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2009年7月

2009年7月31日 (金)

横濱中華そば いまむら 「地鶏と魚介の醤油拉麺」

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5年ほど前、所用で上大岡に毎週通っていたことがある。
で、ランチは「いまむら」でラーメンを良く食べていた。
実に独創的なラーメンでウマかった記憶がある。

その後、関内に移転し店名のない店として営業していた。
この時は「無」と呼ばれていた。

で、最近では「いまむら」と昔の名前に変えて営業しており、上大岡時代の懐かしい味「地鶏と魚介の醤油拉麺」を再開?したということを風のウワサで聞き、先日訪れる。

香り立つ、インパクトある魚介系スープが最近の好みであるオジサンにとってこのラーメンは気持ちが良いくらいど真ん中ストライク。

やはりコノ手のラーメンはワタクシの好みであるなぁ・・・・とシミジミと感じたのである。

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2009年7月30日 (木)

霧が丘の飛行機?

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先日、所用で横浜は霧が丘にいったのだが、途中のバスの車窓から飛行機が見えた!のである。
で、帰りのバスの中から撮影したのがこの写真である。

本物の飛行機に見える。
調べてみたらこれらは本物でオーナーの趣味で展示しており、このオーナーは元飛行機関係の仕事をしていたらしい。

で、この飛行機が飾ってある建物は「アビオン」という喫茶店で、うまいチーズケーキとコーヒーを提供し、店内には計器盤が飾ってあったという。
残念ながら今では閉店してしまったらしい。

ちなみに、「アビオン」はAVIONでスペイン語で飛行機のことである。

いかにもラテン系のノリでやってしまった?!というデスプレイ?である、
ちなみにワタクシこのようなレアなノリは嫌いではない。

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開港150周年記念・企画展「横浜建築家列伝」

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横浜は「横浜都市発展記念館」で開催されている開港150周年記念・企画展「横浜建築家列伝」である。

辺鄙な漁村から開港をきっかけに、横浜には外国人居留地を中心に洋風建築が建ちならぶ都市が形成されゆく。
この街並みは一度関東大震災によって失われるが、その後の復興を経て、昭和戦前期には多彩な様式をもつ建物が作られていく。
この過程を簡潔に紹介し、幕末の開港から戦後の復興期まで、横浜で活躍した内外の建築家たちの作品を通して港町横浜の姿を紹介している。

大倉精神文化研究所が紹介されていたが、これが今の大倉山記念館であることや、旧根岸競馬場一等馬見場やベーリックホールを設計したJHモーガンの展示が興味深い。

そして現横浜市庁舎が建築されるまでの過程の紹介や精巧な模型もあった。
設計は村野藤吾であるが、過去の洋風様式から脱却したモダニズム建築が普及していったのである。
まさに横浜は近代建築の宝庫なのである。

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2009年7月28日 (火)

久留米らーめん 「鐵釜」

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横須賀に久留米らーめんが上陸!
モアーズに久留米らーめん 「鐵釜」が今月オープンした。

実は、ワタクシ、九州に長期出張中に九州の有名ラーメン店を頻繁に訪れている。
久留米は「大砲」がウマかった記憶がある。

で、この「鐵釜」だが、ワタクシの記憶にある久留米らーめんとはチョット違う。
本番の久留米らーめんは豚骨でドロドロである。そして豚骨独特の匂いが店内を立ち込めている。
「鐵釜」のらーめんは関東風にアレンジされているのか超ウルトラライト豚骨なのである。

本場で強烈な洗礼を受けているワタクシにはやはり物足りない。
喉と舌、そして鼻腔をガツン!と刺激してくれる濃厚な豚骨らーめんがワタクシは好きである。

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2009年7月27日 (月)

のぼうの城

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のぼうの城 (単行本)
和田 竜 (著)

現在、NHKの大河ドラマでは「天地人」が放映されており、先々週は「天下統一」ということで小田原の北条攻めが描かれていたが、この北条攻めに三成の姿は見えない。
この時、三成は忍城を攻めていたのである。しかし、結果として三成はこの忍城はついに落城させることは出来ず、小田原城が先に落城したことによる開城となったのである。
秀吉の小田原征伐で戦いで落とせなかった唯一の城である。

で、このことが忍城側の面目躍如となり、忍の浮き城という別名の由来となった次第。
この戦いでは三成の水攻めが失敗に終わり、その不手際が三成の戦下手、武将失格?を印象づけているのが面白い。

この「のぼうの城」は、のぼう様と呼ばれる城代と敵役の石田三成の戦いを描いたものだが、こののぼう様が実に魅力的である。

こういう“人間”を描いた歴史小説はホント面白いと思う。
現代の指導者も少しは見習って欲しいと切に思う今日この頃である。

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2009年7月26日 (日)

中里町内会「夏祭り」Part2

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5年ぶり?に神輿が担がれ、町内を練り歩いていた。
次第に担ぎ手が減っているように感じる。

なによりも地元の祭りが復活したことはとてもウレシイと感じる今日この頃である、

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2009年7月25日 (土)

