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2008年4月

2008年4月30日 (水)

美々卯のうどんすき

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先日所用で京橋に行く機会があり、その後「美々卯」で“うどんすき”を頂く。
で、この“うどんすき”だが大阪・美々卯の登録商標である、ということを初めて知った。

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そして、美々卯で酒といえば凍結酒で、これも美々卯の名物だという。
これも知らなかった・・・
程よいシャーベット状で鍋にはこようえなく合う気がする。

うどんすきで凍結酒をほろりほろりと飲む。
久々に“美食”を堪能した幸運な日である。

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2008年4月29日 (火)

KOIフェスタ、そして入中を想う

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ワタクシの母校である不入斗(いりやまず)中学ではこの時期に「KOIフェスタ」なるイベントを行なっている。
最近では少子化などのため、鯉のぼりを揚げる家庭が減ってきており、不用になった鯉のぼりを集めてこのようなイベントを各地で行なっている。

で、この入中(いりちゅう-不入斗中学を略してこう呼ぶ)の校舎だが昔の面影はない。
ワタクシが在学中は木造で壁や床に穴が明いていて下の教室が覗けたくらいである。
それもそのはずでこの木造校舎は旧陸軍重砲兵連隊の兵舎を利用したもので、明治時代の建物であった。
また、これも有名な話だが、1956(昭和31)年には3,084名を記録、日本一のマンモス中学校になったこともある。
百恵チャンの出身校でも有名だが、実は彼女 在学中に自由研究で「団地の家族構成」を発表してこれが2位となり、当時の長野市長から表彰されているのである。
実はワタクシ、この当時長野市長と個人的によくお会いしてました。ご近所だったもので・・・

鯉のぼりを眺めていたらそんな当時の記憶が走馬灯の如く脳裏を流れた今日この頃である。

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2008年4月28日 (月)

ダーウィン展

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ダーウィン展

「薬師寺展」の後は「ダーウィン展」とハシゴする。
上野ならではの得意技?である。

で、この「ダーウィン(チャールズ・ダーウィン)」だがワタクシが知っているのは「ビーグル号」の航海で向かったガラパゴス島や進化論、そして「種の起源」にまつわるエピソード(少し)ぐらいである。

改めてこの「ダーウィン展」を観て感じたのはやはり天才は一芸に秀でている、ということである。
彼も少年期は昆虫オタクで飽きることなく観察していたという。

そしてダーウィン家はアノ!イギリスの陶磁器メーカーであるウエッジウッド家と親戚関係だったという。
ダーウィンの母親はウエッジウッド家の娘で、ダーウィンの奥様もウエッジウッド家の娘であった。
これは知らなかった!

この展覧会では進化論を小学生でも分かるように展示していた。
そして、後半ではこの進化論が今でも現在進行形で議論されている具体的な展示がされていた。
まぁ、アメリカに限らずキリスト教徒の国では科学者ですら進化論を信じない人がいるくらいである。
教育現場でも進化論と共に、人間は神が創ったという理論を教えるべきと言う人がおり、裁判沙汰にもなっている。

で、この神の理論が否定されると非科学的なインテリジェント・デザイン論が出現してきているのが現状である。
このインテリジェント・デザイン論では、神という単語は使わず「偉大な知性」と表現している。

この論争では決着がつくことはないだろう。互いに距離を保ちつつ平行線で議論されるのが科学の為というよりは世界平和の為に良いのではと考えさせられるのである。

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薬師寺展

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薬師寺展

今日はGWの谷間の平日である。そして理解ある職場の意向で今日は強制的に?休みなのである。
で、GWの休みには大勢の人が押し寄せてゆっくりと観ることが出来ないと予測される「薬師寺展」を観に行く。

平日にもかかわらず結構な人出である。
そして、今回の展覧会の最大のみどころである国宝 月光、日光菩薩立像には圧倒される。
緊張感溢れるその美しさが圧倒的な存在感を創り出している。
そして、計算された空間のスケール感やライティングがその効果を高めている。
感極まり頭を垂れて手を合わせているお方が何人もいたが、その気持は良く分かります。

薬師寺は法相宗(ほっそうしゅう)の総本山である。法相宗は、あの西遊記で有名な三蔵法師(玄奘三蔵)から始まる。
玄奘三蔵が印度で17年の間仏教教義の修得・翻訳に勤めた後、その教義の発揮は慈恩大師[じおんだいし]に託され、法相宗を開創したのである。

で、この法相宗では、あらゆる存在は「識(こころ)」から投影されたものであると教えている。これが唯識所変(ゆいしきしょへん)で、つまり、十人の人間がいれば十の世界(考え方)があるということである。
そしてそこから存在論、認識論が論じられているのである。

これって最近読んだ陰陽師にも似たような記述があったなぁ・・・

また、薬師寺の南大門を出た南に薬師寺を守護する休ケ岡八幡宮がある。かつては休岡八幡宮で身を清めてから薬師寺を参拝したという。
八幡神社の総本社は大分県宇佐市の宇佐神宮(宇佐八幡宮)である。寛平年間(889~898)に大分県宇佐から現在地に勧請された。

休ケ岡八幡宮では八幡神(八幡三神)が安置されている。で、この八幡神はそもそも農耕神あるいは海の神とされているのだが、この八幡神は何も身に付けない僧侶の形で表現されているのである。これは古来より日本で生まれ育った伝統的な自然信仰である神道と大陸から伝来した仏教徒が融合し、普及してきたことを表している。いわゆる神仏習合というものである。

日本古来の神様達が仏教に擦り寄って?きた訳だが、これは当時、律令制の導入により社会構造が変化し、有力豪族たちの願望・思惑がこの神仏習合により受け入れやすかったからだといわれている。

まぁ、何はともあれ、日光・月光菩薩、聖観音菩薩様のその圧倒的な“美パワー”から仏教の神秘を、八幡神を見て神仏習合を、また玄奘の教えを見ながら唯識所変とは何か?と考えさせられた一日であった。
そして古(いにしえ)の日本人の心の故郷とも言うべき“まほろば”に想いを馳せた一日でもあった。

