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2008年2月

2008年2月29日 (金)

長距離通勤者の孤独「京急創立110周年!」

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毎日の通勤でお世話になっている“愛しの京急”だが、今年で創立110年だという。
で、先日駅で京急の情報誌である「なぎさ」の京急創立110周年記念特別号を手にした。

今の京浜急行は、東京(品川)~横浜(神奈川)間を開通させていた京浜電気鉄道が、湘南電気鉄道に経営参画して横浜~浦賀間を開通させ、その後合併した。
そして、合併する前の京浜電気鉄道の前身となっているのは「大師電気鉄道」で、この大師電気鉄道が創立したのが明治31年(1898年)の2月25日ということで、今年の2月25日で創立110年となるわけである。

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これが川崎大師駅脇にある「京浜急行発祥の地」の記念碑である。

この京急創立110周年記念特別号を読んで思うのは、首都圏にある主要空港を結んでいるのは京急の路線であるということである。羽田空港へは京急が乗り入れており、成田空港には都営地下鉄、京成電鉄と直通させ乗り入れている。
最近では成田~羽田直通電車もある。
成田空港は、仕事、プライベートでよく海外に行っていたのでよく利用したなぁ・・・押上か青砥で乗り換えて約3時間・・・思えば実に遠い空港である。

また、110周年記念特別号は音楽ネタが面白い。
小田和正は金沢文庫生まれ、そして、美空ひばりに石原裕次郎、ダウンタウンブギウギバンドに山口百恵、ユーミン、クレージーケンバンドと沿線ご当地ソングは多い。

明日も“愛しの京急”に乗りどこかに出かけましょうか!

京急の沿革は結構複雑である。
http://www.keikyu.co.jp/corporate/pdf/enkaku.pdf

京急110年の歴史物語
http://www.keikyu.co.jp/corporate/history/kpa-2.html

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2008年2月28日 (木)

幕末 維新の暗号

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幕末 維新の暗号 (単行本)
加治 将一 (著)

あやつられた龍馬」や「石の扉」といった一連のフリーメンソンものを書いている加治将一氏の新著である。

フルベッキの写真といわれる幕末に撮られた一枚の群像写真。
その写真が持つ謎解きをしてゆく訳なのだが・・・・
イヤハヤ、フィクションとノン・フィクションの狭間を揺れ動く我々にこうも明確な証拠を突きつけられると否が応でも信じてしまう。(まぁ、ワタクシが歴史オンチなだけであるのだが・・・)
そして、それらの証拠と推理によって謎に包まれていた明治維新の真相が明らかにされる。

ノン・フィクションとして読むか、ミステリーとして読むか?

天皇は元々は北朝の血筋のはずだが、明治天皇は南朝を支持し、南朝の後醍醐天皇などを祀る神社を多く建立した。その真相はいかに?それはこの本に書かれています。
ちなみにワタクシの周りにも関係者とおぼしき方がいるのでワタクシは信じます。
しかし、この話題はネット上でもいろいろと議論されており、興味が尽きない。
まぁ、所詮真相は闇の中に葬られ時間が風化させていくのかもしれない。

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2008年2月27日 (水)

プレステージ

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二人のマジシャン同士の確執を軸にドラマが進んでいく。舞台は19世紀のロンドン、マジックと科学の区分けが微妙に混在している。そして、マジックのトリックが更なるトリックを生んでいく。そのトリックが積み重なり映画全体も一つのトリックになり、観る者にもマジックをかけてゆく。

まさに、マジックのための映画であり、映画のためのマジックである。
マジックと映画のトリックが渾然一体となってたたみかけてくる。
だから気が抜けない、見る者の集中力が要求される映画である。
そしてマジックの奥深さを垣間見た映画でもある。

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2008年2月26日 (火)

みつめよう横須賀100選

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みつめよう横須賀100選

市民から募った横須賀市内の名所などを八百四十点の写真を使って一冊にまとめた「みつめよう横須賀100選」が十八日から発売されている。

時の移ろいの中で変わっていく街並みや、古道、歴史の重みを感じる石碑、将来に残すべき景観、街角にあるモニュメント、などなど独自の視点で切り取られた写真は見ていて飽きない。
見慣れている風景から身近でも知らなかったものもある。
知っているようで知らない横須賀の顔が垣間見れ、新鮮なオドロキを感じさせてくれる。
そして身近な“温故知新”を感じさせてくれる小冊子である。

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オマケで8万分の1の立体地図が付いている。

販売場所は市役所(市政情報コーナー)行政センター、モアーズの中にある役所屋で
価格は1000円。

横須賀が好きな方は購入すべし!

