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2008年10月

2008年10月31日 (金)

めん徳二代目つじ田

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めん徳二代目つじ田 神田御茶ノ水店

ワタクシ、2年ほど前に神田で行なわれていたプロジェクトに携わっていた。
で、この時にランチでよく訪れていたのがここ「めん徳二代目つじ田 神田御茶ノ水店」である。
また、ここは「つけ麺」の美味しさを再認識させてくれた店でもある。

今やつけ麺のスタンダードになったWスープに太麺の麺が程よく絡みウマい!
そして、スタンダードのテイストを味わった後は、“すだち”と“黒七味”でアクセントを付ける。

初めてここのつけ麺を食した時、脳髄に衝撃が走った。
(つけ麺とはこんなにウマいものだったのか・・・・・)
今までの「味の記憶」にない新しい味覚に舌が、鼻腔が打ち震えて喜んでいる。
我を忘れて一心不乱に食したのを覚えている。

この魅惑のつけ麺を食べたい・・・・・
東京は神田周辺で所用がある度に訪れている店である。

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2008年10月30日 (木)

「魍魎の匣」

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難解な四文字熟語でも「魑魅魍魎」は比較的ポピュラーで読むことが出来る、
がしかし書くことが出来ない漢字でもある。
また、この意味を明解に答えることが出来る人は少ないかもしれない。

ましてや「魑魅魍魎」と「魍魎」の違いなどワシら凡人には分かるはずがない。
で、劇中でこの違いについての京極堂が講釈しており、これは中国の荘子の言葉に由来するものらしい。
まぁ、一般的には魑魅魍魎は化け物、妖怪変化の類(たぐい)である。
「魑魅」とは、山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物のことで、「魍魎」は山川や木石の精霊とされる。
もともとは「魍魎」は古代中国の帝の子供であると云う神話に由来しているという。
それが長い歴史の間に解釈が変わり、魍魎とは境界で人を惑わす妖怪、けだものになってしまったのだ。

今では魑魅魍魎も魍魎も何となく怪しげでまともではない世界を意味している、という認識が一般的であろう。

そして話は映画「魍魎の匣」に移るが、
ワタクシ原作者である京極夏彦の小説は読んだことがない。
従って、一切の予備知識なくこの映画を観たが、時系列の巧みな演出、ノスタルジックで、幽玄的な雰囲気はワタクシのツボにハマってしまった。

そして匣(はこ)。原作者は、主人公達は、読者は、監督は、出演者は、観客は、この匣から何を取り出して何を詰めるのか?

不思議にも観終わった後、「魍魎の匣」とは美しくも華奢で愛おしいものを心の中に想像していた。

魑魅魍魎とは怪しげでまともではない世界と前置きしたが、今の政治の世界はまさしく“魑魅魍魎”ではないかと思う秋の夜長である。

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2008年10月29日 (水)

横浜-大さん橋

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設計は1995年のコンペで勝ったFOAで基本構造は日本の折り紙からヒントを得て構想した折板構造を採用している。
以前、あるCADベンダーのセミナーでFOAの設計者からこの設計のプロセスを聞いたことがあり、3次元CADを駆使して設計した苦労を語っていた。
施工写真や構造デザインなど詳細は構造設計を担当したSDG(株式会社構造設計集団)の横浜港大さん橋国際客船ターミナルのページを参照するとよろしい。
                          ↓
    http://www25.big.or.jp/~k_wat/yokohama/index.htm

まぁ、このようなデザインはCADやCGの進化によって可能になったもので最近は多い。
ワタクシ自身も数々のプロジェクトで基本設計から施行図、はたまた仮設計画で3次元CADを使ってきた。
で、これからは4次元CADに進化するという。つまり時間軸が加わり工程管理が出来るようになる。また、コストマネージメントの機能も新たに加わり、バーチャル空間で実際に建設しつつ、コスト検証が可能になる。

イヤイヤ、オジサンにはワケわかめの世界である。
現在ではハードの性能も上がり、ジャンボジェット機1機のフル3次元表示が可能だという。ジャンボジェット機1機の部品数は約400万個もあるのだよ!
しかし、建築となると規模にもよるが使われている部品数はジャンボジェット機以上あるので完全なる3次元化は現状では無理である。

で、話は戻り大さん橋である。
ここで使われているデッキ材はブラジル産の「イペ」である。
横浜大さん橋のほかには東京湾アクアライン「海ほたる」屋上展望デッキなどのボードウォークなどに使われている。
木材の中で最も強い強度を持ち、無塗装で30年以上腐る事はないという。
また、この「イペ」は健康食品としても有名で、ブラジルではイペの木自体が少なくなってきている。
技術は進歩しても使用する材料は天然材で自然を消耗している事実はチョット悲しい。

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2008年10月28日 (火)

サクリファイス

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勝つことを期待されそれを重荷に感じた主人公が今度は誰かのために走ることにより自由を感じる。
まぁ、普通ならこのような犠牲(サクリファイス)は理解しがたいものかもしれない。
犠牲になることにより自由を感じるのか?

自分のために走ることが重荷で、誰かのために走ることは重荷ではないとは・・・・
ワシらの常識を超越した精神世界に主人公はいるのか?さもあらん彼は己の勝負の拘りを捨てて自由になったのだろうなぁ・・

などとつらつら考えながら読み進めていくと次第にロードレースの駆引きの妙に引き込まれる。
エースとアシスト、ヒルクライムとスプリント 個人とチーム、能力とタクティクス。
ロードレースであるツール・ド・フランスがオリンピック、サッカーワールドカップに並んで、世界三大スポーツイベントの一つに数えられるのが分かるような気がする。

物語はやがて複雑な伏線で張られたミステリのベールに覆われてゆく。
次第に解き明かされていく真実。
そして犠牲(サクリファイス)の真の意味とは?

