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2008年1月

2008年1月31日 (木)

「ゲット・バック・イン・ラブ」

  

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「ゲット・バック・イン・ラブ」が収まれたアルバム「僕の中の少年」

今日、帰りの電車の中でシャッフルモードで携帯型音楽プレーヤーを聴いていたら「ゲット・バック・イン・ラブ」が流れてきた。と突然鎌倉山から江ノ島を臨むアノ風景が目に浮かんだ。
記憶の中にある音楽が記憶の中の風景を呼び起こしてくれる。

かつてワタクシは江ノ島の沖をヨットで滑走していたことがある。
特に春先はオフショアの風が吹き、快適な帆走が楽しめた。
そして、季節の海流のせいか海がとても澄んでいた。

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そんな湘南の記憶をこの曲が甦させてくれる。
この「ゲット・バック・イン・ラブ」は山下達郎の作品でTBS系ドラマ「海岸物語 昔みたいに・・・」の主題歌である。
鎌倉山から逆光で見る江ノ島をバックにこの主題歌が流れる。江ノ島が輝いて見えた。
そして、ヨットを乗っていた時の感動が甦るのである。

このドラマは鎌倉山にあるパン屋が舞台である。
出演者は奥田瑛二、渡辺裕之、賀来千香子、麻生祐未、島田紳助、山口美江、久保京子、小坂一也
などなど、「男女7人・・・」に触発?されて制作された1988年の作品でトレンディドラマのはしりでもある。

今思えばとても懐かしいTVドラマであり、ワタクシの若き日の記憶とノスタルジックにシンクロするのである。そして、ドロドロとした恋愛関係を湘南の乾いた空気がよい意味で調和したチョットお洒落なドラマだった。

そしてアノ頃は本当に良い時代だったなぁ、とシミジミと感慨に耽る今日この頃なのである。

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2008年1月30日 (水)

ドリームズ・カム・トゥルー

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英語の語源というかスペルには深い歴史がある、ということはチョットは知っていたが、
この映画を観て改めてその奥深さを知った。主人公の11歳の少女が全米スペル大会に挑戦するというストーリーなのだが、出題が予想される単語の難解度はハンパではない。

ラテン語源からギリシャ語源など今の英語に与えた言語の歴史や流れは非常に興味深いものがある。
例えば劇中のスペル大会では以下のような言葉が出題される。

Pulchritude 肉体美(ラテン語源)
Numismatics 古銭収集(ギリシャ語源)
Souchong インドで栽培される中国茶(中国語源)

イヤイヤ、基本単語さえ危ういワタクシにはワケワカメの単語である。
でも、その語源を知りたいという好奇心はある。

それにしても11歳といったら日本だったら小学生5~6年生、その彼女がこの難解な単語をマスターしていくのだが、「君には5万のコーチがいるんだ」というコーチの言葉どおり町中の人々が応援してくれるのである。このくだりがナカナカ良い。

言葉の持つ歴史やら重みがシミジミと感じられる映画である。

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2008年1月29日 (火)

海の底

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海の底
著者/ 有川浩

わが地元である横須賀を舞台にしたSF&エンターテイメント小説である。

ベース(米軍基地)で開催されている桜祭りの真っ最中に巨大甲殻類が襲ってくるという、
度肝を抜かれる凄いシチュエーションからお話しは始まる。

そして、舞台になるのはご近所である。
ベース、ショッパーズプラザ、横須賀中央界隈、そして対策本部が置かれるのが不入斗にある
横須賀アリーナである。中央公園も出てくる。まさしくご近所!全て徒歩圏内である。
ご近所のならではの親近感で読むほどに光景が目に浮かぶ。

物語は2つのパートで進行する。
警察機動隊と自衛隊による駆逐作戦、そして潜水艦「きりしお」に閉じ込められた自衛官と子供達の葛藤である。

ご近所のよしみもあり一気に完読。それにしても日本の官僚機構の融通のなさを比喩しており、有事の際にはやはり問題になるかもしれない。

作者の有川 浩は高知出身で、高知県人の特有?であるハッタリ精神で面白オカシク物語を脚色しているのが読んでいて心地よい。そしてなんだかんだとドタバタ展開なのだが最後はしっかりとラブロマンスで締めくくりメデタシ、メデタシ。

横須賀市民でSF&エンターテイメント小説がお好きな方は読むべし!

余談:この巨大甲殻類はエビだが食べても美味しくはないらしい。

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2008年1月28日 (月)

本牧の今昔

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久々に横浜の本牧を歩いた。10年ぶりだろうか。
そして、その前に歩いたのはさらに20年以上前になる。

当時はまだフェンスの向こうのアメリカの頃。
横浜生まれの友人と本牧を遊んだ。

ネオンが眩いバーを何軒かハシゴした記憶がある。
「リンディ」なんてディスコがあり、
たしかここは男性は女性同伴でないと入れなかった。

そして「リンディ」の前にあるのはクラブ「ゴールデン・カップ」。
ここであの伝説のバンド「ゴールデン・カップス」が生まれた。

今では本牧は姿を変えてファミリーが楽しそうに歩くニュータウンへと変貌した。
古き良き本牧の面影は遠く彼方に去り行く、そしてその記憶に耽る。

「ゴールデン・カップ」は今でも健在で営業している。

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2008年1月27日 (日)

三溪園

横浜の本牧に「三溪園」がある。

三渓園は横浜市中区本牧三之谷にある庭園で、敷地面積は17.5ha。実業家で茶人の原富太郎(号:三渓、1868年-1939年)によって作られた。この三溪園には国の重要文化財建造物10棟、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有し、広大な敷地の起伏を生かした庭園との調和がなかなか良い。