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2008年2月25日 (月)

うらが道-温故知新

週末は春一番が吹き荒れていたが、見上げれば快晴の良い天気。で、ご近所にある「うらが道」を歩いて田浦は梅の里まで行こう!と急に思い立ち出かける。

うぐいす坂を登り、大勝利山へ、そしてヨゼフ病院手前を左へ曲がる。

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汐入小学校へと下る坂。右手階段は緑ヶ丘女子中学・高等学校への通学路。

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汐入郵便局脇の階段を登る。

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登りきったところは桜山、別名見晴らし山、ここからは横須賀湾岸の施設が一望できる。
なだらかな細い道が続く。

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桜山から逸見に下る途中にある子育て地蔵尊
元禄11年(1698)ここ浦賀道で子連れの旅人16名が餓死し、それを哀れんだ里人が冥福を祈って祀ったものだという。

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鹿島神社

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安針塚へと登る階段とその脇にある安針塚への道標

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塚山公園の桜谷の景観、桜はまだ先・・・・

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塚山公園内にある三浦安針夫妻の墓

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単調な道が続く十三峠
昔は急な山坂の連続でうらが道最大の難所であった。
しかし、戦後食糧難対策として開拓された。

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で、これが開拓記念碑

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十三峠から臨む長浦港方面

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ここから階段を下り田浦梅林へ向かう

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階段の途中にある道祖神。天保12年(1841)建立。

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田浦梅林はまだ2~3分咲き。

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展望台脇は8分咲き。

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田浦にモノレール!
展望台から田浦青少年自然の家に向かう途中で出会ったモノレール型トロッコ。
収穫した梅をこれで下まで降ろすのだろう。

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で、下ったところは「ホタルの里」である。

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道脇にある庚申塔

そして一路京急田浦駅に向かう。

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2008年2月24日 (日)

オールナイトニッポン40周年記念特番

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オールナイトニッポン40周年記念特番

今週末はヒマがあると、部屋のラジオや携帯ラジオでニッポン放送を聞いていた。実はオールナイトニッポン40周年を記念して、伝説のパーソナリティ総登場の40時間ぶっ通し特別番組である。

40周年か・・・こちとらが年を取るのも当たり前か・・・
土曜日の午前中は高嶋秀武氏が40年間をダイジェストで紹介していた。で、この中で地元横須賀のネタもいくつか思い出として紹介しており身近な話題で、ワタクシの記憶も甦ってきた。

ニッポン放送アナウンサーの高嶋秀武氏はワタクシの中学の先輩にあたり、山口百恵は後輩にあたる。
この中学校とは不入斗(いりやまず)中学で、高嶋秀武の家はこの不入斗(いりやまず)中学の前の山の中腹にあり、山口百恵とは近所の店など中学校ネタでけっこう盛り上がったという。

そうそう、4年前まではニッポン放送の「高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団」を聞きながら通勤していたが、アシスタントの冨田 アナも横須賀ということで横須賀ネタで盛り上がっていたこともあるなぁ・・・

で、ワタクシの頃のオールナイトニッポンは「カメ&アンコー」が全盛だった。そのカメさんが今ではニッポン放送の社長とは・・・時代の移ろいを感じる今日この頃である。

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2008年2月23日 (土)

ロートレック展

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「東京ミッドタウン」にはサントリー美術館も入っており、「ロートレック展」が開催されている。
実はワタクシ、ロートレックのポスターが好きで部屋にも飾っている。

思えばワタクシがロートレックを知ったのは映画「赤い風車」であり、その音楽の旋律の美しさや“ムーラン・ルージュ”という優美な語感があるキャバレーの名前に興味を持ったのが中学生の時である。

それ以来のロートレックフリークである。日本に展覧会がくれば必ず行く。
今回の展覧会では“ムーラン・ルージュ”に出演していた芸人の資料が多く展示されていて興味深い。
特に実写のアリスティード・ブリュアンやロイ・ファラーは見て納得。ロートレックは彼等の特徴を良く捉えてデフォルメして描いていると改めて感動。

そして、イヴェット・ギルベールは写真で見る限り、チャーミングだと思うのだが、この愛嬌のある顔をロートレックは彼の感性でデフォルメする、で、これが不評で彼のポスターは採用されなかった訳だが、この時期は日本の浮世絵に影響されていたらしくポーズや顔の表示にその特徴がある。
まぁ、見た目には不細工かもしれないが、見方を変えればポスターとしての完成度は高い?かもしれない。

ロートレックはポスターを芸術の域にまで高めた功績でも美術史上に特筆されるべき画家である、とワタクシは感じている今日この頃である。

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宇宙からのメッセージ

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宇宙からのメッセージ』~月の神秘と“かぐや”の旅~

六本木の新名所「東京ミッドタウン」の中にあるフジフイルム スクエアの1F ギャラリーにて『宇宙からのメッセージ』と称して日本が昨年の9月に打ち上げられた月周回衛星「かぐや」が撮影した写真などが展示されており、宇宙の神秘を堪能できる。

また、プロの写真家が撮影した月をテーマにした作品などが展示されていて、その幻想的で優美な映像にしばし見とれる。

それにしても「かぐや」が撮影した地球の姿は感動的である。
無機質な質感の月の表面、その彼方から青い地球がゆっくりと表れる「地球の出」は美しい。
この映像は何度も見入ってしまった。

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2008年2月22日 (金)