中里町内会「夏祭り」

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今週末は地元中里町内会の「夏祭り」である。

生ビールを飲みつつ、焼き鳥を片手にそぞろ歩く。

ステージではカラオケ大会が行なわれていた。
で、バックに「中里祭亜留辺」だが、“亜留辺(あるべ)”とは地元出身の演歌歌手である。
この後、オンステージが控えている。

焼きそばの行列に並んでいたら、時の人である“小泉進次郎”氏が挨拶周りをしていた。

そういえば大分前の夏祭りで、亜留辺(あるべ)さんが「中里通り商店街音頭」を歌っていたが、この中でしっかり小泉純一郎総理のことも歌いこまれていたなぁ・・・・

衆議院選挙は8月30日であるが予断を許さぬ?神奈川11区である。

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2009年7月24日 (金)

「新橋ライブバー ZZ」

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本日は、職場の同僚?達と新橋にあるライブバー「ZZ」で懐かしのGS(グループサウンズ)の曲や昭和ムード歌謡などを楽しむ。

GSの部は「サニー多咲&バブルジェッツ」が演奏する懐かしの名曲やマニアックな曲で、めくりめく繰り広げる恍惚の時を堪能する。
しかも、お約束の失神までやってのける!
当時の失神騒ぎを知っているオジサン、オバサンは大爆笑、そして大合唱へと場内は興奮の坩堝(るつぼ)と化す。

そして昭和ムード歌謡は、平成の流し歌い手 田渕純(元マヒナスターズ)のギャップある声質が面白い。

イヤ~いいですな、久々に楽しいライブを楽しませいただきました。

このライブバー「ZZ」は知る人ぞ知る?「東京おとぼけキャッツダディ竹千代氏の店なのである。
で、この店名である「ZZ」はアメリカンロックグループである「ZZ TOP」からきているだろうと容易に推測できる。

BGMで「恋のバカンス」が流れていたが、これも想いいれのある曲であろう。
昔、ダディ竹千代は「竹野屋セントラル ヒーティング」のメンバーでもあったのである。

やはり、新橋のオジサンには懐メロが良く似合うのである・・・・・

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2009年7月23日 (木)

皆既日食、そしてDREAMS COME TRUEの「時間旅行」に想いを馳せる

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昨日は46年ぶりの皆既日食だった。
46年前の皆既日食は良く覚えている。
当時、小学生だったワタクシは黒い下敷きでこの皆既日食を観察したのである。
(横須賀では部分日食だったが)

残念ながら昨日は曇りで東京でも見れるはずだった部分日食も見えなかった。
でも、ワタクシはめげない!
ヒントはDREAMS COME TRUEの「時間旅行」である。
そして2012年の5月12日である。

この「時間旅行」は1990年のリリースで、歌詞の中に
「指輪をくれる?ひとつだけ 2012年の金環食まで待ってるから~
飛び切りのヤツを忘れないでね~♪」
というフレーズがある。

そうなのである!来る2012年に日本で金環食が見れるのである!
それにしてもこの歌詞は壮大なスケールで時間の流れを感じてしまう。
22年後の出来事を想定?しているとは・・・なかなか気の利いた歌ゴコロを感じる。

で、ここで疑問に直面するのである。
「皆既日食」と「金環食」の違いとは何か?
ということである。

どちらも月が太陽を隠すワケなのだが、月の軌道は楕円形なので地球から
遠ざかる位置での日食か、地球から近い位置での日食かの違いらしい。
前者が「金環食」で、後者が「皆既日食」となる。
「皆既日食」では太陽が完全に隠れてしまうが、「金環食」では月の位置が
遠いので月の大きさが太陽より小さくなる。で、そのはみ出た太陽の部分が
金の環状態になるので「金環食」と呼ばれている。

何はともあれ、2012年の5月12日に早くも想いを馳せているオジサンなのである。

(写真は1987年 9月23日 沖縄で観測された金環食である)

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2009年7月22日 (水)

「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」

「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」
  
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天才?と呼ばれる人の創造するエネルギーの凄さは(それとなく)認める。

チョット昔なら彼の建築は設計不可能だったかもしれない。
彼の建築デザインはこれでもか!というくらい3次曲線を多用している。
今ではモデリングと構造解析を行う航空力学・機械設計向けソフト "CATIA" を建築に適用・活用しているという。

そして“フランク・ゲーリー”の持っているエネルギーのベクトルはどこに向かうのか?
平凡な才能しかないワタクシには彼のデザインの“良さ”が分からない。
というよりはそのデザインが理解できないのである。

それにしてもタイトルにもなっている彼のスケッチの“シュール”さは凡人には理解できないほど超越してしまって超芸術なのか、落書きなのかワカラナイ・・・

まぁ、現代建築の最先端のデザインを垣間見る?には良い映画かもしれない。
ホント・・彼のデザインセンスはワタクシには理解できないが、その方便さが知識人の感性をくすぐるのかもしれない。
で、今日の一句
「曲面の 壁の建築 摩訶不思議」・・・・オソマツ

http://sketch.cinemacafe.net/
http://www.cinemacafe.net/special/gehry/
http://www.cinematoday.jp/movie/T0005273

