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2008年2月 6日 (水)

ご近所探索「しんばか」

ご近所のお年寄り(かなり高齢)の方の中にはいまだにうらが道を「本道」、米が浜を「観念寺」、富士見町を「しんばか」と言う人がいる。
「しんばか」とはどうみき坂に向かう道の途中にコンビニがあり、その前の道を右折する。しばらく歩くと左手の高台に墓地が見えてくる。ここが聖徳寺のとび墓地で通称「新墓」(しんばか)で故に昔はこの一帯を「しんばか」と呼んでいた。今の住所だと富士見町3丁目に当たる。

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この聖徳寺「新墓」の頂上付近、東京湾を臨む所に「西田昭則」の墓がある。表面に「正五位勲三等西田昭則之墓」、裏面に「明治三十九年五月二十一日卒」と刻まれている。
彼こそが東京湾に人工的に作られた3つの海堡の生みの親なのである。
西田は陸軍工兵少佐で明治12年「東京湾要塞建設論」を参謀本部に提言し、海岸防御取調委員となり、以後3つの海堡の建設に力を尽くした。

それを記念して大正12年(1923)3月31日に衣笠山公園の山頂付近に「西田明則君之碑」が建てられた。碑の設置場所として、三つの海堡を見守る位置にある衣笠公園が選ばれたのである。

しかし、その半年後の1923年(大正12年))9月1日の関東大震災で第3海堡は土台が崩れ使用不能になってしまった。

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最近、その第3海堡は撤去されて、一部がうみかぜ公園に保存されている。結局、海堡は本来の目的を果たなかったが、当時の日本の土木技術の凄さを世界に知らしめた偉業であったことは間違いない。

そして、、元海援隊の安岡金馬の墓もここ「新墓」にあると聞いたが間違いのようである。
(関係者の証言より)

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コメント

こんにちは。

>聖徳寺のとび墓地で通称「新墓」(しんばか)で故に
>昔はこの一帯を「しんばか」と呼んでいた。
>今の住所だと富士見町3丁目に当たる。

しんばかとは、そういう意味だったのですか!
ずっと謎におもっていました。

私は聖心幼稚園をでたものですが、
むかしは
真バカ幼稚園の出なの?などと、からかわれた過去がありました(笑)


投稿: まるはなチャン | 2008年2月 7日 (木) 16時05分

ちなみにワタクシも聖心幼稚園です。(第一ですけど・・)
お遊戯発表会なんかで何度も聖心第二幼稚園へは行きましたね。40年以上前の話ですが、懐かしい場所でもあります、

投稿: TAKE4 | 2008年2月 7日 (木) 22時01分

「しんばか」の謎が解けてスッキリしました。
大昔ですが、私も衣笠から幼稚園バスで聖心第一に通いました。
一日だけ親から離されて強制合宿させられた記憶がありますが、そこが聖心第二? だったかもしれません。

投稿: しん坊 | 2008年9月13日 (土) 21時26分

はじめまして、しん坊さん。
しん坊さんも第一ですか?
ワタクシの先輩?それとも後輩?

当時聖心第二幼稚園にはイベントで何回か行ったことがあり、長い滑り台が羨ましくも印象的だったのを覚えています。

投稿: take4 | 2008年9月14日 (日) 09時44分

はじめまして。
最近こちらのブログを知り、興味深く拝見しております。
私はすでに横須賀を離れて生活していますが、郷土の歴史の奥深さに感心するばかりです。
今後の記事にも注目しています。ちなみに、私は百恵チャンの三学年ほど下の世代です。

投稿: しん坊 | 2008年9月14日 (日) 16時12分

しん坊さんへ
>最近こちらのブログを知り、興味深く拝見しております。
ありがとうございます。m(__)m
>郷土の歴史の奥深さに感心するばかりです。
そうですね、ワタクシも同感です。
横須賀の歴史は幕末から明治にかけて花開いた?かもしれません。
そんな中でも浦賀の歴史は奥深いものがあります。
>ちなみに、私は百恵チャンの三学年ほど下の世代です。
ということは入中ですね。
ワタクシの弟は百恵チャンと同級でした。