世界遺産ナスカ展

特別展「世界遺産ナスカ展―地上絵ふたたび」』

行ってみたい世界遺産の一つに「ナスカ高原の地上絵」がある。

そして、上野にある国立科学博物館では3月24日まで「ナスカ展」が催されている。
で、どうしても見たい!という欲求がこみ上げてくる。しかし、週末は地獄の混雑になるだろうと危惧していた。しかし、諸事情により平日の今日、お仕事は休み!という訳で上野まで出かける。

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この展覧会は日本全国を巡回しており、今回は19日間限定でのアンコール展示である。
9時半に到着。平日だから空いているだろう、とたかをくくっていたら結構な人出である。
これが週末ともなれば入場制限されて40分待ちだという。

展示品の大半は壷なのだが、この壷の絵柄が面白い。
コンドルやシャチや猫、そして人物などが鮮やかな色彩で描かれている。
一種独特の「ウマヘタ絵」で、デフォルメされたデザインは見ていて飽きない。
そんな中でも「増殖する人型の神」という壷には、ギザギザした人型の神がうじゃうじゃと増えていく様を描いており、これが何ともいえずシュールで面白い。

そしてパワーアップされた?バーチャルシアターで上空から地上絵を眺める。

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その後、企画展示の「雷龍の王国 ブータン」も見学。
ここも行ってみたい国の一つである。
素朴な文化に触れていると「まったり」とできるのが良い。

その後は地下鉄に乗って六本木へ・・・・

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2008年2月21日 (木)

ガダラの豚

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ガダラの豚 (1~3) (集英社文庫) (文庫)
中島 らも (著)

マジックとは?超能力とは?超常現象とは?そして呪いとは?
この魅惑に満ちた不思議キーワードが文脈に満ち溢れている。

そして行き着く先はアフリカで、魑魅魍魎の祈祷師が登場。
その祈祷師は摩訶不思議な能力を放ちつつ、闇の政治力を持ち日本に上陸する。

そして怒涛の第三部になだれ込みスラップスティック・アクションへと展開する。
人知を超えた超現象に感覚は麻痺し、軽い眩暈を覚える。
これは幻覚なのか?それとも現実なのか?
たたみ掛けてくる“らも”ワールドが常識を打ち崩す。

鬼才「中島らも」の眩暈がする超弩級幻想冒険小説である。

ちなみに「ガダラの豚」とはマタイ伝に出てくる地名である。
復活したキリストが、悪霊に取り憑かれた乱暴者を豚に変えて、崖から落ちるよう仕向けた。
故に「悪霊に取り付かれた者」を指す慣用句にもなっている。

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2008年2月20日 (水)

浦賀の百年-その3

⑤神社駅伝
大津、走水、鴨居、浦賀、久比里と7個所の神社を巡る参拝駅伝競走があった。
この優勝旗は、昨年冬に市行政センターを整理中に偶然見つかったもので、数十年ぶりに市民の目に触れるという。

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これがその優勝旗である。

⑥横須賀と浦賀の確執
今の大津高校はかつては深田台の丘の上にあった「横須賀高等女学校」が前身である。
この「横須賀高等女学校」は老朽化により次第に校舎が傾いてきた。しかし、当時の横須賀市はお金がない。で、見るに見かねた浦賀町が手を差し伸べ土地を無償で提供した。そして昭和5年に建設費は県が負担し県立高校となる。
そして、昭和18年に浦賀町や北下浦町、長井町、武山村、大楠町、逗子町などが横須賀に合併されるが浦賀町はこれに反対したが、海軍の圧力に屈する。そして戦後に、横須賀からの独立を試みるがGHQの反対により断念する。この時に久里浜も巻き込んだが久里浜の反対にあう。何でも浦賀の人間から久里浜の田舎者と呼ばれるのがイヤだったらしい。
今でもお年寄りは「中央」のことを横須賀と呼んでいる。

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浦賀文化センター会場には懐かしの小物などが陳列されている。

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そして浦賀町報のコピーが閲覧できる。

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2008年2月19日 (火)

浦賀の百年-その2

③醤油とハワイ独立運動
5代目浦賀町長である石川秀吉は今の市内馬堀町二丁目の旧道沿いにあった池田屋という醤油屋の長男で
明治25年に醤油の販売促進のため、単身、ハワイへ渡る。 池田屋若旦那(だんな)の洋行ということで、地元の大津の人たちは横浜港まで見送りに行った。送りに行かなかった人たちは、大津の海岸で、沖を通る船に日の丸の旗を振ったそうだ。しかし、この若旦那、醤油のプロモーションはやらずハワイのハワイ独立運動に肩入れし、また「ハワイ・タイムス」と称するハワイ島最初の日本字新聞を発行したという。日本から送られた醤油樽は今でもハワイ神社にあるという。
そしてこの石川秀吉の父親は大津館を開業した石渡真三郎氏である。

④浦賀と牛乳

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明治時代浦賀では結構牛乳が飲まれてという記録が残っている。大津には高梨牧場があり、浦賀では1年間に一人当たり4升飲んでいたという。

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2008年2月18日 (月)