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2008年4月27日 (日)

食の神フェティバル「包丁儀式と510mの鉄火巻」

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三崎にある「海南神社」の歴史は古い。
奈良時代に中央の貴族であった藤原一族の藤原資盈(すけみつ)は皇位継承争いで謀反人の濡れ衣を着せられ、864年九州を船で脱出し三崎に漂着した。当時、三浦の人々は房総の海賊に苦しめられていた。藤原資盈はこの海賊を平定したことから長として崇敬され、866年 藤原資盈が没し神として祭られたという。

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ご神木は樹齢800年の大イチョウで、源頼朝が植樹したと伝えられている。また、海の神として漁師やヨットマンが海難防止・交通安全の祈願に訪れている。

そして、境内に千葉県南房総の高家神社から分社された相州海南高家神社があり、料理の祖神であり食の神である磐鹿六雁命(イワカムツカ リノミコト)が祭神として祀られていており、海山の自然に感謝を捧げ、四月下旬には食文化の向上を願う「食の神フェスティバル」が開催され、「包丁式」などが行なわれのである。

で、本日はその開催日であり、また同時に全長510mの鉄火巻きづくりに挑戦する 「三崎まぐろ鉄火巻日本一寿司づくり大会」が行なわれるという。コリャ~面白そうである。

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奉納料理の品々

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包丁供養感謝祭
使い古された包丁を供養する。

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そして古式ゆかしき「包丁式」
右手に庖丁刀、左手に真魚箸を持ち、まな板の上に置かれた料理材料には素手を触れずに、自身の六根清浄を念じ、天下泰平、五穀豊穣を祈願しつつ、庖丁の錆になる料理材料の生命に対して捧げる感謝の意を、一刀一礼の作法にのっとり料理する儀式である。
基本的に魚では、鯉、鯛、真鰹などの基本の形があるが、鮪(マグロ)の包丁式は珍しいという。
ちなみにこれは四條流庖丁儀式である。

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三浦の名物であるマグロと大根を使ったみうら汁

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まぐろの姿造り、これらは無料サービスである!また三浦大根も配られていた。

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馬堀法眼善孝画伯による磐鹿六雁命の大絵馬  

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そして「漬けとネギトロの2色丼」を頂く。

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で、これが全長五百十メートルの鉄火巻きづくりに挑戦する 「三崎まぐろ鉄火巻日本一寿司づくり大会」の様子である。抽選で当選した千人が挑戦する。

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シャリはシート状にユニット化されていた。

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やはり、千人が同時に五百十メートルの鉄火巻きを作るのは時間がかかる。

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そして、見事に成功!

食の神フェティバルに相応しく満腹状態でご帰宅と相成った次第である。

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野口久和トリオ BREEZE

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咸臨丸フェスティバルのイベントの一環として開催されたJAZZコンサート。
会場は浦賀ドック内の機関工場である。

この会場は程よくエコーがかかり、この手のジャズボーカルを聴くにはいいかもしれない。

で、この「BREEZE」というグループなのだが、最初の曲は「ルート66」。
「マンハッタン・トランスファー」を彷彿させてくれる。
昔好きだったなぁ、マンハッタン・トランスファー・・・
コンサートにも良く行ったもんである。

で、お次は「マシュ・ケ・ナダ」である。
セルジオ・メンデスです!
中学生の頃好きだったなぁ・・・セルメン・・・・

当時の事が走馬灯の如く脳裏を駆け巡る。
そんな想いに浸りながら、心地よいジャズコーラスの中を彷徨う。

そして気付けばアンコールである。
イヤイヤ、気持良い音楽を聴いていると時間の過ぎるのが本当に早い。

潮風が漂う浦賀の空に「BREEZE」が気持ちよく流れて行くのであった。

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2008年4月26日 (土)

咸臨丸フェスティバル

咸臨丸フェスティバル
毎年この時期の恒例のイベントである。
昨年は市制100周年、ということで国際交流フェスタの一環として行なわれた。

今年は住友重工浦賀工場の歴史や、中島三郎助の足跡や浦賀・大津の寺院の紹介、海上保安庁の紹介なども併せて展示されていた。

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住友重工浦賀工場の歴史は興味深い。

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そしてこれらは進水式の支綱切断の儀式に使われた斧である。
右が日本丸のもである。
この斧はその艦船ごとに新しく作られるため、同じものは二つと存在しない。日本においては銀の斧を使用することが多い。

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で、住友重工が施行した最も著名な鉄骨工事は国会議事堂である。

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浦賀・大津の寺院の紹介
これは以前、大津行政センターで展示されたものと同じであった

アメリカのペリーにより開国した幕府だが、オランダもアメリカに対抗して幕府に働きかけ長崎に海軍伝習所を設立させた。
1855(安政 2)オランダ海軍士官ペルス・ライケン以下22名の指導の下、オランダから贈られた軍艦スームビング号(観光丸)で第1期伝習がおこなわれた。この時の伝習生の学生長を務めたのが勝麟太郎(のちの海舟)である。
で、第2期伝習のためオランダより教官たちを乗せて来日したのがヤーパン号である。でこれが後の咸臨丸となる。

で、咸臨丸は日米修交通商条約批准のため、使節をのせて日本で初めて太平洋を横断した船として思っているお方がいますがこれは間違いである。使節が乗り込んだ船はアメリカが提供したポーハタン号である。
このポーハタン号はペリー艦隊の4隻の中の1隻でもある。

咸臨丸はこの使節団を護衛するための随行艦としてアメリカに渡り、艦長は勝海舟が務めアメリカ人の助けを受けながら、幕府の船として初めて太平洋の横断に成功したのである。
また、咸臨丸はポーハタン号と比べ、速力が遅かったため3日先行して出航し洋上で落合う予定であった。しかし、ポーハタン号が連日の荒天による破損著しく、ハワイに寄港し、修理を行ったため、咸臨丸は単独航海となり、1860年3月17日(安政7年2月26日)、サンフランシスコに到着し、ポーハタン号は12日遅れて到着となった。