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2009年7月21日 (火)

無限連鎖

無限連鎖 (文春文庫) (文庫)
楡 周平 (著)

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日本の冒険小説もなかなか面白いではないか、と気づかせてくれた一人に楡 周平氏が
いる。
10年ほど前に「Cの福音」で衝撃的デビューをし、“悪の朝倉恭介”を我々の脳裏に刻
みつけシリーズを続々刊行していき、それと平行して“正義の川瀬雅彦”を登場させ、
「朝倉恭介」( Cの福音・完結編)で二人を対決させる。
イヤイヤこの一連のシリーズは面白かった。

で、この「無限連鎖」はあの悪夢の“September 11”(同時多発テロ)から始まる。
そしてこれをきっかけに連鎖的に起きる悪夢のテロ。
無差別な大量殺戮ではなく経済活動を破壊させる。
この未曾有の大規模テロの連鎖はやがて日本にまで及ぶのだが、物語的に次第に尻つぼ
みになってしまいワタクシ的にはチョット残念である。

しかし、物語は結末も近づき、人々の想いが交錯する中で緊迫した出来事が続き、再び
盛り上がる。
そして決断の時が迫ってくる。

このテロを想定外の出来事だと高をくくる事なかれ!
現実に起きる可能性はゼロではない。
平和ボケした日本に活をいれる小説である。

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2009年7月20日 (月)

「金時山」

今日は「海の日」である。
じゃ、海に行って楽しもうというほどワタクシは単純ではない。
他人とは180度異なる行動を日頃の信条?としており、言い方を変えれば“あまのじゃく”と言うのかもしれない。
そんなワタクシが素直に海に行くはずもなく、“あまのじゃく”の信条を貫き「山」に行くことにした。
そして、山頂で叫ぶのである。
「今日は海の日だからオレは山に来たんだ!」
と・・・
まぁ、現実はそんなに単純なモノではなく、本当は三連休の土日で“富士山”に登る予定だったのである。
で、結局天候がイマイチで断念したのだが、今日は天気が“良さげ”?だったので断念した富士を見ようと「金時山」に登ってきたのである。
この「金時山」は金太郎伝説で有名である。だから登山ルートも「金太郎コース」にした。

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このコースは金時山登山ルートの中でも距離が長いのでイマイチ人気がない。
でも、このルートは木陰の中を沢伝いに登り実に気持ちがよい。
気持ちが良いのだが、天候は次第に悪くなってくる。
で、「金時山」山頂に着いた時には完全にガスの中。

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肝心の富士山はガスの彼方
晴れていればこの向こうに富士の峰が見えるのだが・・・

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そんな山頂は小学生でイッパイだった。
そして山頂で叫ぶのである。
「今日は海の日だからオレは山に来たんだ!」
と・・・これを叫んだのはアメリカの青年だった!

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ランチは昨日が「土用の丑の日」だったので一日遅れで鰻を所望し、
冷やしトロロ蕎麦を頂く。

ガスの中の山頂はジャケットを着ていても寒い。
早々に下山する。

こんどは秋の紅葉時に来てみたい「金時山」である。

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2009年7月19日 (日)

ご近所散歩「うみかぜ公園」~「三笠公園」~「ドブイタ」

三連休の中日の本日は朝から天気が良くない。
家の中でボーッとしているのもアホらしく定番の散歩(ウォーキング)コースをのんびり?歩く。

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うみかぜ公園では「うみかぜカーニバル2009」ということでBBQを楽しむグループや、体験乗船を楽しむ家族連れで賑わっていた。

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三笠公園も「三笠公園サマーフェスタ」が開催中で野外公会堂ではダンスパフォーマンス大会が行なわれており、

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どぶ板通りも「どぶ板バザール」が3日間開催されていた。

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今年の新しい「Dobuita Street」のフラッグは「ネービーバーガー」のデザインである。

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そしてどぶ板イベント広場では「チャンバラパフォーマンス」で盛り上がっていた。

良きかな 三連休の中日を まったりと過ごす。

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2009年7月18日 (土)

国立博物館 特別展「伊勢神宮と神々の美術」

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古来、日本の神々は自然の中に宿っていた。
大岩であり、大樹であり、山であった。そして、火、雨、風、雷などといった自然現象の中にも神々しい「何か」が宿っていたと考えられていた。

で、神道が体系作られていく際にこれらは「八百万(やおよろず)の神」と言われるようになった。
この神道が体系作られていく際に明文化されたのが日本書紀であり、古事記である。

まぁ、この日本書紀も古事記も、日本神話の伝承であり、特に高天原から天降った神の子孫が「天皇」である、ということを大義名分化したものでなかろうか?(かなり乱暴な私的定義だが・・・)

そして、日本神話に想いを馳せると「伊勢神宮」と「出雲大社」が思い浮かぶ。
この「伊勢神宮」と「出雲大社」の違いは何ぞや?
この“違い”をハッキリ説明できる日本人も少ないかもしれない。
かくゆうワタクシもこの“違い”を最近知った次第。