浦賀の百年-その1

2月24日まで浦賀文化センターで「浦賀の百年~なつかしさとの出会い~」が開催されている。そして先週の9日には郷土史研究家の山本詔一氏が「うらが百年物語」という講演を行なった。
その一部は先に紹介したが、その他の面白い話をいくつか紹介する。

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①浦賀の名物は?
浦賀の名物は何?と問われると多くの人は「わかめ」や「たこ」をあげるが、昭和初期までは浦賀の名物は「水飴」だった。天明年間(1970年代)には浦賀東西に8軒の水飴製造業者がいたという。そしてこの「水飴」は明治21年に開催されたパリ万国博覧会にも日本土産として売られていた。翌年東京上野で開かれた内国勧業博覧会では、三等有効賞をもらい、日本を代表する名産品の仲間入りをした。

②浦賀を代表する廻船問屋「大黒屋」
ペリー来航の前後からの「塩」「タバコ」の商人として成長してきて、明治期には浦賀の商人の代名詞でもあった廻船問屋の大黒屋は日露戦争後の「塩の専売制」の崩壊と共に衰退しやがて倒産する。そしてこれ以降は商業中心の町から工業の町へと変っていくのである。
最盛期の大黒屋は横須賀や浦賀の芸者衆たちと横須賀線を貸切大宴会をやったという。

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大黒屋の当時の興隆を物語る看板がある。西叶神社の斜向かいにある「御菓子司 精栄軒」の看板はこの大黒屋の床の間の板で作ったという。今この看板は台風で落下して店の中に収められており、その大きさからも当時の栄華が想像できる。

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2008年2月17日 (日)

市制施行101周年記念式典・市制100周年記念事業ファイナルイベント

昨日は市制100周年シンポジウムで今日は市制100周年記念事業ファイナルイベント
昨年から100周年を記念するイベントが多く開催されてきたが今日でファイナルとなる。
ファイナルならば行かねばならぬ、ということで会場である芸術劇場に行く。
客席は8分の入りで桟敷席は空席が目立つ。

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記念式典の後のファイナルイベントは面白かった。
特に田戸小学校6年生が“横須賀の守人(まもりびと)」と称して我々の生活の中で頑張っている人達を取材したコメントがヨカッタ。
横須賀コロッケやヨコスカベーカリー、祭用品のみどり屋にハニー・ビーなどご近所の店が次々と出てくる。そして彼ら独自の視点で取材したコメントを述べるのだが店の宣伝などが飛び出してきて聴衆の笑いを誘う。

他の演目は次のとおり
・ホンキートンク
・森小スマイルキッズ合唱団
・常葉中2年生「あいの風」合唱団
・田戸小6年生
・BRAVE☆レンジャー
 ~根岸小6年~
・緑ヶ丘女子中・高バトン部

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そして、最後は出演者全員で「風を感じる街~yokosuka」の大合唱となりグランドフィナーレと相成る。
皆が協力して作っていったという、この手作り感?がそこはかとなく奥深しく感じられた今日この頃である。

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2008年2月16日 (土)

市制100周年シンポジウム「よこすか 町・暮らし・自然 」

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市制100周年シンポジウム「よこすか 町・暮らし・自然 」
-海と緑がもたらしたもの-

横須賀という街がこの100年間どのように自然と共生し発展してきたか?非常に興味があり、シンポジウムに参加する。

それにしても宮脇 昭氏の基調講演は面白かった。
宮脇氏は別名日本一木を植えた人、イヤ世界一木を植えた人といわれているお方である。
(後になって“情熱大陸”にも出演してことを思い出した)
宮脇氏は目まぐるしいマシンガントークで聴衆を惑わし?魅了させる。
そして繰り返し出てくるキーワード「シイ・タブ・カシ」。

一本3千円の支持棒が3本なければ自立できない根が浅い木を植え、維持費がかかる芝を張るという行政が開発する都市型公園を意味がナイ!とこき下ろす。そして鎮守の森の大切さを説く宮脇氏の話はとても説得力がある。

そして、神戸の震災でも木に囲まれた場所では火の延焼をくい止めていた、という実例を挙げていた。
特にカシの木が防災上よく神社の周辺に多いという。

キーワードである「シイ・タブ・カシ」の木を混在させて植え、生命の競争をさせることによってより強い森になるという。
そしてその森は3年経てば管理はいらない、5年経っても管理するのはニセモノだと一刀両断。

まことに明快な講釈で、ビフォー・アフターの実例スライドに聴衆は素直に感嘆の声を上げる。

三浦半島はまだ自然に恵まれているが、木を植えるという本来の意味を知ることができた。

その後のパネルディスカッションでは横須賀の郷土史家では有名な山本氏や辻井氏、そしてイワシの三谷氏、アマモの相生氏が海とミドリと共に横須賀という街がこの100年間どのように発展してきたか語り合う。
この話も面白かった。(詳しいことは後日にアップしませう)

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2008年2月15日 (金)