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ポーハタン号

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これがポーハタン号と咸臨丸の航路である。

アメリカ人の助けを受けながら横断したと前述したが実際は、咸臨丸を操舵していたのはアメリカ人ブルック大尉以下のアメリカ船員で、勝海舟は船酔いがひどく一歩も艦長室から出てこなかったという
で、このアメリカ人船員達は難破したアメリカの測量船クーパー号の船員達でアメリカの帰国するためたまたま横浜から乗船したもので彼らがいなければ太平洋横断は難しかったかもしれない。

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東浦賀の東叶神社の裏山には勝海舟断食後の碑があるが、これは彼が己の船酔いを克服するため?に行なったのではないのでは?とワタクシは思っているのだが・・・

そしてワタクシのご近所には副艦長格であった浜口英幹の邸宅があり、花屋敷と呼ばれていた。

浦賀ドックの遺産紹介ツアーにも参加。これは実は2度目である。前回とはチョット違う説明が聞けた。

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船を固定させるための盤木だが、現在配置されているのは浦賀ドックが最後に修理した東京湾フェリーのものだという。(盤木は船底の形状により毎回配置を変える)

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2003年(平成15年)3月31日 に閉鎖して5年、次第に荒れていく風情はそれはそれで情緒はあるが、ミュージアム・パーク化も含めて早く整備して欲しい、と願う今日この頃である。

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亜細亜楼「とろみラーメン」

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浦賀にあるごく普通の中華屋だが、ウワサによるとサンマー麺がウマイらしい。
で、このサンマー麺を食べに暖簾をくぐるが、壁に大きく貼られた「とろみラーメン」が気になる。
サンマー麺も「とろみラーメン」ではないか?と思うが、この「とろみラーメン」はピリ辛がウリらしい。
この大きな張り紙に心を動かされとろみラーメン」を所望。

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大きめなレンゲが特徴的である。
で、けっこうウマイ。他のメニューも食べてみたいと思う。
そして、他の客が注文するを聞いていると細かいオーダーが可能らしい。
「肉野菜炒め、味薄めで小ライス!」とか注文している。

地元に密着した正しい?中華屋である。

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2008年4月25日 (金)

ご近所探索「向山行在跡」

 

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ドブイタ通りから登ったところには「向山行在(あんざい)所跡」という明治天皇宿泊の記念碑がある。

富国強兵の時勢でもあり、明治天皇は在位45年間に横須賀には16回も来られたという。
横須賀駅から馬車で出発し、御幸(みゆき)橋を経て鎮守府に向い、造船所をご視察後、向山の行在所に宿泊されたという。
向山の行在所とは、今の横須賀幼稚園の所にあった海軍官舎を利用されたもので、園内には、記念碑があり、「聖蹟」の文字は、加藤寛治(ひろはる)海軍大将の書である。
そして翌日には造船所育ての親、ウェルニー、サベジー、ナポジーらを労われたと記録にある。

今では人知れずひっそりと佇んでいる記念碑である。

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2008年4月24日 (木)

大いなる陰謀

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この映画「大いなる陰謀」はアメリカの歴史的、政治的土壌にかなり精通していないと理解出来ないと思われるくらい内容が濃密である。
この映画の原題は「LIONS FOR LAMBS」である。それを邦題ではいとも容易く「大いなる陰謀」としてしまった。
これで日本の観客はミスリードされてしまう。この先入観だけで映画を観るとトム・クルーズ演じる上院議員(共和党)一人の陰謀だと思ってしまう。でもこれは違う。陰謀ではなくて無謀なのである、
やはりこの映画の本質は「LIONS FOR LAMBS」を正しく認識していないと理解は出来ないとワタクシは思う。
ライオンのように勇敢な兵士達はロバのように無能な指揮官の下で戦わざるを得なかったのである。

これがアメリカでは無謀ではなくて必然ということである意味認知されているのである。
で、アメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルトの言葉が出てくるのだが
「“正義”と“平和”のいずれを選ぶかと問われた時、私は迷わず“正義”を選ぶ」と。
アメリカでは、“正義”の名の下で今でもこの無謀な“戦い”が選択されているのである。
そして、これに憂いを感じている大学教授役兼監督のロバート・レッドフォードはまず「行動すべきだ」と問題を提起している。

久々に観る骨太で気合を入れさせられた映画である。

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2008年4月23日 (水)

イッツ・オンリー・ロックンロール

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 「イッツ・オンリー・ロックンロール」東山彰良

この小説を読んでいるとロックって一体何なのさ?
と素朴な疑問が渦巻いてくる。

そして著者はこの命題を文脈のいたる所にぶちまけて問いかけてくる。
それが独特のロック語となりこの小説ならではのドライブ感を作り出しており、
叩きつけるようなビートのような文体はドライで気持ちよい。

で、再びロックって一体何なのさ?それはロック魂さ!
ストイックで社会に対する何らかのメッセージがなければロックではない!

まぁ、今時こんなピュアなロッカーは稀なのでないだろうか。
そして多くの人が気づいている。今ではロックは作られたものであり、ビジネスであるということを・・・

でもそんなロック魂を捨てきれず、大人になったうらびれたロッカーはクロスロードで悪魔に魂を売り己の道を進むのか?
余韻を残すラストが印象的である。

ちなみにタイトルの「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」は初期のザ・ローリング・ストーンズ のアルバム名から頂戴しているということはロック好きなら誰も分かることである。

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2008年4月22日 (火)

湘南麺屋 海鳴

鎌倉でラーメンといえば「ひら乃」であり「晴雨庵」であり「ひなどり」であり、そして「HANABI」であった。
鎌倉駅前の東急ストアーの前にあった「ひなどり」は藤沢に移転してしまった。で、その跡にオープンしたのがこの「湘南麺屋 海鳴(うなり)」である。