日本書紀や古事記によれば、天皇家の粗祖先とされる天照大神を祭ったのが伊勢神宮で、天照大神の子孫に国土を譲った(戦に敗れ国土を取られた)大国主命を祭ったのが、出雲大社ということになる。

この天皇家は、もとは地方の一部族であり、武力により他部族を征服し大和朝廷を建てたという歴史があり、日本書紀や古事記は天皇を神の子孫としてこれを正当化・明文化したものなのである。(かなり乱暴な私的定義です)

明治時代には「伊勢神宮」は天皇家の先祖を祭った神社ということで、国家神道の名の下に全国の神社を系列化に置いていったのである。

で、話はこの「伊勢神宮」の式年遷宮に移る。
伊勢神宮では、飛鳥時代から20年に一度、正殿(しょうでん)をはじめ、御装束(おんしょうぞく)、神宝(しんぽう)を造り替えて、御神体を新しい宮殿に遷す「式年遷宮( しきねん せんぐう)が行なわれる。

何ゆえに20年に一度なのか?まず、第一に社殿の清浄さを保つためである。
そして伊勢神宮の掘立柱建物である建物としての耐用年数によるものであり、他に建築技術の伝承、伝統工芸の伝承などの意味があるとされる。

来る平成25年に第62回の式年遷宮が行わるのを記念して、国立博物館で特別展「伊勢神宮と神々の美術」と銘打って神宝をはじめ、古事記や日本書記などの古文書や、考古遺物、彫刻、工芸品などが展示されている。
これは実にキョーミ深いということで上野は国立博物館まで赴く。

見どころは「伊勢参詣曼陀羅」でこれが色鮮やかで見ていて飽きない。
参詣曼陀羅とは、中世から近世にかけて造られた社寺の縁起や霊験譚を霊場へ参詣する人々の様子とともに描いた絵画。

そして昭和4年に調進された「玉纏御太刀(たままきのおんたち)」はオドロキの名品である。
琥珀、瑪瑙(めのう)、水晶、瑠璃と五色の吹玉(ガラス玉)で装飾され、持ち手には10個の鈴が付けられた飾り太刀で、人間国宝といわれるお方達の手によって造られており、奉納される60柄の太刀の中でも屈指の華麗さだという。
これらの神宝は神様が使っていた畏れ多いものとして、一般庶民の目に触れぬように土の中に埋められていった。
この「掘り出し物?」の神宝も一部展示されたいた。

その後は「本館 日本ギャラリー」や「法隆寺宝物館」などを見て歩く。
日本の歴史や伝統工芸、美に触れた有意義な一日である。

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2009年7月17日 (金)

うわまち 灯ろう夜市

うわまち 灯ろう夜市

今や上町大通りの夏の風物詩としてすっかり定着した「うわまち 灯ろう夜市」である。
300基以上の灯ろうが並ぶと説明されているが、今年は一段とスケールアップし、灯ろうの数も多かった。

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揺らぐ蝋燭の優しい灯は実に幻想的で、浴衣を着流し、そぞろ歩けば、時空を超えたワンダーランドに貴方を誘(いざな)うのである。

で、去年読んだ句は「「灯ろうの 揺らぐひかりに 夏はきぬ」
だったが、今年は
「悠久の 時を灯す 灯ろうよ」違うな・・・
「灯ろうは 時を灯す 幻灯器」
ウーン、チョット違う・・・
まぁ、去年と同じようなコメントで芸がないなぁ・・・と感じる今日この頃である。

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2009年7月16日 (木)

横浜開港資料館の「たまくす」

横浜開港資料館の「たまくす」

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1854(嘉永7)年にペリーが来航したが、横浜に上陸したのがこの横浜開港資料館あたりだという。

横浜開港資料館の中庭に大きな木がある。
通称「たまくす」と呼ばれていてタブノキである。

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この「たまくす」は、江戸時代、横浜がちいさな農漁村であったころからこの地にあり、ペリー来航時に艦隊に随行してきた画家ハイネが描いた「横浜上陸」の右側に見てとれるのが「たまくす」である。

で、この1866(慶応2)年の大火によって、「たまくす」は樹形が変わるほど焼失し、1923(大正12)年9月1日、関東大震災で、「たまくす」はふたたび大きな被害を受けるが、その生命力は尽きることがなかった。
1930(昭和5)年6月、領事館の敷地内に約10メートほど現在ある位置に移植された。

この「たまくす」つまりタブノキは災害には強いのである。
以前、宮脇 昭氏の講演著書の中でも述べているが、シイ、タブ、カシの木は昔から天災や災害に強いことで知られていて、鎮守の森として神社を守ってきた事実がある。

そして、この「たまくす」は横浜の歴史を見守ってきたのである。
で、Y150のマスコットキャラクター、「たねまる」はこの「たまくす」がモチーフとなっている次第。
(下半身はフネで上半身が「たまくす」の精というデザインである)

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2009年7月15日 (水)