読後は自転車に乗り風を感じたくなってしまった。
ピュアなロードレーサー達の魂が詰まった作品である。

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2008年10月27日 (月)

イーグル・アイ

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「イーグル・アイ」

最近ではコノ手の映画を観てはさんざん裏切られてきたので軽い気持ちでご鑑賞。
ハンディカメラを使い主人公達の視線で描かれているのだろうカーチェイスは貴方の動体視力を試します。
テンポ良く観せるジェットコースター・ムービーで、ワタクシ、久々に見入ってしまった。

人工知能がアメリカの安全のために良かれと思い?考え?あるプログラムを実行に移す。
で、その背景にあるのが政府の国民を監視するシステム、これが「イーグル・アイ」である。

遥か上空を舞う鷲や鷹は視細胞を150万個も持っている。人間は20万個なので約8倍の視力があるわけで1,500mの高さから小動物を見つけることが出来るという。
で、無数にあるネット上の情報を逐一監視し、瞬時に必要な情報にアクセス出来る「イーグル・アイ」とはなかなか言いえて妙なネーミングである。

映画のコピーに「スピルバーグからの警告」とある。
これは国民監視システムや人工知能の暴走といったハイテク技術に対する警告なのか?
米国民を危険に晒しているのは、持てあまる軍事力の上に胡坐をかき、放漫な判断で国民をミスリードしていく米国政権自身なのだ・・・スピルバーグのメッセージが余韻として残る。

そういえば、カート・ヴォネガットも狂気の沙汰の米国を憂えていた。

ちなみに人工知能内部のビジュアルデザインは日本の岐阜県にあるニュートリノ検出装置「スーパーカミオカンデ」からの借用だという。確かに似ているなぁ・・・・・

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2008年10月26日 (日)

三崎港町まつり

三浦半島の三崎港は「まぐろ」で有名である。

ワタクシも今年の4月に食の神フェティバルなるものや、、日本一を目差した510mの鉄火巻作りを見学し、まぐろも堪能した。また「まるいち」では地魚を美味しく頂くことができる。

三崎ではこの“まぐろ”でさらなる町おこしをしようということで「まぐろ拉麺」や「まぐろソースカツ丼」を長年に亘り研究・開発をしてきた。
しかし、ワタクシはこの「2品」はまだ未食で機会を窺っていた次第。

そんなワタクシの心中を察したかのように今日は「三崎港町まつり」が行なわれた。
これは行かねばならぬということで小雨が降る中を三崎を目指す。

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会場である魚市場は大勢の人で大変賑わっていた。

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で、これが小振りの「まぐろソースカツ丼」500円也。
上マグロの尾の身を薄めの衣で揚げた一品で、あっさりでほろりとした食感がいとウマシ。

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こちらも小振りの「まぐろ拉麺」500円也。
そぼろ状のまぐろの甘みとまぐろの出汁が効いたとろみのあるスープが程よくマッチしている。

そういえば以前、「まずいモノ食いに三崎に行こうツアー」という記事をメルマガで読んだことがあり、本命はこの「まぐろ拉麺」だったなぁ・・・・
執筆者は日本一ラーメンを食べた男として有名な大崎 裕史氏である。で日付は2002年6月9日とな・・・

大崎さん、まぐろ拉麺は日々進歩しており今では大変美味しいですよ!と心の中で叫ぶ。
腹もくちくなってきたので散策はそこそこに三崎を後にする。

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2008年10月25日 (土)

稲岡祭

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稲岡祭は神奈川歯科大学(附属歯科技工専門学校含む)、湘南短期大学合同の大学祭である。
この神奈川歯科大学から横須賀学院にかけては、もと海軍機関学校が置かれていたところでもある。

去年はここの校内にあるジャカランダの花を見に来たことがある。
そして、このジャカランダは世界三大花木で横須賀が北限らしい、ということもこの時に知った。

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校内学生達による出店や出し物などで賑わっていた。
思いっきりシャウトする学生バンドは見て聞いて実に楽しい。

そういえば以前この大学祭で口腔内診査、ブラッシングの指導を受けたことがある。
歯は大事にしなければならないと思うのだが、先日ラジオで歯科技工士がいなくなるというショッキングなニュースを聞いたのを思い出した。
値段3分の1の中国製の入れ歯や差し歯などの「義歯」が日本に輸入されているのが大きな原因であるという。
歯科技工士の現状は危機的であるらしい。

ここにも中国の脅威の影がチラついている。
日本の歯科技工士の技術レベルは世界的に見てもトップレベルである。
この日本の歯科技工の技術を廃れさせてはいけない。

ワタクシが入れ歯や差し歯をする時には絶対に日本製にしよう、と固く心に誓いつつ稲岡祭を後にしたのである。

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2008年10月24日 (金)

海鳴のつけ麺

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以前、鎌倉でラーメンといえば「ひら乃」であり「晴雨庵」であり「ひなどり」であり、そして「HANABI」である。で、「ひなどり」が藤沢に移転後オープンしたのが「「湘南麺屋 海鳴(うなり)」である、と話題にしたことがあった。

この「海鳴」は鎌倉駅からも近いこともあり、常食店としてインプットされている。
ここのラーメンはしみじみとウマイ!
和のウマミがしみじみと五臓六腑に染み渡る。

で、この「つけ麺」は和のテイストが凝縮されたつけ汁と腰のある太麺が口の中で喜びのダンシングを繰り広げる。
炙りチャーシュウという名脇役も要所要所で登場し場を盛り上げる。
最後はスープ割りを所望してフィナーレを迎え、しみじみと幸せを感じるあと味の余韻にしばし浸る。

ここ(海鳴)はワタクシにとって小さいながらもラーメン・パラダイスなのである。

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2008年10月23日 (木)

グーグルアース&スケッチアップ

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先日「グーグルマップのストリートビュー」でのバーチャル散歩について触れたが、グーグルアースも進化している。

グーグルアース上にスケッチアップのデータが乗せられる、というコメントは1年ほどまえに読んだことがある。

で、久々にグーグルアースを起動してみたら東京駅周辺にはスケッチアップで作成された建物の3Dデータが表示されていた。
最新版の4.3をダウンロードして、レイヤの「建物の3D表示」をオンにする。

ちなみにスケッチアップとはグーグルが提供する3次元(3D)作成ソフトで有料版と無料版がありがほとんどの機能を無料で使うことができるスグレモノ。

ワタクシもお仕事でこのスケッチアップを使いモデリングをしたことがある。
基本プランニングやボリュームスタディ、あるいは簡単なプレゼンには問題なく使える。

しかし、精度の問題で詳細図や施行図までブレークダウンは出来ない。
また、サーフェスモデルのため、体積を算出したり、重心を求めるといった物理的特性も得られない。で、仕方がなくAutoCADを使いソリッドモデルをしこしこ作りして検討図や詳細図を作成したことがある。

とはいえ、お手軽に使えるスケッチアップで3Dでのプレゼンは当たり前になるかもしれない。

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2008年10月22日 (水)