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かながね訪れようとしたのだがなかなか機会が無く先日ようやく訪れることが出来た。
で、オススメの煮干し拉麺 正油を所望。

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派手さはないがシミジミとウマい!若い店主は「くじら軒」、「カミカゼ」での修行経験を持つという。
なるほど、和風のエキスを凝縮したスープは麺を食べるのを忘れるほど飲み続けてしまいそうだ。
細めの麺も食感がよくかみ締めるほどウマさが滲み出る。

やはり鎌倉は和風ラーメンが合う土地柄である。

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2008年4月21日 (月)

鎌倉の美」とナショナル・トラスト

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「鎌倉の美」写真コンクール入賞作品展
鎌倉の美写真コンクールの入賞作品展と世界遺産登録に向けてのPRパネル・絵画・写真等の美術展示を同時開催。

場所:きらら鎌倉市民ギャラリー
日時:4月15日(火)~21日(月)

今まで気づかなかったような鎌倉の風景を切り取った新鮮な写真が何点もあった。
一瞬を切り取る絶妙なタイミングに驚かさせる。
こうゆう作品展を観るとやはり道具に金をかけないとダメだなぁと痛感する。

そして、鎌倉は世界遺産登録に向けてのPR活動を開始した。
この催しは、古都の美を追求し鎌倉を世界遺産に登録させようという取り組みの一環である。
しかし、開発が進む鎌倉の現状では難題が山積しているのである。

鎌倉は国内ナショナル・トラストの発祥の地でもある。
世界遺産登録に向けて市民の地道な活動が必要なのでは、と感じた今日この頃である。

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2008年4月20日 (日)

YOKOSUKA青空市民まつり

これも毎年恒例の「YOKOSUKA青空市民まつり」だが、今年は天候がイマイチで曇りである。
しかし、皆様方のパフォーマンスは熱かった!

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最近暗い出来事やニュースが多いが、こういうイベントで多くの人達が少しでも元気になってくれたら良いな、と思うのである。

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アート&ジャズフェスティバル

今日は、横浜で毎年恒例のヨコハマ大道芸2008がイセザキモール、吉田町通り、関内馬車道で行なわれ、また同時にみなとみらい大道芸2008がMM21の各会場で行なわれた。

いやはや、19・20日の両日で59組の大道芸人が横浜に集結するというわけである。
これは凄い!事前にプログラムを調べて見たいものを効率よく見なければならない。
しかも会場が伊勢崎町からMM21まで広範囲なので移動にも疲れる。

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という訳で今年は吉田町通りで行なわれた「アート&ジャズフェスティバル」を定点鑑賞?する。
これは去年もビール片手にほろ酔いでご鑑賞。で、今年も同じくほろ酔いでご鑑賞。

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やまもときょうこラテンジャズグループ
ブラジリアンテイストのジャズはやはり心地よい。
トロンボーン・プレーヤーがいたのでウィリー・コローンなんてやって欲しかったが、彼はサルサか・・・チョットスタイルが違うか・・・?

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宮崎正秀ユニット
正統派スタンダードジャズが堪能。

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渡辺典保カルテット
彼らの演奏にはジャズの楽しさが感じられる。

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YCA(横浜アマニュアコンボバンド連盟)
皆さんプロ顔負けの演奏で恐れ入谷の鬼子母神。

来週はお隣の野毛でこれまた「野毛大道芸」が行なわれる。

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で、本日はプレイベントで伊藤多喜雄ライブが行なわれていた。
初めて彼らの演奏を聞いたがコリャ~パワフルで迫力あるなぁ~
民謡がファンクしてフュージョンしている!
本腰を入れて今度聴きたいと思った今日この頃である。

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2008年4月19日 (土)

「義経まつり」

鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母兄弟である源義経は平家討伐の殊勲者であるにも関わらず頼朝の怒りを買い、それに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされたのである。
そして、その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉、多くの伝説、物語を産んだのである。

先日、義経が幼少時代を過ごした鞍馬山を訪れ、在りし日の義経に思いを馳せる。

そして、その義経と鎌倉の接点は唯一、腰越の満福寺なのである。

義経は壇ノ浦で捕らえた平宗盛・清宗父子を護送して、鎌倉に凱旋しようとした。しかし義経に不信を抱く頼朝は鎌倉入りを許さず、宗盛父子のみを鎌倉に入れた。このとき、鎌倉郊外の満福寺に義経は留め置かれ、兄頼朝に対し自分が叛意のないことを示し頼朝の側近大江広元に託した書状が有名な腰越状である。

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その満福寺で「義経まつり」が行なわれた。

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義経慰霊法要

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義経まつりパレード

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こちらのお方達がミス鎌倉です。
右側の女性はどこから会ったことがあるなぁ・・と思っていたら八幡宮前で人力車を引いているお方であった。

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桃山流富士舞の家元と社中

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本堂内で展示されている義経・弁慶像

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鎌倉彫の襖絵(静の舞)

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で、これが有名な「腰越状」である。
ちなみにこれは弁慶が書いたとされる草稿(下書き)であり、「不顧為敵亡命」(敵のために命を亡くすことを顧みず)という6文字が抜けたため、満福寺に残されたという。

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境内には弁慶ゆかりのものがいくつかある。

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霊園トンネル
極楽浄土への入口か?

そして、鞍馬山から始まる数々の「義経伝説」に思いを馳せる今日この頃である。

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2008年4月18日 (金)

浅草寺の三社祭とは?そして神輿とは?