野毛点景

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野毛はオヤジの聖地である。

休日ともなれば京急の日ノ出町駅とJR桜木町駅からそぞろ出たオヤジ達が向かうのは両駅のちょうど中間に位置するJRA場外馬券売場WINSである。
競馬新聞を片手に背を丸めて歩くオヤジ達の後姿には哀愁が漂っている。
そして多くの者が夢破れてさらに背を丸めて家路につく。

多くの人達が行き交う大通りから一歩裏通りに入ると人影はまばらで多くの店はまだ閉まっている。
野毛は昼と夜とではその表情がまるで違う。昼は閑散とした侘しさが漂い、夜はネオンが瞬き、多くの老若男女が行き交い、語り、飲み、食し、そんな雑踏の中に生きているという「熱い熱気」を感じる。
それが空虚なものであると分かっていても・・・

空虚な熱気が冷めた翌朝には抜け殻のような街並みに戻る。
悲喜こもごもが漂う野毛は、訪れるたびに新しい発見がある素敵な街でもある。

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2008年2月14日 (木)

ご近所探索「豊島小学校」

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この豊島小学校はワタクシの母校である。そしてワタクシの母親も、ワタクシのムスメもここを卒業しており、親子三代に渡ってお世話になっている。横須賀でも古い歴史を持ち、親子三代・四代がこの豊島小学校に通うという家庭も多く、ワタクシの場合もムスメの運動会などでよく同級生に会ったりもした。
そして学校行事で訪れる度に40年前にタイムトリップが出来た。職員室や廊下、階段に佇むと当時の記憶が甦ってくるのである。

古い歴史を持つと書いたが、明治5年(1872)に寺子屋だった公郷村浄蓮寺本堂を公郷学舎として開校する。今年で創立136年である。そして明治21年(1888)に公郷学舎と不入斗(いりやまず)学舎を合併させ校舎を緒明山に新築し校名を豊島小学校とする。
明治31年(1898)現在の場所に二階建校舎を新築する。

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この中央にある校舎はワタクシの在学中はまだ木造校舎であり、卒業する年に鉄筋コンクリート造に建てかえられた。

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これが当時の木造校舎の写真。(ふるさと横須賀より)

そして豊島小学校には悲しい歴史もある。
1938昭和13年(1938)に豪雨のため崖崩れがおこり、児童13名が生き埋めになり4名が死亡するといういたたましい事故が起きたのである。ワタクシの母親はこの事故の目撃者で今でもよく当時の話をする。

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この崖が崩れたのである。

そして豊島小学校の名前の由来だが、猿島に因んでいる。猿島は昔、豊島(十島)と呼ばれていた。即ち猿島、笠島、平島、黒島、裸島、三つ島、蛸貝島など全部で10の島になるので十島、当て字で縁起をかついで豊島とし、自然の恵みの豊かな島という意味もあったかもしれないと思われる。今は豊島小学校にその名が残るだけである。

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校章の由来は、円を基本形として、児童・教師・父兄の円満と幸福を願い、なかに「ト」・「マ」を4つずつ組み合わせて、「トシマ」を表している。

ワタクシの時で1学年6クラスあったが、ムスメの時には2クラスになったいた。
歴史もあり、横須賀のほぼ中心に位置するこの小学校をいつまでも存続させていきたい。
横須賀の歴史と共に歩んできた豊島小学校は今でも我家のルーツなのだから。

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2008年2月13日 (水)

薔薇の名前

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記号学者であるウンベルト・エーコが原作者。
原作は途中で放棄した記憶がある。

ミスキャストと云われた主役ショーン・コネリーの起用はふたを開ければ、神憑りのような演技でアメリカを除けば大ヒットし、結果オーライ。

圧倒的に時代考証、大道具、小道具、セットに厚みを重ねており、
この重量感が醸し出す雰囲気、そして存在感に威圧されます。

中世のイタリア北部、荒涼とした山の上の修道院。
季節は冬、無彩色に近い映像は重く暗い。
閉ざされた修道院の修道僧達は魑魅魍魎。
バベルの塔如き文書塔はラビリンス。
寒々とした空気に流れるグレゴリオ聖歌。
禁断の書”を巡って発生した殺人事件。

中世のシャーロックホームズが活躍いたします。

映画「ダ・ヴィンチ・コード」に幻滅したお方にお勧めです。

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2008年2月12日 (火)

八日目の蝉

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八日目の蝉 (単行本) 角田 光代 (著)

いつもなら三日もあれば文庫本1冊は読んでしまうのだが、この本は1週間以上かかった。
何故?あまりにも切なすぎるのである。逃亡する女性の心理が分かるようで分からない。しかし、いつの間にか感情移入してしまう。スリリングな文体が読み手をここまで引きずり込んでしまう。

逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか・・・・
理性さえもをゆるがす愛があり、罪にもそそぐ光があったのか・・・・・

家族って何?人との繋がりって何?という命題が重く圧し掛かってくる。
それがあまりにも切なくて自分自身の中で心の整理をしないと先に読み進めないのである。
だから一日で十数ページしか読むことができなかった。

蝉は七年間土の中にいて、地上に出て七日目で死を迎える。
しかし、七日目に死を迎えるはずの蝉が八日目も生きていたら・・・
あるべき人生から、大きく逸脱した世界を生きることになったら・・・

そこにあるのは孤独や寂しさ?それともささやかな夢や希望があるのか?
ひたすら一生懸命に生きてきて、その人にしか見れない世界を見るのだろうか?

