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2008年7月

2008年7月31日 (木)

普通電車の旅「馬掘海岸」編

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今、普通電車の旅「馬掘海岸」編が京急の各駅で配布されている。

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馬掘海岸といえば今では海岸道路、うみかぜの路が象徴的であるが、元々は駅名にもあるようにきれいな砂浜が続く海岸で海水浴場として夏になると、東京などから多くの海水浴客が訪れてにぎわっていたのである。
ワタクシも子供の頃はよく訪れていて、遠浅で良い海水浴場だった記憶がある。
この「馬掘海岸駅」だが、湘南電気鉄道の開業と同時にスタート(1939年、昭和5年)した歴史ある駅でもある。

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      京急の車内に展示してあったかつての「馬掘海岸」

そしてこの馬掘海岸は1967年(昭和42年)から埋立てが始まり、
1969年に埋立工事竣工し、1973年にマボリ・シーハイツ1期155棟が分譲されている。

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今では馬堀海岸住宅地は「横須賀風物百選」の一つとなっていて、落ち着いた町並みを見せている。駅の山側にも続々と家が建ち、かつてののどかな景色もすっかり変わってしまった。
また、この住宅地は1987年豊かな緑道の風景により「かながわのまちなみ100選」にも選定されている。

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近くには防衛大学校や、走水水源地、また最近では観音崎に横須賀市美術館もオープンし、新たなる活気を感じる街になってきている。
そして、横須賀は埋立開発で発展してきた街だということを改めて感じる今日この頃である。

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2008年7月30日 (水)

長距離通勤者の孤独「湘南電鉄」

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先日、京急の創立110周年記念のラッピング列車が待っていたホームに滑り込んできた。
この車体は京急の前身でもある湘南電気鉄道のカラーリングである。

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車内は「納涼 夏ギャラリー号」ということで京急沿線の夏の風物詩を紹介していた。

湘南電気鉄道は1930年(昭和5年)に横浜の黄金町から浦賀までと、途中も金沢八景から逗子までの路線を開通させた。

また、京浜電鉄は日本で最古級の郊外電車で、明治時代の末に品川(現・北品川)から神奈川まで開通した。神奈川から先の横浜市内へは、震災後に戸部、日ノ出町を通って長者町まで路線延長の免許を取得し、1930年(昭和5年)、まず神奈川から横浜駅までが開通した。

京浜電鉄と湘南電鉄は震災後、提携を深めていく。それぞれの起終点の横浜駅と黄金町の間を線路で結ぶことになり、両社は日ノ出町で接続、京浜電鉄は横浜駅から日ノ出町まで、湘南電鉄は黄金町から日ノ出町までを建設し、1931年(昭和6年)、横浜駅ー日ノ出町ー黄金町の連絡線が開通したのである。
で、戦後、両社は1つの私鉄になった。もちろん、その名は京浜急行電鉄なのである。

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2008年7月29日 (火)

国道16号の不思議

ワタクシはつい最近まで国道16号は横須賀の観音崎を基点(終点)として千葉の富津までの環状線だと思っていた。
というよりは、幼い頃からそのように教えられていたから、何の疑問もなく生きてきたのだが、ナント!国道16号の起点及び終点は神奈川県横浜市西区の高島町だということをインターネット上の情報で知ったのは半年前のことである。

まぁ、国道16号の起点・終点など知らなくても生活にはまったく影響はないのだが、横浜の高島町が起点・終点だということは結構有名な話らしい。

で、この高島町を起点・終点として首都圏を環状に結んでいるのである。そして現法律上では千葉の富津~横須賀の走水間を海上区間としているのだが、当然のことながらこの区間には道も直接結ぶ交通機関もない。ここにトンネルあるいは橋があるということを想定して強引に環状線を設定しているのである。

そこで疑問がフツフツを湧き上げってきた。じゃ、国道16号は走水のどこまで伸びているか?である。

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これは走水水源地の前にある標識である。
観音崎まで2kmと表示されている。

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で、これは走水にある防衛大学校の海上訓練所の前にある標識だが、この標識では16号は観音崎まで1kmと表示されているがこれは間違いで実際は先に見える信号機のある交差点までが国道16号である。

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これがその交差点である。

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管轄を示す看板が設置されており、左側までが国土交通省の管轄で右側からは神奈川横須賀土木事務所の管轄となり、県道209号線、通称観音崎通りとなる。

ということはこの交差点から富津を結んだ架空のラインが国道16号の海上区間となり環状線として成り立たせているのだろうか?

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ちなみに横横道路は国道16号のバイパス扱いであり、今は馬掘海岸まで延長工事が進んでいる。

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そして海岸から突き出している橋は延長道路の調査のために作られたということを昔聞いたことがあるような気がするのだが、記憶は曖昧である。

また、国道58号線という、鹿児島から出発して種子島、奄美大島をへて沖縄本島に上陸するという、究極の国道もある。
陸上部分の距離は255.5kmだが、海上部分を含むと857.6kmにもおよび、国道4号(全長739km)を抜いて日本最長の国道となる。

イヤイヤお上の考えることは我々凡人には超越しすぎて理解できないのである。

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2008年7月28日 (月)

マギの聖骨

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マギの聖骨
ジェームズ・ロリンズ (著), 桑田 健 (翻訳)

ふと手にしたこの本、帯には福井晴敏さんの言葉で、
「『ダヴィンチ・コード』じゃ物足りない!!」というアナタ、こっちはスゴイぞ。
と書かれていた。

ほう、あの福井さんがそこまで絶賛するなら面白かろう、ということで読み始める。
ダヴィンチ・コードは謎解きの面白さがあったが、こちらは聖遺物「マギの聖骨」を巡る超科学的歴史ミステリー&アドベンチャーである。

「マギの聖骨」と云われる東方の三博士の骨は一体何なのか?

