・
記念に三浦半島の衛星写真を買ったことがある。

陸の孤島と呼ばれた「鳩山村」だが、政治家である鳩山家とは関係はない。
比企郡亀井村と今宿村が合併する時に両村の中央にあった地名「鳩山」をとって「鳩山
村」と名づけられたという。
鳩山家とは関係はないが、両村が合併した1955年に当時首相だった同じ名前の鳩山一郎に書を依頼し、鳩山家の家訓である「友愛」の書を書いてもらったのである。
これは額縁に入れられ現在も役場内に掲げられており当時見に行った記憶がある。
で、前首相である鳩山由紀夫さんは2009年に選挙活動の合間を縫って鳩山町役場を訪問し、祖父が書いた「友愛」の書と対面しているという。

首相の座は鳩山さんから菅さんへと移り、今は参院選の真っ只中である。
七夕の今日は各候補とも「星に願い」をかけていることだろう・・と思う今日この頃で
ある。

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2010年7月 4日 (日)

マディナ・ジュメイラ点景

昨日はアンティックの小物を探しにマディナ・ジュメイラへと赴く。
が、捜し求めていたモノで良い出物はナシ。

やはりこの時期に建物外を歩くには暑くてツライ!
早々に建物内に引っ込み、ビールを飲みつつ、シンガポール・ラクサを頂く。

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ジュメイラ・ビーチ・ホテルとパーム・アイランドの間のジュメイラビーチに沿って
40ヘクタールという巨大な規模で2003年に開業したリゾートである。
ジュメイラ・ビーチ・ホテルからは1kmのプライベートビーチを持つ。

マディナ・ジュメイラとはアラビア語で「ジュメイラの都市」という意味。
旧市街のドバイ運河沿いの歴史的なアラビアの町並みや生活を、
ジュメイラという全く別のビーチリゾート地に人工的に復元したものである。

3つのブティックホテルを中心にスパやレストラン、プール、スークが再現されており、
それらはクリーク(運河)で結ばれている。リゾート内は、運河をアブラ(渡し舟)で移動する。

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2010年7月 2日 (金)

PK考

ワールドカップにおけるPKでは数々のドラマを生んできた。

特に1994年のアメリカワールドカップ大会での決勝は史上初のPKによる決着となった。
その記憶が思い浮かぶ。

イタリアvsブラジル

イタリアは1人目のバレージが失敗。ブラジルがリードを保ったまま、最終キッカーで
あるロベルト・バッジオの蹴ったボールはゴールポストの上を飛んでいった。
そしてイタリアは優勝を逃した。

この時のバッジオの言葉・・・
「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」
そして
「PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない」
は今でもPK戦を見るたびに思い出す。

         Baggio02

そしてバッジオだけではない。ワールドカップではジーコも外し、プラティニも、
ストイコビッチも、そしてマラドーナでさえPKを外している。

ストイコビッチは1990年イタリアでのワールドカップ大会の準々決勝の
対アルゼンチン戦でのPK戦で外している。
この時の監督は元日本代表監督のオシムさんでユーゴスラビアを指揮していた。
当時のユーゴスラビアは祖国崩壊の一歩手前だった。

選手達は民族代表としての責務が大きく圧し掛かっていた。
PK戦が決まった時、2人の選手を除いて皆スパイクを脱いでいた。
そして選手達は監督に言った。
「監督、どうか、自分に蹴らせないで欲しい。」

誰が蹴って誰が外したか、それが争いの原因とされるが嫌だったのだ。

オシムは言う。
「お前らとにかく誰かが蹴らないと負けるぞ」
そして5人を決定するとプレーを見ずベンチからロッカールームへと消えた。
「あんなものはクジ引きみたいなもの。私は自分の仕事をすべてやり終えた」
PK戦を制したアルゼンチンはこの大会準優勝する。

駒野はオシム監督の時代からPKを外したことがなかった。
今回はPKという勝負では負けたが、サッカーでは負けていなかった。
そしてこれからもPKを名乗りを上げて蹴りに行くという。

また、バッジオの言葉が蘇る。
「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」

オシムさんはPK戦廃止論者である。
ワタクシもPK戦廃止論者である。
そして、勝負はサッカーで決着をつけてもらいたいと願う今日この頃なのである。

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