花見
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流星の絆 (単行本)
東野 圭吾 (著)
横須賀にある洋食屋からこの物語は始まる。
で、この物語で重要な鍵となるのがこの洋食屋で出していた「ハヤシライス」である。
これが実にコマッタもので、ワタクシはこの本を朝夕の通勤電車の中で読んだのだが、この時間帯は腹が減る時間帯でもある。
普通の「ハヤシライス」ならどうってことはないのだが、この「ハヤシライス」、実にウマそうなのである。
文中の「ハヤシライス」を描写する行間から香ばしい香りが立ち込めてくる(ような気がする)のである。
ストーリーに没頭しようとするがこの「ハヤシライス」を食べたい!という欲求がつのってくる。
架空の店の架空の「ハヤシライス」だから食べれないのはわかってはいるが、まったく
罪な本なのであり、この高ぶった欲求をどうやって解消すればいいのだ、とモンモンとしながら電車に乗っているのである。
で、モンモンとしながらも一気にラストまで読み終えてしまった。
ハヤシライスが無性に食べたくなる小説である。
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今日は千葉県は房総市和田町にある「花嫁街道」をトレッキング。
最寄の駅は内房線の和田浦駅である。
自宅を7時20分に出て、久里浜まで京急、久里浜からフェリーで金谷まで行き、浜金谷
から館山経由で和田浦駅到着が10時36分。
約3時間の道のりはやはり遠い。
東京からも3時間かかり、アクセスは少々良くない。
しかし、和田浦駅から町の東北にある烏場山へと続く通称「花嫁街道」と呼ばれるルートは大変素晴らしい。
標高差は250m前後で、マテバ椎の樹林帯などが生茂る低山の連なりをゆったり歩くことが出来る実に足にやさしいルートで、木々の切れ間から垣間見れる房総の山々や光り輝く海は心を癒してくれる。
そして、今の時期は青葉と桜の薄い桃色が交じり合い絶妙のハーモニーで山々を飾っている。
帰りの電車の時間を気にしてコースタイムは約3時間半だったが、今度はゆっくりと房総の自然を感じて歩いてみたい。
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チョイト買い物で下町を歩いていたら、市役所前の公園から何やら楽しそうな音が聞こえてきた。
で、覗いてみたら「地産地消食育フェスティバル」なるイベントで盛り上がっていた。
ここではカレーや天丼などの出店や三浦大根などを即売していた。
そして、これが三浦半島の地のモノで作った「三浦半島鍋」なり。
イワシのつみれに大根、ニンジンにごぼうなど具沢山。
素朴なウマさが身体に染み入るのがわかる。
ご近所の桜もようやく開花した。
来週末が桜の見頃だろう。
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ワタクシ、和風出しで割った風味のあるカレーが好きなので、よく蕎麦屋でカレーを食べていた。
この場合はカレーライスではなくて、カレー丼である。そして、このようにカレーを扱っていた蕎麦屋では当然の如くカレーうどんもメニューに載せている。
普通では大衆食堂や学生食堂などのようにカレーライスとカレーうどんのカレーソースを共用している場合が多い。
従って、カレーライスもカレーうどんも同じ味となる。
蕎麦屋のカレーは和風カレーであり、この場合もライスにもうどんにも同じカレーを使うと想像できる。
つまりこれも同じ味となる。そしてウマい!
で、思うのだがカレーうどんの専門店は“うどん”に合うカレーを研究して作っていると思われる。
このカレーをご飯の上にかけて食べてもウマいかもしれないが、やはりうどん本来の食感とマッチしたカレーとなっているのでないだろうか。
東京では巣鴨の「古奈屋」がカレーうどんで有名だが、少々高く1000円以上する。
たかがカレーうどん、されどカレーうどんか。
で、カレーの街横須賀にカレーうどんはあるのか?
