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2007年10月20日 (土)

歴史街道&アースダイバー的ご近所探索「浦賀-大津編」①

昨夜の雨がすっかり上がり、朝からよい天気。
予てから歩いてみたいと思っていた「御林」を巡り、浦賀から大津までの歴史を感じるアースダイバー的ご近所探索「浦賀-大津編」である。

アースダイバーとは?
「アースダイバー」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_fb69.html
アースダイバー的ご近所探索 Part1
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/part1_f525.html
アースダイバー的ご近所探索「久里浜編」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_e52e.html

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これは見事な出桁建築の酒屋である。

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これは高坂小学校の敷地斜面にある高坂貝塚である。
ここは縄文早期から後期にかけての土器、石器、貝で作ったナイフや虎の角で作った道具も発見されている。

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で、高坂貝塚の入口にはやはり東福寺がある。

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「御林」
市内で最もうらが道の面影を残す古道である。
御林は浦賀奉行所が管理した幕府直轄林で、用材として伐採することは認められず、立入禁止とされていた。
江戸城が火災で焼失した際はこの御林から大木が切り出されたとされている。

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御林のはずれにある「真福寺」
創建は享禄元年(1528年)で、釘などの金物を一切使わずに建てた本堂である。
観音堂には聖母マリア像を祀っている。これは浦賀の廻船問屋三次家が隠れキリシタンとして密かに持っていた像だという。

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そして近くにあるのは「吉井貝塚」である。
ここも縄文早期から弥生時代にかけての土器や道具が発掘されている。また縄文前期の竪穴住居跡が発見されている。縄文期は内湾を囲むように岬になっていた。

そして対岸には、アースダイバー的ご近所探索「久里浜編」で紹介した芽山貝塚がある。
三浦半島は 長い歴史の中で海面が上下しており、最大期には現在の衣笠十字路まで進入していた。
また、この丘は「怒田城址」でもあり、平安末期、三浦大介義明が衣笠城を築き、長男杉本太郎義宗に居城させたと言われている。2千坪以上あった敷地だが、昭和17年京急線敷設のため崩され、本城跡は京急変電所設置のため半分以上崩された。

また、怒田城の東谷戸を船倉と呼ぶのは三浦一族の水軍の船の置き場であったからであるが、佐原まで入り込んだ入り江も戦国時代には次第に干潟へと変わっていったようである。
衣笠城を脱出した義澄らはここから安房(千葉)へ向かい、真鶴から脱出した頼朝と再会して再起を誓うのである。

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大塚台小学校に隣接した大塚台古墳公園に6~7世紀に築上された古墳が縮小された形で復元されている。まぁ、縮小レピリカであまり有難味はない。もとは北東80mにあったが、湘南山手住宅の建設で全て壊れた。
埋葬者は集落最大の統率者であると推測され、
この近辺も当時は入り江で横穴郡が存在してるため大集落があったと思われる。

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そしてここから大津に寄りに安房口神社がある。
ここは古代の聖域を感じさせる三浦半島最古の神社で、社殿を建てず御霊石を霊代とする自然崇拝の神社でもある。
霊石は安房州大明神から飛んできたという伝説を持ち、安産の神ともされ北条政子が懐妊の時に使者が参拝した記録が残っている。

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