昨年2月三溪園は国の名勝に指定された。その1周年を記念し、旧燈明寺三重塔など外苑の歴史的建造物6棟の内部を週末にかけて特別公開されていたので約6年ぶりに訪れてみた。

今回公開されたのは以下の6棟の建物
 旧燈明寺三重塔、旧東慶寺仏殿、旧燈明寺本堂、旧矢箆原家住宅(以上重要文化財)、
 横笛庵、林洞庵

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旧燈明寺三重塔
室町時代1457年(康正3年)の建築。京都府相楽郡加茂町より1914年移築。

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旧東慶寺仏殿
江戸時代1634年(寛永11年)の建築。東慶寺(鎌倉市)より1907年移築。

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旧燈明寺本堂
室町時代初期の建築。上記三重塔があった燈明寺の本堂で、1948年まで京都府加茂町にあったが、同年の台風で大破し、長年解体格納されていた。1982年三渓園に移築。

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旧矢箆原(やのはら)家住宅
江戸時代(18世紀)の建築。白川郷の合掌造民家。岐阜県大野郡荘川村(現高山市)より1960年移築。

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横笛庵
明治41年(1908年)田舎風の茶亭で古材を用いて建てられている。平安時代の悲恋の主人公・横笛から名づけられた庵

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林洞庵
昭和45年(1970年)宗徧流林洞会から寄贈された茶室。近代数奇屋風の建物。

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そしてこれは臨春閣
1649年、紀州徳川家初代徳川頼宣が夏の別荘として、現在の和歌山県岩出市に建てたもので、1906年三溪の手に渡り、1915年から1917年にかけて園内に再建された。 第一屋、第二屋、第三屋で構成され、襖絵は狩野探幽、狩野安信などによって描かれている。

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庭園は冬の佇まい

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庭園の片隅では水仙が、そして早咲きの梅も咲いていた。

三溪園は関東大震災や空襲でかなりの被害を受けたが、昭和28年(1953)に財団法人三溪園保勝会に移管され復旧工事が行なわれた。

三重塔や東慶寺仏殿の中に入って木造細工のディテールにしばし見とれる。
改めて日本木造建築の素晴しさを体験した今日この頃である。

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中島三郎助まつり、そして浦賀のあれこれ

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幕末の浦賀港に来航した「黒船」に乗り込んでペリーと折衝し、のちに造船技師として活躍した幕臣、中島三郎助(1821~69)をたたえる「第4回中島三郎助まつり」が浦賀の住友重工浦賀工場跡地で催された。

ワタクシは横須賀市民ながら中島三郎助は知ってはいるが、それほどの愛着はない、しかし浦賀の人々の間ではおらが街の偉人であり、子供の時から慣れ親しんできたお方である。

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旧機関工場内ではコンサートやら模擬店で大勢の人達で賑わっていた。

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で、これが黒船シチュー&パン(200円)である。

浦賀周辺史跡ツアーにも参加し、浦賀の歴史を改めて復習する。
今でこそ浦賀はチョット寂れてしまったが、江戸時代までは三浦半島で一番栄えた町だったのである。
江戸時代初期から干鰯(ほしか)問屋や廻船問屋の港町として、また奉行所が伊豆の下田から移り東京に出入りする船が必ず寄港するようになり隆盛を極めたのである。

江戸時代、近畿地方を中心に綿作が発達し、その最適な肥料が干鰯であり、浦賀の干鰯問屋がほぼ独占していたという。水揚げされた鰯はプレスされ油を搾り出し、一番安価な灯油として江戸に出荷、その絞りカスが干鰯である。当時は干鰯一俵は一両で米の一俵より高かったという。

この干鰯問屋は東浦賀にあり、廻船問屋は西浦賀にあった。というよりは当初奉行所を東浦賀に設置しようとしたところ干鰯問屋の反対にあい、しぶしぶ西浦賀に置かざるを得なくなりそれに伴い廻船問屋が置かれたようである。
廻船問屋の主な仕事は浦賀奉行所の下請機関で、奉行所の実務は廻船問屋が行なっていた。

中島三郎助は楽幕府の与力である。ちなみに与力は騎馬武者で数え方は一騎、二騎と数え、奉行所の与力一騎には、同心が6人位付いたという。
中島三郎助や浦賀の歴史は郷土資料館(浦賀文化センター)で詳しく知ることができる。

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また、浦賀ドックの遺産紹介ツアーにも参加し、興味深い話を聞けた。
浦賀ドックは川間ドックと共に煉瓦造で築造されたドックで全国を探してもこれ2基のみという大変貴重なものである。
川間ドックは旧石川島造船所の所有だったが、後に浦賀船渠(株)に買収された。現在はVelasis Ciry Marina という名前のマリーナの中にあり、ゲートが撤去され海水に満たされその全容は見ることはできない)

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ドック内のレンガは伝統のフランス積みである。

浦賀ドックは長さ178m、幅21m、高さ11mで、海水を注水するのも、配水するのも標準で4時間だという。
もっとも、配水時は船の体積分は除かれるワケで、船の排水量によっても差異はあった。
また、配水時の潮位でも違い、干潮時と満潮時は1.5mほど違うので当然この分は排水時間は違う。