実は「うどん工房 さぬき」の名物はカレーうどんなのである。
このカレーうどん、程よくスパイシーでクリーミーでさっぱり飲めるカレースープに腰のあるうどんが絶妙にマッチしている。
円丈の落語を聴いてから「カレー」の世界に誘われてしまったが、カレーというよりは“飲めるカレー”により気を引かれるのである。
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都市と交通(1981年) (岩波新書)
岡 並木 (著)
出版は1981年だから今から28年前になるが、その内容はいまだに色褪せていない。
で、この本の出だしの“ツカミ”の部分だが実に納得させられる。
東南アジアの人々の通勤交通費は非常に高く、収入の1/3~1/4を使っているという。
これは東南アジアの都市で「抵抗なく歩ける距離」は100~200メートルという統計結果からもわかるとおり、その都市の気候条件がその距離を大きく左右しているという。
ちなみにヨーロッパではその距離は400メートルで気温が零下5度以下になると200メートルになる。
確かに東南アジアの都市では様々な乗り物が走っている。
ジャカルタでは「ペチャ」、シンガポールでは「トライショー」、マニラでは「ジプニー」、バンコクでは「トクトク」など自転車やジープ、軽四輪などを改造した乗り物が多い。今では交通事情などにより激減しているものもある。
ワタクシ、香港とシンガポールでしばらく暮らしていた時期があり、どちらの都市でもタクシーとバスにはだいぶお世話になった。しかも料金も安かった。
特にシンガポールでは赤道直下ということもあり一年を通して気温が30度以上あり、その炎天下を30分以上歩くなんて考えられないことで、近距離でもタクシーを利用していた。
そんなシンガポールのオーチャード通りでは政府が「抵抗なく歩ける距離」を伸ばす計画が1970年代から始まり歩道に木を植えて木陰を作っていった。
今では多くの住宅地でもこのような整備が進んでいる。
ワタクシもオーチャード通りの近所に住んでいたので実感できる。
日本では地下道がこれにあたるのかもしれない。
で、現在の日本の「都市と交通」を考えると東京への一極集中は変わりなく、朝のラッシュは変わらず、地下鉄の乗り換えはよくわからず、駅前の放置自転車問題は解決されていない。
世界の各都市でも同様の交通問題はあり、これは永久に続くものだろう。
最近では「パーク・アンド・ライド」という計画もあるが、多くの通勤者には関係ないものである。
通勤という時間と金とエネルギーの浪費は個人的には無駄だと思うのだが、さりとて地元で職を得るのは難しい。
これが現状であり、長距離通勤者の地獄はこれからも続くのである。
イカン!愚痴っぽくなってしまったが、この本を読みながら交通問題を考えて通勤ラッシュの電車に乗る今日この頃なのである。
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京浜急行の特急、あるいは快速特急で横浜の手前は「上大岡駅」である。
この上大岡は表記では“かみおおおか”でナント!母音を3つ連続して発音しなければならないのである。
で、車内アナウンスを聞いていると“かみおおおか”と表記どおり発音する車掌はまれで多くは“かみおーおか”と発音している。英語表記だと「kamioooka」となり、外国の方が見たら奇異に感じることだと思う。
(最近ではkamiookaと訂正されている)
そんな発音しづらい「上大岡」だが朝の通勤時間にはここから地獄になる。
上大岡~横浜間は一番混雑する。
ワタクシは昔押されてもまれて身体が宙に浮いたことがある。
今ではだいぶ混雑度も緩和されたが、それでも京急路線の中でも一番混む区間であることは間違いない。
電車が上大岡駅に着きドアが開き、そしてそのドアから怒涛のように乗り込んでくる乗客に時には殺気さえ抱いてしまう。これこそ“集団の暴力”である。各個人個人の方たちは普通の市民なのだがドアが開いた瞬間に、人格が変わり?後方から押してドドッと突っ込んでくる。
特にワタクシが乗っている場所は横浜での出口に近いこともあり他の場所より混雑度が激しい。
じゃ、その場所を避ければいいのだが、この車両では座っている人の多くが横浜で下車する。で、ワタクシはそれを狙ってあえてその車両に固執しているのである。まぁ、ドア付近を避ければそれほどは圧迫されることはないが、混むことに違いはない。
ワタクシ、上大岡の人々には個人的な恨みはない。が、しかし上大岡の皆さん、もう少し優しく電車に乗り込んできて欲しいと切に願う今日この頃なのである。
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ユダの山羊 (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ) (文庫)
ロバート・B. パーカー (著), Robert B. Parker (著), 菊池 光 (翻訳)
良くも悪くも典型的なハードボイルド小説である。
以前、奥田英朗氏はあるエッセイの中で、一時期ハードボイルドにのめり込んでいたが、文中のある一言でイッキに醒めてしまったと書いていた。
その一言とは「さらばだ、○○よ」というもので、この一言でイッキに高度なギャグの世界に飛び込んでしまい、笑いが止まらなかったという。
(ちなみに○○とは女性の名前である。確かスペイン系の名前だと思うが忘れてしまった)
その気持ちワタクシもわかります。
で、この小説の中にも鏡の前でハンフリーボガードのマネをする描写があるが止めてくれ!
