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2007年10月

2007年10月31日 (水)

シンガポールの味

もう18年前になるのだが、シンガポールに約3年ほど居住していた時期がある。
場所はオーチャード通りの裏で今のニーアン・シティ(高島屋が入っているビル)の裏手にあたるグレンジ・ロードである。

で、当時のランチは会社があったタンジョン・パガー周辺のホッカーセンターでローカルの社員達とのんびり、まったりと食べたものである。

そして年に数回モーレツに当時のシンガポールの味が恋しくなることがあり、その代表が、ラクサであり、福建麺であり、バクテーであり、チキンライスなのである。

しかし、帰国当時の日本にはこの本場の味を体験させてくれる店が無かったのであるが、2年前に恵比寿にシンガポール料理専門店である「新東記」がオープンした。この店のウワサは聞いていたが今まで訪れる機会がなかなかなかったのだが、最近(2007年7月26日)この店(新東記)がシンガポール政府観光局により、日本国内における「シンガポール美食発見(シンガポール料理レストラン認定制度)」の第1号認定レストランとして選ばれた、という記事を目にした。
コリャ~行けねばならぬ、と活きこんでいたが、今日やっとその機会が訪れた。

同伴者は元同僚で、元シンガポール居住経験者であるA氏である。

で、早速オーダーしたのが、ラクサ、福建麺、バクテーである。

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これが「ラクサ」で

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バクテー

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そしてこれが福建麺である。    
これらはまさしくシンガポールの味である。大変ウマイ!

店のスタッフとシンガポール四方山話で大いに盛り上がってしまった。
また、このスタッフがプロディースした「ラクサ」が近々日清からカップヌードルとして発売されるという。でも麺がビーフンでなく春雨が気に入らないとご立腹、ワタクシも同感である。
そして、これも近々NHKの夜の番組でシンガポール料理を教え紹介するという。
何だかシンガポールの庶民の味であるホッカーセンターの料理がマイブームになりそうな今日この頃である。

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2007年10月30日 (火)

ご近所探索「海軍機関学校跡」

三笠公園に通じる道沿いの神奈川歯科大学から横須賀学院にかけては、もと海軍機関学校が置かれていたところである。

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海軍機関学校は明治7年(1874)に横須賀の汐留に兵学寮の機関科生徒を教育する為にその分校を置いたことに始まる。その後、海軍兵学校付属機関学校となり、明治14年に海軍機関学校として分離独立した。
そして、明治34年にこの地である白浜に校舎を完成させ移転した。しかし、大正12年、関東大震災により校舎は焼失し、広島県江田島に移転した。

江田島に移るまでは日本海軍の機関運転技術教育の中心と多くの優秀な技術者を輩出した。また横須賀ゆかりの人物としては浦賀奉行所役人の子で中島与曾八、山本安二郎が同校校長として、市内ビワ山の開拓者佐久間国安は同校教頭として、また、大正時代には作家の内田百閒、芥川龍之介などが教鞭をとっていた。

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2007年10月29日 (月)

フリーメーソンあれこれ

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最近、坂本龍馬絡みのフリーメーソンのネタで本などを読み漁ってきていたが、世間は世間でまたフリーメーソンに興味があるらしい。

先週の土曜日、10/20(土)の世界・ふしぎ発見!では「知られざるパリ・エジプト化計画の謎」という特集があり、これはソロモン神殿建設から歴史が始まると言われているフリーメーソンがエジプトのピラミッドや神殿を建設し、そしてこのエジプトでの都市計画をそのままパリに適用したというのだ。つまり早い話がパリはエジプトのルクソールをそのまま真似て建設されたということである。

エジプトのルクソールにある、ルクソール神殿からカルナック神殿の中心を結ぶと、6度のずれが生じており、またパリも凱旋門からオベリスクがそびえるコンコルド広場を経てルーブル美術館までを結びガラスのピラミッドの位置を測定すると同じく6度傾いている。これがパリの歴史軸である。

また、ルクソールには、ナイル川が、パリには、セーヌ川が流れていて、それらを重ね合わせると完全に一致するという。

エジプトとパリを結ぶキーパーソンはナポレオンである。そしてナポレオンはフリーメーソンでもあったらしい。これには彼の妻となるジョセフィーヌの影響が強いらしいが・・・・

コンコルド広場にあるオベリスクは、ルクソール神殿にあった2本のオベリスクの1本というも意味深であり、ナポレオンはパリをエジプト化しようという壮大な計画を持っていたと思われる。

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そして学研で出版している「ムー」の最新号11月号でも“元グランドマスターが語る秘密結社の真実!!”日本フリーメーソンの全貌という特集があった。

まぁ、おどろおどろしたタイトルだが読んでみるとたいしたことはない。「東スポ」のタイトルみたいなもんであり、内容自体は今まで本や雑誌で書かれたものと大差はなく新味がないものである。

何と言うかここ数週間で個人的にフリーメーソンに関して集中的に読んだり観たりしたが、改めて世界の歴史はオモロイと感じた今日この頃である。

フリーメーソン関係記事
石の扉
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_f73b.html
あやつられた龍馬
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_4239.html

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2007年10月28日 (日)

立石

昨夜の台風がウソのような台風一過でスッキリ、クッキリの秋晴れである。
コリャ~富士山がよく見えるだろう、ということで富士を見に相模湾側に行く。
気持ちのよいウォーキング日和だが、チョット歩くと汗が滲み出る。

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毎度御馴染みの構図だが立石から富士山を臨む。

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よこすか海洋シンポジウム2007

午後からは「よこすか海洋シンポジウム2007」に参加する。
横須賀は三方を海に囲まれており、昔から海と関わりある歴史と文化があり、「海洋を軸とした夢と広がりがある街づくり」を提唱しており、この催しもその一環である。

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よこすか海洋シンポジウム2007
テーマ「海洋・地球・宇宙、そして私たちの暮らし」

海洋は、地球そして宇宙の創生にかかわります。木星の衛星に水が存在する?
火星に水や微生物が存在する可能性がある?
さらに、太陽系外惑星が次々と発見され、地球型惑星の発見も近いか?

地球の深部マントルから地球型惑星まで、壮大な世界が私たちの暮らしとどう結びついているかについて、第一級のインテリジェンスを持つ講師陣を招いて考察するいわゆる講演+パネルディスカッションである。

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見えるモノと見えないモノ、触れるモノと触れないモノ、時間と空間、自然科学と文化や歴史、森と海などある意味で対比しているものが、我々の暮らしの中で実は密接に係わり合っているのかもしれない。例えばハワイのマウナケア山頂のある「すばる」望遠鏡は130億光年先の星を見るとことが出来る。しかしこれは130億年前の映像である。そして地球の深度数千メートルの内部を我々は見ることは出来ないし、どうなっているのかも正確にはわからない。

130億光年前の星の姿や数千メートルの深さにある生きた“マントル”を採取することがどう私たちの暮らしと係わり合っているのか?宇宙を知るということは地球を知ることであり、海洋を知るということでもある。また生きた“マントル”は地震予知の手段に繋がるかもしれない。
視野とアンテナを少し広げれ関連性は見えてくるだろう。