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先日、都内のある寿司屋でたまたま隣り合って座ったとても感じのよい夫妻がいた。
話を進めていくうちにご主人は浅草神社の奉賛会の関係者だと分かった。

で、浅草寺(せんそうじ)の由来やら三社祭についてとても興味深い話が聞けた。

寺伝によると、推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた地元の漁師である檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。で、この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)は出家し、屋敷を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。

そして、三社祭は平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、この三人の子孫が祖先を神として祀ったものなのである。

その後、明治時代になり、 神仏分離によって浅草寺と浅草神社に分離してからは浅草神社単体での祭りとなり発展していったのである。

で、この三社祭について、最近ではいろいろな動きがありその対応・対策に苦労しているという。
特に神輿に乗るという行為が目立ってきたので、昨年、浅草神社と奉賛会の連名で通達を出した。しかし、昨年の三社祭でも神輿に乗る担ぎ手が確認され、都迷惑防止条例違反の疑いで逮捕者5人も出た事から、神社と奉賛会は今年(2008年)の祭での本社神輿の「宮出し」と「本社神輿各町渡御」「宮入り」を中止する事を決定したのである。

元来、神輿とは神霊が渡御するに当たって一時的に鎮まるとされる輿であり、氏子のみによって担がれるものなのである。しかし、担ぎ手の不足などにより氏子以外の人も神輿担ぎに参加できるようになってきているのである。浅草でも戦前は上から見下ろすことさえ禁じていたぐらいである。

そして、話は少し逸れるが、この「神輿」なのだが、古代ユダヤの聖櫃(アーク)と日本の神輿は、良く似ているとワタクシは思うのだが・・・
聖櫃(アーク)は映画「レイダース/失われたアーク<聖櫃>」で御馴染みで契約の箱ともいわれている。
まぁ、これは日ユ同祖論というのがありこれによるものなのだが・・・
ところで「ソーラン節」の歌詞もヘブライ語で解読できるという。
これはこれでまた面白い。

何はともあれ来月5月16日~18日は三社祭が行なわれるのだが、来客数は激減するでしょう。しかし、これをきっかけに本来の祭りに戻れることをワタクシは願います。

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2008年4月17日 (木)

陰陽師 生成り姫

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陰陽師 生成り姫 (単行本)
夢枕 獏 (著)

引き続き、夢枕獏著による陰陽師・安倍晴明シリーズの中の1冊である。
で、この安倍晴明シリーズは安倍晴明と源博雅のコンビものである。

そして、このお二人の会話が実に清清しくて心地よい。
特に月明かりの下で柱にもたれ、ほろほろと酒を飲む件(くだり)で人の世の真理が問うのだが、この源博雅ならではのピュアな問いかけが儚く切ない。

う~ん・・かつての日本人にはこのように世の無常を感じ取る感性があったのである。
無くしてはいけない日本人にとって大切な心の遺伝子である。

で、この「生成り姫」という題名だが、実に生々し印象を与える。
それもそのはずで、嫉妬に狂う女がその憎さのあまり生きながら般若に変じて祟るのである。
つまり、生成りとは人が鬼に成りきる前の般若の状態を意味する。人であって人でない者。鬼であって鬼でない者のことである。

この般若となる姫が毎夜「丑の刻参り」をするのが貴船神社である。(ここは先日訪れたことがある
まさに女人の情念はいかに凄まじいかを思い知ることができる。
人の世の儚さと刹那さがしみじみと胸に染み入り、そして情念のおどろおどろしさに人の業の奥深さを思い知る。

平安の雅の風流にいつまでも触れていたいと感じさせてくれる小説である。

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2008年4月16日 (水)

平成講釈 安倍晴明伝

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平成講釈 安倍晴明伝 (中公文庫) (文庫)
夢枕 獏 (著)

最近ふとしたきっかけで「陰陽師」に興味が湧き始め関連した書物を読み始めている。
で、これはその中の一冊なのだが、いわゆる講釈調なのでそのテンポの良さに絆されてついついページを捲るスピードが上がるのである。
それもそのはずで作者の夢枕獏氏は以下の講釈本を参考にこれを書いている。

・「安倍晴明」・・・・・・桃川實講演 今村次郎速記 明治33年刊
・講談「安部晴明」・・玉田玉麟講演 山田都一郎速記 大正3年刊
・大江山鬼賊退治「蘆屋道満」・・・玉田玉秀斎講演 山田醉神速記

語り口調が滑らかになりすぎて、多少史実とは異なる展開になるがこれもご愛嬌である。
ナント!安倍晴明の先祖が安倍仲麿というシチュエーションで、遣唐使として唐に渡ったというところから始まるのだが、安倍仲麿を捜索?して唐に渡った吉備真備の活躍が前半の見せ場である。

そして、時は移り、安倍晴明こと幼少の尾花丸と陰陽頭・蘆屋道満との壮大な呪法合戦へとなだれ込むのである。

平成の講釈師・夢枕獏秀斎が滑らかにそしてテンポよく語る安倍晴明伝に身も心も委ねて雅の風流を楽しみませう。

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2008年4月15日 (火)

ルワンダの涙

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ルワンダの涙    (2005年 / イギリス/ドイツ )

ホテル・ルワンダ」は何度も観た。
そして自分があまりにも世間を、いや世界を知らなかったことに己の不甲斐なさを痛感した。

しばらくして同じルワンダ紛争を描いた「ルワンダの涙」を観る。
現代は「SHOOTING DOGS」である。直訳すれば、「犬を撃つ」である。犬は撃つけど虐殺は止められない。
国連平和維持活動部隊(ベルギー軍主体)や米仏へのアイロニーに満ちたタイトルで、映画が持つメッセージを良く表していると思う。
「ルワンダの涙」という邦題は日本人の感情に配慮?した文字通りウェットな表現であるが、現実はより過酷でドライである。

そしてルワンダ紛争の歴史を振り返ると、イギリスの植民地政策を真似たドイツとベルギーが、現在のルワンダ地域を植民地化した際に、意図的にツチ族とフツ族の対立を煽ったというのが真相のようである。
元々、両族は同じ言語を使い、農耕民族であるか遊牧民族であるかという違いでしかなく、両民族の境界は曖昧であったという。征服者の勝手な驕りが無意味な怒りを増長させていったとは・・・・人の業の深さを思い知った映画である。

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2008年4月14日 (月)

鎌倉 「春の花」

春の鎌倉は境内や庭園で花々が咲き乱れる。

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これはハナダイコン

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庭の片隅に咲くシャガ

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花弁が一枚、はらりと散り、春の潔さを感じさせる

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春紅葉の葉が一枚沈み水面(みなも)に映る。

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2008年4月13日 (日)

