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2007年11月12日 (月)

昨日の続き 戦艦「大和」特別展

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三笠公園にある記念艦「三笠」にて戦艦「大和」特別展が11月10日から開催されている。

そして11月11日(日)には呉市大和ミュージアムの館長 戸髙一成氏による「大和を想う」という特別講演会があった。

思えば「大和」が戦後改めて注目されたのは辺見じゅん著の「男たちの大和」が1984年に新田次郎文学賞を受賞してからではないだろうか。
そして、その翌年の1985年7月、「海の墓標委員会」の尽力により、東シナ海の水深350mの深海底に没した大和が発見され、初めて一部遺品などが引き揚げられた。

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この辺見じゅん著「男たちの大和」は、生存者と遺族への膨大な取材によって完成された戦後ノンフィクションの金字塔で、そのリアリティと、ディテールの奥深さ、また何よりも生と死という真実から平和の尊さを描いた傑作である。

そして2005年に大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)がオープンし年末に原作に忠実に製作された映画「男たちの大和」が東映系で全国劇場公開された。

これにより一気に「大和」ブームが到来し、大和ミュージアムの年間入場者数も100万人を大きく突破し国立科学博物館に匹敵する入場者数でこれは県や市の経営する博物館としては異例の活況を呈している。

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その大和ミュージアムの館長 戸髙一成氏であるが、大和に対する立場が違えど辺見じゅん氏と並んで多くの大和関係者と会われたお方である。従って、辺見じゅん氏とは違った視点から大和の真実を興味深く語っていた。その中でも呉海軍工廠造船部設計主任を務め、戦艦「大和」の建造に携わった「牧野茂」氏が「大和」の設計仕様仕様について戦後も時あるたびに悩んでいたという談話は興味深く面白かった。

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彼は「大和」の防御にこだわっていたという。特に船体の防御鋼板については当時の日本の生産技術の限界で悩んでいたらしい。船体の防御鋼板の厚さの410mmもあったが、問題はその繋ぎ目だったという。防御鋼板の真ん中に魚雷が当たっても問題はないが、繋ぎ目に当たるとどうなるかと聞くとムニャムニャと語尾を濁したらしい。当時の最先端技術を駆使したとあるが、実体は出来る限りのことはやったという感想であり、日本海軍技術者の苦悩が手に取るように分かるような気がする。

そして、今、日本人にとって「大和」の存在意義とは一体何だっただろうか?

「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目覚メルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイフコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダハツテ、本当ノ進歩ヲ忘レテヰタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ 今目覚メズシテイツ救ハレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ヂヤナイカ」

臼淵大尉が語ったこの言葉が嘘偽りのない「大和」の存在意義だと思いたい、そして戦没者に合掌

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