タイトルの持つ重さを感じた久々の一冊である。

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2008年2月11日 (月)

横浜にぎわい座有名会

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にぎわい座(横浜 野毛)の公演情報を見ていたら、今日公演される「横浜にぎわい座有名会」に円丈がでるという。これは行かねばならぬ、と他の予定(たいした予定ではない)をキャンセルして野毛に向かう。

前座、二ツ目、そして真打クラスは古典落語を演目する場合が多い。
本日も「たらちね」や「河豚鍋」など御馴染みの演目が演じられた。しかし、古典は古典ならではの面白さがあり、絶妙な間の取り方やしぐさや立ち振る舞いなどがやはり面白い。

そして、トリの円丈師匠の演目は「ぐつぐつ」
これは小ゑん師匠の代表作の一つで、以前ネタ交換という企画がありその産物である。
おでんの具たちと、そしておでん屋のオヤジと客とが繰り広げる小ゑんオリジナルを新作落語の元祖円丈師の手にかかって、円丈版シュールな「ぐつぐつ」に変貌してこれでもかとたたみ掛けてくる。
円丈師匠は63歳なのだが、これに関係なく照れずに演技をしなければならない、という試練を持っている落語でもある。
イヤ~面白かったです。

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2008年2月10日 (日)

湘南とは?

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昨日の「うらが百年物語」講演で講師の山本詔一氏(郷土史家)が「湘南」とは何処なのかという話になった。

で、歴史的に考えると湘南の「湘」は八景(金沢八景)のことだという。つまり八景より南が湘南で、西は西湘(せいしょう)だという。ということは横須賀は湘南で、逗子、葉山、鎌倉は西湘となる。

そういえば、今の京浜急行の前身は「湘南電鉄」であり、黄金町駅~浦賀駅間の路線だったが、まさに「湘南」を走っていたのである。その後東京と横浜を結んでいた京浜電鉄と合併して京浜急行電鉄となる。

そして、八景の歴史を紐解けば、中国の湖南省にたどり着く。湖南省には美景に富む「洞庭湖」があり、この洞庭湖の南部で、瀟水と湘江という川が合流する一帯の景色は「瀟(しょう)湘湖南」と称されて親しまれてきた。
古代より景観もまたその美しさで知られ、多くの詩が詠まれてきた。宋代から、このあたりの景観を主に八つの景色とし、瀟湘八景をテーマとした山水画を描くことが流行した。これが日本にも広まり、近江八景や金沢八景などの元となったわけである。
つまり、洞庭湖の南部を「瀟(しょう)湘湖南」と称され、八景が定められた訳で、「瀟(しょう)湘湖南」が湘南の語源になり、八景から南が湘南というのも納得できる。

ちなみに元祖八景は 「山市青嵐、漁村夕照、瀟湘夜雨、遠浦帰帆、烟寺晩鐘、洞庭秋月、平沙落雁、江天暮雪」で、金沢八景は「小泉夜雨、称名晩鐘、乙舳帰帆、洲崎晴嵐、瀬戸秋月、平潟落雁、野島夕照、野島夕照」であり、明の心越禅師が山の上にある能見堂(現在の能見台)から見た景色を故郷の瀟湘八景になぞらえて七言絶句の漢詩にして詠み、八景として金沢八景と命名したことが由来となっている。
ちなみに歌川広重の浮世絵にも描かれている。

ただし、湘南という地名が一般的になったのは、明治31年に国民新聞(明治23年刊)に連載された「自然と人生」という作品集のなかの「湘南雑筆」という随筆から広まったという。
文人徳富蘆花が逗子へ移り住んだ際に生活や自然を描写したものでこのころすでに湘南という言葉がこの地方では定着していたと思われる。

まぁ、歴史的に見れば八景から南が湘南であり、一般的に認識されている葉山から大磯までの地域の湘南とはチョット違うが、あまり目くじら立てずに海が望める風光明媚なところはどこでも「湘南」でいいのでは?というなげやり的な、かつゆとりある大人の配慮?でこれからの「湘南」を見守っていきませう。

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2008年2月 9日 (土)

京急沿線ウォーク「水仙の咲く野比海岸とYRP里山を歩く」

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京急沿線ウォーク「水仙の咲く野比海岸とYRP里山を歩く」に参加する。
コースをひたすら歩くのもよいが、最近は郷土史に興味があり、ツアーガイドが同行コースをチョイスする。ガイドの方達は常日頃勉強しており、その知識は半端ではない。そのオコボレを頂戴する。
知っているようで知らない郷土史を再認識するよい機会である。
約3時間の行程だったが得るものは多かった。

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天候はあまり良くなかった。午後から雪になるかもしれないという。そして海沿いは風が吹き寒い。
水仙ロードの水仙は先日の降雪で倒れているのが多かった。

