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2007年10月26日 (金)

綾戸智恵 私観

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ご存知難波のJAZZオバチャンのLIVEを収録したDVDである。

以前、ニューヨークのブルーノートという有名なライブハウスにおいて目の前で「サラ・ボーン」を聴いた時、体中に電撃が走り、訳も無く、そして取りとめも無く涙が出たことがある。余りにも衝撃的なJAZZとか音楽とかを超越した出会いである。サラ・ボーンの人格や人生そしてオーラがそのまま音楽に乗り移り、空間を支配してしまっていたような雰囲気があった。そしてこれ以降良くも悪くもこれがトラウマになってしまい、JAZZボーカルを敬遠するようになってしまった時期がある。

で、時は移り1998年に日本で綾戸智絵が衝撃的なデビューをした。そして各界の著名人の賛美が絶えることはなかった。村松友視や糸井重里、そして山下洋輔などなど、絶賛の嵐である。
ワタクシも村松友視のこれを聞かなきゃダメという評論の乗せられてCDを買った。そしてライブやコンサートにも行った。
http://www.ayado-club.com/kataru2.html

最初は、ホー、日本にもこんなソウルフルな歌い手が出たのね、ということで聴いていた時期はある。
しかし、ワタクシにはサラ・ボーンの呪縛があり、ライブやコンサートで聴いても綾戸智絵の音楽はあっさりと身体を通り抜けるのである。ぶつかり感動を与えることはなかった。

サラ・ボーンのオーラはブルーノートの空間を支配することが出来たのだろう、
しかし、綾戸智絵のオーラがライブやコンサートではこちらに届かないのである。
スケールの問題ではない何かがある。
個人的な意見で申し訳ないが、やはり日本人にはJAZZは無理なのかもしれない。
「お茶漬け」と「ステーキ」の差が音楽の以前としてあるようにしてならない。これは絵画の世界にも言える事で、ステーキを親子三代に渡って食べ続けないと油絵は描けないと言った洋画家もいた。

そして最近ではワタクシは認識を新たにした訳で、それは綾戸智絵はJAZZシンガーというよりは綾戸節で綾戸ワールドを歌うシンガーなんだということである。

そう思うとエンターティメントとしての綾戸節や綾戸ワールドも悪くはないと感じた今日この頃である。

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