そしてワタクシを魅了するテンプル騎士団やらフリーメンソンなどのキーワードも散りばめられている。
何よりも遷移金属、m状態の金、非対称的高スピン状態、超伝導体、マイスナー磁場、NPLスーパーブラックといった最先端科学用語が飛び出してくる。
で、これら最先端科学と聖遺物との関係は何なのか?

世界の七不思議のほとんどすべてに関係したアレクサンダー大王から、現代のバチカンの聖職者まで巻き込んでストーリーは進んで行く。

で、インディー・ジョーンズかナショナル・トレジャーの如き大スペクタル的ラストへとなだれ込んでいく訳なのだが、イヤイヤ派手なシーンが多いのでハリウッドが映画化したら面白そうだ、というよりも映画化したら間違いなくストーリーを端折ってアクションシーンだらけのつまらない映画になってしまうのだろうなぁ・・とも思う今日この頃である。

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2008年7月27日 (日)

IBS石井スポーツ

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来る夏休みには山に登るか、キャンプでのんびりしようかと考えている。
で、手持ちの山用品を取り出して点検をした。

ストーブは生産中止となってしまったPhoebus(ホエーブス)725 でしばらく使っていなかった(約15年)がプレヒートし着火するとゴォーッという轟音が響く。
火力はあるしスグレモノのストーブで、ネットオークションではかなりの高値で取引されているようである。

問題はヘッドランプで完全に配線不良で使用不可の状態。
やはり電気系統からいかれていくあたりは建物と同じである。
そして、ホエーブスの燃料であるホワイトガスの調達を兼ねて鶴見にあるIBS石井スポーツにヘッドランプを購入しに行く。

このIBS石井スポーツは25年ほど前には大変お世話になった。
しばらく店内を眺めて歩いたがこの25年という月日の移ろいを改めて実感した次第。
まず、クッカーのほとんどが軽いチタン製(でも高い)で、
そして目当てのヘッドランプも軽量小型化されてLEDが主流である。
靴もザックも聞きなれないメーカーのもの多し。

何よりもアイゼンがスマートになっていた。軽くて着脱が簡単になっており、デザインも良い。また、ピッケルも軽く持ちやすく、使いやすそうである。

結局ヘッドランプはパナソニックの2WAY仕様のものをお買い上げ。

つくづく今の若い人達は恵まれているなぁ、と感じた今日この頃である。

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2008年7月26日 (土)

「開国まちなかイベント」&「三笠公園サマーフェスタ」

真夏の炎天下、クイズラリーを兼ねて「開国まちなかイベント」を見て歩く。
熱中症対策ということでトーゼン!ビールを飲みつつ小まめな水分補給?を図る。
うみかぜ公園から始まり、市役所前公園~三笠公園~ドブイ板~ヴェルニー公園まで約2時間の道のり。

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ダンスパフォーマンスにプロレスなど来週の「よこすか開国際」本番の花火大会に向けて祭り気分は盛り上がっていた。

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そして、夕方は夕涼みを兼ね「三笠公園サマーフェスタ」に出かける。
キャンドルライトの灯された遊歩道。
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そして今日から限定期間のイルミネーションが点灯している。
最近は使用電気量が少ないLEDが主流である。

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そして、音楽噴水が再開されていた。
この噴水は老朽化によりポンプ装置などが故障したり、その後も水量を制御する装置が故障するなど去年の6月までは再稼動の予定はなかったが、8月に修理し本格稼動している。
現在は「星のセレナーデ」や市制100周年記念曲 「風を感じる街」などを奏でて、噴水で演出している。

真夏の夜の音楽と光と水の共演を楽しんだひと時である。

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2008年7月25日 (金)

「若松」のMAZESOBA・零(REI)

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          写真はまぜそば+味付けたまごである

先日、若松を訪れたら新メニューが登場!していた。
「まぜそば・零(REI)」である。

これは食べなければイケナイ!

で、これは見た目も味も、和食とイタリアンの見事な融合としか言いようがない。見た目は冷製サラダパスタ?でグリーンと赤の彩りが美しい。しかし、一口食べると確かに「若松」の“そば”なのである。“中華そば”に相通じるテイストがそこにはある。
そして、店主のサービスで「温泉たまご」が出された。これを途中から絡めて食べるとイタリアンを感じるのである。チーズも合うかもしれない。

そういえば、トマトの味噌汁も意外かもしれないが美味しい。
理にかなった食材の調理法を突き詰めていった結果かもしれない。

それにして久々にウマイ!と感じたラーメンじゃなかった“そば”である。

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2008年7月24日 (木)

隠し砦の三悪人

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遅ればせながら黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」を観る。
まぁ、遅ればせながらと謙虚?に前置きしたが、この映画は50年前の映画なのである。
遅ればせながら、という軽い出だしで始めて良い訳がない、というくらいこの映画は傑作であり、今まで観なかったことを後悔しまくら千代子?なのである。

冒頭の数百人の捕虜が暴徒と化して石段を駆け下りるシーンは重厚な迫力があり、CGなどの小手先の映像に麻痺していた感覚を覚醒させてくれる。
そして、娯楽映画を黒澤マジックで芸術性を高めていく手法はやはり見事だなぁ、と思う。

雪姫役の上原美佐の演技は、今も黒澤映画を攻撃する輩の格好の攻撃材料になっているらしいが、ワタクシには勝気で一本気の気性が表現できていると思うし、ルーカスもこの雪姫から勝気なレイヤ姫を設定したのだろう。

そうそう、ルーカスはこの「隠し砦の三悪人」を元ネタにして「スター・ ウォーズ」シリーズを製作したのは有名な話で、凸凹百姓コンビが“C-3PO”“R2-D2”のモデルにもなったのである。

よーく注意して観ているとスピルバーグもルーカスも黒澤映画のエッセンスをけっこうパクっている。

ハリウッドにも多大な影響を与えたこの映画は黒澤作品の中でも一番尾の傑作だとワタクシは思うのである。

そして上原美佐さんは2003年にお亡くなりなったとの事で、伝説の雪姫は本当に伝説になってしまった・・・・・・合掌

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2008年7月23日 (水)

長距離通勤者の孤独「110周年歴史ギャラリー号」

今年は京急創立110周年ということで、先日京急の快速特急に乗ったらこれが「110周年歴史ギャラリー号」で、懐かしの写真が展示してあった。

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これは京急110周年記念ラッピング電車で展示されていたものなのかな?

