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2008年10月 3日 (金)

ご近所探索「赤門」Part2


この「赤門」の右横には円柱形の石造の道標がある。
文久2年(1862)に建てられたものだ。かつてこの門前を江戸と浦賀を結ぶ主要道路が走っていた証である。また赤門の前は明治末まで白砂青松を連ねた美しい浜辺であった。しかし、一度嵐になれば風雨が激しく赤門から通ったという。

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「右大淳浦賀道、左横須賀金沢道」と刻む道標が当時を偲ぶように建っている。

明治18年に創業した海軍ご用達「小松」は最初、田戸の永島家の赤門前で営業していた。小松が創業した当時の田戸は浦賀への道は通じていたが、海岸線を通ってくる道はなく上町を越えてくる方法しかなかったので海軍さんにとっては不便な所であっと想像できる。
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                  当時の地図

この永島家だが、江戸時代の御台場建設の経験をかわれて、東京湾も請け負い第二海堡と第三海堡の施工時の記録が見つかっている。そして、この海堡で得た技術を活かし、明治44年(1911)から田戸海岸の埋立を始めるが工事は難航し、大正5年(1916)に工事とその利権を安田保善社に譲りわたすことになる。いかに難工事であったか、現在安浦公園(かつての安浦港前)にある供養塔に刻まれた犠牲者の数をみてもわかる。
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                安浦公園の供養塔

ちなみにこのあたりの地名「安浦」は安田保善社の「安」と港の意味の「浦」をあわせ、「安浦」と名付けられることとなった。

で、この朱塗りの「赤門」だが当時は将軍家から特別に許可をされなければ出来なかったのである。赤門はどのような事情でここへ置かれのであろうか。三つの説があるという。大津陣屋が閉鎖された時、そこにあったものを田戸庄へ下げ渡した。(当時、役所のものでないと、朱塗りは許されなかった)浦賀の御倉所の関係者の門が、ここに移された。 鎌倉八幡宮寺の門を浦賀へ、と古文書にあるので、それがここへ。

その歴史などは今後の研究に待つところが多いのだが、聖徳寺坂はワタクシの散歩道でもあり、時折脇に入り赤門前を通り過ぎると四季様々な表情を見せるくれるチョット“渋い”隠れた名所である。

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