このドックでは船の形状にもよるが1万5千トンクラスまで対応できたという。

ドックゲートはどのように開閉するのか今までに疑問だったが、その開閉方法がシンプルでビックリ!
ドックゲートは外側、つまり海側に重心が設定されて作られている。従って、ドック内に海水を注水し、潮位と同レベルになると外部と内部の水圧が同じになるとゲートの重心が海側にあるので自然とゲートが開くという。
閉めるときには両側のワイヤーで引っ張り、ドックゲートを閉める。そして海水を配水し、外部(海)の水圧により押されて密閉される。

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ドックゲートの上部

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で、これが盤木(ばんぎ)で、海水を排水すると船はこの上に載るワケで、この盤木の配置に苦労したという。
修繕する船の設計図を事前に入手し、船体の形状や荷重分布を考えてこの盤木の位置を決定するのである。
なんでも護衛艦などは船底にいろいろな突起物があり苦労し、また、日本丸も帆船ならではのキールが船底にあり、盤木の位置や盤木の材質にも配慮したという。

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これが排水ポンプ室の内部である。
施設の構造は明治時代から変わらない。ここも煉瓦造で築造された。
しかし、現在のポンプは電動で、明治時代は蒸気タービンのポンプであった。

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そしてこれが浦賀警察脇にある「大衆帰本塚の碑」である、
碑材には箱根産の根府川石が使われ、元治元年(1864)9月に建てられました。この地が開発される前の様子と無縁仏を供養する思いなどが記されている。そして、碑文には浦賀奉行所与力の中島三郎助の文章と筆跡がそのまま刻まれている。
江戸時代はこの周辺は今の浦賀と違い町の外れであり、墓地や遊廓があった。
この「大衆帰本塚の碑」も元々はもっと山側にあったが、開発により現在の場所に移転された。
そして、浦賀警察の先に遊廓があったとされる。

浦賀で遊廓といえば江戸屋半五郎が有名である。かれは世の無常を知り芸妓、娼婦を解放し、霊場をめぐったという。そして西叶神社の手洗い石などを残している。

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これがその手洗い石で江戸屋半五郎の名が刻まれている。

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また西叶神社の灯篭の足元にも江戸屋半五郎にあやかり?遊廓の主人の名が刻まれている。

浦賀は江戸時代、三浦半島の殆んどの村が小さな漁村であったのに対して、相模の国では小田原と共に栄えた唯一の町である。
浦賀の繁栄の名残がまだ残っている西浦賀地区は歩くたびに新しい発見がある温故知新の街なのである。

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2008年1月25日 (金)

ご近所探索「忍塚」

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どうみき坂を下る手前の右側の小道を登って行くとやがて富士見公園にたどり着く。
そしてこの公園の片隅に小さな塚が建ているのを目にする。
「この塚は、慶応元年(1865)から始まった横須賀製鉄所(後の横須賀工廠)の創設工事における犠牲者及び行路病死者の鎮魂碑です。」という案内板が建っている。

歴史を調べると、明治18年に神奈川県が永嶋六次郎氏所有の畑を監獄墓地として買収し、 ここに引取り手のない無縁者(囚人)を埋葬した、という経緯がある。

横須賀の悲しい歴史の一つである。(・・・続く

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2008年1月24日 (木)

「イツワ製麺所食堂」

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今月号の「dancyu」に「イツワ製麺所食堂」の記事が掲載されていた。
そういえば最近行っていないなぁ、と思ったら急に食べたくなった。
ということで先日いそいそと出かける。

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寒いので「酸辣(スーラー)味噌つけめん」(840円)を所望。
まぁ、見た目は真っ赤で辛そうなのだがスパイスの程よい辛味や酸味と味噌の旨みが程よく絡み合って今まで食べたことのない深みのある味わいである。
食べるほどに麺のウマさとの相乗効果で一心不乱に一気完食!

しみじみとエスニックの琴線に触れることが出来る麺食いのための一品である。

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2008年1月23日 (水)

ジョー・ブラックをよろしく

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ジョー・ブラックをよろしく
(1998年 / アメリカ ) 時間: 180 分

生きるって何?
死ぬって何?
喜びとは?恋とは?そして悲しみとは何?
我々人間はこのような重大な問いかけに対して自ら答えを出そうとはせずに、
ただひたすらに日々の生活に追われて生きているように思える。

まぁ、このような哲学的問答はある意味で無意味だと割り切っているの知れない。
でも、この哲学的問答に悠然と立ち向かったお方がいる。
それがこの映画の主演である「死神」さまなのである。

その死神を演じるのはブラッド・ピット。
慣れない人間界での当惑を見事に演じている。

何だか小説「死神の精度」の千葉さんとカブるのが面白い。

そして、クレア・フォラーニの表情豊かな演技が魅力的である。

また、アンソニー・ホプキンスの存在感ある演技なくしてはこの映画は成り立たないくらい彼のオーラは光っていた。

そうそう、この映画は英語のよい教材でもある。
「それはジョー次第だ。」
It's up to Joe.
「人生にはいい時と悪い時があった。」
Sometimes we had all ups and downs.