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イヤイヤ、懐かしいです。

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埋立て前の馬掘海岸海水浴場。

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で、これはかつての駅ビルが出来る前の横須賀中央駅である。

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そして田浦梅林から眺める京急の図。

あまりの懐かしさにオジサン暫し見とれてしまった。
赤い電車に白い帯の京急はいつまでも心の記憶に残っているのである。

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2008年7月22日 (火)

横須賀オリジナル「スカジャン切手」、そしてアーミーシャツの思い出

横須賀をアピールするためスカジャンをモチーフとした「横須賀観光ポスター」がある。
で、今回、この観光ポスターのスカジャン・デザインを切手にしたのが「スカジャン切手」である。

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「カレーの街よこすか」バージョンが新しく追加されているが、他は「横須賀観光ポスター」と同じデザインである。

まぁ、ヨコスカ・カルチャーの代表は「スカジャン」であることは間違いはないのだが、個人的にはもっとシンプルなデザインを好むので持ってはいない。

でも、もう一つのヨコスカ・カルチャーの代表?であるミニタリールック、特にアーミージャケットやフライトジャケットは好んで着ていた。

最近では「踊る大捜査線」で青島刑事(織田裕二)がブランド物のHOUSTONのM-51パーカーを着ているが、ワタクシ達の頃はドラマ「俺たちの旅」で中村雅俊が着ていた米軍放出品のカーキ色のアーミーシャツにジーパン。そしてゲタ履きのスタイルを真似していたものである。

しかし、最近ではそのミニタリールックもスカジャンもヨコスカの街中ではほとんど見受けられないのがチョット寂しいと感じる今日この頃なのである。

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2008年7月21日 (月)

海の日「東京湾海上交通センター一般公開」

天気予報では19日に「梅雨明けしたとみられる」という何とも曖昧な梅雨明け宣言で連休が始まったが、その曖昧な予報どおりイマイチすっきりしない天気が続いている。
晴れてはいるが大気が澱んでいるようで、その澱んだ熱い熱気が重い鎧の如く身体にまとわりついているようで動作が鈍く感じられる。

その連休も最後の今日は「海の日」ということで海へ繰り出す。
行き先は観音崎で、東京湾海上交通センターが今日は一般公開されているのでこの見学も兼ねる。

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観音崎の夏の名物「バーベキュー村」が今日も多い。

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標高36mの山の上に建つ東京湾海上交通センターは塔頂部の高さ83.5mで、一般の観光客には横に並ぶ観音埼灯台とよく間違えられるらしい。
で、このセンターでは片側700m幅の細い航路の浦賀水道航路で行き来する一日700~800隻もの船舶の通過時刻の調整を行なっているという。
特に総トン数1万トン以上の船舶や危険物船については通過予定時刻の通報を義務づけ、通過順序の把握・調整を行っているのである。

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屋上から眺める浦賀水道も大気が澱んでいる?ため水平線がハッキリしない。

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そうそう、東京湾海上交通センターは海上保安庁の所轄である。
で、海上保安庁は映画・ドラマの「海猿」に撮影協力している。
ということで撮影で使用されたウェットスーツが展示されていた。

何はともあれ、船の航路の邪魔だった第3海堡が4年前に撤去され、海上交通ルールが緩和されて大型船の航路が楽になったことは良いことである。

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2008年7月20日 (日)

海南神社「夏の例大祭」

三浦市のイベントといえばこの「海南神社」なくしては語れない。
1月には国の重要無形民俗文化財に指定されている 「チャッキラコ」が行なわれ、
4月には「食」の神「磐鹿六雁命」を祝う「食の神フェティバル」が行なわれ、
そして7月の19、20日の両日には盛夏の訪れを告げる夏の例大祭が行なわれた。

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この例大祭は、市の無形民俗文化財に指定されている行道獅子が有名だという。
これは見なければイケナイ。

独特の木遣りの受け答えによって行道する獅子は雌雄二頭で、厄よけをしながら、漁師町の風情が漂う商店街や住宅街を巡回し、商店や民家の軒先で獅子が威勢よく担ぎ上げられ、掛け声とともに屋内に駆け込んで行くのである。

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コリャ~面白い!そして迫力がある!
獅子の頭を4人で持ち、胴部となる布の部分を20人くらいで掴んでおり、これが雌雄二頭だから約50人弱の若者達が店先で掛け声を上げて屋内になだれ込んで行く!

