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2007年10月22日 (月)

昨日の続き・・・「鎌倉人の地獄と極楽」

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昨日のハイキングの後、鎌倉国宝館で催されていた「鎌倉人の地獄と極楽」に行く。
中世の人々が死後の世界である地獄と極楽についてどのような価値観を持っていたか、非常に興味が湧きご見学。

鎌倉幕府といえば武士の社会である。武士とは人を殺してナンボの世界であり、仏教が広まるにつれてむやみな殺生に対する罪悪感があったのだろう。そして、この殺し殺されるという、常に死と直面しているため死後の世界観というものに非常に敏感だったのかもしれない。

だから、地獄へ落ちるのを防ぐため、また武士として立派に戦い死んで極楽に行くため、武士道とは、仏教の教えを形を変えて実践する修行のようなものような気がしてならない。平安時代は貴族社会でこの世を極楽と見なす仏教信仰が広まった。しかし、武士の社会では死後の世界の美意識を大事にした。そして、仏教を積極的に取り入れて独自の世界観である「武士道とは死ぬことと見つけたり」という定義が定着してしまったのかもしれない。

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死後、極楽行か地獄行かの判定会議のメンバーは10名で、十王といい、この十王に関する展示物が多かった。そして地獄での悲惨な場景が多く描写されていた。誰でも地獄には行きたくないし、阿弥陀如来に誘われて極楽浄土に行きたいと願う。

阿弥陀如来が描かれた小さな屏風があった。

そして、中央に描かれた阿弥陀如来の手からは糸が出ていた。
臨終間際の者の枕元にこの屏風を立てかけて、阿弥陀如来の手から伸びている糸を手に握らせ、繋がっている糸から極楽浄土への旅立ちを一心不乱で祈ったのだろう。
多くの仏像や掛け軸があったが、この小さな屏風が一番気になった展示物であった。

ちなみに鎌倉時代に仏教は下級武士や農民にまで浸透していくが、現世利益的な傾向を強めて土着化していく。で、現在でも御馴染みの家内安全・無病息災・商売繁盛・学業成就などの素朴な庶民願望を祈願するための拠り所となっていくのである。

今日の格言「極楽とは小さな一本の糸で繋がっている」

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