チョット緊張感がある、ほのぼのムービーである。

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2008年1月22日 (火)

ワルツ・フォー・デビイ

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ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスが1961年にヴィレッジ・ヴァンガードで行ったライブを収録したアルバム。

まさにジャズ・ピアノの名盤である。

そして、ワタクシ的にもキース・ジャレット、オスカー・ピーターソンと共に好きなジャズピアニストなのである。
この「ワルツ・フォー・デビイ」はまずジャケットからイイ!
逆光で撮影したピンの甘い少女のポートレート。

チョット俯いた少女は想いに耽っているようだ。
そして、この多感で移ろぎな少女の心は、緊張感のあるジャズをイメージさせ、不思議なフィット感を感じる。

何よりもこのアルバムは程よい臨場感が心地よいのである。
かすかにバックで聴こえる観客の笑い声やグラス同士が触れ合う音などが気持ちの良い音楽の一部になっている。
そして、バーボンのオンザロックを片手に、目を閉じて聴けばニューヨークのジャズクラブにトリップ出来るのである。

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2008年1月21日 (月)

「横須賀どぶ板繁盛記」&「ヨコスカどぶ板物語」

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今は無き、バー・テネシーのパパが綴る古き良き「どぶ板ストーリー」である。
パパとはマスターである藤原 晃氏である。

バー・テネシーはベースの前にあったことは記憶の片隅にある。
しかし、入ったことはない。前を通り過ぎる時にチョット中を覗いたくらいである。
地元のワタクシ達の世代では「どぶ板」は危険な所で行ってはイケナイ場所だった。
ワタクシが中学生の頃はベトナム戦争真っ只中でどぶ板には死と隣り合わせの兵士達で殺気立っていた。
さいか屋から先の本町は別世界だったのである。

しかし、この本を読んでいると当時の殺伐とした雰囲気は伝わってこない。
著者の気さくな性格の文体のせいか、なんだかとても穏やかでのんびりしているのである。
ここには語れていない裏の出来事は当然あったと思うが、それには触れることなく、だた面白おかしく人間模様を語っている。特に「皇后陛下」とか「サイパン」「タイガー」などと呼ばれていた人達のエピソードが興味深い。この「どぶ板ストーリー」の大半はヤンキーボケのお姉さま達と酔っ払いヤンキー達の生態?を赤裸々に語っている。

そして空母「ミッドウェイ」なんて懐かしい言葉が出てくるではないか!
ワタクシこの「ミッドウェイ」に乗船したことがあり、航空甲板が木造だったのを覚えている。

このマスターは予科練出身で戦後はアメリカの掃海艇に乗船し朝鮮動乱に参加していたという。
そしてこんな気さくマスターだったら一度でいいからバー・テネシーに行ってみたかったと後悔をする。
今、どぶ板は原宿の如く大変身し、日本の若者が闊歩しているのである。

でも昔のどぶ板も今となっては懐かしい
豚と軍艦」という映画で1960年のどぶ板にタイムスリップできます。

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2008年1月20日 (日)

市制施行100周年記念 公募展「横須賀」

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洋画、日本画、版画、そして写真で横須賀を描き出した公募展「横須賀」を鑑賞しに観音崎の横須賀美術館までお出かけ。

横須賀以外からの出展者も多く、遠くは沖縄の方の作品もあった。
それにしても、それぞれの人が持っている横須賀のイメージというのを独自の手法で表現しているのが面白い。

見慣れた風景が見事に切り取られ、横須賀のイメージとして描き出されている。
近代への発展の象徴として、またポップカルチャーの新しい発信地としてこれからの横須賀の歩む道を暗示させているような公募展であった。

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たまたまこの日はエントランスホールで「横須賀マンドリンアンサンブル」によるミニコンサートが開かれていた。
派手さはないけれど、その優しい音色に癒され、まどろんで聴き入ってしまう。
新しい横須賀の発見があり、マンドリンの優しい旋律が心に安らぎを与えてくれる。
ささやかながらワタクシにとって実に“優雅な休日”を楽しんだ今日この頃である。

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2008年1月19日 (土)

克きち

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「醤油そば+半熟味付玉子+チャーシュウ」

国道16号沿い、市役所の先に新しく開店した「地鶏そば」の店である。
地鶏を丸ごと使った白湯(ぱいたん)をベースにしたスープとモチモチした食感の麺の組合せはウマい。

他に塩、味噌、そしてカレーベースやつけ麺があり、バリエーションが楽しめそうである。
ご近所なので「若松」、「和らく」そして「克きち」とチョイスが増えてラーメン三昧がウレシイ。

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2008年1月18日 (金)

コクヨのヨコク

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今日はお仕事の一環で品川にあるコクヨのショールームで催されていた展示会に行く。

コクヨが提案するのはクリエイティブなオフィス環境である。
まぁ、このキモチはよく分かる。というか日本の従来の凝り固まった意識を変革する必要はあるとワタクシも感じる。
つまり、我々は従来の日本のお仕事は基本的にルーチンワークを大事にするためにその本質に気づいていないのである。
我々はお仕事は管理するものだと思っている。
でも、新しい考え方のマネージメントは違う。
何が違うか?
それは管理とは計画されたものに対しての管理であり、マネージメントにはその計画自体も含まれるワケで、通称デミングサイクルと呼ばれているマネージメント手法である、

デミングサイクルとはPDCAサイクルとも呼ばれ、計画(plan)、実行(do)、評価(check)、改善(act)のプロセスを順に行い、常に改善を行い次の計画に結びつけるのである。

このプロセスを繰り返すことにより、継続的な業務改善活動を推進するのがマネージメントである。
従ってマネージメント業務では常にクリエイティブでなければならないのである。

心地よいデザインのオフィス環境によってクリエイティブな意識を生み出そう、というのがコクヨの提案だ。

コクヨは新しいオフィス環境をヨコクした。
でも、肝心なのは環境よりも個人の意識改革でしょう、とワタクシは思う。

そして、個人的には展示してあった“PLA”なる素材に興味がある。
PLAとは、poly lactic acidの頭文字で、ポリ乳酸を表す。石油原料と異なり、トウモロコシなどを基本素材としている。で、このトウモロコシが成長時に吸収するCO2の量と、廃棄する際の燃焼するときに発生するCO2の量はほぼ同等という発想に基づいた素材。
つまり、環境に対してはプラスマイナス0である。
まぁ、これからはこうした素材をつかった製品が増えてくるでしょうね。