思わず笑ってしまった。
何を今さらジローで実に恐縮なのだが、これがハードボイルドなのである。
で、わかっちゃいるけど止めれないカッパエビセン状態なのでもある。
ツーといえばカー、パブロフの犬と呼ばれてもかまわない。
条件反射的にハードボイルドの本を読んでしまう。
やはり・・
「男はタフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きていく資格がない」
ものなのか・・・
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ロックの学園がイマイチ消化不良だったもので週末繰り返して観たのがこの「フェスティバル・エクスプレス」 のDVDである。
“ロック”が今より“ビジネス”から遠く、より“Fun”により近かった1970年、
“ロック”は反体制の象徴でもあった。そして人々は“ロック”に自由を求めていた。
ともすれば“ロック”は酒やドラッグと同じでトリップの手段だったのかもしれない。
そしてミュージシャン達は列車と共に“ロング・トリップ”へと走り出した。
その列車の中でのセッションは観て聴いて楽しい。
例えば、リック・ダンコ、ジェリー・ガルシア、ボブ・ウィアーをバックにジャニスが実に気持ちよさそうに歌っている。
そして、ジェリー・ガルシアがジャニスに言う
「君を愛している・・初めて見た時から・・」
「ウソばっかり・・・」
「もう止めれない」「楽しすぎて・・・」
彼女にはこの素晴しい時間が長続きしないことは分かっていたのか・・・
この数ヶ月後の10月4日、ドラッグの過剰摂取によってこの世を去っている。
古き良き時代の“ロック”がいい。
オジサンにとってこの古き良き時代にトリップできる至福の映画である。
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遊郭としての柏木田が関東大震災後だんだんと衰退していくなかで、安浦は拡大し、最盛期には150軒のカフェがあっという。そして規模は小さいが田浦の「皆ヶ作」へと移っていくのである。
明治16年船越に出来た兵器工場(後の海軍工廠造兵部)を皮きりに、長浦湾沿岸には海軍の主要工場が進出し、「皆ヶ作」もそれと同時に発展していったのである。
安浦はもうその面影はあまり残っていないが、ここ旧「皆ヶ作」地区にはその面影がわずかながら残っている。
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2007年11月に旧三崎高校を舞台に開催された「ロックの学園」が今年3月20日(祝)から22日(日)の3日間、再び開催されている。
三崎ロック学園の信条は「マグロ、大根、ロックンロール!!」である。
いいなぁ~、この土着的フレーズがブルースっぽくて良い。
廊下に張られている「校則?」が面白い。
次世代に「ロックの魂」を伝えていくことを趣旨とした、ロックイベントなので、
70年代のロック少年には少々物足りないのは致し方がないことなのか・・・
オジサンにも楽しめるロックイベントにして欲しい。
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横須賀の北部にある追浜は横浜との市境にある。
で、この追浜だが「おっぱま」と読む。
この追浜には日産自動車追浜工場・追浜研究所、住友重機械工業横須賀造船所、岡村製作所、そして海洋研究開発機構横須賀本部などがある。
ワタクシ、この海洋研究開発機構の一般開放は毎年訪れている。
そんな追浜は来年2010年には「Y・フェスタ追浜」を行なうという。
で、今日はそのプレイベント「プレ杏まつり」が催されていた。
追浜にある貝山緑地を「杏の里」として街の活性化として推進させていく計画で、新名物おっぱま杏鍋が食べられるという!これは行かなければならない。
これが“名物おっぱま杏鍋”である。
杏風味の白玉粉の団子が入っている。ビールを飲みつつワシワシと食らう。
お隣のリサイクルプラザ・アイクルでは「アイクルフェア」が行なわれており、ここで楡 周平や奥田 英朗、J・ディーヴォーなどの古本15冊をお買い上げ。
買うのはいいが、ワタクシの机にはまだ読んでない本がこれで30冊以上山積みとなる。