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三崎で寿司屋といえば「咲乃屋」、ここもなだれ込まれていた。

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中華料理店になだれ込む。  

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そして坂を駆け上がって行った。

盛夏の訪れにふさわしい実に雄大な行道獅子の練り歩きにオジサン嬉しくなってしまった。
そしてこうした伝統行事に毎年参加できる若者達がじつに羨ましいと感じた今日この頃である。

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2008年7月19日 (土)

ご近所探索「ドブ板通り」点景

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毎度御馴染みの「ドブ板通り」である。
で、ここで行なわれている「どぶ板バザール」も今回で第100回目を迎えるという。

思えば第1回目が開催されたのが1980年だから28年前になり、ベトナム戦争が終結したのが1975年だからその5年後にスタートしたことになる。

閑散としていた「ドブ板通り」を活性化しようと始めたイベントだったと記憶している。
今ではすっかり定着し、ヨコスカの顔になっており、またヨコスカならではのネービー文化は影を潜め、ヨコスカ・カルチャーの発祥の地として全国的に知名度を揚げている。

ワタクシ的には1978年に第30回小説現代新人賞を採った達忠の「横須賀ドブ板通り」がまだ記憶にあり、この頃の「ドブ板通り」が懐かしいのである。

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今では原宿と化した「ドブ板通り」だが、1978年当時はまだ危険な雰囲気があった。
これが男ゴコロというかオジサンゴコロをくすぐる一つの要因かもしれないなぁ・・・

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何はともあれ、ヨコスカ・カルチャーの代表でもある「スカジャン」に敬意を表して乾杯!

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2008年7月18日 (金)

東京ビッグサイト

仕事柄、東京国際展示場、通称東京ビッグサイトにはよく行く。
今日もある展示会に出展しているメーカーの担当者との打合せを兼ねて訪れる。

新橋から「ゆりかもめ」に揺られて約25分で到着。

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この建物、設計は株式会社佐藤総合計画で、まぁ、良くも悪くもバブル期の建築計画の象徴である。
日本最大の展示ホール(西ホール4つ、東ホール6つ)と、会議場、レセプション施設等を備えた敷地面積約24万m2の巨大なコンベンションセンターで、とにかく広い!

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あまりにも広く歩き疲れたので早々に引き上げる。
最近、巨大な建造物に妙な違和感を感じ、精神的にも疲れを感じてしまう。
年を感じた今日この頃である。

設計 : 佐藤総合計画
竣工 : 1995年
構造 : 鉄骨・鉄筋コンクリート・鉄骨鉄筋コンクリート造
用途 : 展示施設、国際会議場
階数 : 会議棟 : 地上8階、地下1階
西展示棟 : 地上5階
東展示棟 : 地上3階、地下1階
所在地 : 東京都江東区有明3-21-1

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2008年7月17日 (木)

サン・ジャックへの道

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サン・ジャックへの道
出演: ミュリエル・ロバン, アルチュス・ド・パンゲルン 監督: コリーヌ・セロー

愛すべき俗物たちがフランスのル・ピュイからスペインのサンディアゴ・デ・コンポステラまでの巡礼路 1500キロをひたすら歩きます。

頑なに自分の生き方を守ってきた「愛すべき俗物たち」だが、1500キロという距離と時間が頑なに守ってきた彼らの殻を薄皮をむくように剥がしていく。この過程が微笑ましく、見所でもある。また、時折描かれる心象描写もアクセントになっている。

自分達が今までの信じてきたものは一体何だったのか?
本当の幸せとは?
これからの生き方は?

1500キロという旅を終えた「愛すべき俗物たち」は心の豊かさを手に入れたのもしれない。
それにしてもこの巡礼路は美しい。で、この巡礼路のうちスペイン国内の道は、1993年に「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」としてユネスコの世界遺産に登録された世界でも珍しい道の世界遺産である。

ちなみに、12使徒の一人、聖ヤコブのスペイン語読みがサンチャゴで、フランス語読みがサン・ジャックである。

ニュージーランドのミルフォードトラックと共にいつか歩いてみたい“道”である。

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2008年7月16日 (水)

長距離通勤者の孤独「ニッポン放送」

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ワタクシ、朝の通勤時間にはラジオを聴く。聴くのは受信感度の良さからニッポン放送である。
特に4年前まで放送されていた「高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団」通称「中探(ちゅうたん)」は愛着がある番組であった。

パーソナリティーの高嶋ひでたけ氏はワタクシの中学の先輩であり、5代目アシスタントを務めた冨田憲子も横須賀出身ということで時折横須賀ネタで盛り上がっていたのが懐かしい。
その後は森永卓郎と垣花正がパーソナリティーを努める番組となり、現在は「上柳昌彦のお早うGoodDay!」を聴いている。

で、この番組中で今週は横須賀が紹介されている。これは今週末の土曜日13:00から送される 「小倉智昭のラジオサーキット」で横須賀が特集として取り上げられるのでその前触れでいくつかの横須賀ネタが紹介されている次第。
昨日は横須賀海軍カレーの「ウッドアイランド」が、今日は観音崎の横須賀市美術館が紹介されていた。

これらの様子はこちらから見られる
  ↓
http://www.1242.com/happytown/
2008年7月13日~19日分

そして、本番は土曜日13:00からの「小倉智昭のラジオサーキット」で横須賀が取り上げられるのだが、さてどのようなネタが飛び出してくるか?
乞うご期待!

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2008年7月15日 (火)

死都日本

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死都日本 (単行本)
石黒 耀 (著)

先日読んだ「日本沈没 第二部」は、沈没という異変後の“彷徨える日本人”の姿を描いており、それなりの説得力はあった。
が、しかし、この「死都日本」を読んで度肝を抜かれた。沈没という異変は架空の出来事だが、火山の噴火はいつ起きてもおかしくはなく、本書では霧島山の地下にある加久藤火山が巨大噴火を起こす様子を臨場感あふれる描写で描いている。

火砕流が追いかけてくる!そしてこの火砕流に伴う二次爆発!サージ!灰神楽!そしてラハール(土石流)などがジェットコースターの如く襲い掛かってくる様を疑似体験できる。イヤイヤ地震も怖いが噴火の凄まじさには驚いた。