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2008年1月17日 (木)

黄色い目の魚

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黄色い目の魚
佐藤 多佳子 (著)

佐藤 多佳子とは、2007年本屋大賞受賞作、そして第28回吉川英治文学新人賞受賞作である「一瞬の風になれ」の著者でもある。
実はワタクシこの本はまだ読んでいない。

「黄色い目の魚」も鎌倉や葉山が舞台であるということで読み始めた次第。
で、読み始めた瞬間、オジサンが読んでもいいのだろうか?という疑問が湧いたが、読み始めたら最後までピュアな迫力に押され最後まで一気読み。

何と言うか多感な思春期のカンジョーが瑞々しい。
行間から彼らの熱い鼓動、吐息が耳元で感じられる。

大人になるということはこの瑞々しいカンジョーを捨てることなのか、と感じた今日この頃である。

ちなみに「夜のピクニック」もオススメである。

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2008年1月16日 (水)

長距離通勤者の孤独「三線軌道と古代ローマ帝国」

長距離通勤者は朝の混雑を嫌う。
で、比較的空いている新逗子始発の快速を金沢八景から乗ることが多い。
新逗子からの電車を上りホームで待っている時、ふと目を下にやると線路が3本あることに気付く。
実は京浜急行の神武寺と金沢八景の間には、金沢八景にある東急車両で製造された鉄道車両をJR横須賀線逗子駅に回送する為に、京浜急行の線路にJRの線路の幅に合わせたレールも敷かれているのである。
つまり線路が三本あるわけで、このネタはテッチャン(鉄道オタク)の間では有名である。

京浜急行の線路幅は標準軌と呼ばれる1435mmで、JR横須賀線の線路の幅は狭軌と呼ばれる1067mmなのである。
JRの線路幅は日本の山岳特有の地形を考慮して狭軌(1067mm)になった。

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これだけ線路の幅が違う。

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東急車両の工場から発車した車両は金沢八景の手前から上り線に入り神武寺へと下る。

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そして、神武寺の手前のポイントから分かれてJR横須賀線逗子駅に向かう。

ちなみに新幹線の線路幅も京浜急行と同じ標準軌の1435mmである。
だから愛しの京浜急行は飛ばします!時速120kmが標準走行である!
ウワサでは時速130kmに挑戦するという。真偽のほどは不明であるが・・・・

そして最近、何故標準軌が1435mmなのか?やっと分かった。
世界で一番普及しているのは標準軌1435㎜。これは1825年にイギリスで鉄道を敷設する際に、ジョージ・スティーブンソンが決めたと言われ、このゲージのルーツは帝国ローマにあったのである。

実は、帝国ローマ軍のチャリオットと呼ばれる2頭引き2輪戦車のゲージは4フィート8.5インチ(1435mm)だったのである。
で、この数値はチャリオットを引く戦闘馬2頭のお尻の幅なのである。
つまり、ヨーロッパ大陸に縦横に張り巡らされた「ローマの道」にできたこの轍(わだち)から外れないように配慮されて、これが基準となったのである。

アメリカやヨーロッパの鉄道のレールの幅が、そして、最新の鉄道技術を駆使して開発された新幹線までもが、古代ローマ帝国の2頭の戦闘馬のお尻の幅に決められた訳なのである。

古代ローマ帝国の呪縛ってスゴイ!と感じた今日この頃である。

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2008年1月15日 (火)

アース

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アース
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製作年度: 2007年

今、旬な映画である「アース」を観る。
以前、NHKで放映された「プラネット・アース」の映像とダブる。
何だか「ブルー・プラネット」における「ディープ・ブルー」の位置づけのような気がする。

主演は46億歳、地球である。

「ディープ・ブルー」のスタッフが再集結し、地球上の生命の神秘に迫るドキュメンタリー。
とはいえ映像もナレーションの説明もいまひとつである。

映像に対する説明は不十分で、肩透かしを食らったように好奇心を削がれ興味が薄れていく。
そして、地球温暖化に警鐘を鳴らすメッセージを多分に含んでいる。

それにしても地球の地軸が23.5度に傾いた奇跡と、その奇跡が作り出した試練と喜び。
その進化の過程がやはり面白い。

宇宙船、地球号の行く末は如何になるのか?
改めて気持ちを引き締めてくれる映画である。

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昨日の続き「鉄道から見た横須賀100年発展展」

ワタクシが小学生の頃、京浜急行の各駅停車の車両は木造車だった。
オイルステインのラッカーで仕上げた内装は木の温もりがあった。
そして、窓枠も木造だったような気がする。
この各駅停車で馬掘海岸まで海水浴に行った記憶が甦る。
馬掘海岸駅を降りると目の前には海が広がっていた。

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記憶ではこれが木造車のような気がする。

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2008年1月14日 (月)

鉄道から見た横須賀100年発展展

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ワタクシの父親が鉄道模型マニアだったので幼少のころから鉄道模型には慣れ親しんでおり、ごく普通に鉄道に興味がある。
そして、横須賀市制100周年記念ということで「鉄道から見た横須賀100年発展」展なるものを催しているという。
で、コレは見なければならないという使命感で急遽お出かけ。

このイベントですが、横須賀鉄道模型同好会が横須賀市制施行100周年に合わせて企画。会員約20人が1年半前から、この100年に市内を走った車両の模型を持ち寄って整備したり、模型のないものは(模型の八割)は、会員自らが紙やラッカー塗装を使って作成し、準備に一年半を要したという。模型のサイズは実物の80分の1。