最近では地球温暖化など自然環境のバランスが崩れ、農業などに深刻な影響が出ている。
古来から自然とは協調性を持って付き合ってきた我々日本民族が世界に対して良いお手本が見せれば良いのだが、現実にはまことにお粗末な状態である。
まずは個人個人で出来ることからコツコツとやりませう。

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2007年10月27日 (土)

あやつられた龍馬

イヤイヤ、昨夜は行きつけの焼き鳥屋で隣のお客と「坂本龍馬」論でおおいに盛り上がり今日はいささか二日酔いでヘロヘロ状態である。

で、昨夜の「坂本龍馬」論のネタとなったのが下記の本である。

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あやつられた龍馬―明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン
加治 将一 (著)

先日紹介した「石の扉」の続編である。
「あやつられた龍馬」というタイトルであるが、坂本龍馬に関しての記述はさほど多くはない。
龍馬の後見人?であるトーマス・グラバーを通してフリーメーソンが幕末にどのように裏で活動してきたかを解説している。これが面白い。

薩長同盟にしてもグラバーの下準備が万全で長州・薩摩藩士を英国に留学させたりして協力関係にあり、また、大政奉還も日本人で最初のフリーメーソンと言われる幕臣の西周、津田真道が薩摩藩士の五代友厚とパリで密会し協力したと思われる。

グラバーは商社ジャーディン・マセソン商会の長崎代理人であり、武器販売のため龍馬に「亀山社中」という商社を作らせた。

そして坂本龍馬は土佐藩のエージェントであり、英国外交官のパークスのエージェントでもあったらしい。要はダブル・エージェント(二重スパイ)という役割を演じていた。というよりはタイトル通りあやつられていた訳で、英国の二枚舌外交?に翻弄されつつも最後まで日本という国を憂い無血政権移譲にこだわった。これが武力政権移譲派の怒りを招くことになり最後には暗殺されてしまう。あやつられているうちに日本人としての自我に目覚めてしまい独自に時代を切り開こうとするが後ろ盾がいない。そして最後は孤立無援状態であったという。大人しくあらつられていたら明治政府の要職に納まり、今ごろ一万円札の肖像になっていたかもしれない。

さて暗殺を指示した武力政権移譲派の頭目とは一体誰か?
意外な人物でビックリしたが、真実は隠されたままなので分からない。
この神秘性が坂本龍馬の魅力を色褪せさせない大きな要因なのだろう。

横須賀と坂本竜馬
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_fa1e.html
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_40fb.html
竜馬がゆく
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c5d9.html
石の扉
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_f73b.html

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2007年10月26日 (金)

綾戸智恵 私観

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ご存知難波のJAZZオバチャンのLIVEを収録したDVDである。

以前、ニューヨークのブルーノートという有名なライブハウスにおいて目の前で「サラ・ボーン」を聴いた時、体中に電撃が走り、訳も無く、そして取りとめも無く涙が出たことがある。余りにも衝撃的なJAZZとか音楽とかを超越した出会いである。サラ・ボーンの人格や人生そしてオーラがそのまま音楽に乗り移り、空間を支配してしまっていたような雰囲気があった。そしてこれ以降良くも悪くもこれがトラウマになってしまい、JAZZボーカルを敬遠するようになってしまった時期がある。

で、時は移り1998年に日本で綾戸智絵が衝撃的なデビューをした。そして各界の著名人の賛美が絶えることはなかった。村松友視や糸井重里、そして山下洋輔などなど、絶賛の嵐である。
ワタクシも村松友視のこれを聞かなきゃダメという評論の乗せられてCDを買った。そしてライブやコンサートにも行った。
http://www.ayado-club.com/kataru2.html

最初は、ホー、日本にもこんなソウルフルな歌い手が出たのね、ということで聴いていた時期はある。
しかし、ワタクシにはサラ・ボーンの呪縛があり、ライブやコンサートで聴いても綾戸智絵の音楽はあっさりと身体を通り抜けるのである。ぶつかり感動を与えることはなかった。

サラ・ボーンのオーラはブルーノートの空間を支配することが出来たのだろう、
しかし、綾戸智絵のオーラがライブやコンサートではこちらに届かないのである。
スケールの問題ではない何かがある。
個人的な意見で申し訳ないが、やはり日本人にはJAZZは無理なのかもしれない。
「お茶漬け」と「ステーキ」の差が音楽の以前としてあるようにしてならない。これは絵画の世界にも言える事で、ステーキを親子三代に渡って食べ続けないと油絵は描けないと言った洋画家もいた。

そして最近ではワタクシは認識を新たにした訳で、それは綾戸智絵はJAZZシンガーというよりは綾戸節で綾戸ワールドを歌うシンガーなんだということである。

そう思うとエンターティメントとしての綾戸節や綾戸ワールドも悪くはないと感じた今日この頃である。

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2007年10月25日 (木)

プリズン・ブレイク

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「24」に始まり、そしてハマってしまった海外連ドラ物。最近では「LOST」にどっぷりと浸かったのも束の間で今度は「プリズン・ブレイク」だ。オーイ、どうにかしてくれと己の意思の軽薄さに嘆きつつも、止められない止まらないカッパえびせん状態は今も恕等のように続いている。

そして先日やっと「プリズン・ブレイク」のシーズン1がめでたく終了。まぁ、アノ手コノ手でここまでよく引っ張っるもんだ。何もそこまでして引っ張るか!と思わず叫びたくなるようなゴーインな展開もあり、途中はチョット間延びした感もあった。

が、しかし、結局はヒタヒタと押し寄せる禁断症状に打ち勝つことは出来ず次回作を喘ぐように求めてしまう。ドツボにハマった中毒患者の悲しき性(さが)である。傍から見ると米国のコマーシャルリズムに染まってしまった哀れな日本の小市民に見えることだろう。

でも、この程度の中毒症状ならまだカワイイもんであるなぁ、と軽く自分を弁護してまだまだ続くぞ!お次は「プリズン・ブレイク」のシーズン2だ!

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2007年10月24日 (水)

石の扉

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石の扉―フリーメーソンで読み解く世界―
加治 将一 (著)

石の扉とは石を象徴する、あるいは連想させるある秘密結社への入口なのである。
ある秘密結社とは「フリーメーソン」(Freemason)のことである。

ワタクシ、かなり以前からこの「フリーメーソン」に並々ならぬ興味を持っており、機会があれば関係する本を読んできた。

興味深いのは「フリーメーソン」の儀式である。‘mason’の意味は「石工」である。そしてこの儀式とはこの「石工」の歴史と関係がある。古来「石工」は万能の技術を持った職業集団であった。その起源はあのソロモン神殿まで遡るという。

ソロモン神殿とはソロモン王が紀元前10世紀に建設した神殿と関係する神殿を指す。現在「嘆きの壁」と呼ばれる部分は、この外壁の西側の一部である。
そして、儀式はこのソロモン神殿の再生を祈り行なわれているという。

従って「フリーメーソン」はユダヤとの関わり合いや、またテンプル騎士団との関係も示唆されている。
テンプル騎士団といえば最近ではあの「ダヴィンチ・コード」で有名になった。

この「石の扉」はフリーメーソンが如何に世界の歴史、特に革命に関わってきたか書かれている。
フランス革命、アメリカの独立戦争、などなど・・・
そして日本の明治維新までフリーメーソンの筋書きで行なわれたというではないか!
上海のジャーデン・マセソン商会、長崎のグラバー、そして坂本竜馬の亀山社中とは?