「日本沈没 第二部」では人類のために、日本人はどんな貢献ができるかと問いかけてきたが、この作品では自然災害後の新たなる国土利用開発を通じて日本再生の道を模索しているところが興味深い。

それにしても世界を混沌に導く「神の手」作戦の奥の手の発想は凄い。

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2008年7月14日 (月)

「灯ろう夜市」

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毎年恒例行事になりつつある、うわまち「灯ろう夜市」が行なわれた。
これは300基以上の灯ろうが上町大通りに並ぶ幻想的なイベントである。
蝋燭の優しい灯に映し出された灯ろうは優雅で大変美しい。
大変風情を感じさせるイベントで、浴衣を着流しそぞろ歩けば悠久の時の流れを感じることができる。

で、とりあえずの一句。
「灯ろうの 揺らぐひかりに 夏はきぬ」
おそまつ・・・・

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2008年7月13日 (日)

御谷

鎌倉の鶴岡八幡宮の裏手、県道沿いに県営駐車場の脇に無料休憩所がある。で、その無料休憩所には「御谷休憩所」という看板が掲げられている。

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谷はやと、やつと読み、それに「御」が付いておやつと読む。ということはここはかつて幕府の所有地であったことが想像できる。
もともと、将軍家(つまりは幕府)に所属する機関や施設には「御(お)」を付けて呼ばれていた。

例えば、東京湾には御台場(おだいば)と呼ばれる砲台跡が、そして、浦賀には御用林である御林(おはやし)があり、これらは幕府の所有地であった。で、この御谷には昔、八幡宮に仕えた僧侶の住坊の二十五坊があり、また、明治初年には現在県営駐車場がある場所に八幡宮の祠官が「御谷館(おやつかん)」と呼ばされる資料館を建てたが明治19年に県道がこの地を分断し、御谷館は解体され、横浜の三渓園に移築されたが後年焼失してしまった。

そして時は流れ、昭和39年(1964年)に御谷が注目される。「昭和の鎌倉攻め」とも呼ばれる開発の波が鎌倉を襲ったのである。この時に開発され消失した山林は概ね500haにも達する。
この時に御谷の宅地造成に反対する市民が立上り、イギリスで行われていたナショナル・トラスト運動を手本とした運動を展開した。

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               御谷(鶴岡二十五坊)

そして、作家の大佛次郎さんをはじめ多くの市民の努力により、風致保存会が結成され、募金活動を展開し御谷(鶴岡二十五坊)の緑地1.5haを買い取ったのである。そして2年後の昭和41年には「古都における歴史的風土保存に関する特別措置法」(古都保存法)が成立した。これが日本初のトラスト運動であり、この御谷騒動が古都保存法制定の契機となり、御谷は「日本のナショナル・トラスト発祥の地」及び、「古都保存法発祥の地」となっているのである。

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      古都保存法発祥の地                鶴岡二十五坊跡

ある大手開発業者は開発した住宅地に桜を植えるのが好きである。その桜並木が今ではその街の名所にもなっているのだが、緑地をズタズタにした代償がこの桜なのか、と桜の時期 桜並木を見て思い出すのである。

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2008年7月12日 (土)

昔の記憶「アイススケート場」

昭和30年代に生まれたワタクシにとって少年期の娯楽施設といえば映画館・アイススケート
場・ボウリング場であり、青春そのものであった

映画館は東宝映画劇場、大映映画劇場、そして「丸井の別館」、通称「横ビル」には 横須賀劇場、有楽座、名画座、スバル座の4つの映画館が入っており、東京よりも1ヶ月くらい遅れの新作が2本立てで上映されるような地方の映画館であった。
これらの映画館にはお世話になりました。

で、ボーリング場は横須賀中央駅の近くに2つあった。

そしてアイススケート場は旧商工会議所、今のさいか屋東館のところにあった。この場所は昔魚市場の跡地で、元々有った冷却設備を利用してアイススケート場を建造した。
三笠橋を挟んで今のさいか屋駐車場も魚市場であった。

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真ん中の通りが昔の三笠橋であり、この右側に魚市場、左側にスケート場があった。

このアイススケート場も大変お世話になった。

その後、今のダイエー(ショッパーズ)が出来る前の跡地にもアイススケート場が建てられたが、ダイエーが出来るまでの仮設的利用の短期間であったと記憶している。

まぁ、何はともあれ、横須賀のスケート場、箱根は強羅のスケート場、そして富士急ハイランドのスケート場にはまさに青春そのものであったのである。

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2008年7月11日 (金)

一瞬の風になれ

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一瞬の風になれ --イチニツイテ-- ヨウイ--ドン--(単行本)
佐藤 多佳子 (著)

遅ればせながら佐藤 多佳子の「一瞬の風になれ」を読む。
全三部作だが読むのに3ヶ月かかった。
というのも図書館での予約待ちのためである。

「かけっこ」の物語である。

タッタッタッタッと駆け抜けるような小気味の良いテンポで読める。
短く、簡潔に、たたみかけるように叩きつけてくる文体。

目の前にある一本の赤いレーンに吸い込まれていく。
レーンを蹴り、身体を切り裂く風を感じて走る。
あたかも全力で走っているような錯覚に目が眩みそうになる。
レーンの先のゴールが見える。

そして“一瞬の風になる”

「かけっこ」を熱く語る行間からは陸上に対する想い、そして風が感じられる。
読み終えた後、無性に「かけっこ」がしたくなる本である。

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2008年7月10日 (木)

「つぶやき岩の秘密」再考

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昨日の余韻を引きずりつつ「つぶやき岩の秘密」再考。

原作は新田次郎で、音楽は樋口康雄 、そして主題歌は石川セリが歌う「遠い海の記憶」である。とここまでは昨日の続き。で、脚本はアノ!鎌田敏夫氏で日テレの一連の「青春もの」の合間(1972年‐1973年 飛び出せ!青春と1974年 われら青春!の合間)にこの本を書いており、NHKがこの少年ドラマシリーズに力を入れていたのがわかる。