横浜開港資料館

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横浜開港資料館
開港150周年記念「港都横浜の誕生-新発見資料に見る近代化の原点

これも開港150周年を記念する企画モノである。
近年、調査・収集してきた資料の中から、新収資料や新発見資料を一挙に公開し、日本最大の国際都市横浜が作り上げられた歴史と、横浜が日本の近代化に果たした役割を振り返りるというもの。

それにしても開港直後の横浜の写真が展示されていたが、辺鄙な漁村という比喩がぴったりである。
(この写真は横浜を撮影した最古の写真だという)

なお、1854(嘉永7)年にペリーが来航したが、横浜に上陸したのがこのあたりでもあり、旧館は、関東大震災後の1931(昭和6)年11月に再建された旧イギリス総領事館である。

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2009年7月14日 (火)

「剱岳 百年目の真実」

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放送ライブラリー」に行ったのはもう一つの理由があったのである。
それは「剱岳 百年目の真実」を見ること。
この番組は2005年の1月2日に放映された。

映画「劔岳 点の記」はこの劔岳の初登頂とこの山頂に三等三角点の設置を巡る物語である。
しかし、芝崎芳太郎は命がけで初登頂に成功したものの、あまりの登山の厳しさに測量基準となる三角点の設置を断念している。
そしてこの時にて測量した劔岳の標高は2998m、その後昭和5年に3003mに、昭和43年に再び2998mに修正されている。

正確な劔岳の標高は何メートルなのか?
いまだに設置されていない三等三角点を山頂に設置すること。
プロジェクトが始動した。

そして、柴崎の時代から百年を経た2006年8月24日、有志達の肩に担ぎ上げられた三等三角点標石が初めて山頂に埋定され、国土地理院の担当官による正式な「剣岳・点の記」が残されたのである。

このプロジェクトを記録したドキュメンターである。

あと2メートルで3000mの山になる。しかし、2998mの標高にも愛着がある。
あと2メートルは昔山屋の現役だった頃ワシらが酒の席でよく話題にして盛り上がったことがある。

で、再測量の結果、劔岳の標高は2999mと発表された。
(標高は小数点以下は四捨五入される)

これには細かい補足が必要である。
明治時代に柴崎芳太郎が劔岳の標高を計算した結果は2998.02m。今回行われた最新のGPS測量では明治時代に認定されなかった60cm高い岩の上が人工物でないとして最高点として認定され、その測量結果が2998.62mである。
つまり岩の高さ分を差し引いて測量された誤差はわずか0.02mだったのである。
この事実にオジサンはカンドーしてしまった。
明治時代、測量器機を使って、手計算により2センチメートルでの誤差で標高を出していた柴崎芳太郎の技術者としての凄さに鳥肌が立つくらいカンドーしたのである。
最新のGPS測量での誤差は数ミリだという。
そして標高の基準となる東京湾の平均海面高さを求めてそれが劔岳山頂直下のどの位置に当たるのか?
地球は緩い楕円形の形でもある。
GPS測量結果から数ヶ月を要して計算を繰り返し導き出された結果が2998.62mなのである。
そして誤差が2センチメートル!とは・・・

柴崎芳太郎氏に脱帽である。
そしてワタクシの心の中では劔岳の標高は2998mである。

なお、国土地理院により作成された三等三角点「剱岳」点の記には選点日時として「明治40年7月13日」の日付が、選点者として柴崎の名が記載されている。

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2009年7月13日 (月)

「もう一度会いたい、朝のヒロインたち~NHK連続テレビ小説の変遷~」(横浜ネタ第2弾!)

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日本大通りの面した「放送ライブラリー」では企画展「もう一度会いたい、朝のヒロインたち~NHK連続テレビ小説の変遷~」が行なわれていた。

現在放送中の「つばさ」は第80作とな・・・これは川越を舞台している。
しかしながら視聴率はイマイチだという。

このNHKの朝ドラを見る事は一時は国民の朝の行事と一つとして確立?されたものだったが、今では皆さんの生活観やら価値観が変わり、その位置づけもビミョーに変わってきている証拠なのかもしれない。

で、NHKの朝ドラだが、やはり「おしん」の存在は大きい。これは国民的ドラマとしても有名で、最高視聴率は1983年11月12日放送(第186回「戦争編・東京の加代」)の62.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。これは2009年2月現在ビデオリサーチの統計史上、テレビドラマの最高視聴率記録だという。

そしてこの「ドラマ」は海外へと飛翔してゆき、世界63ヶ国の地域で放映され「おしんドローム」という言葉を生み出し、「世界で最もヒットした日本のテレビドラマ」とされるのである。

ワタクシの場合、「あすか」(1999年10月4日から2000年4月1日)に愛着がある。
当時ワタクシは仙台に長期出張中であり、職場まであるいて10分のウィークリーマンションに宿泊していた。
で、この「あすか」をゆっくりと見てから出勤していたのである。
劇中で盛んに使われていた「一生一品」という言葉はワタクシの脳裏からいまだに離れない。
そして主演の竹内結子は好きな女優となった。

オバサンやオジサンの中には遺伝子に刻み込まれるほど影響を受けている人達も多い。
そして、生活観やら価値観が変わった現在では、朝のこの一時は淡い記憶として残っているだけかもしれない。

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2009年7月12日 (日)

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モアーズの前でblast(ブラスト)の横須賀公演を前にお披露目事前パフォーマンス?が行なわれていた。
ワタクシ、ブラス・バンドが好きです。でもマーチング・バンドのほうがもっと好きです!
(どこかで聞いたようなセリフだ・・・・)

わずか4人と言う少人数で行なったライブだが、その迫力は十分に伝わった。
でも、やはり大編成でのステージを楽しみたい!
視覚と聴覚を刺激する迫力のステージを楽しみたい!