イヤ~、歴史では習わない歴史というのが本当に面白い。

歴史は陰謀によって作られたといっても過言ではない。そして当たり前だが陰謀は常に隠蔽されている。
だから、証拠がなく記録されていない。そして当たり障りのない内容で記録されている訳で、現在定義されている歴史はこうした当たり障りのない記録の集約であり、余り面白みを感じないのは当然である、とフト感じた今日この頃である。

石の扉―フリーメーソンで読み解く世界―
http://www.shinchosha.co.jp/book/126641/
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/360.html

フリーメーソンの起源
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/freekigenhtm.htm

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2007年10月23日 (火)

昨日の続き、の続き・・・・旧華頂宮邸

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報国寺の脇の道をしばらく歩くと左側に古風な洋館が現れる。
これが旧華頂宮邸である。
そしてこの旧華頂宮邸の内部は1年で春と秋の2回しか一般公開しない。
先日の日曜日はこの一般公開日であった。

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旧華頂宮邸
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/keikan/k-index1.html1

建物は、西洋住宅に多く見られるハーフティンバースタイル(木骨様式)で、幾何学的なフランス式庭園とテラスが特徴的。 

この邸宅の中に入るのは2度目だが、各部屋の意匠に合わせた照明器具のデザインは見ていて面白い。

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1階はどの部屋にもマントルピースが置かれている。

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そして、季節の移ろいの中で表情を変えるこの邸宅を時折訪れるのも趣きがあっていいなぁ、と感じた一昨日のこの頃?である。(意味不明・・・・)

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2007年10月22日 (月)

昨日の続き・・・「鎌倉人の地獄と極楽」

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昨日のハイキングの後、鎌倉国宝館で催されていた「鎌倉人の地獄と極楽」に行く。
中世の人々が死後の世界である地獄と極楽についてどのような価値観を持っていたか、非常に興味が湧きご見学。

鎌倉幕府といえば武士の社会である。武士とは人を殺してナンボの世界であり、仏教が広まるにつれてむやみな殺生に対する罪悪感があったのだろう。そして、この殺し殺されるという、常に死と直面しているため死後の世界観というものに非常に敏感だったのかもしれない。

だから、地獄へ落ちるのを防ぐため、また武士として立派に戦い死んで極楽に行くため、武士道とは、仏教の教えを形を変えて実践する修行のようなものような気がしてならない。平安時代は貴族社会でこの世を極楽と見なす仏教信仰が広まった。しかし、武士の社会では死後の世界の美意識を大事にした。そして、仏教を積極的に取り入れて独自の世界観である「武士道とは死ぬことと見つけたり」という定義が定着してしまったのかもしれない。

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死後、極楽行か地獄行かの判定会議のメンバーは10名で、十王といい、この十王に関する展示物が多かった。そして地獄での悲惨な場景が多く描写されていた。誰でも地獄には行きたくないし、阿弥陀如来に誘われて極楽浄土に行きたいと願う。

阿弥陀如来が描かれた小さな屏風があった。

そして、中央に描かれた阿弥陀如来の手からは糸が出ていた。
臨終間際の者の枕元にこの屏風を立てかけて、阿弥陀如来の手から伸びている糸を手に握らせ、繋がっている糸から極楽浄土への旅立ちを一心不乱で祈ったのだろう。
多くの仏像や掛け軸があったが、この小さな屏風が一番気になった展示物であった。

ちなみに鎌倉時代に仏教は下級武士や農民にまで浸透していくが、現世利益的な傾向を強めて土着化していく。で、現在でも御馴染みの家内安全・無病息災・商売繁盛・学業成就などの素朴な庶民願望を祈願するための拠り所となっていくのである。

今日の格言「極楽とは小さな一本の糸で繋がっている」

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2007年10月21日 (日)

鎌倉の古道 名越切通し~衣張山

今日、横須賀は秋の恒例神輿パレードで混むのだろうな。
祭りも悪くはないが、今日は見事な秋晴れではないか!

久々に鎌倉の山を歩きたくなり神輿に決別?して鎌倉を目指す。
そして、今日は旧華頂宮邸などが一般公開される日でもある。
という訳で鎌倉の巡礼古道である名越切通から衣張山を登り、旧華頂宮邸を巡るルートにする。

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横須賀線の名越踏切そばにある日蓮乞水
日蓮が名越坂を越えて鎌倉に入ったとき水を求めて掘ったという伝説がある古井戸であるが今は涸れている。

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線路際のかつての古道は今はご覧の通りの道になっている。

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途中にある石仏

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名越切通しへの登り。

衣張山への分岐点である置石を通り越してまんだら堂跡まで行く。
やはり調査のため閉鎖されたままである。

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名越切通し

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分岐点である置石まで戻り右の衣張山へのルートを登る。

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すぐに広場があり、無縁諸霊之脾が建っている。

古い洋館脇で道が分岐している。右側へ下り法性寺裏手の墓地に出る。

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お猿畑の大切岸
北条氏が三浦氏に備えた防御施設だと考えられていたが、最近の調査で板状の建築材を切り出した痕跡であることが確認されている。

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再び大切岸へ登ると石廊がある。

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尾根道
ここまで出合った人はゼロである。

しばらく歩き右手のパノラマ台へ登る。

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パノラマ台から由比ガ浜を望む。
残念ながら富士は霞んで見えなかった。

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巡礼道脇にある小さな狛犬

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逗子ハイランド住宅地の「ふれあい広場」の秋桜(コスモス)

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衣張山山頂
衣張山には多くのハイカーが来ていた。
手頃なアクセスで眺望が良いのが人気なのかな?

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衣張山山頂から由比ガ浜を望む。

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衣張山山頂にある五重塔と地蔵
衣張山を下り、旧華頂宮邸へ向かう。

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旧華頂宮邸

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そして鎌倉最古の杉本寺

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荏柄天神社

秋のハイキング日和でほどよい疲労感が心地良い。
そして、鶴岡八幡宮の境内でビールを飲みつつ遅めのランチを頂く。
まだ紅葉には程遠いが、秋の風情が漂う鎌倉には多くの方々が訪れていた。
秋の優しい光と風の中で、皆さんとても幸せそう。
これから本格的なハイキングシーズンに突入するわけでワタクシもいとうれしや、と思った今日この頃である。

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2007年10月20日 (土)

歴史街道&アースダイバー的ご近所探索「浦賀-大津編」①

昨夜の雨がすっかり上がり、朝からよい天気。
予てから歩いてみたいと思っていた「御林」を巡り、浦賀から大津までの歴史を感じるアースダイバー的ご近所探索「浦賀-大津編」である。

アースダイバーとは?
「アースダイバー」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_fb69.html
アースダイバー的ご近所探索 Part1
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/part1_f525.html
アースダイバー的ご近所探索「久里浜編」
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_e52e.html

