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2008年2月10日 (日)

湘南とは?

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昨日の「うらが百年物語」講演で講師の山本詔一氏(郷土史家)が「湘南」とは何処なのかという話になった。

で、歴史的に考えると湘南の「湘」は八景(金沢八景)のことだという。つまり八景より南が湘南で、西は西湘(せいしょう)だという。ということは横須賀は湘南で、逗子、葉山、鎌倉は西湘となる。

そういえば、今の京浜急行の前身は「湘南電鉄」であり、黄金町駅~浦賀駅間の路線だったが、まさに「湘南」を走っていたのである。その後東京と横浜を結んでいた京浜電鉄と合併して京浜急行電鉄となる。

そして、八景の歴史を紐解けば、中国の湖南省にたどり着く。湖南省には美景に富む「洞庭湖」があり、この洞庭湖の南部で、瀟水と湘江という川が合流する一帯の景色は「瀟(しょう)湘湖南」と称されて親しまれてきた。
古代より景観もまたその美しさで知られ、多くの詩が詠まれてきた。宋代から、このあたりの景観を主に八つの景色とし、瀟湘八景をテーマとした山水画を描くことが流行した。これが日本にも広まり、近江八景や金沢八景などの元となったわけである。
つまり、洞庭湖の南部を「瀟(しょう)湘湖南」と称され、八景が定められた訳で、「瀟(しょう)湘湖南」が湘南の語源になり、八景から南が湘南というのも納得できる。

ちなみに元祖八景は 「山市青嵐、漁村夕照、瀟湘夜雨、遠浦帰帆、烟寺晩鐘、洞庭秋月、平沙落雁、江天暮雪」で、金沢八景は「小泉夜雨、称名晩鐘、乙舳帰帆、洲崎晴嵐、瀬戸秋月、平潟落雁、野島夕照、野島夕照」であり、明の心越禅師が山の上にある能見堂(現在の能見台)から見た景色を故郷の瀟湘八景になぞらえて七言絶句の漢詩にして詠み、八景として金沢八景と命名したことが由来となっている。
ちなみに歌川広重の浮世絵にも描かれている。

ただし、湘南という地名が一般的になったのは、明治31年に国民新聞(明治23年刊)に連載された「自然と人生」という作品集のなかの「湘南雑筆」という随筆から広まったという。
文人徳富蘆花が逗子へ移り住んだ際に生活や自然を描写したものでこのころすでに湘南という言葉がこの地方では定着していたと思われる。

まぁ、歴史的に見れば八景から南が湘南であり、一般的に認識されている葉山から大磯までの地域の湘南とはチョット違うが、あまり目くじら立てずに海が望める風光明媚なところはどこでも「湘南」でいいのでは?というなげやり的な、かつゆとりある大人の配慮?でこれからの「湘南」を見守っていきませう。

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コメント

とても勉強になりました。
「うらが百年物語」の山本詔一氏の講演にも行きたかったのですが、仕事の都合で行けず、
こうしてお話の一部をうかがうことができ、とても嬉しいです。
「横須賀は湘南」と言っても間違いじゃないのですね。

投稿: TETSU | 2008年2月11日 (月) 01時34分

こんばんは、TESHUさん。
山本さんは、八景から南が湘南である!と断言してましたから横須賀も湘南です。間違いはありません。
そして、山本さんの講演の内用は興味深い内容が盛りだくさんでした。この湘南はごく一部です。
ネタを集めて少しづつ紹介していきます。

投稿: TAKE4 | 2008年2月11日 (月) 22時18分

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