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2008年4月19日 (土)

「義経まつり」

鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母兄弟である源義経は平家討伐の殊勲者であるにも関わらず頼朝の怒りを買い、それに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされたのである。
そして、その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉、多くの伝説、物語を産んだのである。

先日、義経が幼少時代を過ごした鞍馬山を訪れ、在りし日の義経に思いを馳せる。

そして、その義経と鎌倉の接点は唯一、腰越の満福寺なのである。

義経は壇ノ浦で捕らえた平宗盛・清宗父子を護送して、鎌倉に凱旋しようとした。しかし義経に不信を抱く頼朝は鎌倉入りを許さず、宗盛父子のみを鎌倉に入れた。このとき、鎌倉郊外の満福寺に義経は留め置かれ、兄頼朝に対し自分が叛意のないことを示し頼朝の側近大江広元に託した書状が有名な腰越状である。

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その満福寺で「義経まつり」が行なわれた。

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義経慰霊法要

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義経まつりパレード

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こちらのお方達がミス鎌倉です。
右側の女性はどこから会ったことがあるなぁ・・と思っていたら八幡宮前で人力車を引いているお方であった。

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桃山流富士舞の家元と社中

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本堂内で展示されている義経・弁慶像

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鎌倉彫の襖絵(静の舞)

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で、これが有名な「腰越状」である。
ちなみにこれは弁慶が書いたとされる草稿(下書き)であり、「不顧為敵亡命」(敵のために命を亡くすことを顧みず)という6文字が抜けたため、満福寺に残されたという。

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境内には弁慶ゆかりのものがいくつかある。

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霊園トンネル
極楽浄土への入口か?

そして、鞍馬山から始まる数々の「義経伝説」に思いを馳せる今日この頃である。

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