その後、浦賀で本日から開催されている特別展「浦賀の百年-なつかしさとの出会い」のイベントの一環である特別講演「うらが百年物語」を拝聴する。
こちらも知られざる?浦賀の一面を知ることが出来て非常に面白かった。
この話はまた後ほどに・・・・

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2008年2月 8日 (金)

サッカー日本代表を応援する

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先日、2月6日のサッカーワールドカップ3次予選のタイ戦は4-1で日本が勝った。
が、しかし相変わらず流れの中での得点はなかった。
3点はセットプレーからで、残りの1点は相手のクリアーミスからのタナボタゴール。
まぁ、勝ったからいいようなものの、最近の日本の観客のモラル?の低下ぶりには嘆か
わしいものがある。

タイの選手がボールを回しただけでブーイング、いつからこうなってしまったのか?
思えば10年前のフランス大会予選でマレーシアのジョホールパルで日本がワールドカッ
プ初出場を決めたが、
この時の日本のサッカーには夢と希望があった。
そして、サポーターの応援歌「翼をください」大合唱は、すごい迫力と感動を与えてく
れた。

2002年の日韓共同開催の時でも日本の観客のマナーの良さには各国メディアが絶賛して
いた。
それがいつの間にかこうまでモラルが低下してしまったのだろうか?

サッカーのプレーの良し悪しには関係なくただ勝てばいいのだろうか。
何だか、自身の欲求不満のはけ口をサッカーに求めているだけのような気がする。

かくゆうワタクシ自身も年齢共にサッカーに対するパッションの低下は確かにある。
これではイケナイ!スキとヒマを見つけて日本代表をスタジオで応援しようと思う、
のと同時に1997年のフランス大会予選での「翼をください」の大合唱が懐かしいと感じ
る今日この頃である。

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2008年2月 7日 (木)

らあめん 嶋や

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らあめん 嶋や@横須賀

ワタクシ、最近は年のせいか「こってり」より「あっさり」系の味を好む。ラーメン然り。
で、ご近所では「若松」やら「和らく」によく行く。
しかし、冬は寒い!このように寒い時には人間は本能的に「こってり」を選択してしまうのである。
こってりでも家系はあまり行かない。
そして今年に入り2回も行ってるのはここ「嶋や」である。

ここの店主は以前、新横浜ラーメン博物館の和歌山ラーメン「井出商店」の店長である。
この時は「ラー博」の売上げ記録を作っているらしい。

スープは豚骨と鶏ガラを合わせた濃厚な醤油味でウマイ!
夏は「黒のつけ麺」をよく食べたが冬はやっぱりラーメンでしょう!

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2008年2月 6日 (水)

ご近所探索「しんばか」

ご近所のお年寄り(かなり高齢)の方の中にはいまだにうらが道を「本道」、米が浜を「観念寺」、富士見町を「しんばか」と言う人がいる。
「しんばか」とはどうみき坂に向かう道の途中にコンビニがあり、その前の道を右折する。しばらく歩くと左手の高台に墓地が見えてくる。ここが聖徳寺のとび墓地で通称「新墓」(しんばか)で故に昔はこの一帯を「しんばか」と呼んでいた。今の住所だと富士見町3丁目に当たる。

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この聖徳寺「新墓」の頂上付近、東京湾を臨む所に「西田昭則」の墓がある。表面に「正五位勲三等西田昭則之墓」、裏面に「明治三十九年五月二十一日卒」と刻まれている。
彼こそが東京湾に人工的に作られた3つの海堡の生みの親なのである。
西田は陸軍工兵少佐で明治12年「東京湾要塞建設論」を参謀本部に提言し、海岸防御取調委員となり、以後3つの海堡の建設に力を尽くした。

それを記念して大正12年(1923)3月31日に衣笠山公園の山頂付近に「西田明則君之碑」が建てられた。碑の設置場所として、三つの海堡を見守る位置にある衣笠公園が選ばれたのである。

しかし、その半年後の1923年(大正12年))9月1日の関東大震災で第3海堡は土台が崩れ使用不能になってしまった。

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最近、その第3海堡は撤去されて、一部がうみかぜ公園に保存されている。結局、海堡は本来の目的を果たなかったが、当時の日本の土木技術の凄さを世界に知らしめた偉業であったことは間違いない。

そして、、元海援隊の安岡金馬の墓もここ「新墓」にあると聞いたが間違いのようである。
(関係者の証言より)

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2008年2月 5日 (火)

「名もなき毒」

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「名もなき毒」
 宮部みゆき 2007-098

我々の日常生活ではリアルな「毒」を体験することはまずないだろう。
(ここでいうリアルな「毒」とは青酸カリのこと)
そして、土壌汚染という「毒」もニュースなどでよく聞くがワタクシの周辺では話題に
なったことはない。

でも、人間の「毒」は心当たりがある。
普通に生きてきた普通の人間の言葉や振る舞いが、ある人間にはそれそのものが
「毒」として映ることがあるかもしないし、まさに「毒」になることがある。
そして、それが違う形の「毒」として自分に降りかかってくる。

