ご近所探索「坂本竜馬と横須賀」②
坂本竜馬は1867年(慶応三年)12月、京都の旅寓・近江屋(京都市中京区)で何者かに中岡慎太郎と共に暗殺された。
そして坂本竜馬の妻だったお竜(おりょう)は竜馬暗殺後、、流浪生活の末に横須賀まで流れて、呉服商人西村松兵衛と再婚し明治三十九年(1906)、66歳で横須賀の観念寺の裏長屋で終焉を迎えた。
終焉の地「おりょう会館」入口にある「おりょうの像」
長屋はこの路地の左側にあった。
観念寺とは現在の米が浜付近の古称らしい。
現在でもその名残が見られる。
例えば共済会病院から竜本寺に登る坂は裏坂または観念寺の坂といわれていた。
また、米が浜通りの一本入った裏通りの街灯に観念寺支と書き込まれたプレートがあった。
お竜の墓は横須賀の大津信楽寺にある。
この墓の建立者はお竜の実妹中沢光枝さんと記されているが実は坂本竜馬を先覚者として慕った海軍軍人たちの力によってできたらしく、墓石も浦賀ドック建設のときの余り石が便われている。
そして、海援隊隊士だった安岡金馬は、藩を脱出する以前からの親友であった中岡慎太郎を通じて、坂本とも知り合い、同時に勝海舟(勝安房)の門に入っている。その後、横須賀の海軍機関学校に移り教鞭を執り、明治初期の海軍創設に尽力した。(芥川龍之介も海軍機関学校で教鞭を執っていた)
安岡金馬はお竜とも親戚関係でもあり、お竜が横須賀で再婚した時、金馬が媒酌の労を取った。しかし、実際は安岡金馬はお竜さんを嫌っていたと言われている。また海援隊士もお竜さんの面倒を見なかったらしいが理由は分からない。
そして、いくつかの文献によると安岡金馬の墓は聖徳寺にあるという。
で、先日聖徳寺を訪れて寺の関係者に聞いたところ、そのような問い合わせはあるがこの寺には安岡金馬の墓はない、ということであった。
富士見町にあるらしいのだが場所は不明。
PS:9月18日の日本テレビで「本当にあった!日本史サスペンス劇場」の中で、坂本竜馬暗殺の真実という特集があった。
①新選組犯行説
②見廻組実行説
③薩摩藩陰謀説(西郷隆盛陰謀説)
という各諸説あるが、今のところは②見廻組実行説が有力らしい。
| 固定リンク
「歴史・考古学」カテゴリの記事
- 赤坂探索「清水谷公園と大久保利通公哀悼碑」(2009.07.07)
- 本覚寺 (鎌倉市)(2009.07.05)
- 向井将監正方夫妻の墓(2009.04.22)
- 手斧始式(2009.01.04)
- 酉の市-妙見大菩薩と熊手を想う(2008.11.30)
「逍遥雑記」カテゴリの記事
- 赤坂探索「清水谷公園と大久保利通公哀悼碑」(2009.07.07)
- 本覚寺 (鎌倉市)(2009.07.05)
- ドブ板点景(2009.06.18)
- 映画「歩いても 歩いても」のロケ地巡り(2009.06.27)
- 葉山の階段・・・そして風景(2009.05.09)













コメント
はじめまして、ちーず。といいます。
そういえば、米が浜におりょう会館ってありますねー。
そこにお龍さんの胸像なんてあったんですね、知らなかったぁ~。
今度行ってみます(^^)
僕個人の想像では、龍馬暗殺は③かな~なんて思ってたりします(^^ゞ
投稿: ちーず。 | 2007年10月 9日 (火) 16時40分
ようこそ、ちーず様。
お龍さんの胸像は柱の後ろなので分かりにくいです。
行けばすぐ分かります。
実はワタクシも龍馬暗殺は③だと思ってます。
この裏にはいろいろな陰謀があるみたい。
近々に面白いネタを紹介します。
乞うご期待!
投稿: take4 | 2007年10月 9日 (火) 22時53分