再会の街で

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再会の街で     (2007年 / アメリカ)
REIGN OVER ME 

この映画のバックボーンにはアノSeptember 11が存在する。
ようやくアメリカもこのような映画を撮れるようになったのか・・・と感慨深い。
次第に傷も癒えてきて新しい路を探しているような気がする。
忘れてはならない悲しい過去ではあるが立ち止まってはいけない。

傷も癒えてくると疼いてくる。彼(チャリー)も心が疼いていたのかもしれない。
そして誰かに背中を押してもらう機会を待っていたのかもしれない。
新しい路を歩み始める為に・・・・

彼は立ち止まっていた。
70年代の音楽をシールドにして、内面の世界に逃げ込み外界を遮断する。
頭の中で鳴り響く“REIGN OVER ME”のメロディー、そしてそのスイッチを“OFF”したのはかつてのルームメイト。
虚構と現実の狭間で揺れ動きながらも次第に背中を押されて歩み始める。

そのかつてのルームメイトもチャリーを救うことで自分自身も再生出来ると信じていてのだろう。
人と人が信じあい助け合い再生していく。
そしてSeptember 11からのアメリカの再生をも示唆しているようである。

この映画の個人的なツボは映像と音楽である。
特にオープニングはセピア色の琴線に触れてしまった。
あの頃の日々と音楽を・・・・

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2008年10月21日 (火)

国のない男

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国のない男 (単行本)
カート・ヴォネガット (著), 金原 瑞人 (翻訳)

偉大なる現代の“アメリカの良心”であるカート・ヴォネガットの遺作である。

最近のアメリカの高校生の間ではサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」よりもカート・ヴォネガットの「スローターハウス5」の方が支持が多いという。
そんなコラムを以前読んで彼の名前は知っていたが作品を読む機会はなかった。

そして、彼が去年の4月に亡くなっていたというのも最近知った。
その彼の遺作である「国のない男 」。160ページにも満たない厚さ2cmの単行本。
普通なら一日で読んでしまうのだが、読み終わるまで1週間かかった。
一字一句心に刻むように読む。

危うい状態である宇宙船「地球号」。それに乗り込んでいる我々の将来は?
狂気の沙汰のアメリカを憂い、唯一の救いは音楽だと訴える。

彼の静かな“心の叫び”が次第に隙間から心に入り込み共振しやがて震えだす。

昔は良かった。エイブラハム・リンカーンがいてマーク・トゥエインがいた。
彼らの言葉に耳を傾けるだけで穏やかになれた。
でも古き良きアメリカを懐古するのはやめよう。
実際の危機はすぐ目の前にあるのだから。

アイロニックにこき下ろしても行間からは優しさが漂ってくる。
目の前の危機を“優しさ”というオブラートに包んで我々を諭す。
それしか出来なかった彼のもどかしさ、ジレンマが少しだけ分かったような気がした。

彼の意思を継いで行動するのは我々である。

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2008年10月20日 (月)

「土木の日」

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先週の土曜日(11月18日)は「土木の日」であった。
何故この日が土木の日なのか?
「土木」という漢字を分解すると漢数字の十一と十八になるからだという。
まぁ実にこじつけがましい発想だと思うのだが、それよりもワタクシは以前からこの「土木」という単語に違和感を持っている。

土木とは良質な生活空間の構築を目的として、自然災害からの防御や社会的・経済的基盤の整備のためのもので、橋や道路のトンネル、そしてダムなどが思い浮かぶ。現代ではコンクリートと鉄で構築されるのだが、かつては「土」と「木」でこられを造っていたのである。

「土木」という言葉は紀元前2世紀頃の中国の本の中の一節が語源だとされている。これは『淮南子(えなんじ)』という本でその13巻に以下のように書かれている。

 古者は民,澤處し,復穴し,冬日は則ち,霜雪霧露に勝えず,夏日は則ち暑熱蚊虻に勝えず.聖人及ち作り,之が為に土を築き木を構へて,以て室屋と為し,棟を上にし,宇を下にして,以て風雨を蔽ひ,以て寒暑を避けしめ,而して百姓之を安んず。
この“土を築き木を構へて”という「築土構木」の材料の部分をとって「土木」としたのである。

現在ではコンクリートと鉄で構築され、「土」と「木」は古めかしい印象があり、これが違和感の原因なのである。
今時「土」と「木」はないだろう、と思うのだが、さりとて良いネーミングは思い浮かばない。

ちなみにコンクリートの漢字表記は「混凝土」である。
で、コンクリートの新しいネーミング(漢字)の投票結果なんてものを見つけた。
          ↓
 http://www.jci-web.jp/committee/tc044b/shiryo/HP20051013.pdf

第一位は「混硬」であった。ということは「土木」を現在風にアレンジすると「混硬鉄」か・・・
ますますもってワケわかめで、社会的・経済的基盤の整備からは遠くかけ離れているなぁ・・・
英語では“civil engineering”というまさに社会的基盤整備にぴったりの名称がある。
「土」と「木」ではない社会的基盤整備にふさわしいネーミングはないものか?
公共工事が縮減されている昨今なのだが、「土木」のイメージアップを図りたいとつらつらと考えている秋の夜長である。

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2008年10月19日 (日)

第32回よこすかみこしパレード

秋の気配も深まりつつある10月の中旬に行なわれる横須賀ならではのみこしパレードである。

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何が横須賀ならではかとというと横須賀のメインストリートである「横須賀中央大通り」 を練り歩いた後、米海軍横須賀基地内に入りこれもメインストリートであるクレメンテ・ブルバードも練り歩くというものでアメリカの街並みの中を70基以上の山車や神輿が行交う様が横須賀の名物になっているからである

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「ひょっとこ」や「獅子舞」のコミカルな動きにアメリカの方々はシャッターを切る。

で、横須賀ならではの“みこし”は「海上自衛隊」チームと「在日米海軍」チームの“みこし”だろう。

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「海上自衛隊」チームは若さ爆発!とにかくエネルギーが迸っていた。

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そして「在日米海軍」チームは正調な掛け声である「わっしょい」で練り歩いていた。
こちらもパワーがあって見ていて楽しい。

ところでこのみこしの掛け声だが各地域に独特の掛け声がある。
湘南地区はどっこい担ぎが多く、「どっこい、どっこい」「どっこい、そ~りゃ~」「よ~い、よいと」甚句が入れば、「よい、よい、よいしゃ」に変わり甚句の最後には「そ~りゃ~ そ~りゃ~」となるという。