チケットを買うか・・思案六法の今日この頃である。

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2009年7月11日 (土)

「象の鼻パーク」

横浜市は、今年(平成21年、2009年)に開港150周年を迎え、その記念事業の一つとして横浜港(東波止場-イギリス波止場と西波止場-税関波止場の二つの波止場のこと)の整備計画が進めれており、6月2日の開港記念日にオープンした、

東波止場は弓なりに延長し防波堤を築いおり、その形から「象の鼻」と呼ばれるようになった。
で、そのその防波堤で囲まれる水域に面した一帯を「象の鼻地区」(象の鼻パーク)と呼ぶのである。

この「象の鼻地区」は日本大通りの突き当たりに位置し、1854(嘉永7)年にペリーが来航したが、横浜に上陸したのがこのあたりでもある。そして横浜の港はここ「象の鼻地区」から始まった。というよりは横浜の近代史はこの地から始まったといったも過言ではないだろう。

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実に広々とした公園で赤レンガ地区と山下公園地区の中間に位置し、今までは古い倉庫などが点在していたが、スッパリ、キレイに象の鼻パークとして整備された。

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会場ではトリックアートの第一人者、カート・ウェナー氏が150年前の黒船来航をイメージした作品を展示している。

のどかな土曜日の昼下がり、まったりとビールを飲みつつ潮風に吹かれるのである。

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2009年7月10日 (金)

「旭川ラーメン Saijo」

以前、品川駅のホーム下?にはラーメンの専門店街「品達」があり、麺をゆでる香ばしい“かほり”がホームで並んでいるワタクシの鼻腔を容赦なく刺激し、いてもたってもいられなくなり駆け込むことがしばしばある、と書いた。
いつもは「なんつっ亭」や「つけめんTETSU」に駆け込むが、
先日駆け込んだ先は「旭川ラーメン Saijo」である。

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      これが伝説?の塩ラーメン

塩味が程よく効いた海産ダシ系スープはコクありウマい!
で、コシのある中太縮れ麺がこのスープに絡みも一心不乱にワシワシと食らう。

それにしても長距離通勤者にとってこの「品達」は心が惑わかされ実に罪作りであり、ヤッカイである、そしてウレシイ存在なのでもある。
コマッタモンダ・・・・

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2009年7月 9日 (木)

ロマノフの血脈

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ロマノフの血脈 上巻 (単行本)
スティーブ・ベリー (著), 富永 和子 (翻訳)

ファティマ 第三の予言」「テンプル騎士団の遺産」など一連のスティーブ・ベリーの作品を読んできた。
この「ロマノフの血脈 」はこれらの作品よりも前に発表されている。

ロシア革命時にニコライ二世皇帝一家は全員が虐殺された。
その後、共産主義体制はロシアを支配したが、国境を越えた経済の自由化が共産主義体制を事実上崩壊させてしまっている。それが今のロシアの現状であろう。そして不安定な経済状態が続いている。
で、人々は堅固だった帝政復古を望み、その候補者を選定していくのだが・・・
(この小説はフィクションである)

そんなロシアの社会的情勢からこの歴史ミステリーは始まっていき、
そして、祈祷僧ラスプーチンの予言通りに物語は進んでいく。
特に皇女アナスタシア伝説は有名でもある。
このあたりが欧米の人々の興味を引いてやまない理由なのかもしれないし、
ロマンとミステリーに溢れている。
で、今でもイングリッド・バーグマン主演の映画やディズニーのアニメが有名である。

でも我々日本人には帝政ロシアの時代の歴史土壌や認識はまったくない。
だから読んでいても物語にすんなりとは入っていけないもどかしさはあった。
しかし、後半はスリリングなジェットコースター的冒険活劇とあいなり、ページをめくるスピードも早くなり、一気にラストへと突入していく。
そしてロシアには正当な血筋の帝政が復活するのか?
イヤイヤ、オモロイです!