鎌倉のラーメン「HANABI」

鎌倉でラーメンといえば小町通りにある「ひら乃」が歴史もあり有名である。しかし、チョット狭い。 そして東急ストアーの前に「ひなどり」というワタクシ好みのラーメン屋があったのだが、藤沢に移転してしまった。

その後「ひなどり」の跡に湘南麺屋 海鳴がオープンしたが、ここは残念ながらまだ未食である。

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ワタクシ個人的に由比ガ浜大通り沿いにある「HANABI」が好きで、鎌倉探索の際にはよく立ち寄りラーメンを食す。

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最近ではつけ麺が好みなのでこれを頂く。ここはコクのある魚介風だしがウマい。またメンマが肉厚でこれまたウマい。

やはり鎌倉には和風ダシのラーメンがよく合うのである。

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2008年4月12日 (土)

春の鎌倉ウォーキング「邸宅巡り」

今日から「鎌倉まつり」が始まった。
そしてこの時期は、鎌倉にある旧邸宅などの一般公開が行なわれる。

で、毎年恒例のこれらを巡るウォーキングに出かける。
ちなみに、この施設一般公開は秋にも行なわれている。

旧華頂宮邸

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この旧華頂宮邸も季節の折々に度々訪れており、趣のある佇まいが季節ごとの風景に溶け込んでいる。
で、この旧華頂宮邸は昭和4年春、華頂博信侯爵邸として建てられたもので、神奈川県の戦前の洋風住宅
建築としては鎌倉文学館に次ぐ規模である。
ワタクシ、ここの照明器具が好きなのである。

大佛次郎茶亭

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大佛次郎(おさらぎ じろう)の代表作は「鞍馬天狗」(大正13年)、「赤穂浪士」(昭和2年)、「パリ燃ゆ」、「天皇の世紀」などがある。そしてペンネームは、長谷の大仏裏に住んでいたため、大仏を「太郎」とするなら、自分は「次郎」であると考えてつけたそうである。
で、この大佛次郎だが、昭和39年に鶴岡八幡宮裏山である御谷(おやつ)が開発されそうになった時、地元の住民と一緒に、古都としての景観と自然を守ろう運動を起こした。その運動は全国的に展開し、財団法人鎌倉風致保存会が昭和39年12月に誕生。大佛はその設立発起人となり、初代理事に就任。鎌倉風致保存会は日本のナショナル・トラスト第1号といわれるようになったのである。

旧川喜多邸

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旧川喜多邸は映画を通じて国際交流に貢献した川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅で、平成6年に鎌倉市に寄贈されたものである。
川喜多長政氏は「天井桟敷の人々」「第三の男」「落ちた偶像」「禁じられた遊び」「居酒屋」「肉体の悪魔」「チャップリンの独裁者」などの外国映画を日本に紹介した。
そして、ヴェネチア映画祭に黒澤明監督の「羅生門」を携えて参加しグランプリを獲得したのである。
で、この旧川喜多邸の一般公開は川喜多記念館が建設されるので今年が最後だという。

そして、旧安保小児科医院

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現在では現在は鎌倉風致保存会の事務所になっている。

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この診察室の天井だが、リアルな鶴の漆喰細工が施されている。これは子供達の診察の不安を和らげる効果を狙ったようである。

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そして待合室の天井は兎と人参をかたどっている。

鎌倉にはこの他にも実に味わい深い新旧の建物があり、散策の一つの楽しみでもある。

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2008年4月11日 (金)

ご近所探索「御幸橋」

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京急汐入駅前にひっそりと佇む小さな橋の跡がある。今では度重なる舗装でだいぶ埋まってしまているが、この橋は「御幸(みゆき)橋」という。これは明治22年(1889)の横須賀線の開通後、明治天皇が横須賀に行幸されてときに通ったのでこの名が付いた。

親柱に「大正4年」「御幸橋」と刻まれており、この年に改修され、それ以前は木造の橋だった。
そして、明治天皇は在位45年間に横須賀には16回も来られたという。
富国強兵の時勢で、東京からも近い横須賀鎮守府には来る機会も多かったのだと思われる。

ドブイタ通りから登ったところには「向山行在(あんざい)所跡」という明治天皇宿泊の記念碑もある。

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2008年4月10日 (木)

パッチ・アダムス

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これも先にご紹介した「フリーダム・ライターズ」と同じ実話を元に制作されている。

「フリーダム・ライターズ」では教育とは何ぞや?と問いかける映画だったが、
この「パッチ・アダムス」では医療とは何ぞや?と問いかけてくる。

患者を患者として接するのではなく一人の人間として認めて向き合う。
病は気からという日本も諺もあるが、パッチ・アダムス先生もこの病は気持ちの持ち方で変わると信じ、「笑い」を処方箋として治療を始める。

この成り行きはとても良いのだが、ウェットな日本の土壌で育ったワタクシにはドライな土壌のアメリカのユーモアがやはりチョット理解できないところがあるなぁ・・・

でも、まぁ、お国が違えば笑いのセンスも違うのは当然なので、そこは大目に?見て素直にパッチ・アダムス先生のユーモアを受け入れて楽しむのがこの映画を楽しむコツなのであろう。

ちなみにこの映画の音楽もセンスのよい選曲とオリジナル曲がなかなか良い雰囲気を醸し出しています。

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2008年4月 9日 (水)

鎮守の森

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「鎮守の森」(単行本)
宮脇 昭 (著), 板橋 興宗 (著)

以前、宮脇さんの講演を聴いてから「森」とは何ぞや?という疑問・興味がジワジワと我が脳裏を占めるようになってきた、そんな時にこの本を読む機会があった。

植樹の専門書というよりは、、日本人が知っておいたほうがいいような「哲学」が詰まっている本である。
その土地に一番適した木、日本では主にシイ、タブ、カシ類の木が如何に我々の生活に密着し、人々の生命を守ってきたか、古来から日本人が持っていた自然崇拝と共に、その「鎮守の森」の必要性をコンコンと説いている。