最近ではよさこいソーランに影響された掛け声が多いような気がする。
また、「エッサ」という掛け声があるが、これは古代ヘブライ語(古代ヘブライ語で「エッサ」とは「運ぶ」と言う意味である)から来ていると言う説がある。

以前、「浅草寺の三社祭とは?そして神輿とは?」で“みこし”と古代ユダヤの聖櫃(アーク)の類似性から日ユ同祖論に触れたがやはり何かしらの因果関係はありそうだ。日本の祭りと古代文明の関連性は想像すると楽しい。

で、よこすかみこしパレードに話は戻るが、“みこし”パレードを見ながらバドを飲みつつホットドックを食らう。
これも横須賀ならではのクロスカルチャルな体験なのである。

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2008年10月18日 (土)

「三浦アルプス」と電波のアレコレ、そして「MILESTONE」

この日は友人達と予てから計画していた「三浦アルプス」の縦走に出かける。
コースは森戸川源流から二子山そして馬頭観音を経由して田浦梅林に抜けるもので、
このコースは去年も歩いている

森戸川源流の林道はいつ歩いても気持が良い。
で、同行者である友人達はワタクシと同年代、というよりは同級生である。
互いに人生のターニングポイントである50歳を超えある意味で悩み多き年頃?でもある。

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二子山山頂へ向かう2人の背中には哀愁が漂っている。
これは人生の悲喜こもごもを背負い、人生という山を登りつめてきた“業”がオーラとなっているのか?
かくゆうワタクシの背中にもこのオーラが漂っているのだろうな、とつらつらと思っていたら山頂に到着。

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山頂ではアマチュア無線の愛好者の方が移動運用で盛んに交信をしていた。
アンテナは東京方面を向いていたのでかなりの数の局と交信出来たと思われる。
アンテナと指向性は関係があるのだが、ここで昔の出来事を思い出した。

時は1983年、場所は中米にある小さな村、仕事で1年以上ここに滞在していた。
で、ある日の深夜のことである。なかなか眠れずおもむろにスイッチを入れたラジオからニッポン放送が聴こえた時には正直驚いたことがある。雑音交じりで微かに聞こえる程度だがハッキリとニッポン放送と告げていた。
地球の裏側でも条件がよければラジオが聞こえるという事実なのだが、人に話しても信じてもらえそうにもないので今まで誰にも話してはいなかった。

電波って不思議である。で、2011年に運用される「地デジ」だがこれは今までのアナログ放送は違い途中に障害物があってもキレイに受信できるという。これは最近ケーブルTVの営業から聞いた話で本当らしい。で、彼らはこれに危機感を持っているのである。そりゃ~そうだ、今まで谷間でTVの映りが悪かったからケーブルTVと契約した人が殆んどだろう。谷間でもクッキリ写るとなるとアンテナ派が増えるかもしれないなぁ~。

で、話は戻り「三浦アルプス」である。

馬頭観音付近でチョット迷った。
同行者から冷たい叱咤の視線、そして非難轟々の罵声が飛ぶ。
ヤダヤダ、年をとると怒りっぽくなっていかん。

難所である田浦梅林へ下るロープ場も無事に通過し、田浦梅林で遅めのランチ。
その後田浦駅前まで歩いて“反省会”を行なう居酒屋を探したがこの時間帯では開いている店はなく、横須賀まで移動して「MILESTONE」で反省会。

実はワタクシここを訪れるのは初めてである。
ビールで乾いたのどを潤し、焼酎で疲れた五臓六法に活を入れる。

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ポテトフライとウインナーがいとウマシ!
で、次回は箱根で紅葉巡りと決定する。

ビールと焼酎が程よく疲れた身体に気持よく回り、まったりと帰路につく。
そして、浮かんだ一句。
「人間は 年を重ねて 丸くなる」オソマツ・・・・

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2008年10月17日 (金)

うどん工房さぬき

横須賀B級グルメの殿堂?いや王者か?
知る人は知るご存知「うどん工房さぬき」である。

この店は「相模屋」「岩松」と並んでワタクシのヘビーローテーション店?なのである。
ここは安い、ウマイ、早い、そしてその圧倒的なボリュームで訪れる者を幸せな気分にさせてくれる。
だから必然的に金銭的に余裕がない、腹を空かした若者が圧倒的に多い。

ワタクシの場合、比較的に空いている時間帯に訪れ片隅にひっそりと座り、天ぷらを肴にビールをあおるという居酒屋的に利用することが多い。

で、この日は「お疲れセット」880円也。
これは生ビールにおひたし、天ぷら盛合わせ、ぶっかけ(小)の豪華セットでかなりお徳感あり。

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それにしてもこの「天ぷら盛合わせ」の圧倒的なボリューム感を見よ!
目の前に差し出された時に思わず「グフフ」と微笑んでしまった。

日本酒も追加して幸せなひと時を過ごす。
・・・・・まったり・・・・・
腹もくちくなり、恐悦至極に満足し店を後にする。

忠告:ここのヘル盛りは“危険”なので一般人は手を出してはイケマセン!

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2008年10月16日 (木)

「ミスト」

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この映画はワタクシの好きな映画である「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」という傑作を創り上げた原作はスティーヴン・キングで監督はフランク・ダラボンのコンビによる作品である。

ある日濃い霧(ミスト)に突然包み込まれた田舎町を舞台にしたSFホラー映画である。
前半はこのミステリアスな霧が不気味で怖い。
そして後半は次第に恐怖と絶望の状況の中で、宗教(聖書)の教義が湾曲され人々を洗脳して、理性を失っていく人間の集団心理が怖かった。

緊張感の高まる中であっけなく、そして意味深い衝撃的なラストへと導かれてゆく。
この“あっけなく”と“意味深い”という想いが観終わった後でも心の中で余韻として残る。

主人公は常に冷静に、そして理性的に行動する、がそれがいつしか恐怖と絶望の状況の中で判断力?を失ってゆく。
そして、理性を失い、神にしか許されない裁きを無意識に行なってしまう。
人間とはかくも脆きものだったのか?
良くも悪くも後味が残る映画である。

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2008年10月15日 (水)

