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2009年1月31日 (土)

ご近所探索「柏木田点景」

ご近所のお年寄り(かなり高齢)の方の中にはいまだにうらが道を「本道」、米が浜を「観念寺」、富士見町を「しんばか」と言う人がいるが、不入斗橋付近にあった「柏木田」を口にする人はいない。

「触れられたくない過去」であり「触れてはならぬ過去」なのかもしれない。

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明治時代、富国強兵の名の下に横須賀は近代軍港として位置付けられ、その軍港と共に発展してきたのが「遊郭」である。
この遊郭は最初大滝町にあったが、明治21年の12月、大勝利山近くの豊川稲荷付近から出火し延焼により遊郭は炎上した。
その後、遊郭は柏木田に移転し軍人や横須賀製鉄所の技師などの客で賑わったという。しかし、関東大震災で倒壊した建物が多く、遊廓としてはその頃から次第に衰退し、新開地の安浦そして田浦の皆ヶ作に移っていくのである。

そしてここ「柏木田」は山口 瞳の私小説「血族」の舞台でもある。
ちなみに山口瞳の母親方の菩提寺とワタクシの母親方の菩提寺は佐野にある妙栄寺である。

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柏木田という地名は町内会で残っており、隣には「穴守稲荷」がある。
これもここに遊郭があった証拠でもある。
羽田の穴守稲荷が有名である。
東京国際空港内の開墾地であった鈴木新田の堤防上の一祠に風浪の害をなくすために稲荷大神を祀ったのが始まりで、やがて、堤の「穴を守る」という連想から、女性のシンボルにも転化され、「女性の病気」を守るという解釈がなされたため、婦人病に悩む者や花柳界、遊郭の関係者にもてはやされるようになっていったのである。
そんな当時の信仰心からここに「穴守稲荷」が建てられたのだろう。

そして病気になってしまった女郎達は地下牢で放置されていたようで、富士見町の丘の上に密かに埋葬されたのである。
確かに「触れられたくない過去」なのかもしれない。

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コメント

穴守稲荷は空港線の駅名だけではなかったんですね。
この柏木田は、私が通っていた小学校のすぐ近くなので、地理的には知ってますが、語りつくせないほどの悲しい歴史があったとは…。
さっそく「血族」を読まなきゃ。

投稿: しん坊 | 2009年2月 1日 (日) 01時54分

こんばんは、しん坊さん。
山口瞳が取材をした時も「柏木田」の話をしたがらない人が多かったようで、また記録もほとんど残っていなかった状態です。
かろうじて新聞記事や数少ない関係者から情報を得「血族」を書き上げていて、もうこれ以上知る必要はない、と割り切っていたみたいですね。
我々の知らない悲しい歴史がここにはあるようです。

投稿: take4 | 2009年2月 1日 (日) 23時15分

写真が白黒なので古いものかと思ったら、現在の物なのですね
どうりで見たことがあるはずです。

そういえば、こんなものを教えてもらいました。
http://flickr.com/photos/edgarjlaw/sets/72157601158474653/

涙物ですので一度ご覧ください。

投稿: アレ | 2009年2月 3日 (火) 12時50分

こんにちは、アレさん。

この白黒写真は最近撮影したものです。
実は、石内都さんの「ヨコスカストーリー」という写真集を見て以来、粒子の荒れたモノクロに興味があり、画像処理ソフトで加工したものです。


そしてこのサイトはこの1970年にアメリカの軍人さんが撮影した横須賀の写真ですね。某BBSで話題になっていました。
懐かしの横須賀中央駅が写っておりしばし思い出にふけっていました。
アノ頃はヨカッタ・・・・

投稿: take4 | 2009年2月 3日 (火) 17時03分

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