そして、植物の競争相手のいない環境で、肥料や水や日照が十分与えられた環境を「最適域」と言うが、これでは植物は健全に育たないという。

植物にとって最も成長が高まる環境は競争相手がいて、養分や日照など有る程度満足出来ず我慢を強いられる環境だという。

多種の植物を混在させることにより、互いに切磋琢磨し、厳しい環境にいる時の方が成長するというのがオドロキである。

で、この切磋琢磨が互いを成長させるというのは他の生物界、そして人間や経済にもいえることことなのだなぁ・・・とシミジミと感じた今日この頃である。

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2008年4月 8日 (火)

フラワーガーデン

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横浜赤レンガ倉庫前では「フラワーガーデン」が作られていた。

何でも今年は横浜開港150周年のカウントダウンイヤーを意識して、“出航”をテーマに地球や灯台、錨などをモチーフにした8つのゾーンに分かれ、45種類・約14万7千輪の花が咲きほこっているという。

春の陽気に誘われた人々はこの格好の被写体にカメラを向けていた。

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当たり前ながら生命の息吹を感じる、春真っ盛りな日であった。

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アフリカンフェスティバルよこはま2008

ワタクシ、お仕事やら旅行で色々な国へ行っているが、アフリカはまだ行ったことがない。
そしてとても関心がある。

そのプリミティブな文化や失われつつある自然、そして、紛争などなど・・・
行ってみたいけど行けないという些細?な問題があることはある。

そんなワタクシの知りたい、見てみたい、食べてみたい、聞きたいという欲求を満たしてくれるイベントが先週末、横浜は赤レンガ倉庫であった。

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称して「アフリカンフェスティバルよこはま2008
今年で2回目の催しだという。

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クスクスを食べながら、アフリカンビートミュージックを聴く。

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ビートが次第に重なり合い、独特のうねりを作り出している。
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面白かったのはワークショップでのパーカション講座である。
3つの基本音、そしてリズムをマスターすることにより、皆でアフリカンビート・サウンドに酔いしれる。
シンプルだけど奥深い、何だか人生の本質を垣間見た気がする今日この頃である。

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2008年4月 7日 (月)

長距離通勤者の孤独「桜吹雪が舞う横浜」

春先のこの時期、車窓から眺めているとイヤでも目に飛び込んでくるのが桜並木である。
この車窓からの一瞬の光景が忘れなく、脳裏の焼き付き、あの風景の中で佇みたいと想う気持ちがつのってくる。
そして、この日常の中の非日常への小さな旅を度々ワタクシは楽しむのである。

今回の行き先は金沢文庫の先にある坂道である。ここはカーブしながら緩やかに登っている坂道で両側の桜のトンネルが何故か心に残る風景なのである。

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満開の時期は過ぎたが桜吹雪が舞う桜のトンネルもまたオツなもんである。

この桜並木は最近「新金沢八景」に選ばれた「春色(しゅんしょく)-西柴の桜トンネル」で区民投票の結果、一位になったという。

そして住宅地を下り、右折したとこにあるのが「称名寺」である。

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称名寺赤門

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仁王門

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称名寺

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裏山の木々のグラディエーションが春を感じさせる。

次に向かったのがこの時期の車窓からの眺めNo.1である「大岡川」である。

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この大岡川両岸の桜並木も見事である。

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そして散った花弁が水面(みなも)を覆いつくし桜の影が映る。

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桜木町から赤レンガ倉庫に行く汽車道の桜も春風に気持ちよく散っていた。

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2008年4月 6日 (日)

横須賀桜巡りpart2「日米親善よこすかスプリングフェスタ」

昨年までは「日米親善桜まつり」だったが、今年からは「日米親善よこすかスプリングフェスタ」と名前も新たにし、より楽しいイベントにしようとした矢先に悲しい事件が起きてしまった。

そして全てのイベントは中止となり花見だけのオープンハウスとなった。
この催しは横須賀市民をはじめ楽しみにしている人が多く、中止にならずによかった。
イベントの中止は当然で理解できる。

散歩&ウォーキングを兼ねてお出かけ。
三笠公園入口までは家から早足で約25分。

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クレメンテ通りの桜も風に散り、桜吹雪がこの時期ならではの情緒を演出している。

で、ベース(米軍基地)の桜祭りで思い出したのが「海の底」というSF小説である。
これは桜祭りの最中に巨大甲殻類が襲ってくるという、度肝を抜かれる内容なのだが、馴染みのご近所が登場したりするので結構楽しめる。

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三笠公園の花は今が満開。
今日は上着を脱いでシャツ1枚でも歩いていると汗ばんでくる。
季節はもう初夏の陽気である。

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2008年4月 5日 (土)

横須賀桜巡り、そして桜を想う。

横須賀には衣笠山公園塚山公園と2大桜の名所がある。
どちらも山の上にあるのでアクセスはチョット悪い。しかし眺めは素晴しい!
そして、衣笠山公園は全国の「さくらの名所100選」に、塚山公園は「かながわの景勝50選」に選ばれている。
毎年どちらかに花見に行くのだが今年は諸般の事情により簡易花見と相成る。

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先週は生憎の曇天の中、北久里浜は根岸交通公園の桜まつりに出かけた。

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で、今週は田浦は船越南郷公園の桜まつりに出かかる。
晴天とは言えないが晴れは晴れ。桜吹雪が舞う中で皆さん花見を楽しんでいた。

横須賀や東京をはじめ関東地方には桜の名所があるが、桜の本場はやはり近畿地方だと思う。
奈良、京都、そして大阪は由緒正しい桜の名所が数多くある。
特に大阪市の花は「桜」である。サッカーJ1のセレッソ大阪のセレッソはスペイン語で桜を意味する。

東京に比べて大阪には数多くの桜の木がある。
有名何所では造幣局の桜の通り抜けが有名である
今年は京都を中心に全国各地約20都道府県から370本125品種の桜が咲き誇っているという。
これは一度は見てみたいと思っている。