「YOKOSUKA 軍港めぐり」

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この「軍港めぐり」は期間限定で行なわれおり、ワタクシも2回ほど利用したことがある
これまではGWや夏休み期間中に限ったものだったが、
そして今年9月から発着場を穏やかな湾内に設けることにより、年間を通して曜日を問わず、毎日の運航を可能にしたもの。

場所はショッパーズの海側にある汐入新設桟橋。
運航時間 : 1日4便 (11:00、12:00、13:00、14:00)

この軍港めぐりは横須賀市でしか実現できないツアーで市外から人を呼び込める大きな可能性を持っており、
横須賀市も全面的にバックアップして積極的にPR活動を行なっている。

今、空母「ジョージ・ワシントン」の巨体は演習航海に出ており見ることは出来ないが、
休みの日は大勢の人が乗船して軍港めぐりを楽しんでいた。

横須賀の新しい名物になりつつある。

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2008年10月14日 (火)

ファイアスターター

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ファイアスターター (上)(下) (新潮文庫) (文庫)
スティーヴン・キング (著), 深町 真理子

通勤のお供に読む本を本棚で物色していたら奥の方から埃をかぶり出てきた本。
これは8年程前に古本屋で買い忘れられていた本で、スティーヴン・キングの「ファイアスターター 」で、約20年以上前に出版されている。

そういえばこの「ファイアスターター 」はドリューバリモア主演で映画化(炎の少女チャーリー(1984))された。
ワタクシ、この映画を観た記憶はあるがほとんど覚えていない、という事実からもトンだ失敗作であった。

まぁ、そんな微かな過去の記憶を思い出しつつ読み始める。
イヤ~、映画は失敗作でも原作はやはり面白い。
自分の能力に陶酔してしまう恐ろしさを感じつつもどこかでそれを抑えきれない自分がいる。
そして次第にその“能力”を使わざるを得ない状況に追い込まれていく。

信じる者と信じない者、追う者と追われる者。
己の能力の”恐怖”と“陶酔”の狭間で揺れ動く少女の動揺が行間から滲み出てくる。
いつしか一人になるも自らの運命を切り開くべく新しい道を歩みだす。
これは美しくも悲しい少女の物語である。

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2008年10月13日 (月)

「横濱媽祖廟」

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今日は横浜の中華街で豪華フルコースのランチを頂く。

食後は腹ごなしの散歩。
そして、見慣れぬ建物を見つけた。「横濱媽祖廟」とな・・・
で、調べたらこの「横濱媽祖廟」は2006年の3月17日にオープン(開廟)したという。

詳しい歴史や由来はこちら

媽祖は人間から神様となり、そして海の神様として祀られている。遠い昔、海を渡り海外へ渡っていった華僑たちの心の拠り所だったのかもしれない。そして現在世界には26か国1500以上の媽祖廟が建てられ、2億人以上が祀っているという。特に台湾には800以上の媽祖廟があり、千五百万人が日々参拝しているという。

折りしも10月は7日が「媽祖昇天の日」(媽祖が天に昇り、神として祀られた日)で、10日が「雙十節(そうじゅうせつ)」(中華民国の建国を祝う祭り)で媽祖廟も中華街も大変賑わっていた。

この媽祖廟だが、中国の伝統的な寺院建築の設計思想に現代の建築技術を融合した鉄筋コンクリート造2階建ての建物で、面積は984平方メートル。本殿には中国福建省でつくられた神体がまつられている。総工費は土地代も含めて18億円。
当初は大手マンション会社(大京)がマンションを建てる予定だったが、中華街発展会協同組合が、中華街の街づくりの観点から建設に反対し、土地を購入し媽祖廟を建てることを提案。マンション会社と協議の上、土地を買い取ることで合意し、建立に至った経緯がある。

近くには「関帝廟」もあり、新しい名所として中華街の伝統文化を継承して欲しいと願う。
ちなみに日本で最初に媽祖廟を奉ったのは江戸元禄3年、水戸光圀公(水戸黄門)だといわれている。
たまに中華街を歩くと新しい発見がある。まさに「温故知新」の街である。

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2008年10月12日 (日)

渋さ知らズ オーケストラ&ファンファーレ・チォカリーア

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渋さ知らズ オーケストラ&ファンファーレ・チォカリーア

「京浜ロック音楽祭」を早々とパスしたのは地元横須賀でコンサートがあったからで、出演者ははアノ!「渋さ知らズ」に「ファンファーレ・チォカリーア」である。
「渋さ」は「本牧ジャズ祭」でのあの怒涛のパフォーマンスをもう一度観たくて、また「ファンファーレ・チォカリーア」は予てより噂では聞いており“生”を観て、聴いてみたかったのである。

会場である芸術劇場では場違いなオジサマやオバサマの姿が目立つ。
(大丈夫かな?)何の免疫もない状態であの!「渋さ」の過激なパフォーマンスは目の毒、耳の毒、体の毒になるんじゃないだろうか?

彼らのステージパフォーマンスは非常に楽しい(わたしにとっては)。そして圧倒的な音の洪水と音圧で脳内神経が麻痺寸前までいく。
(ワタクシの前列のオバサマ方は耳を塞いでおられた)

そして、初めて聴く「ファンファーレ・チォカリーア」の炎のジプシー・ブラス・サウンドに驚嘆するオジサン!
張りがあり艶やかなブラスサウンドが超高速で、マシンガンの如くワタクシの中枢神経に飛び込み刺激する。
苦難の歴史を乗り越えてきた彼らのDNAがなせる業なのだろうか?
激しく突き進むブラス・サウンドには“強い意志”と“哀愁”が感じられる。

ファンファーレ・チォカリーアはルーマニア東部、旧ソ連との国境近い地図にない!駅もない!ゼチャ・ プラジーニ村からやってきた。
で、この村の人口はたったの400人!
女性や子どもを除くと、男性は100人。そのうち85%がブラス吹きという、ロマ(ジプシー)だけが住む珍しい村だという。
村の主な収入源は世界中を旅する「ファンファーレ・チォカリーア」の稼ぎである。

「渋さ」と「ファンファーレ・チォカリーア」は10年来の仲だという、で「渋さ」のメンバーの一人が言った言葉が面白い。
「10年前の彼等は楽屋で何かをせびっていたが、最近では彼等のほうが良いモノを身に付けている」
イヤ~多少有名になり、金回り?がよくなったかもしれないがステージパフォーマンスは一流である。
最後は観客総立ちのダンシングタイム。そこへ「渋さ」のメンバーが加わり、怒涛のフィナーレへとなだれ込む。
が、しかし演奏は終わらない!
「ファンファーレ・チォカリーア」のメンバーは舞台から客席へと下り、演奏しながら客席をねり歩き、ロビーへと向かう。
そして、ロビーではおひねり頂戴の第二部が始まったのである。