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これは見事な出桁建築の酒屋である。

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これは高坂小学校の敷地斜面にある高坂貝塚である。
ここは縄文早期から後期にかけての土器、石器、貝で作ったナイフや虎の角で作った道具も発見されている。

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で、高坂貝塚の入口にはやはり東福寺がある。

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「御林」
市内で最もうらが道の面影を残す古道である。
御林は浦賀奉行所が管理した幕府直轄林で、用材として伐採することは認められず、立入禁止とされていた。
江戸城が火災で焼失した際はこの御林から大木が切り出されたとされている。

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御林のはずれにある「真福寺」
創建は享禄元年(1528年)で、釘などの金物を一切使わずに建てた本堂である。
観音堂には聖母マリア像を祀っている。これは浦賀の廻船問屋三次家が隠れキリシタンとして密かに持っていた像だという。

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そして近くにあるのは「吉井貝塚」である。
ここも縄文早期から弥生時代にかけての土器や道具が発掘されている。また縄文前期の竪穴住居跡が発見されている。縄文期は内湾を囲むように岬になっていた。

そして対岸には、アースダイバー的ご近所探索「久里浜編」で紹介した芽山貝塚がある。
三浦半島は 長い歴史の中で海面が上下しており、最大期には現在の衣笠十字路まで進入していた。
また、この丘は「怒田城址」でもあり、平安末期、三浦大介義明が衣笠城を築き、長男杉本太郎義宗に居城させたと言われている。2千坪以上あった敷地だが、昭和17年京急線敷設のため崩され、本城跡は京急変電所設置のため半分以上崩された。

また、怒田城の東谷戸を船倉と呼ぶのは三浦一族の水軍の船の置き場であったからであるが、佐原まで入り込んだ入り江も戦国時代には次第に干潟へと変わっていったようである。
衣笠城を脱出した義澄らはここから安房(千葉)へ向かい、真鶴から脱出した頼朝と再会して再起を誓うのである。

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大塚台小学校に隣接した大塚台古墳公園に6~7世紀に築上された古墳が縮小された形で復元されている。まぁ、縮小レピリカであまり有難味はない。もとは北東80mにあったが、湘南山手住宅の建設で全て壊れた。
埋葬者は集落最大の統率者であると推測され、
この近辺も当時は入り江で横穴郡が存在してるため大集落があったと思われる。

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そしてここから大津に寄りに安房口神社がある。
ここは古代の聖域を感じさせる三浦半島最古の神社で、社殿を建てず御霊石を霊代とする自然崇拝の神社でもある。
霊石は安房州大明神から飛んできたという伝説を持ち、安産の神ともされ北条政子が懐妊の時に使者が参拝した記録が残っている。

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歴史街道&アースダイバー的ご近所探索「浦賀-大津編」②

そして本日のメインイベント「大津古墳群の一般公開」があった。
正式には大津古墳群第2次調査現地説明会という横須賀市史編纂事業の一環の催し。

この丘の周囲には信楽寺や信誠寺、そして諏訪神社があり、絶対に古墳があると推測していたが、やはりあった訳でここでもアースダイバー的解釈が証明された次第.

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                     信楽寺

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                    信誠寺

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                     諏訪神社
これら寺、神社の背後の丘に古墳群がある、

ここには前方後円墳1基と円墳2基が確認されており、今回の現地説明では前方後円墳の埋葬施設や墳形・規模などの説明があった。

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年代的には6世紀なので前記の大塚台古墳と時期的には同じで、横穴式石室。
出土した土器や埴輪などの説明を聞いたが埴輪は埼玉の産らしく、しかも運搬を考慮して小型化されたという。そして、発掘した地盤面から50cmほど下に石棺があるという説明である。

そして、古墳考古学の真髄を思い知らされた。
この先発掘作業は行なわないという。つまり、発掘という行為は破壊であり、三浦半島に完全な古墳はないのでこのまま発掘せずに保存するという。

発掘=破壊であり現在の技術では空気に触れた段階で酸化してしまうので後世に残しておきたい。いずれ技術的に改善できれば密閉してフッ素を充満して宇宙服のような完全防備の服を着て発掘する時がくるだろうと語っていた。

何よりも自分達より後の世代にこの古墳の解明を残してあげたいとも語っていた。
まぁ、一番の問題は発掘資金だと思うだが、何だか後世に託すという言葉にロマンを感じた今日この頃である。

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2007年10月19日 (金)

キングダム / 見えざる敵

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イヤイヤ、久々に肩に力が入る映画である。

まぁ、細かいツッコミどころはあるが、ハンディカメラを主体とした描写はドキュメンタリータッチでグイグイと画面に引き込まれる。

石油を産出する国とそれを消費する国、富む者と富まざる者、キリスト教とイスラム教、古代の昔より価値観の違いにより、反目しあい戦いあう。中東には我々日本人では絶対に理解できない価値観が存在する。以前、何人かの中東の国の人と知り合う機会があったが、ワタクシが肌身で感じたのは、絶対に彼らとは分かり合えない何かがあるということである。

我々日本人は「和をもって貴しとなす」という聖徳太子様のお言葉が遺伝子として体の奥深くにある。しかし、彼らにはこの「お言葉」は絶対に理解出来ないでしょうね。彼らの理論は単純明快「パワー」である。相手より勝るパワーをもって相手を倒す、ということだけである。そしてやられたら、やり返す、報復合戦の繰り返しで、まさしく「ハムラビ法典」を地でいっている訳でここには終着はない。

キングダム(王国)はそういった危ういパワーバランスの中で成り立っている。
そして”見えざる敵”は今も生まれ、潜んでいる。

折りしも、19日未明にパキスタンの都市カラチでブット元首相を狙ったイスラム過激派による自爆テロがあった。死者は139人、負傷者は539人に達する大惨事である。l
そして19日午後にはフィリピンのマカティ市内のショッピングモール「グロリエッタ2」で爆発が発生し、少なくとも8人が死亡、80人以上が負傷したという。

「グロリエッタ2」には2年前に行った事があるが、入口で手荷物検査があったくらいテロには十分に注意をしていたのに残念である。

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2007年10月18日 (木)

アジア・アフリカチャレンジカップ2007

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昨日は行きつけの焼き鳥屋でホッピー片手に「アジア・アフリカチャレンジカップ2007」を観戦。

対戦相手のエジプトは昨年のアフリカ選手権を制した実力国。とはいえ主力メンバーは来日しておらず、時差ボケ&観光モード?でイマイチ本来の力は発揮できなかった。しかし、前半早々はパスを繋ぎ日本ゴールを襲い掛かったが守備陣がよく踏ん張りました。日本はプレスを掛けながらサイド攻撃を仕掛ける。
で、前半の21分こぼれ球を拾った大久保がミドルシュート!!
これはファインゴールだ。結果的には4対1の圧勝である。これはスゴイ!
その後、大久保がヘッドで2点目!
http://mainichi.jp/enta/sports/graph/soccer/japan/20071017/1.html

まぐれ?でヨーロッパ王者であるスイスを破り、そして今度は時差ボケ&観光モード?のアフリカ王者をも破ったオシムジャパンは来年のワールドカップ予選を余裕のヨッチャンで突き進むのだろうか?