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2009年7月 8日 (水)

「キリンさんが好きです。でもゾウさんの方がもっと好きです」

先月の6月23~24日にかけて愛知県豊田市で将棋の第67期名人戦7番勝負の最終局が行われ、羽生善治名人(38)が、挑戦者の郷田真隆九段(38)を81手で下し、通算成績4勝3敗で名人位を防衛した。

羽生さんは何だかんだいいながら強い。最近では「集中力」という本が出版されけっこう売れているらしい。

実はワタクシは将棋は有段者である。将棋を覚えたのが小学校6年で父親に教えてもらった。
で、その数ヵ月後にその父親を負かしそれ以来父親とは将棋は指していない。
中学校に入り本などを読み実力を付けていった。卒業するころには中学でも1、2番を争うほどであった。
その頃は近所の有段者(3段)のオジサンと勝ったり負けたりの勝負をしていた。

将棋を指し始めてからは「数学」の成績が飛躍的に向上した。
なにせ数学の成績は平均以下だったのがいきなり上位にランクされようになったのである。
これには本人が一番驚いた。

まぁ論理立てて結論を導き出す、という行為に抵抗感がなくなったというよりもそれが楽しかったのである。
イヤイヤ人間は変われば変わるもんである。

最近ではパソコン相手に将棋を差す事があるが何だかつまらないなぁ・・と思っていたら先日ニュースで「どうぶつ将棋」が人気があると報道していた。

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どうぶつ将棋は女流棋士達が初心者を対象に将棋にもっと触れさせたいという想いで考え出した将棋だという。
「森の仲間といっしょにライオンを捕まえよう!」
というのがゲームのテーマ、目的?である。

で、「飛車」にあたるのが「キリン」で「角」が「ゾウ」で、歩が「ヒヨコ」である。
そして二歩ならぬ「二ヒヨコ」はOKだという!
これはオモシロイ!

で、フト思うのだが、将棋がウマい人は飛車よりも角の使い方がウマい、
のではないか?ということである。

そしてやっとタイトルである
「キリンさんが好きです。でもゾウさんの方がもっと好きです」
に話は戻るのだが、「飛車よりも角が好き」というのは本当に将棋が分かっているなぁ・・・
とワタクシは思う。

飛車筋を効かすよりは角筋にワナを仕掛ける、実にツウ好みの指し方であるなぁ、と
感慨に耽る今日この頃なのである。

で、今日の一句
「キリンより 睨みを効かす ゾウさんよ」
オソマツ・・・

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2009年7月 7日 (火)

赤坂探索「清水谷公園と大久保利通公哀悼碑」

赤坂見附駅で降りて、弁慶橋から、ホテル・ニューオータニ前の紀尾井町通りの緑豊かな並木道を北上するとまもなく右手に清水谷公園が見えてくる。

江戸時代、江戸には湧水がほとんどなかったが、珍しくこの付近には泉があり、通行人に喜ばれていたという。尾張屋版江戸切絵図にも、シミズダニとの名称が記されていた。

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この公園の東端には、「贈右大臣大久保公哀悼碑」と刻まれた立派な石碑が建っている。 

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明治十一年(1878)五月十四日朝、麹町清水谷において、赤坂御所へ出仕する途中の参議兼内務卿大久保利通が暗殺された。。現在の内閣総理大臣にも匹敵するような立場にあった大久保利通の暗殺は、一般に「紀尾井坂の変」と呼ばれ、人々に衝撃を与えた。

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更に公園の左奥には「偕香苑」と呼ばれる茶室のような建物が建っている。

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公園の中にある池の辺は気持ちの良いアウトドア・ランチ・スポットでもある。

大久保利通公の孫は吉田茂である。ということは今時の人である「麻生太郎」総理大臣は玄孫にあたるワケである。大久保利通公は強力な独裁をおこなったが、身辺は清廉潔白で、藩閥にも拘泥しなかったという。
少しは見習って欲しい、と思うのはワタシだけ・・・・

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2009年7月 6日 (月)

ブラインドサイト~小さな登山者たち~

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盲目の人は山に登れるか?
単純に考えればリスクの多い登山は視覚を失った人達には不可能な行為だと思う。
しかし、盲目の(アメリカ人の)登山家であるエリック・ヴァイエンマイヤー氏はエベレストの登頂に成功している。
登山をサポートするプロのガイドと一緒の登頂なのだが、これはこれで快挙である。

実にファンタスティックなエピソードでもあり、これに一人の盲目の女性教育者が感銘した。
そして6人の教え子(盲目の)達を登山へと導いていく。
目指すはエベレストの隣の7000メートル級のラクパリへの登頂。

無事に登れたか?否か?

観終わってみればそれは些細なことなのだ、ということに気付く。
登山と言う未知の世界に飛び込んでゆく子供達の目が輝いている。
自分達の可能性を信じている子供達の表情にオジサンは嫉妬さえ感じてしまう。

それにしてもチベットという国で盲目の少年に対しての偏見・差別は凄まじい。
また、エンディングではきれいごとでは済まされない事実を突きつけられてチョットたじろいでしまう。
教育者と登山家、健常者と障がい者、大人と子供、登山とリスクマネジメント、そして価値観・文化観の違いなどがぶつかり合う。
なにはともあれ大人たちよ!これを観て既成概念をぶっ壊してほしい。

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2009年7月 5日 (日)

本覚寺 (鎌倉市)