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出稼ぎバンドはこうでなくてはならない。
そして超高速フレーズのブラスの余韻を残す中、ヨコスカのネオン街へと消えてゆくのである。

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「京浜ロック音楽祭」

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京浜ロック音楽祭」は「音楽のまち・かわさき」をアピールし、新しい世代に音楽に乗せてメッセージを送ろう、という趣旨で今年から始まった音楽祭である。

で、70年代のウエストコースト・サウンドを彷彿とさせる出演者達だという。
これは行かなければならない。ということで会場である東扇島公園まで行く。
東扇島では「みなと祭り」やら「ちくさんフードフェア」など他のイベントも催されており大変賑わっていた。

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ウエストコーストの“香り”が京浜の風に乗ってきて“レイドバック”。
ビールでほろ酔い、音楽でほろ酔う。
まったりとした雰囲気の中で時間がゆっくりと流れ、過去の記憶を呼び起こす。

時間の都合で今日のトリである「センチメンタル・シティ・ロマンス」の演奏は聞けなかったが、来年は京浜の夜空の下でゆるりと楽しみませう。

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2008年10月11日 (土)

横濱 JAZZ PROMENADE

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秋の気配が色濃くなる頃に催される「横濱 JAZZ PROMENADE
いつもはお手軽な街角ライブ(無料)を楽しんでいるのだが、今年はホールで行なわれるライブ(有料)に行く。
実は本日(11日)の大さん橋ホールでの出演者に「EnTRANS」の名があるからだ。

この「EnTRANS」は今年の夏の終わりに催された「本牧ジャズ祭」での実に渋い演奏がオジサンの瞼に焼きついてしまい、アノ感動をもう一度ということなのである。
「EnTRANS」のメインボーカル?は井上堯之オジサン。ギタープレイも渋いが、ボーカルも実に渋い。
「本牧ジャズ祭」では雨天ライブで最高に盛り上がった。

今回のライブでもビールを飲みつつ燻し銀の如きパフォーマンスが実にオジサンゴゴロのツボにハマる。

今日の大さん橋ホールの出演者は他に「仲田美穂CORAZON LATINO」と「TRIX」
「仲田美穂CORAZON LATINO」はワタクシ好みのラテン・ジャズでサルサナンバーが心地よい。
「オルケスタ・デ・ラルス」のリズム隊にホーンセクションが気持ちよく絡み、仲田美穂のピアノのサルサリフがうねるように隙間を埋めていく。

「TRIX」は今や貴重なフュージョンバンドである。そして、彼らのステージは実に楽しい。
最後のアンコールでは観客総立ちの中、カブリモノをして会場全体を走り回りまくり、怒涛のパフォーマンス。
最近のライブでは観させ、聴かせるステージ・パフォーマンスが昔に比べて優れているなぁ・・・

今日の最後は遠藤律子率いるラテンユニットの演奏を楽しむ。
ここでも最後は観客が全員輪になって会場を周りながら踊り狂っていた。

イヤ~今日は音楽の楽しさを体で実感し、音楽から“元気”をもらった一日である。

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2008年10月10日 (金)

WEERAYA(ウィラヤ)

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最近ワタクシはトムヤン・ラーメンにハマっております。
地元横須賀では「アジアンキッチン サワディー」「タイ エラワン」「バンコック スパイシー」で味わうことができる。
で、最近さいか屋の隣に WEERAYA(ウィラヤ)というタイレストランが出来た。
ここは以前確かイタリアンレストランだったはず・・・・
そして、ここのメニューにもトムヤン・ラーメンがあったので早速賞味に赴く。

日本人好みにアレンジされているがトムヤン・ラーメンだったらこのくらいの“ライトさ”がいいのかもしれない。
最後は残ったスープにタイ米ご飯を入れて頂く。

非常にコストパフォーマンスが良い
これでまた選択の幅が増えオジサンはウレシイ。

まぁ、愛しのタイ料理が横須賀で根付くことは好ましいことなので
切磋琢磨?して欲しいと願うオジサンなのである。

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2008年10月 9日 (木)

潜水服は蝶の夢を見る

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潜水服は蝶の夢を見る     (2007年 / フランス/アメリカ ) 
Le Scaphandre et le Papillon 

主人公の左目の視線で映し出される一人称のカメラアングルにより次第に主人公の感情に同化していく自分がいる。
主人公に許されているのは“記憶”を辿り、“創造力”を湧きだせること、そして瞬き。
そしてこの20万回以上の瞬きで、自伝を書き上げるのである。

海を飛ぶ夢 」は「尊厳死」という重いテーマを描いていたが、この映画は「生きる」を描いている。

身体は潜水服のように不自由でも、“記憶”と“創造力”は蝶のように自由に心の野原を羽ばたく。
カメラワークも蝶のように軽やかに鮮やかな色彩を映し出す。
そして映像にシンクロする音楽も飾りすぎずに心の中に静かに入り込んでくる。

自分の人生一生懸命に生きていますか?

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2008年10月 8日 (水)

梅干と日本刀 Part2

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(昨日からの続き)
タイトルにある「梅干」だがこれは日の丸弁当の梅干を指している。でこの大量の白米と一粒の梅干だが、これが胃の中に入ると、この梅干ひと粒が、九十九パーセントの米の酸性を中和し、米のカロリーは食べたほとんどが吸収される役割を果たす。つまり、日の丸弁当は食べてすぐ、エネルギーに変わる、労働のための理想食なのである。

鉄の精製にはコークスという高温の熱を出す燃料が必要なのだが、日本には木炭という低温燃料しかなかった。この不利な条件が逆に“鍛えて焼きを入れる”という知恵を生んで、世界一の刃物「日本刀」を生み出した。粘土で刀の背の部分を覆い、水の中で焼きを入れる。こうすることにより、粘土で覆われていない部分は硬くなり鋭利な刃物となり、覆われている部分は柔らかくなる。こうして一本の刀で硬く鋭利な部分と柔らかく折れにくい部分という相反する性質を持たせたのである。
当時西洋人がこの刀を持ち帰ったが、同じものを作ることが出来なかった。