イマイチ不安がよぎるのだが・・・まぁ、実力的には問題はない。あとは選手のモチベーションと監督の支配に尽きるのだろう。

しかし、オリンピック予選のカタール戦は逆転負け。なんだかドーハの悲劇を垣間見る思いがしてならない。勝負の潔さを重んじる昔ながらの日本の風潮がこうした国際ゲームの中で勝てない大きな要因になっているのは事実だと思う。
まぁ、好くも悪くも勝負に対する荒々しいまでの気迫に欠如していると感じる今日この頃である。

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2007年10月17日 (水)

ご近所探索「横須賀高等女学校跡」

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平坂を登り、交番裏のうらが道から横須賀青少年会館を登りきった所に「横須賀高等女学校」の標柱石が立っている。

横須賀高等女学校は現在の県立大津高等学校の前身で、明治39年横須賀町豊島町組合立高等女学校が汐入の谷町に開校、同40年横須賀高等女学校と校名を改め、翌41年深田の台のこの地に校舎を新築し移転した。
のち昭和5年、県に移管して県立大津女学校となり、大津に移ったがそれまでの22年間、本市女子教育の中心となって多数の卒業生を送り出した。

開校当時の生徒数は320人で第一回卒業生は18人と記録されている。

写真石垣上に見える長い校舎がそれで、大正年間のものと思われる。
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/oldays/school/kouzyo.html

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2007年10月16日 (火)

竜馬がゆく

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竜馬がゆく
司馬 遼太郎 (著)

何も言うことはない。(良識ある大人の)日本人なら誰でも知っているあまりにも有名な小説である。そしてこの小説によって国民的英雄としてイメージされる竜馬(龍馬)像が作られたといってもよい。事実、司馬 遼太郎がこの小説を発表するまでは忘れられていた存在なのである。

いや、一度だけ死後、その存在がクローズアップされたことがある。日本海海戦の直前に、龍馬が2晩も皇后の夢枕に立ち、「日本海軍は絶対勝てます」と語ったという話で、これが全国紙に掲載され、坂本龍馬の評判が全国に広まる事となった。そして勝海舟が言った「薩長連合、大政奉還、あれはみんな龍馬ひとりでやったことさ」も坂本龍馬を世に知らしめた有名な言葉である。

かくゆうワタクシも「竜馬がゆく」を20代の時に読んだ。そしてたいそう感動した記憶があり、坂本龍馬無くして明治維新は成し得なかっただろう、と深く思ったもんである。
しかし、最近になってこの竜馬(龍馬)像について沸々と疑問が湧き出てきた。テレビ番組やいくつかの本で坂本龍馬の実体について証拠を揃えて論じているからである。

で、気になって2週間前からこの「竜馬がゆく」を読み返した次第。
やはり、面白いストーリで一気に読んでしまった。そして感じたことはこれはフィクションなんだということである。

司馬遼太郎氏も竜馬という文字を使ったのは、歴史上の人物、龍馬ではなく自分の作り上げた青年の理想像として書きたかったのであえて字を変えて「竜馬」像を作りたかったと言っている。
司馬遼太郎氏の理想としての幕末の志士が思う存分活躍するわけだから面白いのは当たり前である。

坂本龍馬の実体についは諸説あり、歴史家からも「竜馬がゆく」で描かれている竜馬は実際の龍馬とかけ離れているのではないかという指摘は多い。

フィクションでも構わない。面白いものは面白い。
まぁ、ここは一つ大人の器量の大きさで「竜馬がゆく」を楽しもうではないか。

そうそう、坂本竜馬は横須賀とも多少は関係があります。

横須賀と坂本竜馬
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_fa1e.html
http://take4-san.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_40fb.html

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2007年10月15日 (月)

バグダッド・カフェ

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イランのバグダッドにあるカフェではない。
アメリカの西部にあるモハーベ砂漠に佇むうらびれたカフェ&モーテルが「バグダッド・カフェ」である。

人生に疲れた人々を象徴するような傾いたカメラアングル、そして砂漠色した色調の映像は黄昏た物憂げさが漂う。劇中に効果的に流れる「コーリング・ユー」は最初は無機質で乾いているが、それが次第に潤いに満ちた生きる喜びの賛歌に変わっていく。

そう「バグダッド・カフェ」にはラスベガスでは絶対に体験できない心のマジックがあった。
ジャスミン・マジックは枯れた人々の心を潤し、人間としての喜びを呼び戻してくれるのである。

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2007年10月14日 (日)

外国海軍艦艇オープンシップ

天候が好ければ久々に山歩きでもしようかなと思っていたが生憎と今にも雨が降りそうな雲行きである。
山歩きはキャンセルし、近場でお楽しみということで横須賀新港で行なわれる「外国海軍艦艇オープンシップ」に行く。
これは日本主催の海上阻止訓練に参加するために横須賀を訪れている外国海軍艦艇(イギリス、フランス、オーストラリア海軍)の一般公開のことである。
ワタクシ基本的に船が好きで、こういう機会があると出来るだけ足を運ぶようにしている。

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右からフランス:フリーゲート艦「ヴァンレミエール」、オーストラリア:フリーゲート艦「パース」、イギリス:フリーゲート艦「モンマス」

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「モンマス」のブリッジ

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「モンマス」の煙突のあるシンボルはクラウンか?

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で、これが「モンマス」の勤務状況確認板というか、IN(船内)・OUT(船外)・DUTY(勤務中)・LEAVE(休暇中)が表示されている。

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「パース」の船首からブリッジを臨む

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「パース」の煙突のあるシンボルはご存知、カンガルーである。

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これが「パース」勤務状況確認板

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フランスの「ヴァンレミエール」はヘリにもそれとなくエレガントな雰囲気がある

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ファッションのお国柄だけに制服もうるさそう

まぁ、、こういう催しに来るのはその殆どが軍オタクの男性である。で、それとなく聞いていると「彼は線が2本だから大尉だな」とか「この船は2代目で、初代パースはあれがこうしてどーなった」とかまぁ、詳しい。
少数ながら女性の軍オタクの方々もいて、目を輝かせて船内を歩いていた。

横須賀にいるとこういう外国海軍艦艇に乗る機会が多いが、一番無骨というか驚いたのがロシアの海軍艦艇である。甲板上にやたら突起物が出ていて危なくて普通に歩けないのである。安全に確保された作業通路という概念がないらしい。

ワタクシは軍オタクではない。船が好きなのである。そしてそれぞれの船にお国柄が反映されているを見るのが楽しいのである。

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2007年10月13日 (土)

「SATURDAY IN THE PARK」

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ウォーキングでうみかぜ公園へ。
ここでビール?を飲みつつ、海を眺めつつ読書?タイム。
ウォーキングしながらビールを飲むとは邪道だ!と叱咤するお方もいるかもしれませんが、ワタクシは気にしない。
肌に優しい日差しと風が秋の心地よさを感じる。
読んでいる本は「石の扉」(加治将一著)。アノ秘密のベールに隠された結社を独自の視点で描いており、世界的コネクションの日本を舞台にした物語へと結び付けていく。面白そう。

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横須賀の「SATURDAY IN THE PARK」右手を見ればピクニック&BBQ

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左手を振り返ればフィッシングの竿の列

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そして「猿島の晴風」はご存知?
三浦半島八景の一つで晴風とは「朝もやに煙る松林」という情景を表しているのだが、さて松林とな?どこにあるのかな?