そして原作者である新田次郎氏は昭和46年(1971)三戸浜の新潮社保養所にこもって代表作の一つである「八甲田山死の彷徨」を書いており、この時新田次郎は三戸浜周辺を毎日散歩して楽しんだ。で、この体験がもとになり「つぶやき岩の秘密」が生まれたという。

まぁ、三戸浜周辺の豊かな自然が新田次郎氏にインスピレーションを与えたのかもしれないし、また、主人公の少年、三浦紫郎は鎌倉期の武将・三浦義澄の直系の子孫という設定もあり、これも地元密着型リサーチ?の結果かもしれない。

そして「三浦義澄は敵に後ろを見せない強い大将だった!」という誇りを気概にしていた三浦少年は再び“つぶやき岩”に足を踏み入れるのである。そこには旧日本軍のある秘密が隠されていた。
昭和も30年代はまだ戦後を引きずっていたが40年代になると「戦争を知らない子供たち」という歌がヒットし、新しい世代が台頭してきた。

しかし、この時期ベトナムでは戦争が行われており、横須賀はある意味この戦争と隣り合わせており、また旧日本軍の施設も多く残っていた横須賀に住んでいた我々は常に戦争を感じていたのかもしれない。
だからラストで旧日本軍の秘密(金塊)を海に投げ捨てるシーンには反戦というメッセージが含まれていたのかもしれない、とこのドラマを最近見たオジサンは思うのである。

また、鎌田敏夫氏や樋口康雄氏などのスタッフはその後も目覚しい活躍をされているが、キャストの方々はあまりパッとしない。
特に三浦紫郎の担任の先生・小林恵子を演じた菊容子さんはこの直後、東京都内の自宅で交際していた男性に首を絞められて殺害されるという、真に悲劇的な最期を遂げている。24歳という若さであった。
合掌・・・・

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2008年7月 9日 (水)

「なぎざ」7.8月号

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今月の始め京急の各駅で配布されていた京急の情報小冊子「なぎざ」7.8月号の特集は「海と映画 三浦半島、海のあるまち」ということで三浦半島の海を舞台にした映画を紹介していた。

小津監督作品の「晩春」「麦秋」は由比ガ浜と思われる海岸が、
日活の「狂った果実」「太陽族」は逗子・葉山が、「甦る金狼」では猿島が、
また、「海ゆかば」は記念艦「三笠」で撮影され、北野監督の「あの夏、いちばん静かな海」では久里浜や馬掘海岸が登場する。

最近では「同じ月を見ている」は北下浦海岸で、「図鑑に載っていない虫」「恋空」は和田長浜海岸で、また「歩いても 歩いても」では三浦海岸や長沢で撮影されている。

まぁ、ここ数年は日本映画は活気を取り戻している。で、東京から近い横須賀や三浦市ではテレビドラマやCMや映画などの舞台の使われている訳なのだが、ワタクシ的には古い映画で恐縮なのだが「豚と軍艦」がダントツの一番なのである。舞台は「ドブ板」で昔の安浦や埋立前の馬掘海岸、そして観音崎などが記憶の片隅から甦るが如く映像で実感できる。

また、映画ではないが「タイムトラベラー」で有名?な「NHK少年ドラマシリーズ」の「つぶやき岩の秘密」が油壺、三戸浜、荒崎を舞台にしている。この「つぶやき岩の秘密」が放映されたのは昭和48(1973)年である。
タイムトラベラー」は昭和47(1972)年でこれはリアルタイムで見ていたが「つぶやき岩の秘密」を見たのはつい最近のことである。で、昭和の良き雰囲気が漂う映像を見てオジサン感激!また音楽が懐かしく、当時若手で気鋭の樋口康雄が実にモダンな音楽を提供している。

そして、このモダンな音楽とNHK的服装センスのとアンバランスというかミスマッチさが実にシュールである。
また、原作は山岳小説家である新田次郎で、主題歌は石川セリが歌う「遠い海の記憶」という全体に流れるこの不思議なミスマッチさがシュールな昭和の“時代”を醸し出しており「オジサンゴコロ」を妙にくすぐるのである。
(「豚と軍艦」「つぶやき岩の秘密」のDVDは中央図書館で借りられる)

また、田中麗奈主演の映画「ドラッグストアガール」というレア?な映画では「池之端商店街」が舞台である!
まぁ、映画の内容ウンヌンよりは何故か?しみじみと哀愁を感じる映画であり、商店街なのである。

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2008年7月 8日 (火)

マンダレイ

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マンダレイ   (2005年 / デンマーク )

ワタクシ、以前からデンマークのラース・フォン・トリアー監督の一連の作品に度肝を抜かれているのである。「ドッグヴィル」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」そして「奇跡の海」などなど・・・

イヤ~スゴイ!人によっては観るほどに落ち込んでいく。そして衝撃的なラスト!!
映画=娯楽という図式からもっとも遠い所に位置する映画である。
そして、どの作品も観終わった後、しばらく放心状態になる。

この「マンダレイ」は「ドッグヴィル」に続くアメリカ三部作”第2弾である。

権力と支配とは?
民主主義とは?多数決の愚かしさとは?
そしてその上に築きあげられている”自由と平等”とは何か?