コマッタモンダ・・・
貝山緑地では杏の花が咲いていた。
貝山緑地から眺めた「アイクル」その向こうには日産の車両運搬船が見える。
これは日産が業務提携を結んでいるノルウェー船社のホーグ・オートライナーズ (Höegh Autoliners) の車両運搬船のようである。
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横浜カリー アルペンジロー
横浜市中区弥生町3-26
先日、日本橋亭で行なわれた無限落語で三遊亭円丈の「カレー屋ジョニー」を面白おかしく聴いてから“カレーが食べたい症候群”がジワジワとワタクシの身体を侵食しはじめてきた。
で、ウマくて不思議なカレーを求めてやってきたのが「横浜カリー アルペンジロー」である。
カレーを食べにここにきたが、ここ“アルペンジロー”のカレーはカレーであってカレーではない。
辛味と甘味、そして旨味の比率が渾然なまでに完璧なカレー風味の美味なスープの中に、正しく焼き上げた肉がそっと入っているのである。
飯盒に入った飯を大皿に取り分け、肉を大皿に移して切り分けてからおもむろにカレースープを口に運ぶ。
そして、美味な風味が残っている間に飯を放り込み飯との調和を楽しむ。またカレースープと香ばしく焼き上げた肉との調和を楽しんでもよい。
“アルペンジロー”では実に奥深い味の調和を楽しむことができるのである。
たかがカレー、されどカレー。
実に魅力的で不思議な食べ物である。
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「イエスの遺伝子」The Miracle Strain マイクル・コーディ著 内田昌之 訳 徳間書店刊
この小説のストーリーを正しく認識するにはまずキリスト教の持つ宗教観を理解する必要がある。
イエスの奇跡とは一体どのようなことなのか?
聖書に記載されている奇跡といわれている治癒能力は数多くある。
我々日本人にはなかなか理解できないことである。
でもこの小説はこのイエスの奇跡といわれている究極の治癒能力をもった“イエスの遺伝子”の求めて探索するというのがあらすじである。イヤイヤまったく奇想天外なプロットである。
そして、このキリストの血や聖布、聖杯などのシンボルは、キリスト教の伝説や儀式に深く結びつき、何千年と続く宗教秘密結社が暗躍し、また最先端の遺伝子工学とが複雑にからみ合い、見事な冒険ミステリーに仕上がっている。
面白いのだが、なにせ我々の宗教観や倫理観とはかけ離れたところでストーリーが展開していくので、ページをめくるスピードは早いのだが、チョット醒めた視点で読んでしまう。
それにしてもこの小説が日本で発表されたのが1998年、今から10年前であるがDNA研究・DNAビジネスの進展は日々進歩しており、この作品の中で出てくる最新の技術が 既に半ば常識となりつつあるのが凄い。
不老不死の遺伝子はあるのか?信じる者は救われる・・・?
強い信仰心を持った人が読めば夢のような小説なのだろうな・・・
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「リバー・ランズ・スルー・イット」(A River Runs Through It)
は1992年公開のアメリカ映画である。
監督はロバート・レッドフォード。
10年前に一度観たが、それほどの感動もなかった。
しかし、最近再鑑賞する機会があり、観たのだが、イヤイヤ人間は年を重ねると何気ない描写がジワッと染み入るように感じるものなのか。
モンタナに暮らすごく平凡な一家の歴史を、川の流れの如く淡々と描写していくだけなのだが、良き時代の良きアメリカの雰囲気、そしてモンタナの美しい自然がその背景に重なり合い、実に味わい深い水彩画のように心に染み入ってくる。
年を重ねるということは難しい。年を重ねるほど重荷を背負いすぎてしまう。
家族とは、そして人生とは?
生きるということは罪深きものなのか?
でも静かに流れる川の中に身を委ねていると穏やかな気持ちになれそうな気がしてくる。
ところで題名の「リバー・ランズ・スルー・イット」(A River Runs Through It)とはどういう意味なのか?