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2007年10月12日 (金)

長距離通勤者の孤独「自動改札機作動せず!」

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今朝の首都圏は一部の自動改札機が作動しないというトラブルがあった。この一部というのがクセモノで入場と出場というデーターが正常に確認出来なければいけない。入場と出場どちらかで自動改札機が作動していなければ出ることができない。で、コマッタ鉄道各社は原因が究明されるまで正常に作動している自動改札機を含めて全て開放して乗客の便宜を図り乗り降りをさせていた。まぁ、これは当選の選択である。

そしてこの原因というのが「日本信号」製の自動改札機内のデータを読み込むプログラム欠陥だという。
「日本信号」製の自動改札機は首都圏のJRと私鉄、地下鉄で4300台が設置されており、これらが電源をいれても作動しなかった訳で、駅員の方も大変困惑したでしょうね。
で、このプログラム欠陥だが、どうやら不正使用の恐れがあるクレジットカード情報を読み取る過程でエラーが発生したというものらしい。

そういえばニッポン放送の早朝番組でパーソナリティーのうえやなぎまさひこ氏が自動改札機トラブルについて「どこのメーカー製か調べてほしい」という発言をしていたが、彼の直感にあらためてビックリした次第。

で、自動改札機とは一体どういうシロモノなのか?ということ調べたらこれまたその価格にビックリ!最近の多機能タイプ(磁気切符、プリペイド・カード、ICカード対応機)では軽く1,000万を超えるという。
まぁ、高くても数百万だろうと思っていたので、どういう価格構成になっているのか?改めて疑問が湧き出た今日のこの頃である。

自動改札機の研究
http://yoiko.vis.ne.jp/atc/body_atc_.html

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2007年10月11日 (木)

灰色の北壁

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灰色の北壁 (単行本)
真保 裕一 (著)

真保 裕一の「山」をテーマとした3編を収録した中篇山岳小説である。
中篇ならではのヒネリを効かしたミステリー仕立ての展開は小気味良い。
何よりも山に取り付かれた「山屋」の心情をよく理解しており、一人の人間としての「山屋」の心の襞(ひだ)にある想いを描いている。

読むにつれて、次第に主人公である「山屋」の想いに自分の心がシンクロしてしまう。
実はワタクシも若き頃、とある山岳団体に所属しており、春夏秋冬問わず、谷川岳、南アルプスや北アルプスに入り浸った時期があり、登場する「山屋」の心境にはある程度は分かる、がそこまでの「山屋」でもなかったし、卓越したアルピニストでもなかった。

山をやっていた関係で山岳モノの本は多数読み、特に新田次郎の作品は全て読んだ。
山を登るというひどく単純な行為が、時には生死を賭けた挑戦となり、そして物語となる。
想像を絶した大自然の中では人間は小さなものであり、その大自然の中でもがき苦しむのは当たり前である。だからドラマがあり感動があるのか。

そんな問い掛けを超越するほどストーリーは粛々と進んでいく。
なんだかこの潔さがこの小説の骨頂なのだろうと、読み終わってから気付いた。
やはり、この小説は山を登り切った者でしか分かり合えない何かがあるのかもしれない。
しかし、登山の経験者のない人には山の持つ奥深さが読み取れるのではないだろうか。

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2007年10月10日 (水)

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ

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アメリカンロックの鬼才ライ・クーダーがプロデュースした同名のアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が元となり制作されたキューバンミュージックのドキュメンタリー映画である。

ライ・クーダーが惚れ込んだ老ミュージシャン達を呼び戻し、彼らに再び音楽という自由を与えた。
思い出を積みかねた彼らの音楽は燻し銀の如く輝き始めた。旋律から垣間見れる彼らの生き様とは人生は奏でることであり、歌うことなのだろう。

映像と音楽、そして老ミュージシャン達と彼らを取り巻くキューバの文化的背景、郷愁をおびたキューバの街角などが渾然一体となり不思議なハーモニーを醸し出している。

ここは一つ雑念を追い払い、ひたすら彼らの音楽に耳を傾けていたい。
音楽とは、そして人生とはかくも素晴しきものかということがじわじわと浸透してくるのがわかる。

パパ・ヘミングウェイが愛したキューバの街角を目に浮かべる。そこには音楽の楽園の太陽、風と光が溢れ、老ミュージシャン達の輝く笑顔がある。
そして、葉巻をくゆらせ、ラム酒を飲みながら流れてくるキューバンミュージックを聴けば至福の時が得られよう。

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2007年10月 9日 (火)

サウスバウンド

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                         サウスバウンド

原作はとても面白い。読書というのは一級のエンターティンメントであると、久々に感じた小説である。で、これを映画化するという。とても心配だ。そしてその心配はやはり的中した。

原作はひたすら長男である次郎の視点で描かれている。その次郎の想いと言葉が、東京での日常と非日常、沖縄での風と光と影、プリミティブな想いと愛、そして自然と破壊が織り成す壮大なロマンをものの見事に演出していてたとワタクシは感じた。

映画は原作のストーリーを端折り、淡々と進む。まぁ、これはどの映画にも共通していることである意味仕方がない。長編小説を2時間の映画にすること自体が無謀な訳で、原作は原作、映画は映画と割り切って製作できないものなのか?

次郎のプリミティブな想いと言葉が全てであり、それらを失ったこの映画は創造力の微塵さえも感じない生気のないシロモノである。監督と脚本は森田芳光、せめて脚本は映画と割り切ってテーマを絞り、次郎の視点で書いてほしかった。
やはり、原作を超える映画は無理だとしても、せめて同等のクオリティを持った映画は作れないものなのか?

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2007年10月 8日 (月)

横須賀の近代建築-建造物が語る先進都市ヨコスカ-

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横須賀市自然・人文博物館にて

(開催期間)
平成19年(2007年)9月16日~平成20年(2008年)2月17日

文字通り横須賀の近代建築というか代建設物を紹介・展示している。
大半は幕末から明治にかけて建設された横須賀製鉄所・造船所もしくは横須賀海軍工厰(現在の米軍基地内)に関するものであった。

ドライドックや日本初の洋式灯台として知られる観音埼灯台の設計図、またまた、1870(明治三)年ごろに同製鉄所内に建設され、四年前に解体して部材を保存している当時のフランス人技師ティボディエの官舎の復元図やれんがなどの遺物などが興味深い。特にティボディエ官舎はCGによる3Dのウォーク・スルーを駆使し百インチの大画面で誰でも分かるように紹介されていた。構造的には木の柱の間にレンガを充填するもので、このレンガには“YOKOSKA”の刻印があり、国産として最古級の耐火レンガらしい。

規模はさほど大きくないが貴重な資料などが展示してあり充実した内容ではあるが、個人的には看板建築や出桁造りなどの説明がパネルや雑誌(掲載写真)だけだったことや、上町教会や田戸台分庁舎が紹介されていなかったのが非常に残念であった。
公(おおやけ)の建設物はそれなりの資料があり、保存もされていると思うが、民間の建設物にかんする調査・保存がおざなりというか殆どされていない状況がしょうがないと分かりつつ悔やまれるのである。