簡潔なセットの中、巧妙な演出でグイグイ引き込まれていく。

主演(グレース役)がニコール・キッドマンからハワードに変わり、チョット小振りになったが、映画としての完成度は上がり、演劇と映画が高いレベルで融合した奥深い映画だと思う。
それにしても、人間の持つ“怖さ”とは単純なほど“怖い”と感じた前作の人間の業の奥深さは印象的であったなぁ・・・

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2008年7月 7日 (月)

VS

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VS (単行本)
ハリー ビンガム (著), Harry Bingham (原著), 山本 光伸 (翻訳)

この本のタイトルである「VS」とは何?
読み終わってようやく気付いた。
巨大製薬会社“vs”小さな同盟の名誉をかけた戦いであるということを・・・
そして、巨大利権が渦巻く製薬業界の裏側を赤裸々に描いており、これが真実なら我々が飲んでいる“薬”とは一体何?直らない薬を飲んでいるのか?という素直な疑問が湧き上がってくる。

製薬会社にとって都合の良い薬とは病気が進行せず(直らず)生涯飲み続けなければならない薬なのである、と著者は我々に警鐘を鳴らしている。

そして、人間の体はいかなるウィルスでも細菌でも、未知の物であってもそれらを全て退治する対処法を持っており、治療とはその免疫機能を補助するだけでよいという。これがこの物語のテーマである「免疫再プログラム法」である。

主人公の一人である女性科学者キャメロンは言う。
「ビタミンEを投与すれば心臓疾患の大半を救うことができる 大量に投与すれば4分の3になる可能性がある」と、そして、現実は高価な心臓病の治療薬が投与され、利幅が薄いビタミン剤は使われないのである。

(ホンマかいな!)と唸ってしまった。
素人には真偽のほどは判らないが、ビタミンEには確かにこのような作用はあるらしい。

ストーリーは不器用なラブストーリーを絡めながら巨大製薬会社との戦いのクライマックスへとなだれ込んでいく・・・・・
幸か不幸か?この小説はさほど知られていない。

“治療”とは“薬”とは何?という疑問があるお方は読んでみると良い。

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2008年7月 6日 (日)

ニルヴァーナ“NIRVANA”

昨日も暑かったが、今日も暑い!
こう暑いと極辛料理を食べて汗をかきたい?という自然な欲求に駆られる。
で、去年三笠ビルの地下にオープンした「ニルヴァーナ」でカレーを食す。

ご近所にはインドカレーを提供する「ベイ・リーフ」、またタイカレーを提供する「エラワン」という店もあり、選択が増えてオジサンはウレシイ。

そういえば去年も「極辛料理を食べて汗をかきたい」というコメントで「ベイ・リーフ」でカレーを食べているなぁ・・・実に単純な味覚嗜好感覚である。

ここはインド・ネパール料理となっているが、インドでも北インドだろう
そういえば昔、ネパールに行った時にはカレーばかり食べていた記憶があり、また、シンガポール時代にはよくインド人街でカレーを食べていた。トーゼン手で食べていたが食後手を洗っても半日は手がカレー臭かったのが懐かしい。

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今日のチョイスは2種類のカレーを選び、ナン&サフランライス、及びデザート付きの1050円のランチセット。
辛さの中にもコクとまろやかさを持つ日本人向きのアレンジであり、なかなかウマイ!
通常日本でインドカレーというと北インド地方のカレーが中心となる。

しかし、ワタクシはバナナの葉っぱの上にライスやカレー、その他数種類のおかずがてんこ盛り状態で出せれる南インド定食である「ミールス」がこよなく好きなのである。
残念ながら日本ではまだ知られていないようである。

因みに「ニルヴァーナ」とはサンスクリット語の仏教用語で、涅槃(nirvaaNa)のこと。
同様の名前のインド料理店が東京にもある。

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2008年7月 5日 (土)

三遊亭圓丈独演会~圓生 今 ふたたび~

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三遊亭圓丈独演会~圓生 今 ふたたび~

久々に野毛にあるにぎわい座で行なわれる円丈の独演会に出かかる。
本日の演目は師匠である円生モノ2席+αである。

円生モノ2席とは「豊竹屋」と「三年目」である。

まぁ、どちらも円丈独特のギャグにアレンジしてある訳で、実にパワフルに熱演していた。
特に「豊竹屋」は音曲噺でもあり、義太夫節と口三味線の掛け合いはノドを震わせての大熱演でテンポの良いノリで楽しめた。

「三年目」はシュールな円丈ワールドに大変身し、これも面白かった。
特に隣の若い女の子はケラケラと笑いっぱなしで大ウケ!

今度は日本橋亭まで無限落語を聴きに行きませう。

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2008年7月 4日 (金)

4th July、オープンハウスの記憶

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帰宅で平坂を登っていたら途中で人々が海側に向かって何かを見ていた。
で、ワタクシも振り返ってみると花火が揚がっていた。

今日は何の日?一瞬分からなかったが、やがて気付いた。
(そうだ、今日は4th July、アメリカの独立記念日だ)

まぁ、日本人にはあまり縁の無い記念日だが、幼少の頃のワタクシには特別な日であった。
オープンハウスといって独立記念日と三軍統合記念日にはベースに招待されていたからである。
これは基地内で働く従業員の家族限定だったと記憶している。

飲み食いはタダでゲームの賞品もアメリカ製の高価なオモチャだったりして“オープンハウス”は楽しみにしていた。

で、フト、思うのだが三軍統合記念日って何時?
こういう古い言葉を知っている人も少なくなりなかなか分からない。

アメリカ国防総省(ペンタゴン)が設立された日?
ペンタゴンはアメリカ軍(五軍)のうち、沿岸警備隊を除く陸軍・海軍・空軍・海兵隊 の四軍を傘下に収めており、建物が五角形の形をしていることから通称ペンタゴンと呼ばれいるのだが・・・

インターネットで調べると、
「5月第3土曜日を軍隊記念日としている。かつては陸軍・海軍・海兵隊・沿岸警備隊のそれぞれの記念日があったが、それを統合したものとして1949年に設けられた」とある。