最近、仕事の関係で知り合った人がは百恵チャンの二学年下で入中、横須賀談義で盛り上がりました。
これからもよろしくお願いします。

投稿: take4 | 2008年9月14日 (日) 20時46分

初めまして
郷土史が好きで追及しています。坂本竜馬の元妻、お龍が聖徳寺で葬儀を行い,荼毘に付されたと記述を見ました。おそらく新墓でと推論います。新墓は何時できたかご存知ですか。教えていただければ幸いですs14生

投稿: 吉田直弘 | 2015年2月18日 (水) 11時24分

はじめまして 吉田さん。

私も龍馬繋がりで「安岡金馬」の墓が聖徳寺にあると聞いて調べたことがありるのですが、ここ聖徳寺にはなく「しんばか」にあるのでは?という話を聞いたことがあります。この時に「しんばか」の歴史を聴いたのですがスミマセン失念してしまいました。
その後、「しんばか」を訪れた際に海堡の生みの親である「西田昭則」の墓を見つけました。裏面に「明治三十九年五月二十一日卒」と刻まれていました。
同じ年にお龍さんが亡くなっているので明治三十九年以降というのは考えられませんんね。聖徳寺の関係者に聴いたほうがよいかもしれません。
ところで間違っていたらスミマセンがあの理容店の吉田さんでしょうか?

投稿: take4 | 2015年2月20日 (金) 10時42分

take4様
 システムに慣れていないのでようやくメ~ルできました。ご返事有難うございます。
その後の調査で金馬氏は明治24年に新墓に埋葬され昭和になり市営墓地に改葬されたとわかりました。新墓の墓碑には天明など古い年号の物があるものの、近世になり聖徳寺境内からの移転があれば(ゆえに新墓か)江戸時代から存在したとは言い切れず、今後の研究課題です。ご推察恐縮です。吉田です。

投稿: 吉田直弘 | 2015年8月 8日 (土) 06時43分

吉田様
私も暇を見つけて図書館2階にある郷土史コーナーで関連する資料を探してみます。

投稿: take4 | 2015年8月17日 (月) 17時05分

take4様
 コンタクト出来て良かったです。
金馬氏の死亡年の修正です。明治27年でした。
最近確認できた事は,聖徳寺の上に在った裁判所のところは明治24年に砲台が構築されていて、もしそこが墓地の場合はなどと考えています。

投稿: 吉田直弘 | 2015年8月24日 (月) 08時01分

なるほど・・砲台を建設するために墓を移転したということですね。
十分にその可能性があり、実に説得力があります。
幕末から明治維新にかけての歴史は面白いですね。

投稿: take4 | 2015年8月25日 (火) 08時16分

take4様
 裁判所が元陸軍用地だった事は法務局で旧土地台帳で確認しました。最近よく法務局に行きます。新墓の旧台帳も入手いたのですが時代の確認まで行きません。
 金馬の三男。安岡重雄こと秀峰が明治30年、お龍を豊島村大字深田222に訪ねた頃の住所は、豊島村大字中里121云われ中央図書館の下の道入り口です。私もほぼ同じところにいます。図書館においでの時よろしければお立ち寄りください。

投稿: 吉田直弘 | 2015年8月26日 (水) 08時09分

法務省まで行かれて調査しているとは頭が下がります。
お龍さんが市内?を転々としたことは最近知りました。
図書館に行く際には立ち寄らせて頂きます。

投稿: take4 | 2015年8月28日 (金) 08時41分

take4様
 お待ちしております 。
 店の定休日は毎週火曜日と毎月第3月曜日なのでお避け下さい。(不在の時があります)

投稿: 吉田直弘 | 2015年8月28日 (金) 09時53分

吉田様
了解しました。

投稿: take4 | 2015年8月31日 (月) 08時16分

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