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2007年10月 7日 (日)

ワールドフェスタ&オクトーバーフェスト2007

この3連休、横浜は秋のイベント目白押しでお祭り騒ぎであった。
まず、毎年恒例の「ワールドフェスタ・ヨコハマ2007」。
これは「食べて、遊んで、世界の旅」がテーマである。
まぁ、早い話、世界の料理が食べられて、歌や踊りが楽しめるという催し。

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小秋日和(こんな言葉はない?)に誘われて人々が集まって来て、相変わらず凄い人出である。
去年はこんなに混んではいなかった。
そして、去年はあったワインのテイスティングブース(コレが目当てで来たのだが)がないので早々に引き上げる。

お次は「オクトーバーフェスト2007」。
これも恒例になりつつある、ドイツのビール祭りの日本版。

  C_a  C_b

ここも結構な人出である。
ここでソーセージを食らいつつビールを飲む。
エルディンガーやケストリッツァーなるビールを飲む。
こういうビールを飲むと日本のビールは別物だと思わざるをえない。
日本のビールは喉越しのキレ味を追求し、ドイツのビールはまろやかでふくよかなのである。
こういうビールを飲むとほのぼのと幸せな気分になるなぁ・・・

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「横濱 JAZZ PROMENADE」

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で、今日のメイン・イベントは「横濱 JAZZ PROMENADE」である。
土日の2日間、プロ・アマ、有料・無料を含めて120個所の場所で約390のステージがあり、横浜の街全体がステージと化しJAZZのサウンドで満たされるのである。
ビール片手に無料の街角ライブのハシゴをする。

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オジサンバンド、学生バンド、そして老若男女混成バンドなどなど、地元横浜以外から遠征してきたバンドも多く、遠くは水戸から来たオジサンバンドもあった。
やはりビッグバンドの定番スタンダードモノが多かったが、オリジナルを披露するバンドもあった。
それにしてもビッグバンドはよい。管楽器の圧倒的な音圧が体全体で感じられる。
トランペットのハイノーツサウンドはビッグバンドの花であり、シビレるなぁ・・・

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2007年10月 6日 (土)

城ヶ島で花見

先日、新聞で城ヶ島で季節外れのオオシマザクラが咲いているという記事を目にした。
ナニ~!サクラだと~!サクラは普通4月に咲くものだろう。何を血迷ったのか城ヶ島のオオシマザクラ達は残暑の影響で狂い咲き?したらしい。
こんな季節外れな旬?なものを見逃してはならないと城ヶ島までお出かけ。

城ヶ島手前の三崎にはしばしば訪れてはいるが城ヶ島は小学校の遠足以来だ。ということは40年以上振りということか、ヒエ~山の延暦寺である。何はともあれ城ヶ島で花見だ~!

初秋の風が心地よくハイキング日和である。

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城ヶ島灯台
この灯台は大正15年に改築された2代目。
初代は明治3年に横須賀製鉄所首長フランス人ヴェルニーにより西洋式灯台として設計されたが、レンガ造りの灯台は大正12年の関東大震災で倒壊した。

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秋の気配の岩礁。なんだか穏やかでうたた寝しているお方もチラホラいた。

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馬の背洞門
波や風雨に浸食により長い年月をかけてできた高さ3m、幅2mの海蝕洞門。
「めぐりの洞門」「眼鏡の洞門」とも呼ばれている。

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ウミウ展望台からウミウが生息している赤羽根海岸を臨む。
毎年11月の下旬頃になると、北の方からウミウが渡って来て、4月頃まで城ヶ島で冬を過ごす。
今は10月・・・だからウミウはいない。

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トンボの姿を多く見かけた。
で、これは赤トンボ・・・

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で、これが狂い咲きしているオオシマザクラである。
ビールを飲みつつ暫し休憩。
駐車場周辺に多いが城ヶ島公園内にも何本かあるということを、
たまたま通りかかった公園管理の人に教えてもらった。

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すっかり秋の気配漂う安房崎(あわざき)
白亜の無人灯台が小さく、ポツンと寂しそう。

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毎度御馴染み?の北原白秋の碑である。

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そして歩いて城ヶ島大橋を渡る。

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三崎「まるいち」

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遅めのランチは三崎の「まるいち」で
先にある魚屋で食べたい魚と調理方を選び、手前の店で頂く。
これは懐かしの香港スタイルだ。

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地魚の「トビウオ」が旨そうだったので刺身とたたきを所望。
ビールを飲みつつ至福の一時を過ごす。

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2007年10月 5日 (金)

ラーメン賛歌

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                写真は「若松」の中華そば

ワタクシ麺類をが好きで、蕎麦やうどん、そしてパスタなどもよく食べるが、何よりもラーメンをこよなく愛しているのである。

麺とスープ、そして具という食材から、作り手達が個性ある究極の味を生み出そうと日夜研究し、進歩している。100人の作り手がいれば100種の味がある。そして同じ店でも複数の味(醤油・塩・味噌etc)があり、いくつもの具(トッピング)もある。日本全国に数万軒のラーメン屋があり、それぞれの店にいろいろな味があり、具があるわけでその組合せで数十万種類のラーメンが存在することになる。

蕎麦屋にもそれぞれ各店独自の味がある。しかし、それは継続された伝統の味であり、守られるべき味でもある。従って革新的な蕎麦というのはなかなか存在しない。しかし、ラーメンは次々と独創的な味のラーメンが世に出てくる。海のように奥深く、空のように幅広い。
ワタクシはこのような「食べ物」を他には知らない。

仕事柄、海外や日本を渡り歩いてきたが、それぞれの土地にそれぞれの独創的なラーメンがあって楽しい。

仙台にいた時には山頭火の「塩ラーメン」にハマった。いろいろな場所で山頭火の「塩ラーメン」を食べたが仙台店が一番ウマイと思う。
新宿に住んでいた時には高田馬場にある「味源」の味噌ラーメンをよく食べたが、今は昔のアノ感動的なウマサはない。これらはチェーン店でもあるが、店によって味が全然違う。これもラーメンの面白さだと思う。

北九州にいた時は週末はラーメン&温泉三昧であった。熊本や久留米までラーメンを食べに行った。
九州といえば豚骨であるが土地柄によって豚骨のテイストが全然違うのが面白い。門司にある珉子(みんず)では東京では絶対に味わうことのない絶品のラーメンが堪能できる。

シンガポールには3年強いたが、ラクサと福建麺には大変お世話になった。(ラーメンではないが)
ラクサとはココナッツミルクと香辛料がきいたカレー味がミックスされた麺料理である。

そして横須賀には横浜家系ラーメン店が多いが「塩や」や和歌山ラーメンの「嶋や」、そして「和らく」「イツワ製麺所食堂」に「若松」がある。家系ラーメンもいいがオジサンには「和らく」や「若松」の和風アッサリ系が好ましいと感じる今日この頃である。

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2007年10月 4日 (木)

アース・ウィンド&ファイアーと六本木

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久々にGYAOを観たらこりゃ~懐かしの「アース・ウィンド&ファイアー」(AW&F)のミュージック・ビデオ&ライブ映像の10本立てがあった。(残念ながら今週の月曜までの放映であった)