そうか、5月だったか・・・何はともあれ遠い日のフェンスの向こうのアメリカの記憶である。

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2008年7月 3日 (木)

地球シミュレーター再び

日本沈没 第二部の影の主役は“地球シミュレーター”である。
物語ではオーストラリアにある日本政府所有の“地球シミュレーター”が世界的大異変を予測するわけなのだが、この“地球シミュレーター”は実在する。

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場所は横浜は杉田にある海洋研究開発機構の構内にあり、縦65m、横 50m、高さ17mの体育館のような建物の中に設置されている。当然免震構造となっており、更に付近の首都高速道路などを走る車の違法無線などの対策のため電磁シールドが張られているのである。

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去年、初めてご本尊を拝見し、その凄さに圧倒された。
で、今年も海洋研究開発機構で行なわれた公開セミナー「内陸で起きた最近の大地震」を拝聴した後にご本尊を拝見してきた。

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照明を切った室内の“地球シミュレーター”は幻想的である。

この“地球シミュレーター”だが今年の10月から随時新型コンピューターに入れ替えていくという。
ランニングコストは1年間で40数億円も掛かり、電気代だけでも年間5億円も掛かるらしい。
で、汎用製品に転換し、コストを抑えて性能向上を図るということであり、次期地球シミュレータは倍以上の性能となり、100テラFLOPS程度まで引き上げるという。
これは現段階では世界2位を狙える値だが、09年の時点ではトップ10位入りも難しいが、“地球シミュレーター”としての能力はトップクラスだという。

この“地球シミュレーター”が世界的大異変を予測するという事態は避けたいが、シミュレーションの結果暖化は着々と進んでいるみたいである。

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2008年7月 2日 (水)

日本沈没 第二部

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日本沈没 第二部 (単行本)
小松 左京 (著), 谷 甲州 (著)

「日本沈没」の第一部が発表されて今年で35年で、当時高校生だったワタクシは夢中になって読んだ記憶がある。
そして2年前の2006年に再映画化に合わせてこの第二部が谷甲州との共著という形で出版された。
この日本沈没 第二部だが、“異変”により日本が沈没した後のシミュレーションをきめ細かく描いている。

“異変”後世界各地で気候変動が発生するのだが、これは日本人が入植し自然破壊した結果なのか?
第三国で日本人は経済的に成功し、貧富の差が生まれる。そして暴動が起こり迫害される日本人。
生活基盤を失った日本人が大挙して都市部に流入し、スラムを形成して周辺の治安を悪化させる。
また、入植地を追われた日本人の難民が国境を越えて他の国に逃れ、なかには難民キャンプを根拠地に、反政府運動や無差別テロを展開する。

イヤイヤ凄まじいまでの災難が日本人に降りかかってくるわけで、これはまさしく彷徨えるユダヤ人ならぬ、彷徨える日本人ではないか。

そして日本の未来予測システム、“地球シミュレーター”が地球の結末を導き出した。
その結論とは何か?日本列島の沈没は、単なる前触れにすぎなかったのである。

絶望的な状況の中で中田首相と鳥飼外相は日本人のアイデンティーとは何か?と問う場面があり、この小説の見せ場ならぬ読み場があり、このくだりが非常に興味深い。
中田首相は国土を失っても、その誇りを継承させようとする愛国主義を、鳥飼外相は世界と共存するコスモポリタニズムを主張するのである。

これって坂口安吾の「日本文化私観」に通じる何かを感じるなぁ・・・
坂口安吾は必要なら法隆寺など焼けてしまってもかまわぬ、そこに畑を作り、日本民族として健全な精神を保てればそれでよいではないか、と述べている。国土よりは精神が大事ということでは鳥飼外相の考えに近いのかもしれない。

まぁ、人類のために、日本人はどんな貢献ができるかという問いかけは、今の世界にも重ね合わせることができ、考えるべき問題であると思う今日この頃である。

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2008年7月 1日 (火)

ご近所探索「三笠ビル」

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ワタクシが小学生の頃の遊ぶエリアは南は練兵場(不入斗公園)で東は重箱(安浦港)、そして北は大勝利山を経て三笠ビルであった。
で、その先のドブ板は子供は行ってはいけない“危険地帯”であり、たまにドブ板を迂回して臨海公園(今のヴェルニー公園)まで遠征して遊んだ。 

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この「三笠ビル」は三笠通りに面して大勝利山との間に昭和34年に建設された共同商店街で、全長は175メートル、総面積2890坪、鉄筋コンクリート3階建で総工費は2億7千万円である。

現在の商店数は63店舗で、昔ながら商店は減っており、携帯電話などの新しい形態の店舗が増えている。
ワタクシが一番通った店は豊川稲荷の入口にあった模型屋であり、ヤジマレコードでもよくレコードを買った。

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地上3階建であるが2階部分は1階と同じで中央に通路(屋上)があり、昔はここでよく遊んだ記憶がある。
そして、三笠ビルには時空を超えて大勝利山に鎮座する豊川稲荷への入口でもある。この一帯は切り立った崖に沿うように急で、長い階段が延びており、独特の雰囲気がある。

また、昔、ここには滝があり、それが今の大滝町の由来となっている。
三笠ビル建設時も滝壺が基礎工事の障害となり、予定してた既成杭では施工出来ず急遽現場打ちの杭に変更になったという。

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     三笠ビルと大勝利山

この滝がいつごろのものか知る由もないが、大きな地殻変動で土地が隆起し、また陥没し、川が消えてしまったのだろう。それにしても現在の土地の形状からは川があったとがとても想像できないし、“大滝”という言葉が遥か昔から伝承されてきたことに大きな驚きを感じているのである。  

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