著者は常に行間から「日本人とは何か」ということを問いかけ、その素晴らしい実例から我々を豊かな大和文明へと誘ってくれる。
そう、著者はいつも優しい目線で日本を見つめ見守ってきたのである。
そして我々に今の世で忘れてはならない“大和の心”を諭してくれる。

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2008年10月 7日 (火)

梅干と日本刀 Part1

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梅干と日本刀―日本人の知恵と独創の歴史 (祥伝社黄金文庫)
樋口清之著

昨日にもチョット触れた「梅干と日本刀」だが、この本を読むと我々の祖先はこんなにも素晴しい知恵と独創性があったのか、と驚かされる。

現代の我々日本人の基本的な認識や考え方は明治以降に積極的に取り入れた欧米文化によって強制されてしまい、本来我々の祖先から受け継いできた知恵や自然順応力、独創性などは忘れ去られてしまっている。

古来日本には素晴しい技術を持っていたのである。
例えば、土木技術では釜無川の信玄堤と鎌倉市材木座の防波堤がある。

信玄堤は、武田信玄が甲府盆地を流れる釜無川の鉄砲水を防ぐために、自然の岸壁を利用して水流のエネルギーをそいだり、雁木(がんぎ)堤という突堤を川の中に作ったり、決壊しそうな個所の堤防を切って、その外側に第2 堤防を築いたりして、計り知れない自然のエネルギーを分散させるように非常に精巧に作られている。

また、700 年前に作られた鎌倉市材木座の防波堤は、平たい石の板や石ころを海岸から沖合いに向かっておよそ8 間(約14.5 メートル)の幅で海中に積み重ねてある。こうすると石と石の間に徐々にエネルギーが吸収されて、相当強い波でも海岸近くでは静かな流れに変わってしまう。これは、巨大なコンクリートの壁を築いて“自然を征服する”のではなく、“自然に順応する”という知恵の結晶である。

                             (To Be Continued)

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2008年10月 6日 (月)

曼珠沙華

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先日訪れた鎌倉は鶴岡八幡宮の片隅に咲いていた「曼珠沙華」。

秋の訪れを告げる花で、彼岸の時期に咲くことから普通は「彼岸花」と呼ばれている。

で、この「彼岸花」は稲作と同時期に中国から渡来した帰化植物である。そして人々の手によって水田の畦(あぜ)や墓地などに植えられていったのである。
「彼岸花」は毒だと知られている。水田周囲に植えられたのはこの毒によってネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物が嫌って避けるように、また墓地に植えるのは虫除け及び土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐためであると言われている。
従ってこの「彼岸花」は人間の生活圏の中で増殖していった。純自然原野ではこの「彼岸花」は見られない。

「彼岸花」は毒である。しかし、この毒は長時間水に晒せば溶解して無毒になる。古人たちはこの「彼岸花」を生活圏内で増殖させることによって、飢饉などの非常時の食料としていたのである。

事実天明の飢饉(1782~1787)の時、人口の3分の2が死に絶えましたが、「彼岸花」を手に入れることができた村だけが残ったと言われている。

そして、彼岸花を食べつくすと、次は・・・・・。秋の彼岸に咲くことのほかに、最後の最後の食品と言う意味で、「彼岸花」というのだろうか、と樋口清之著 「梅干と日本刀」では語られている。

ワタクシがこの本を読んだのは25年以上前で古来からの日本人の創意工夫にいたく感心し、今でも時折頁を開いている。

で、この「彼岸花」異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われている。

また、別名の曼珠沙華は、法華経中の梵語に由来し「天上の赤い花」を意味している。
そして花言葉は「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」・・・
ウ~ン、意味が深い・・・・・。

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2008年10月 5日 (日)

2008年 国際航空宇宙展(JA2008)

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2008年 国際航空宇宙展(JA2008)は4年毎に開催されている、航空と宇宙関連の技術展である。

ワタクシ、10代始め頃には他の少年と同じようにプラモデル造りから軍事モノにハマった時期がある。
で、やはり飛行機には特別の思い入れがあった。

最近では年と共にメカに弱くなっていくように飛行機への思いも薄れていったが、
日本の最先端技術をこの目で確かめたくて「2008年 国際航空宇宙展」へ行く。

4・5日はパブリック・ディということもあり、家族連れが多い。
また、女性の見学者が多いのにも驚いた。

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月周回衛星「かぐや」の公式レポートやら「宇宙服ファッションショー」などもあり一日いても飽きない。

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欧米の各メーカーの展示スペースが大きく、日本市場への売り込み?に熱心なのがうかがえる。

ヨーロッパのユーロコプターは実機を2機も持ち込んで大々的にアピールしていた。

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このNH90は最新の軍用ヘリである。

また、地味ながらコックピット・ディスプレイ・システムを体験できたのが面白かった。
これはヘルメット装着式のヘッドマウントディスプレイで必要な情報を表示されるものである。

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IHIの展示ブースでは日本が最初に開発したジェットエンジンの実物が展示されており熱の入った説明に思わず引き込まれる。
これはネ20ターボジェットエンジンで、海軍航空技術廠とIHIの前身企業によって開発され、終戦直前の1945年8月7日に特殊戦闘機「橘花(きっか)」に搭載され,高度600mにおいて12分間の初飛行に成功している。
戦後アメリカに接収されたが、その後に永久無償貸与されているものである。

第二次大戦中、ジェット機を飛ばしたのは日本とドイツだけという事実に改めて驚く。

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また、今回の展示の最大の目玉は防衛省ブースに展示されていた「全機実大RCS試験模型」で、レーダーに映りにくいステルス性能と高運動性を両立させた、いわゆる“第5世代戦闘機”で通称「心神」と言われている。

部品などの小さいながら技術力を持ったメーカーのブースも充実していた。
日本の最先端技術は、町工場レベルの部品加工技術の積み重ねであるということがよく分かる。

科学技術の進歩と国防、そして宇宙開発。
NASAの技術からスピンアウトされた製品も多くある。
民生に多く活用して、日本経済を活発化して欲しいと切に願う。

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午後からは臨海パークでデモフライトが行なわれていた。

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2008年10月 4日 (土)

六国峠ハイキングコース

毎度毎度のことなのだが、昨日(金曜日)に摂取したアルコールを搾り出すためウォーキングに出かける。
行き先は横浜市最高峰の山である大丸山。で、標高は 156.8m。
この大丸山が横浜市最高峰の山であると知ったのは今年の3月に京急が行なった「大丸山を登ろう」というキャンペーンで、これは横浜市とタイアップして行なわれていた。