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今から27年前に親友が不慮の事故で亡くなった。
菩提寺は鎌倉の本覚寺であり、毎年命日近くの7月の初旬の日曜日に仲間が集まり墓参りするのが恒例となっている。

で、本日がその日でかつての同級生が集まるのでつかの間の同窓会ともなり、墓参りの後に一献を傾けるのも毎年の恒例でもある。

で、この本覚寺だが、元々は幕府の裏鬼門にあたる方向の鎮守としての守護神を祀っていた天台宗の夷堂があり、ここに配流地の佐渡から鎌倉へもとった日蓮が滞在し、この夷堂跡を一乗院日出が1436(永亨8)年に日蓮宗に改め創建したのがはじまりだという。
その後、身延山より日蓮の遺骨を分骨して本覚寺に納めた。これが本覚寺が「東身延」と呼ばれる理由である。

夷(えびす)堂があったことから鎌倉七福神の一つとして有名で、商売繁盛の神えびす様のお祭の<鎌倉えびす>は、お正月(元旦~3日)、9日の宵まつり、そして10日の「本えびす」を迎え最高潮の賑わいになる。

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2009年7月 4日 (土)

川柳川柳・三遊亭圓丈二人会

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川柳川柳・三遊亭圓丈二人会

三遊亭圓生の残り少ない?弟子で現役落語家は4人しかおらず、その中で今でも異色の2人が最後の?二人会を御馴染みの「にぎわい座」で行なうというので一路野毛に向かう。

異色の2人とは「川柳川柳」(かわやなぎ せんりゅう)と「三遊亭圓丈(円丈)」である。
共に新作落語を得意としている。
そしてこの2人を語る上で「落語協会分裂騒動」は避けて通れない話題なのだが、それは後日ゆっくりと話すとして、お二人とももうお年である。
従って、モノの覚えが悪い、というゆうよりは覚えられない、記憶力が低下しているのである。
これは御両人とも認めている。
で、川柳はアンチョコやら原稿?を持参して高座に上がるのだが、円丈は「これは落語ではなくて朗読だ!」と言っておりましたが、ご自身もアンチョコ片手に落語をされているを何回も目にしている。
極めつけは無限落語で行なった“落語界初のプロンプターシステム!”である。
これは後ろに黒子を従え歌舞伎と同様に後ろで噺を伝えるのだが・・・
これはこれでこの“反則性”面白かった。

演目は2人とも古典一席・新作一席を披露するというもの。
まぁ、古典は古典の良さがあるのだが、やはりこの2人の新作モノは面白い。

ゆるりと笑い夕暮れの野毛を後にするのである。

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2009年7月 3日 (金)

つけめんTETSU 品川店

つけめんTETSU 品川店

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通勤の乗換駅である品川にはラーメンフリークが泣いて喜ぶ?ラーメン専門店7店が集結した「品達」があり、ホームで待っていると麺をゆでる香ばしい“かほり”が鼻腔をくすぐりいてもたってもいられなくなり駆け込むことがしばしばある。
で、先日も駆け込んだ先は「つけめんTETSU」である。

いつもは「なんつっ亭」が多いが、同じ行列店である「TETSU」の行列が少なかったのでここに並んだ次第。
豚骨魚介のつけ麺という、最近のトレンドを作り出した?店なのかな?
まぁ、本家本元?豚骨魚介のつけ麺は正統派のウマさがシミジミとウマい。

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2009年7月 2日 (木)

カメラの記憶 「ホンジュラス、そして首都テグシガルパ」

最近テレビの国際ニュースを見ていたら、何やら懐かしい国名が聞こえてくるではないか!
ホンジュラスのセラヤ大統領がクーデターで国外に追放」だという。

実は私、27年前にこの国に2年近く仕事で滞在しており、首都のテグシガルパの郊外には所用でよく出かけていた。
この“ホンジュラス”という国だが日本人には馴染みがなく、観光でいった人はほとんどいないはず。

で、今から9年前の1998年にはハリケーンがこの国を直撃し山の斜面に建てられたバラックが流されて甚大な被害が発生した。
そしてこの時に初めて自衛隊が派遣されて国際緊急援助活動が実施されたのである。

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         27年前のホンジュラスの首都テグシガルパの風景

今ではだいぶ近代化?されていることだろう・・・・

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2009年7月 1日 (水)

イン・アメリカ/三つの小さな願いごと

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イン・アメリカ/三つの小さな願いごと   

アメリカン・ドリームという言葉に憧れて人々はアメリカへ渡る。
気持ちは分かるが、現実は厳しいでしょ・・・とワタクシでも分かる単純なこと。

で、予想通りの現実の厳しさに、
叩けよさらば開かれん。
と神頼みしたくなるが、神様も多忙?のためしばらくは放置状態。

幼い姉妹達のピュアで自然な演技が微笑ましい。

そして、Desperado(デスペラード)の切ない歌詞。
不器用で素直じゃない男への賛歌?がシミジミと染み入る。

最後は多忙な?神様も“小さな願いごと”を叶えてくれるか?
ささやかな幸せが程よく心地良いなぁ・・・と思う映画である。

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