「全てはその川の流れとともに」
「人生は川のごとく」
「川の流れのように」(美空ひばりか・・・)
「それはその川の流れのなかにある」とでもいった、人間の運命と川の流れを詩のごとくうたった題名なのか
一度原書を紐解きながらじっくりと考えるとしましょう。
それにしても水面に反射する光の中でのキャスティングシーンのなんと美しいことか!
モンタナの雄大な自然の中でのフライフィッシングに憧れてしまう。
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江ノ島があると藤沢市はマイアミ・ビーチ市姉妹都市関係にあるということを去年の「江の島春まつり」を訪れた時に知った。
これは藤沢市が東洋のマイアミ海岸と呼ばれているということでマイアミ・ビーチ側から申し出があったというのである。
ワタクシ、今から20年以上前にマイアミにいたことがある。
まぁ、マイアミ大学に1年間語学留学していただけであるが、マイアミ・ビーチにはよく行った。
だからマイアミは良く知っているつもりである。
横須賀市図書館で月に一回リサイクル本の提供があるのだが、先日ここで「OVER MIAMI」という写真集を手に入れた。
撮影した年は1990年代らしい。
ここには懐かしのマイアミの空撮写真が収められており、実に懐かしく見入ってしまった。
コーラル・ゲーブルもココナッツ・グローブも変わりはなく、おそらく今も大きくは変わってはいないだろうと思う。
さすがにダウンタウンはかなり変わってしまったようである。
しかし、マイアミ・ビーチは変わりがなく、アール・デコ調のホテルが建ち並んでいる。
で、思うのだがやはり藤沢市とマイアミ・ビーチ市は違うなぁ・・ということである。
そしてマイアミのダーティな部分をどれだけの日本人が知っているか。
「マイアミ・バイス」というTV番組があったが、犯罪の発生率は高かったと記憶している。
しみじみと日本は平和だなぁ・・・と感じてしまう今日この頃である。
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週末の土日は江ノ島で春まつりが行なわれていた。
この「春まつり」は去年も訪れている。
で、今日は「太鼓ライブ」にあの「ヒダノ修一」が登場するという。
ヒダノ修一は「EnTRANS」のメンバーで、去年は「横濱 JAZZ PROMENADE 」や「本牧ジャズ祭」で
「EnTRANS」の演奏を楽しんだ。
そのEnTRANSのメンバーである井上堯之が引退を表明したのは1月のことである。
もう「EnTRANS」の演奏や井上堯之のギター、ボーカルが聴けないのは寂しいなぁ・・・
と思ったらヒダノ修一の太鼓を聴きたくなり江ノ島に赴く。
小春日和の陽気の中、広場でまったりとワインを飲みながら太鼓を聴く。
ヒダノ修一ユニットの太鼓はビートに気合があると感じる。
和のビートを心に刻みつつほろ酔いでお帰り。
江ノ電の車窓からはサーフィンやヨットを楽しんでいる人々が垣間見れる。
もう春である。
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柏木田が関東大震災後だんだんと衰退していくなかで、安浦は拡大し、最盛期には150軒のカフェがあっという。で、ワタクシの祖母も戦前は早川質店の裏手でカフェを営んでいた。
そんな安浦だが当時の面影は今ではほとんど残っていない。
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ここ数年で横須賀にはタイレストランが数軒オープンしたが、この「サバーイタイ」もその一つである。
場所は汐入の駅の近くで、ワタクシの汐入へのアクセスする道筋にあり、オープン時から気になっていた店である。
この日はランチの「トムヤムクンセット」を所望。
落ち着いた店内で食べるトムヤムクンは何だかシミジミとウマい。
こんどはランチバイキングを是非食べてみたい。
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Think of an idea
to change our
world - and
put it into ACTION!
世界を変える方法を考え、
それを実行してみよう!