金沢文庫からアクセスするのだが、金沢動物園からも近い。それにしてもこんなところに横浜市最高峰の山があるとは知らなかった。
そして近くには2番目に高い円海山もある。こちらの標高は153.6m。

このあたりの緑地は横浜市内でも最大クラスのもので自然遊歩道などが整備されている
今回は金沢文庫から能見堂跡を経て、鎌倉天園にまでつながる六国峠ハイキングコースを歩く。

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六国峠入口(チョット分かりづらい)

元禄時代、明の心越禅師が山の上にあるこの能見堂から見た景色を故郷の瀟湘八景になぞらえて七言絶句の漢詩にして詠み、これが金沢八景の名の由来といわれている。
で、この瀟湘の南部が「瀟(しょう)湘湖南」であり、これが湘南の語源である、従って八景から南が湘南というのは歴史的に正しいのである。

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能見堂跡
今は、木々が茂って視界をさえぎり、かっての入江は建物に埋め尽くされ、往時の景観を望むことは出来ない。

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大丸山山頂からの眺め

大丸山から鎌倉の天園まではアップダウンが少なくて歩きやすい山道である。
トレイルランニングのトレーニングには最適で多くの方が走っていた。

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途中には切通しがいくつかあり、中世の昔、鎌倉へ通じる道だったかもしれない。 

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六国峠からの眺め

そして鎌倉最高峰である大平山(159.4m)を登り覚園寺へ下り、八幡宮を経て鎌倉駅に向かう。

小休止を含め所要時間は3時間30分。ほどよい汗をかき、アルコールも搾り出し?軽い疲労感が心地よい今日この頃である。

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2008年10月 3日 (金)

ご近所探索「赤門」Part2


この「赤門」の右横には円柱形の石造の道標がある。
文久2年(1862)に建てられたものだ。かつてこの門前を江戸と浦賀を結ぶ主要道路が走っていた証である。また赤門の前は明治末まで白砂青松を連ねた美しい浜辺であった。しかし、一度嵐になれば風雨が激しく赤門から通ったという。

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「右大淳浦賀道、左横須賀金沢道」と刻む道標が当時を偲ぶように建っている。

明治18年に創業した海軍ご用達「小松」は最初、田戸の永島家の赤門前で営業していた。小松が創業した当時の田戸は浦賀への道は通じていたが、海岸線を通ってくる道はなく上町を越えてくる方法しかなかったので海軍さんにとっては不便な所であっと想像できる。
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                  当時の地図

この永島家だが、江戸時代の御台場建設の経験をかわれて、東京湾も請け負い第二海堡と第三海堡の施工時の記録が見つかっている。そして、この海堡で得た技術を活かし、明治44年(1911)から田戸海岸の埋立を始めるが工事は難航し、大正5年(1916)に工事とその利権を安田保善社に譲りわたすことになる。いかに難工事であったか、現在安浦公園(かつての安浦港前)にある供養塔に刻まれた犠牲者の数をみてもわかる。
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                安浦公園の供養塔

ちなみにこのあたりの地名「安浦」は安田保善社の「安」と港の意味の「浦」をあわせ、「安浦」と名付けられることとなった。

で、この朱塗りの「赤門」だが当時は将軍家から特別に許可をされなければ出来なかったのである。赤門はどのような事情でここへ置かれのであろうか。三つの説があるという。大津陣屋が閉鎖された時、そこにあったものを田戸庄へ下げ渡した。(当時、役所のものでないと、朱塗りは許されなかった)浦賀の御倉所の関係者の門が、ここに移された。 鎌倉八幡宮寺の門を浦賀へ、と古文書にあるので、それがここへ。

その歴史などは今後の研究に待つところが多いのだが、聖徳寺坂はワタクシの散歩道でもあり、時折脇に入り赤門前を通り過ぎると四季様々な表情を見せるくれるチョット“渋い”隠れた名所である。

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2008年10月 2日 (木)

ご近所探索「赤門」Part1

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聖徳寺坂を下り、途中ガード下左側の石段を下る。左折して旧道に入ると左手に大きな門が見える。これが旧永島家の 「赤門」である。朱塗りの(今はチョット剥げているが)間口8間(約14m)、奥行き2間(約3.6m)の木造瓦葺の江戸時代の長屋門である。

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この「赤門」は長屋門と呼ばれる作りで、使用人たちの住まいを兼ねたもので、中央の門扉はケヤキ材である。門自体は江戸時代のものだが、他のの部分は何度か改築されている。

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で、この永島家だが横須賀の歴史を紐解くと必ずその名前を目にする。それもそのはずで、永島家は戦国時代、小田原北条氏の下で浜代官を務め、江戸時代には三浦郡総名主を務めてきた家柄である。さらに歴史を遡れば三浦一族にたどり着く。
三浦義明を先祖とする三浦義勝は、中先代の乱に北条時行に加担し、敗れて捕らわれ、楠正成に預けられ、助命されて三浦に帰った。

その義勝の子が義政で彼が永島姓を名乗ったことに始まるだが、義政が二十一歳で早世したため、義政の妹を楠正成の四男正徳に嫁がせ、永島家を相続させているのである。

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                     聖徳寺

また、この正徳は文和二年(1353)に聖徳寺を創建している。

そして三代目正義の弟正胤が幼年に出家し、のちに円城寺加賀守となり、鎌倉の合戦に参加し功をたて、後に木曾に下り島崎姓を名乗った。これが島崎藤村の先祖である。

藤村の「夜明け前」では永島家を山上家、島崎家を青山家と称して書かれている。

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夜明け前」は昭和4年から10年まで足かけ7年かけて完結した。山深い木曽・馬籠宿の本陣・問屋の家に生まれた青山半蔵(藤村の父・島崎正樹がモデルという)を主人公に描く物語で、半蔵が明治維新という激動の中で、近代=「夜明け」を目指して自らも奔走するが、明治維新は真の近代をもたらしてはくれず、時代にもてあそばれれ、やがて狂死するという話である。

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2008年10月 1日 (水)

猿丸幻視行

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             1983
             講談社
            井沢 元彦

「逆説 日本史」の井沢 元彦の初期の傑作です。
暗号小説&マインド・タイム・トリップという新しいジャンル。
最初の暗号解読までのプロセスがチト長いが、面白いです。

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