懐かしの京急の車両模型が懐かしかったし、昔の写真パネルなどが興味深かった。

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これは大正10年の横須賀駅である。

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で、これが昭和32年の横須賀中央駅である。

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昭和15年当時の観光パンフ。
右上にある「護れ要塞、防げよスパイ」という文句が当時の世相を反映している。
当時は鎌倉から六浦を結んだラインから南では写真撮影は禁止であった。
これは以前、「20世紀前半の観光文化展」でも説明してあった。

それにしても、良く出来ている模型である。

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2008年1月13日 (日)

横須賀ハウジングセンター

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お仕事、及びプライベートの両方でうみかぜ公園の横にある「横須賀ハウジングセンター」を見学。
ここの中に入るのは初めてである。
仕事柄集合住宅のモデルルームやらショールームは度々訪れているが戸建住宅展示場はここが初めてなワケで、色々と勉強になった。
特に蓄熱レンガを使った暖房システム、太陽光発電、外断熱。戸建用免震構造などなどであり、特に太陽光発電は個人的に興味がある。
まぁ、イニシャルコストが約200万で、10年間のランニングコストでペイ出来るという。そして、光熱費ゼロというアピールは魅力的ではある。検討する価値はありそうだ。

それにしても各社の至りつくせりの豪華ケンランなそこまでやるか、というアピールは凄い。
展示場にあるような住宅は現実的には制約があり無理である、ということは職業上わかる。
そして、顧客をいかにとりこにするかというイメージ作りに徹している。
まぁ、ある意味では営業とはこうでなければいけない、と感じた今日この頃である。

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2008年1月12日 (土)

「にぎわい座 有名会」

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久しぶりに横浜は野毛にある「にぎわい座」に行く。
お目当てはトリを勤める三遊亭円丈である。
彼のシュールでナンセンス、そして独創的な新作に触れ、ファンになってしまって約2年。
「にぎわい座」に出演する時には出来るだけ聴きに行くようにしている。
で、本日の演目は「マタギの里」であるが、これが合唱サゲ付きなのである。
サゲとは落語用語で「オチ」のこと。
まぁ、合唱といってもネタ前にお客さんとリハをしてから本番サゲへなだれ込む、ワケわけなのだが取りあえず決まり?前列のオバサマ達には大ウケであった。

円丈師匠の前のニューマリオネット(伊原寛・千寿子)もこれぞ名人芸なるものを見せてくれた。
特に「獅子舞」は見事!あやつり人形という概念を超越した技にただただ驚嘆!
イア~、良いものを見せてもらいました。

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2008年1月11日 (金)

ラーメン食べ歩記

ワタクシはラーメンが大好きでよく食べる。
で、ここ最近(12月~)食べたラーメンは以下の8店である。

●鎌倉「ひら乃」

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 鎌倉は小町通りにある老舗のラーメン屋である。
 小町通りも世代交代なので古い店が潰れ新しい店が出てきている。
 その中でこの「ひら乃」は今でも頑張り、昔ながらの懐かしいラーメンを食べさせてくれる。
 そして座席は7席しかない。しかし、その狭さが良いアンバイに店の独特の雰囲気を醸し出している。
 基本は醤油と味噌である。

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 これが醤油ラーメンで

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 これが味噌ラーメンである。

●せたが屋
 本店はラーメン激戦地区、環七通り沿いにあり、ここは品川駅高架下の「品達」の「せたが屋」である。
 いつもは「なんつっ亭」で食べることが多いが、たまにはアッサリ系もよい。

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 せたが屋ラーメン
 魚介系メインのスープはコクがありウマい。

●うめや
 金沢文庫の赤坂バス亭前にある「うめや」である。
 最近はやりの豚骨魚介系のWスープでは個人的にここが一番ウマい。

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 特製うめやそば
 チャーシューは絶品である。

●こうじ
 ラーメン激戦区北久里浜に出来た讃岐風ラーメン屋「こうじ」である。

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 玉子ラーメン

●一風堂

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 横浜ポルタ店である。そして超行列店である。昼時は20人以上並んでいる。
 上品な豚骨ラーメンである。

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 赤丸新味
 赤丸新味は特製辛子みそと背脂が加わり、ワタクシ好みの濃厚かつ上品な味わいである。

●ちばき屋

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 横浜ポルタのげんこつ屋の後に12月5日にオープンしたばかりの店。
 東京は葛西に本店がある。

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 アッサリ系の中華そば

●和らく

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 毎度御馴染みの「和らく」のつけ麺「1.5玉 玉子付き」である。

●若松
 これも毎度御馴染みの「若松」である。

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 で、今日は魚介系スープの「弐」

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2008年1月10日 (木)

「パルナスサウンド文学館」「時をかける少女」

「時をかける少女」は、ワタクシが10代の頃からそして今までも共に歩んできた作品である。
時にはテレビで、時には映画で、そして時には音楽で、そしてまた小説でもワタクシにとっていつも忘れない思い出として記憶の片隅にある。

初めて「タイム・トラベラー」としてNHKのテレビで放映されたのが1972(昭和47年)で、ワタクシは中学校2年生(年がバレるぜ)の時で、主演の島田淳子(後の浅野真弓)に淡い恋心を抱いたのも懐かしい思い出である。

その後、『時をかける少女』(筒井康隆の同名原作)は、原田知世や内田有紀、南野陽子などアイドル主演で何度もテレビドラマ、映画化されている。
そして一昨年、「時をかける少女」は細田 守監督でアニメ化され、その年の映画賞のアニメ部門を総なめにした。