これが怖い。
まさしく「名もなき毒」である。
日常に潜む「名もなき毒」は常に我々の身に周りにあるのかもしれない。

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2008年2月 4日 (月)

アメリカン・ギャングスター

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舞台は1970年代のニューヨークで、描かれているのはギャングである。
ニューヨークでギャングといえば「マフィア」なのだが、移ろい行くこの時代の主役は黒人のギャングで、演じるのはデンゼル・ワシントン。クールかつ新しいビジネスを模索する新しい時代のギャングを熱演している。そして対する麻薬捜査官はラッセル・クロウである。

1970年代という時代背景がおぼろげながら記憶の片隅に残っている。ベトナム戦争の真っ只中である。死への恐怖を麻薬で麻痺させていた。時代が黙認したこの犯罪を戦争がさらに加速させていき、本国にも広まっていった。そして利権と汚職がはびこることになり、これに危機を感じたアメリカ政府はこれらを一掃しようとするワケなのだが・・・・・

この映画は実話に基づいて制作されており、それなりのリアリティーがある。
特にラッセル・クロウのふくよかな体型には(個人的に)アメリカのリアリティーを感じた(笑)

しかし、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」で描かれた一大叙事詩のようなロマンもなく、「フレンチ・コネクション」のような洒落た映像センスもない。

それなりの見せ場はあるのだが、劇場を出るとすっかりと忘却の彼方。

最近、シミジミと昔の映画はヨカッタと感じるのはワタクシだけなのだろうか。
小手先の演出にとらわれず、映画のロマンに挑戦するような新鮮な演出に期待したい。と考える今日この頃である。

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2008年2月 3日 (日)

初雪の横須賀

イヤ~、昨日の天気予報で雪が降るとは聞いてはいたが朝起きてビックリ!
庭が銀世界だ!
まぁ、積もったといっても10センチ足らず。何をそんなに驚くの?
と問いかけるそこのアナタ。横須賀では雪は降ってもまず積もらないのである。

過去何度か雪の中を京急で帰ってきたが、東京では大雪でも横浜に入れば小雪になり、
横須賀では雪は降っているが積もっていない。というのが定説。
三方を海に囲まれている三浦半島では雪は積もらない(最近の話だが・・・)

しかし、ワタクシが小学生の頃は30センチ以上の積雪がかなりあった。
自宅前に積もった雪でカマクラを作った記憶がある。
緒明山の坂ではスキーが出来た。
そうそう、横須賀は坂と階段の街である。雪が降ると歩行に注意が必要だ。

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で、ご近所の坂では小股&がに股でユックリ歩く。

横須賀でも場所により積雪に差があったらしい。
山間部では積もり、海沿いではそうでもなかった。

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人気のない雪の三笠公園である。

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2008年2月 2日 (土)

ご近所探索「忍塚」と「無縁塔」続き

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富士見町公園の奥に建っている「忍塚」の横には「無縁塔」も建っている。

慶応元年5月、幕府は製鉄所敷地(後の横須賀造船所)の海岸埋立てをさせるため、江戸石川島の人足寄場から人足200名を船で横須賀に送った。人足寄場とは、浮浪人及び犯罪者の刑期を満了しても引取り人のない者、或いは再犯の虞がある者などを人足として留置し、大工・建具・塗師などの技術を身に付けさせて、労役に服させた幕府の施設である。

横須賀に送られて来た労務者達には翌年には病人が続出したといわれ、そのため死亡した人々及び、その他の無縁者としてここに葬られた行路病死者をも合わせ、その霊を慰めるためにこの地に建てられたのが忍塚である。

無縁塔の方は、台座ともに高さ2mくらいの石の地蔵菩薩像で、忍塚と同じ大正11年5月に建立されている。台座正面には無煙塔の文字と碑文、側面には寄付者と金額が書かれてあるが、建立者の名は書かれていない。
寄付者は120人(事業所含む)で横須賀共済病院、二業者(料理店と待合営業者)芸妓組合ほか下町の商店や事業所などが名を連ねている。

他の文献によると関東大震災後に大量に流れ着いた遺体を地元の漁師達が集めてここに土葬したという。
また、柏木田遊廓の女郎が死ぬと引取り手のない人はここに葬られたともいう 。

忍塚は従役囚人と行路病死者を祈るためと明記されているが、無縁塔はさらにもっと広い範囲の無縁者を供養するためのようである。

そして、この地は昭和34年に公園として整備されたのである、

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2008年2月 1日 (金)

一風堂「赤丸かさね味」

先日、一風堂の新作「赤丸かさね味」を賞味しに、横浜はポルタにある一風堂ポルタ店に行く。

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で、これが「赤丸かさね味」850円
「豚骨と鶏ガラでとるさっぱりとした甘みと、それでいて深みのあるスープが博多では珍しい加水率の高い中太麺を引き立てます」(一風堂HPより)とな。

味が複雑しぎてワタクシにはよーわかん。ウマいとは思うのだが、ワタクシ的には、前の「赤丸新味」のほうが好みの味である。

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これが以前の「赤丸新味」750円

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