で、関東地方に多く見られる「ソメイヨシノ」だが、この、ソメイヨシノ結構軟弱である。

まず、このソメイヨシノはクローン植物なのである。ソメイヨシノの子房は不稔性で子孫をつくる能力がない。つまり、人の手を介さない(接木などで増殖)と生存することが出来ない品種なのである。

そして、ソメイヨシノの大きな欠点は寿命が短いということである。俗に「60年寿命説」と一般に言われており、その原因はソメイヨシノは成長が早いのでその分老化も早いということである。

従って、今あるソメイヨシノの大半が昭和天皇の即位の時や、第二次世界大戦後すぐ復興のシンボルとして植樹された物で、樹齢が50年を超えているものが多く、一つの時代の節目を迎えようとしている。戦後60年近くが経過した現在、いわゆる花の名所としてある数百本・数千本のサクラが絶滅の危機にあるのである。

また、「桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿」という諺があるが、これは桜は切るとそこから腐って枯れるから切らない方がよく、梅は切らないと樹形が乱れて花が咲かなくなる、ということである。

何はともあれ、絶滅の危機にある?ソメイヨシノだが、植え替えの手間・費用も馬鹿にならず、いつまでこの桜まつりが行なわれるのか危惧している今日この頃である。

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2008年4月 4日 (金)

フリーダム・ライターズ

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フリーダム・ライターズ   
FREEDOM WRITERS

教育とは何ぞや?とたたみ掛けるように問いかけてくる映画である。
アメリカの教育は日本と違い個人の能力や長所を伸ばすと思い込んでいたが、システマチックに決められた事なかれ主義の教育方針は日本と同じなのか?
そして、その教育現場は教育以前に人種グループで席が分かれ、生徒たちは生きるか死ぬかという学校を離れれば“戦場”という環境なのである。

新米教師であるエリン・グルーウェルはありがちな音楽やスポーツではなく“言葉の力”で彼らを家族として目覚めさせ立ち直らせていくのである。

で、このアメリカの金八先生?のバイタリティは凄い!生徒たちに本を与え、さまざまな校外活動をさせる費用を自費で捻出するために超人的に働くのである。しかもこの話は実話であり、そのエピソード一つ一つに重みがある。良い映画である。

そして制作は環境問題を扱ったこれまた実話である「エリン・ブロコビッチ」のスタッフ陣である。奇しくも2人とも同じエリンという名前であるが、この2人のエリンさんは本当にエライ!と思う。

このフリーダム・ライターズという名前は、「フリーダム・ライド」に因んでいる。フリーダム・ライドとは、同じバスに黒人と白人を乗せないという人種隔離政策に抗議する運動の一環で黒人と白人が一台のバスに乗り、人種差別の本拠である南部の州に向かう。で、その乗客がフリーダム・ライダーである。

「ペンは銃よりも強かった」・・・

このエリンとフリーダム・ライターズの活動は現在も続いているという。

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2008年4月 3日 (木)

ラビリンス

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ラビリンス 下 (単行本)
ケイト・モス (著), 森嶋 マリ (著)

ネオゴシック・ミステリー&ファンタジー&ロマンス小説である。
800年の時空を飛び越えてシンクロする2人の女性の記憶そしてデジャブ。

キリスト教の一派・カタリ派と十字軍の攻防の裏で繰り広げられる聖杯伝説とは?
そして800年後の現代に渦巻く聖杯を巡る陰謀とは?
チョット前に話題になった「ダ・ヴィンチ・コードでも聖杯伝説の謎解きを巡るストーリーであった。キリスト教文化圏の国々では根強くこの聖杯に対する想いがあるが、この聖杯はキリスト教教義の一部とされたことは一度もないのである。
やはり「アーサー王の円卓の騎士」などの中世騎士道文学と結びついて広く浸透したと思われる。

そうそう、映画「インディ・ジョーンズ」でも聖杯やアーク「聖櫃」を巡るストーリー展開で、ちなみにアークとはモーセの十戒の書かれた石板を納めた「聖櫃」のことであり、ユダヤの秘宝の一つである。

聖杯を取り巻くキーワードには他には「テンプル騎士団」や「フリーメイソン」などもあり、歴史にまつわるミステリーには興味が尽きないものがある。

で、話は戻り「ラビリンス」なのだが、迷宮という意味ではあるが、この小説のストーリーとは殆ど関係はないのだが、迷宮のような?ストーリー展開がそうなのかと、言いえて妙であるなぁ、と感じた今日この頃である。

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2008年4月 2日 (水)

花見!

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職場の花見が千鳥ケ淵で行なわれた。
皇居の水面に映える青白くライトアップされた夜桜は見事!である。

そして微妙に手ブレした写真はそれなりに神秘的な雰囲気を醸し出している・・かな?
で、靖国神社への宴へとなだれ込むのである。

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2008年4月 1日 (火)

ご近所探索「田戸台分庁舎」

「田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府長官官舎)」
所在地:神奈川県横須賀市田戸台90
構造:木造1階(洋風館)
設計:桜井小太郎
施工:不明
建築年:大正2(1913)年

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田戸台は裁判所の奥に鎮座しており普段は立ち入ることが出来ない。
桜が咲く春の1週間ほど一般公開している。

で、この田戸台分庁舎だが非常に文化財的価値の高い近代建築である。
設計は桜井小太郎で、明治・大正・昭和と3つの時代に渡って活躍した建築家で、
大きなものでは、銀行建築が今もいくつか残っている。
留学先のイギリスでの経験を生かした、チューダー調の住宅建築が得意なようで、
神奈川県では、大磯と鎌倉にそれぞれ1件ずつありますが、どちらも県内屈指の素晴らしい建物だという。
そして呉でも旧呉鎮守府司令長官庁舎を設計している。

ちなみに、この田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府長官官舎)は横須賀景観賞、景観デザイン部門(第2回)で受賞している。

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