そんなビジュアルの狭間でワタクシの心に響くのはコレ!「パルナスサウンド文学館」の「時をかける少女」である。

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時折これを聴くとアノ懐かしのTVドラマの場面が走馬灯のように脳裏に甦るのである。
やはり、心の襞に刻み込まれた記憶はいつになっても色褪せないものなのだろう。
NHKドラマの浅野真弓と姿とこのサウンド文学館の岡坂あすかの声はいつまでもワタクシの心に残るのである。

「パルナスサウンド文学館」
[筒井康隆] サウンド文学館/時をかける少女(岡坂あすか) 

【収録内容】
序章、第1章「ラベンダーのかおり」
第2章「テレポーテーション」
第3章「タイム、リープ」
第4章「侵入者はだれか?」
第5章「意外な告白」

脚色:仙川 凡
音楽:菊地 忠
出演 :岡坂あすか
    松下一矢
    小川浩之
    大川陽子
    富川てつ夫

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2008年1月 9日 (水)

ご近所探索「どうみき坂 」

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上町や田戸台そして富士見町の住人なら御馴染みの「どうみき坂 」である。
富士見町と安浦を結ぶ坂で県立大学駅(旧安浦駅)のホームの下を通っている。

道目木(どうめき坂)とも言われ、昔は馬力や牛車が通る急坂だった。「どうめき」(道目木・泥目木)とは、川や滝の音にちなむ地名だという。「坂道風土記 三浦半島」より

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そして「どうみき坂 」の手前、田戸台と富士見町2丁目の間の旧道沿いにある三猿庚申塔・青面金剛塔などの石造物 左端の鼻の高い像は享保の年号がある。

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2008年1月 8日 (火)

存在の耐えられない軽さ

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1968年 プラハ動乱のころワシは13歳。
鮮明に当時のことは覚えています。

そんなプラハ動乱を挟んだ男女3人の三角関係を描いた映画。
1988年の公開当時、ワシのこの映画に対するイメージである。

だから劇場で観た時も、前日の激務のせいもあり、30分ぐらいで寝てしまった。
リベンジでDVDで観た。
この映画は観る客層の質、と年齢を問います。

主人公は一見、とても軽薄です。
でも、優秀な脳外科医、そしてハミングしながら手術をします。

当時この映画を絶賛していた友人は主人公(トマッシュ)と同じだった。
軽薄そうでいつも女性を口説いてた。

「人生は私にはとても重いのに、あなたにはごく軽いのね。私、その軽さに耐えられないの」

彼もまたチェコの動乱の中では軽い存在でしかなかったのか?

テリーザがカメラを持ち出して、この動乱を無心に撮りだしてから一気に引き込まれた。
軽薄な主人公が愛?幸せ?を求めて右往左往します。
ラストの彼らの幸せはとても重たかった。

吸いも甘いもほどよく経験した
大人の男女に見てもらいたいですね

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2008年1月 7日 (月)

シャドウ・ダイバー

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シャドウ・ダイバー 「深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち 」
2005
早川書房
ロバート・カーソン, 上野 元美

敬愛するクライブ・カッスラーが推薦していたので何気なく読んだ一冊。
オモロイです。
これノンフイクション!です。
そしては冒険物語でもあり、人情物語でもあり、歴史物語です。
ワタクシ、フロリダでダイビングのライセンス取りました。
海洋実習ではカリブ海沖合いの沈没船がポイントでした。(中には入りませんでしたが)
別名「男たちの大和」に対抗して「男たちのUボート」です。

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2008年1月 6日 (日)

平成20年横須賀市消防出初式

冬場は乾燥度が高く火災の発生率が多い。
我が町内会でも「火の用心」夜回り隊が毎夜巡回している。
風呂を浴びながらこの「火のよーじん カンカン」という拍子木の音を聞くのが冬ならではの風流を感じるのである。
しかし、現実はそー甘くはない!
平成19年度の横須賀市内の火災原因の第一位は放火だという!
(34件で2位のこんろ・タバコの18件を大きく引き離している)
これはチョット驚きだ。
で、そのような事実を今日行なわれた平成20年横須賀市消防出初式に参加して始めて知った。

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出初式は毎年正月恒例の行事として行なわれているのだが、今年は市制100周年自治体消防60周年記念ということで大々的に催されるということで見学に出かけた次第。実は出初式を見るのは初めてである。

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これが御馴染みの梯子乗りで、これが大技「一本背亀」である。

そして消防演技では災害時における救助・消火のシミュレーションが行なわれた。

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これは迫力があった。地震により土砂崩れで動けなくなった車から人を救助するのだが、大型のハサミ型カッターでクルマの屋根部分を切り裂き救助する。

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で、これがその屋根を切り裂かれたクルマである。

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また、昭和38年まで現役で活躍した腕用ポンプの放水披露もあった。

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時代を感じさせる腕用ポンプである。

そして、出初式の由来だが、1657年(明暦3)に発生した明暦の大火に始まる。この大火で江戸の殆んどを焼失してしまった町民は、絶望的な状態にあった。
そのような状況のもと、2年後の1659年(万治2)1月4日、時の老中稲葉伊予守正則が定火消総勢4隊を率いて、上野東照宮前で「出初」を行い気勢をあげたことが、江戸町民に大きな希望と信頼を与えた。で、これが契機となり、正月の恒例行事として現在まで受け継がれているワケである。

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2008年1月 5日 (土)