社会科の先生の問いかけに、一人の中学生が行動を起こす。
それは人を助けるということ。
そして、その善意を他人へ回す運動を始める。
これが英語でいう、“Pay it forward”である。
人から受けた善意をその相手に返すこと、これは“ペイ(it)バック”
で、その受けた善意を相手に返すのではなく、「次へ渡す」こと、
これが“ペイ(it)フォワード”である。
日本語英語?の悲しさで“it”が省略されてしまっているが、“Pay it forward”が正しい英語である。
世の中にこのような“善意”のリレーが一つのムーブメントとして定着すればいいのだが・・・
現実は厳しい。
ほとんどの人が俺に善意を、と思っているハズ。ハズといえばワイフなのだが、この映画には寂しくも気丈なワイフが登場する。で、この映画は美しくも悲しいラブストーリーでもある。
イカン!酔っているので支離滅裂な文章になっている。
まぁ、観ればわかります。“イイ”映画です。
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国籍不明 (上) (単行本)
麻野 涼 (著)
最近、北朝鮮を巡る話題がニュースをにぎわしている。
今日、金賢姫元死刑囚と田口さん家族が韓国で面会した。
また、テポドン発射もニュースになっている。
初めてパスポートを手にした時、このパスポートでは北朝鮮には行けない、とタイプされていた。
朝鮮戦争時、横須賀のドブ板は殺気だって賑わっていた。
東京タワーは朝鮮戦争で廃棄されたアメリカの戦車の鉄を再生して建てられている、ということを最近知った。
「トンマッコルへようこそ」は戦争の愚かさを描いていた。
が、しかし北朝鮮の隠された真実は誰も知らない。
この「国籍不明」は朝鮮戦争を経て現在まで、日本人拉致、麻薬取引、偽ドル・マネーロンダリングなどの今日的事件を絡めてこの小説を作っている。
国家や民族に翻弄され、家族を失っていく。
隠された真実のために多くの人命が失われていく。
どこまでが真実で、どこまでがフィクションなのか読んでいる途中でわからなくなってくるような錯覚になる。
人種や国籍、そして民族などのアイデンティティから本気で逃れたい時には、黒も白も黄色も関係ない褐色の大地“ブラジル”に溶け込めばよい、という文中の一節が印象的である。
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北鎌倉と大船のちょうど中間に位置している「手打そば鎌倉」
アクセスがチョット悪いので観光客はあまり来ない。
だから、のんびり、まったり蕎麦が食べられる。
特製 「鴨せいろ」を所望。
そしてこの蕎麦の盛りの良さはスゴイ!
コストに比例しており、ここでは間違っても「大盛り」を注文してはイケナイ。
普通の蕎麦屋の2~3倍のボリュームがある。
そして手打ちされた蕎麦は程よくコシが強く、つけ汁もダシが良く効いている。
普通?の蕎麦屋なれどその“無骨さ”がいい意味でワタクシにはウレシイ。
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大船は鎌倉市である。
しかし、大船の駅を降りると鎌倉の駅前に醸し出されている“ツン”という空気はなく、実に庶民的な雰囲気に満ちている。
その「大船」だが、ワタクシは良く知らない。
そして、大船フラワーセンターで玉縄桜が咲いているという。
これは見に行かなければナラナイということで「Jazz in 鎌倉」を楽しむ前に大船フラワーセンターに立ち寄る。
で、これが「玉縄桜」である。
玉縄桜とは約40年ほど前に同園でソメイヨシノの自然交雑実生(みしょう)株から選抜育成したもので、地元の由緒ある地名の「玉縄」を冠して名付けられ、1990年に正式に種苗登録された鎌倉生まれの桜でである。
ソメイヨシノよりも20日ほど早く咲き始め、約1カ月にわたって見ごろが続くのが特徴。
そして大船のランドマークである「大船観音」
その姿は何度も見ているがそばで拝見するのは初めてである。