20代の中頃、六本木ディスコ全盛時代のワタクシもご他聞にもれず、毎週六本木に通っていた。
スクエアビルは全フロアがディスコであった。当時はソウルというよりはブラコン(ブラック・コンテンポラリー)なんてジャンルが出始め、AW&F、レイ・パーカーJr、パティ・オースチン、マンハッタンズなどの曲がかかっていた時代である。

当時はディスコが終わった後、深夜の六本木を徘徊し、公園のベンチなんぞでうたた寝をして新橋から始発で帰宅するという日々を送っていた。
そして、ピラミッド・パワーのAW&Fからは確かにパワーをもらっていたし、AW&Fを聴く前は精神統一し瞑想してから聴いたもんである。

最近ではリーダーのモーリスはパーキンソン病を患い現役から引退したが、このミュージック・ビデオ&ライブ映像の中の彼は神懸り的にパワフルに歌いまくっている。
そういえば70年代中期、絶頂期のアースと当時はやっていたロックとのレベルの差に ロックを語るのがばかばかしくなったとぼやいた某有名ロック評論家がいましたね。

六本木にはその後も通い続けたがディスコではなく今度はJAZZクラブに入り浸り状態。サテンドールにバランタインにボディ&ソウルなどなど、そういえばこの頃に某有名女性JAZZシンガーとお知り合いになった。まぁ、この話は後ほどに・・・・秋の夜長はJAZZとバーボンでゆるりといきませう。

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2007年10月 3日 (水)

「夜のピクニック」

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「夜のピクニック」恩田 陸 (著)

これは紛れも無く「青春小説」なのだろう。そして、この青春小説というシロモノを堂々と読むことに対してオジサンはチョット恥ずかしいものがある。

だって、アナタ!青春ですよ!あの揺れ動く淡い想いとか何とかを人生の酸いも甘いも悟ったオジサンが読んでも面白くもなかろう。まぁ、本当は素直に読みたいという気持ちを認めて読めばいいのだが、何故か何を今さらジロー的白けきった醒めた理性が邪魔をしているから恥ずかしいのかもしれない。

で、改まって「青春小説」って何と問われてもワタクシにはよく分からない、取り合えず若者達の友情や恋、そしてそれらを取り巻く環境などを淡いタッチの文体で書いた小説とでもしておこう。

この「夜のピクニック」は始めは読む気はなかったのだが「サウスバウンド」を読んでから気が変わって読んだ次第。つまり本屋大賞の奥深さを知ってからである。「サウスバウンド」は2006年本屋大賞の2位で。「夜のピクニック」は2005年本屋大賞の1位である。ちなみに2004年本屋大賞(第一回)の1位は「博士の愛した数式」である。これも良い小説だ。

この小説は全編を通してサラリとした描写が印象的である。
とにかくサラサラで、ジメジメもドキドキもドタバタもなくひたすら全校生徒が24時間かけて80キロを歩く高校の伝統行事「歩行祭」での出来事をサラリとした描写で描いている。
主人公たちの会話の中に「青春の揺らぎ」とか「煌(きら)めき」、そして「若さの影」とか「引き算の優しさ」なんて言葉が出てくる。

まぁ、今時のコーコーセイがこんな言葉を使うなんてオドロキだが、サラサラの文体が嫌味なくこれらを消化しまっている。
そして、ラストに向かって、アメリカからのおまじないが、今までの蟠りを嘘のように解かしていくくだりもサラサラしている。
読後のサラサラ感も心地よい。
そうか!「青春小説」とはサラサラということか!ということを感じた今日この頃である。

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2007年10月 2日 (火)

ご近所探索「坂本竜馬と横須賀」②


坂本竜馬は1867年(慶応三年)12月、京都の旅寓・近江屋(京都市中京区)で何者かに中岡慎太郎と共に暗殺された。

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そして坂本竜馬の妻だったお竜(おりょう)は竜馬暗殺後、、流浪生活の末に横須賀まで流れて、呉服商人西村松兵衛と再婚し明治三十九年(1906)、66歳で横須賀の観念寺の裏長屋で終焉を迎えた。

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終焉の地「おりょう会館」入口にある「おりょうの像」

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長屋はこの路地の左側にあった。

観念寺とは現在の米が浜付近の古称らしい。
現在でもその名残が見られる。

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例えば共済会病院から竜本寺に登る坂は裏坂または観念寺の坂といわれていた。

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また、米が浜通りの一本入った裏通りの街灯に観念寺支と書き込まれたプレートがあった。

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お竜の墓は横須賀の大津信楽寺にある。

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この墓の建立者はお竜の実妹中沢光枝さんと記されているが実は坂本竜馬を先覚者として慕った海軍軍人たちの力によってできたらしく、墓石も浦賀ドック建設のときの余り石が便われている。

そして、海援隊隊士だった安岡金馬は、藩を脱出する以前からの親友であった中岡慎太郎を通じて、坂本とも知り合い、同時に勝海舟(勝安房)の門に入っている。その後、横須賀の海軍機関学校に移り教鞭を執り、明治初期の海軍創設に尽力した。(芥川龍之介も海軍機関学校で教鞭を執っていた)

安岡金馬はお竜とも親戚関係でもあり、お竜が横須賀で再婚した時、金馬が媒酌の労を取った。しかし、実際は安岡金馬はお竜さんを嫌っていたと言われている。また海援隊士もお竜さんの面倒を見なかったらしいが理由は分からない。

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そして、いくつかの文献によると安岡金馬の墓は聖徳寺にあるという。
で、先日聖徳寺を訪れて寺の関係者に聞いたところ、そのような問い合わせはあるがこの寺には安岡金馬の墓はない、ということであった。
富士見町にあるらしいのだが場所は不明。

PS:9月18日の日本テレビで「本当にあった!日本史サスペンス劇場」の中で、坂本竜馬暗殺の真実という特集があった。

①新選組犯行説
②見廻組実行説
③薩摩藩陰謀説(西郷隆盛陰謀説)
という各諸説あるが、今のところは②見廻組実行説が有力らしい。

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2007年10月 1日 (月)

ご近所探索「坂本竜馬と横須賀」①

幕末の英雄である坂本竜馬と横須賀は関係はあるのか?
まぁ、京都や長崎に比べれば関連性は薄いのはその歴史的考証が少ないからで、ここは強引に関係を探してみた。

時は幕末、ペリーが率いる4隻の黒船が浦賀に来航、この時坂本竜馬は小原台より黒船を眼にしていたともいわれている。そしてその後三浦富士の山中にて長州藩の桂小五郎と対面した。
(司馬 遼太郎  竜馬がゆくより)

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竜馬たち幕末の志士たちが浦賀まで駆け抜けた浦賀道、ワタクシの通勤路でもある。お年寄りの中には「本道」と呼んでいるお方もいる。

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聖徳寺坂下の赤門脇に浦賀道の道標がある。

坂本竜馬らが黒船を眺めた小原台は現在の防衛大学校である。

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そしてペリー上陸記念碑
ここから明治維新への歴史が始まった。

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小原台からは黒船はこのように見えたのかな?

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