「ブルー・プラネット」

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年末年始のヒマな時間はひたすらこの「ブルー・プラネット」を観ていた。

今から3年前の公開された「ディープ・ブルー」の見たこともない驚異の映像に驚愕し、早速DVDを購入したのだが、実はこの「ディープ・ブルー」は壮大なプロジェクト「ブルー・プラネット」のほんの一部だったのである。

イギリスBBCが、撮影に4年半もの歳月を費やし、200ヶ所ものロケ地をめぐって撮り上げた合計7000時間に及ぶフィルムを基に各シリーズ別に50分もの8巻に編集したのがこの「ブルー・プラネット」で、「ディープ・ブルー」はこれらシリーズを91分に編集したものである。

「ディープ・ブルー」では説明不足だった事実もこれを観れば納得できる。つまり何故その時に、その場所でなければいけないのか?それは熾烈な生存競争に明け暮れる海の生き物たちの自然の摂理の結果なわけで、緻密に体内に記憶されたその必然性に生き物の進化の神秘を感じる。

ここにはいわゆる環境映像的な“癒し”はない。荒々しいまでの食うか食われるかという熾烈な生存のための争いを、粛々と描いており、これが自然から離れている我々に重く“生”と“死”を覚醒させる。

そして改めて「地球にとって海とは?」という問いかけをした時に、この約7時間の「海を巡る旅」が些細かもしれないがその答えを導き出してくれるバイブルのような存在であるのでは、と思うのである。

青き美しき惑星「地球」の神秘に触れることができる永久保存版の作品である。

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2008年1月 4日 (金)

プラハ国立美術館展

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プラハ国立美術館展
ルーベンスとブリューゲルの時代

横浜のそごう美術館で「プラハ国立美術館展」が開催されている。
17世紀フランドル派絵画がメインなので副題が「ルーベンスとブリューゲルの時代」である。見所はピーター・ブリューゲル(子)「東方三博士の礼拝」や、ペーテル・パウル・ルーベンスの「聖アウグスティヌス」などである。
「東方三博士の礼拝」はダ・ヴィンチ・コードで勉強済みで数々の巨匠たちが描いている作品。あの「ダ・ヴィンチ・コード」では隠蔽工作されたといわれ、塗り重なれたその下には邪悪が隠されているというレオナルド・ダ・ヴィンチの未完成「東方三博士の礼拝」が有名である。

そして、その時にチョット勉強したキリスト図象学もこれら絵画を読み解く為にそれなりに役立つ。
つまり、赤い薔薇は聖母の愛、そして殉教者たちが流した血、人類の罪を贖うために十字架に架けられたキリストの贖罪の血を表し、一方、白い薔薇は純潔の証で、聖母を象徴しており、そして葡萄がキリストの受難やキリストの血(ワイン)を象徴しているのである。(しかるべき解説文があり、改めて納得したのだが)また、「猫」は「女、悪魔、邪悪なもの」を表し、「柱、カーテン、子犬」は「婚姻」を表しているという、これは知らなかったが、まぁ、わかるような気がする・・・・

ルーベンスとブリューゲルだが作風は違う。ルーベンスはバロック芸術を代表する画家の一人で、躍動感溢れるダイナミックな宗教画が特徴的で、ブリューゲルの家系が描くのは田園の情景と共に、細密な描写による静物画の秀作を数多く描いている。

で、話はチョット変わりフランドルは英語名ではフランダースであり、そしてルーベンスとくれば思い出すのは「フランダースの犬」ではないだろうか、ワタクシはリアルタイムでは見てはいないが、そのあらすじは知っている。
画家を目指したネロ少年が憧れたのはルーベンスの『キリストの昇架』と『キリストの降架』で、アントワープ大聖堂のルーベンスのその絵の前でパトラッシュと息絶えるラストはあまりにも有名である。

今回は改めて絵画が持つメッセージを如何に読み解くか、謎解きを楽しんだ次第である。

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2008年1月 3日 (木)

新春の鎌倉

ワタクシ正月の鎌倉には来たことがない。
人混みと雑踏が嫌いだからである。

しかし、人気の少ない裏通りには古都ならではの正月の風情があるのでは?
ということで鎌倉に行く。

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寿福寺
参道の石畳は風情があって良い。
普段はこの総門から中門までの参道は公開されているが、中門から内側の境内は一般公開されていない。
しかし、正月など期間限定で境内が一般公開される。

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岩船地蔵堂
http://www.fsinet.or.jp/~kam_love/table/l_iwafune.htm

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亀ケ谷坂(かめがやつさか)
鎌倉の北に位置し山ノ内と扇ケ谷とを結ぶ切通で鎌倉七口のひとつ。

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長寿寺
鎌倉公方足利基氏が父尊氏の菩提を弔い建立したとされる。

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で、混雑している鶴岡八幡宮
凄い人出である。

やはりこの時期の鎌倉はどこに行っても混雑している。
時期を外して来るのが良いと改めて思った今日この頃である。

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2008年1月 2日 (水)

ビートでジャンプ!

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買い物がありダイエーショッパーズに行く。
新春イベントとしてエントランス前広場で和太鼓のパフォーマンスがあった。

これは千葉の印西にて結成された「総」という創作太鼓集団で横須賀では何回か演奏しているという。

それにしても和太鼓の圧倒的なビートのうねりが空腹の腹に響く。
新春の凛とした空気の中で疾走感ある和太鼓の演奏を聴いていたら、今年はこの疾走感あるビートにあやかり跳躍しそうな気がした今日この頃である。

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2008年1月 1日 (火)

賀正

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