大船観音は、昭和4年から建造が始まったが、資金難となり昭和9年に工事は凍結。その後は日中戦争、そして太平洋戦争の開戦と、戦局の悪化により築造は中断。戦後、大東急の五島慶太や議員が中心となって工事が再開。昭和35年に完成した。
戦後は“護国平和願望成就の守り本尊”として奉祀されている。
で、この東急の五島慶太だが、大船では文化住宅地の開発に着手し、私立の名門、清泉女学院、栄光学園などの誘致にも成功した。その一環として、観音様を完成させることは、その事業の一つであったのかもしれない。
それにしても鎌倉・大船などの開発には西武と東急の名前が必ず出てくる。
山を崩して、海を埋め立てるという開発はいまだに行なわれている。
思わず環境破壊の防止を観音様にお願いしてしまった。
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今日は天気があまりよろしくない。
ということで予ねてから訪れてみたいと思っていた「横浜情報文化センター」でまったりとする。
ここには「放送ライブラリー」や「新聞博物館」などの施設が入っており、日本のマスコミュニケーション博物館というカンジである。
特に「放送ライブラリー」では過去に放映されたテレビ・ラジオ番組のライブラリーが充実しており1日いて楽しめる。
企画イベントとして「放送ライブラリー」では「昭和の広告展(昭和20年~45年)」が、
「新聞博物館」では「あんやたん 写真展」が開催されていた。
「昭和の広告展」を観てここからカタカナ文化やら職業が始まったのだな・・と実感。
「あんやたん」とは沖縄の言葉で「あんなだった」という意味で、その過去の出来事の報道写真が展示されていた。
沖縄返還、コザ騒動や戦闘機のヘリの落下事故など記憶に刻まれた出来事が次第に甦ってくる。
その後、「放送ライブラリー」で横須賀を特集した番組などを観る。
興味深かったのが1985年に放映された「遠くに行きたい」で、ちあきなおみが横浜と横須賀を紹介しているのだが、今は亡き「EMクラブ」で4才の頃、彼女はここでタップダンスを踊ったという。
また、NHKの「小さな旅」の「愛しのジャズ街に響け」という番組で横須賀のジャズを取り上げていたが、日本のジャズの発祥の地でなかなかジャズが根付いていないなぁ・・・
昨日聴いた「Jazz in 鎌倉」では音楽が地域に溶け込んでいると感じたが、横須賀はまだそこまで成熟出来ていないのかな・・・と寂しく感じてしまう。
ジャズの活動の場として「CABIN」が紹介されていたが、最近では津久井浜にある「おれんじや」も有名である。
ヨコスカのジャズをもっと盛り上げていきましょう!皆様!
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毎年この時期恒例の「ジャズ・イベント」である。
ワタクシにとって今回で4度目であり、毎年楽しみにしている。
去年は行けなかったが、一昨年は10回目ということもあり盛大に催された。
小学生から70代のオジイサマまで実に楽しく“Jazz”を演奏しているが良い。
まさに音を楽しむ“音楽”を肌で感じることが出来る。
御馴染みの「植木リトゥルエコーアンサンブル」
恐るべき小学生ビッグバンドである。
インターミッションではホワイエでもJazzが演奏され、ビールやカクテル、ワインを飲みながら楽しめる。
ラストでは全バンドのサックス奏者が勢揃いし、大セッション大会に盛り上がる。
実に楽しいイベントである。
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思えば1999年に制作された「シュリ」からワタクシの韓国映画に対する認識が変わった。
何というかアジア人として共通する土壌に暮らす者としてそのDNAに訴えかけてくる“何か”があったのである。
それは欧米にはないとても“ウエット”な感覚なモノで、共感できるものである。
じゃ、それは何?と問われてもワタクシには明確には答えられない。
この「トンマッコルへようこそ」にもそんな“ウエット”な感覚に満ちた映画である。
この映画は大人のファンタジー映画なのだろうか?
この映画を観ていると戦争って実にバカバカしいモノに感じてしまう。
この映画から我々は学ばなければいけない、のだが現実はそれを許さない。
社会や現実が変わっても基本的に人間は“優しい”気持ちを持っていて欲しいと願うのである。
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光の山脈 (単行本)
樋口 明雄 (著)
樋口 明雄氏の作品は「狼は瞑らない」以来である。
自ら南アルプスの麓に住み、釣りと野良仕事のかたわら、冒険小説の執筆にいそしんでいる。
だから、山や自然に対する思い入れのある文章は共感できるものがある。
この「光の山脈」も腐敗した産廃行政に焦点を当てつつ、「狩猟」という日本古来の伝統も問題にしている。
産廃による自然破壊はもはや周知の事実でありこの問題は皆さん認識している。
しかし、「狩猟」に対して正しく認識している日本人は何人いることやら・・・
というよりは、狩猟に対してはまったく無知の人がほとんどであろう。
そして、まっとうに「狩猟」を行なっている人も少ないようである。
山には神が宿ると古代から人々は敬ってきた。
我々は自然の中で生かされているということ、そして狩猟を正しく認識することを
この「光の山脈」から教えられた気がする。
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「こうかいぼう」のちゃーしゅうめん
門前仲町にある「こうかいぼう」
もし、ワタクシが今あるラーメン屋が不満で、自分でも毎日でも食べたくなるような納得いくラーメン屋をオープンさせたのなら、きっとこんなラーメンを出していたと思う。
インパクトはないが、実に“優しい”ラーメンである。
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日本橋には日本銀行本店がある。
先日の土曜日は「無限落語」や「土門拳の写真展」を楽しんだが、この日本銀行本店の隣に「貨幣博物館」がありここも興味深くご見学。
特別展で「幕末ゴールドラッシュ -安政の五カ国条約と金貨流出-」が開催中であった。
「お金」とは何ぞや?
その意味や通貨価値安定の重要性などについてじっくり考えることができる博物館である。
しかも無料である。
日本銀行本店も平日なら予約すれば見学できる。
日本橋にお越しのの際には是非見学してください。
新札の一億円の重さを体感できます。
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先週の土曜日は日本橋亭で「無限落語」を楽しんだのだが、ちょうど日本橋三越本店 新館7階ギャラリーで土門拳生誕100年記念写真展 「土門拳の昭和」という企画展が開催されており、これも楽しんできた。
土門拳といえば「昭和写真界の巨匠」「古寺巡礼」というイメージだけがワタクシの中にあり、彼の作品をきちんと観たことがなかった。
しかし、仏像の写真を撮るのに露出に30分かけ、弟子達に不可能だと言われ、念写しろ!といったり、カメラの肉体化、つまり、すべてを7フィートで写すことにして、7フィートという距離をつかむ訓練を毎日続けたという話は知っていた。
カメラを身体の一部にして、演出と作為を完全に排除する。それが土門の撮影技法であったのかもしれない。
今のデジカメの撮影とは違い一枚一枚真剣勝負で撮影しており、銀塩でしかできない写真表現というものは確かに存在するということを改めて認識させられた。
この「土門拳の昭和 」で一番印象的だったのは子供達の写真である。
筑豊や江東の子供達の無邪気で活き活きとした姿を撮影した一枚一枚はまさに“ありのまま”を写し取ったものであり、魂に訴えかける何かがある。
土門拳の気迫で“念写”した写真は迫力があるとしみじみと感じた企画展である。
3月8日(日)まで
日本橋三越本店 新館7階ギャラリー
入場料:一般・大学生900円、高校・中学生700円、小学生以下無料
開場時間:10時~19時30分(20時閉場)
★3/1は19時まで、最終日は17時30分まで
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今日は3月1日の日曜日だが、天候は悪い。
朝から雨である。
こういう日はインドアでまったりするしかない。
で、毎月1日は映画の日で入場料金が一律1000円になる、ということで今日は映画のハシゴをして過ごすことにする。
午前は「チェンジリング」午後は遅ればせながら「おくりびと」を観る。
昨日は「無限落語」で笑い涙を流したが、今日はそれぞれの映画が醸し出す愛おしさに涙する。
「チェンジリング」は女性軽視の時代背景の中で挫けそうになりながらも“母は強し”を描き、その過酷なまでの現実が印象的な映画である。
そして「おくりびと」はアカデミー賞外国語映画賞を受賞しての凱旋上映である。
この映画の良さはそのネーミングであろう。「おくりびと」は実にファンタジックなネーミングで“死”をオブラートに包んでいる。納棺という単語が入っていたらここまでヒットはしなかっただろう。あまりにも生々しすぎる。が、しかし、このオブラートに騙されてはいけない。現実の“死”は実に過酷でもある。
そして、の映画は日本人の死生観を観客に問いかけてくる気がする。
死とは、穢れとは、言霊とは、そして魂の尊厳とは何か?
死者に対して“慈しむ”気持ちで“儀”を行なうその姿には尊厳さえ感じてしまう。
ワタクシの今までの偏見を打破してくれたこの映画に感謝しております。
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